中原道夫第14句集『橋』(書肆アルス)、その「あとがき」に(原文は旧仮名旧正字)、
今回の句集のタイトル『橋』だが、どこにも〈橋〉を詠つた句は見当たらないはず。不意に浮かんだものだが、古希を過ぎた人生の〈過渡期〉といふイメージが、漠然と〈渡る〉、そして〈橋〉に繋がつたやうだ。どうしても、次なる地平を求めやうとすると、地続き、若しくは水の流れてゐない川だとしても、そこに架かる〈橋〉を渡らねばならない(気がする)。現に、今まで砂漠に現れては忽然と消える[ワジ Wadi]に架かる、存在自体無意味とも思へる〈橋〉を幾度か渡つた。無意味でも、水の流れてゐない〈橋〉をわたらねばならない。唯それだけ。ひとつだけ、こじつけやうがあるとすれば、私淑する橋閒石の名の〈橋〉は、「石」との閒に架かつてゐるし、氏の作品の中の〈柩出るとき風景に橋かかる〉の〈橋〉は、その時点では近未来のことでありながら、他者の葬列ではなく自己の葬列を眺めてゐるやうな不思議な安堵感に充ちてゐる。そして我々も生前に、そのうち渡る〈橋〉をしつかり見て措かなければならぬようだ。
とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。
湯奴の湯あがりどきを失しけり 道夫
神野紗希さん男子誕生二月五日
産声は木の芽にもあり空に充つ
三月廿一日四代目江戸家猫八急逝(六拾六歳)
金輪際贋うぐひすは鳴きはせぬ
ひとたびはふたたび誘ふ遠雪崩
ひこばえを木の妄想と見做しけり
六月廿七日金原まさ子死去、一〇六歳。かつて植田さえ子の名で「銀化」に
投句、著書に『あら、もう一〇二歳』。自ら不良老女といふ
金魚玉ゐないゐないBARに吊る
外つ國は行かねば遠し草の絮
二月廿日 金子兜太逝く
一老が一狼と化し雪解野を
七月六日麻原彰晃死刑執行/
前夜にはいつもより豪勢な食事が出ると仄聞する
星合ひの前夜の餐とばかり思ひ
容易なる仕掛けに見えて蟻地獄
押し出しの敗けとは悔しところてん
広島忌
炎天はドームの骨をまだ舐る
鉄砲は葱などよろし平和裡に
こと醒めて投げ棄つも性若菜摘
生れ来て奇禍とも知らぬ蝶の白
後藤比奈夫先生逝去一〇三歳(六月五日)
もう一度お出ましのあれ露の世に
花かつを黴のいのちも入れ削る
茄子の馬どこで追ひ抜いただらうか
ぶらさがることも修羅なら落ちよ柿
中原道夫(なかはら・みちお) 1951年、新潟県西蒲原郡生まれ。
芽夢野うのき「胴吹き桜そんなところにまた来たか」↑
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