「新・黎明俳壇」第5号(黎明書房)、特集は「高浜虚子VS飯田蛇笏」、「二人の俳句から各8句、武馬久仁裕が選び、組み合わせ、気鋭の俳人、詩人8人に俳句の言葉に即して鑑賞していただきました」とある。その虚子VS蛇笏の一句鑑賞の8人は、山科誠・千葉みずほ・赤野四羽、村山恭子・井上優・田中信克・川島由紀子・なつはづき。ここでは、なつはづきの執筆部分を紹介しておきたい。句は、虚子「去年今年貫く棒のごときもの」VS蛇笏「極月やかたむけすつる桝のちり」、
(前略)塵は物事のひとつひとつ。この句もまた時間は「点」である。時間を虚子は「棒」ー横につらなる「長さ」に着目し、蛇笏は「器」ー縦に増してゆく「深さ」として捉えた。俳句は瞬間を捉える、と言われるが、俳人たちはその瞬間である点を自在に操り、さまざまな「形」に変えるのだ。
と記している。ブログタイトルにした句は、岡本亜蘇の連載「俳都松山便り④ 山頭火松山日記」の末尾におかれた句。ともあれ、以下に「黎明俳壇」から、いくつか挙げておきたい。
蓮池の水に寝かせて鎌洗う 石川美智子(第28回・特選)
いつかくる絶命の時蟬時雨 工藤厚子(第29回・特選)
春を待つ小学校の鉄扉 眞鍋光彦(第30回・特選)
五人目の傘の文字にも入らない ギザギザ仮面(第28回・ユーモア賞)
嘘嬉し敬老の日のケーキカット 斎藤あさえ(第29回・ユーモア賞)
規格外「つ」や「し」の混じる胡瓜かな 長久暁(第30回・ユーモア賞)
★閑話休題・・「現代映画の陥没点 堀江実ドキュメンタリ—映画特集」・於:シネマハウス大塚・・・
日程:4月22日(金)~24日(日)
会場:シネマハウス大塚
映画D「Kと流刑地」(2019)に、愚生と書肆山田・鈴木一民が一緒にインタビュー出演をしている。Kとは「豈」の表紙絵を長年にわたって提供してくれた風倉匠のことである。首くくり栲象(たくぞう)が、亡くなって、遺骨が置かれた彼の部屋でのことだったように思う。首くくり栲象は、先生と言えば、唯一、風倉匠だと映画A「首くくり栲象の庭」の中で言っている。FBに載った・作品情報には、
A「首くくり栲象の庭」2016年、73分。出演:首くくり栲象 音楽・藤田陽介、監督・撮影:堀江実。2018年に亡くなった稀代の首吊りパフォーマー・首くくり栲象を被写体として2014年末より一年以上に渡って撮影されたドキュメンタリー第一作。ただの記録にとどまらず、首くくり行為の虚構性を劇映画の手法を交えて映像化しようとした野心作でもある。
(中略)
D「Kと流刑地」2019年、89分。1973年、前衛芸術家・風倉匠は北海道の網走へと移住し、カフカの小説『流刑地にて』の映画化を試みる。二年半つづけたものの、ついに完成することはなかった。首くくり栲象の師であり、日本のハプニング・アーティストの先駆者でもあった風倉匠は何故にこの映画を作ろうとしたのか。当時を知る者たちのインタビューや数多のテキストを頼りに、彼の思考と実像、そして戦後史をめぐる旅が2018年3月首くくり栲象の死とともにはじまる。
とある。その他、「黒澤美香ダンサーズ」もある。しかし愚生は、事情あって、籠の鳥で行けないが、興味を持たれた方は、是非、お出かけあれ!
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