2022年4月28日木曜日

清水哲男「さわやかに我なきあとの歩道かな」(「となりあふ」第6号)・・ 


 「となりあふ」第6号(となりあふ発行所)、清水哲男追悼号とある。句は招待俳人として、箭内忍選による清水哲男「緑のたきぎ あるいは古希の理路(2008年発表)」よりの22句。エッセイに今井聖「あれは違うよー清水哲男さんを悼む」、北大路翼「ふう、やれやれ」、府川雅明「愛の人」。まず、今井聖は、


(前略)哲男さん自身の生涯の歩みはまさしく「栄華の巷」を批評的に辛辣に見据えて「都の花に嘯けば月こそかかれ吉田山」の抒情を詩と俳句で詠われたように思う。


 とあり、また、北大路翼は、


 ビールを飲むのも抵抗だ。素面では、世の中の恥づかしさに耐へられなかつたのだらう。僕らが失敗したときも、すべて「ふう」の一言で飲み込んでくれた。その「ふう」のあたたかさ、やさしさ、重さ、哀しさ。僕にはお守りのやうな溜息だつた。

 終戦を敗戦と雑誌に表記したのも、清水さんの提案だつた。今のロシアを見たら溜息が止まらないんだらうなあ。


 とあった。愚生はと言えば、北大路翼も、箭内忍も退社した後に、そして、形だけは、偶然にも、清水哲男顧問職の後を継ぐことになった。が、愚生が文學の森入社の前日、吉祥寺のライオンに書肆山田・鈴木一民と一緒に呼び出され、入社に際してのアドバイスを、ビールを飲みながら受けたのだった。

 もっとも、清水哲男には、それ以前に、愚生の句集『風の銀漢』(書肆山田)の解説文をいただいていたし、FM東京の番組にも出していただいたことがある。思えば、清水哲男には、愚生と同じく、彼が少年時代を過ごした山口県の田舎の原風景があったように思う。ともあれ、以下に、同誌より、他のいくつかの句と、「んの衆」より、一人一句を挙げておきたい。


  鎌に寒星もう読むこともなきトロツキー    哲男

  ふくろうは飼われて闇を失いき

  どうせ死ぬわけかと凧を見ていたり

  ビールも俺も電球の影生きている

  物質に還る日なれば実南天

  被爆後の広島駅の闇に降りる


     清水哲男さん 悼

  Gジャンと煙草と黙とビアホール    箭内 忍

  梟鳴いて月蝕のま暗がり       神保千惠子

  裸婦像の坐りしベンチ猫の恋     鈴木わかば

  極月の警備本部のがらんどう     谷川理美子

  うぐひす徳利注ぐたびに啼き春立ちぬ  原 美鈴

  切手水色とりどりの花浮かせ     廣川坊太郎

  矢印の先病院と春の花舗       安田のぶ子

  門松とゴジラを立てて撮影所     山口ぶだう


清水哲男(しみず・しみず・てつお) 1938年~2022年3月7日、享年84。東京生まれ。


    撮影・芽夢野うのき「タンポポの絮の野原昨日飛んだ」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿