2022年4月24日日曜日

安井浩司「廻りそむ原動天や山菫」(Ⅱ)(安井浩司『自選句抄 友よ』)・・

 

 救仁郷由美子「安井浩司『自選句抄 友よ』の句を読む」(14ー2)


        廻りそむ原動天や山菫       安井浩司


  (前略)自分が若い頃に夢みた文学の奇跡的示現、じっさいそう思ったことがあるので申しますが、俳句形式においてダンテの『神曲』に類するわが「神曲」をこそ成したかったのです。


 引用は『安井浩司選句集』(邑書林・2008年)に収録されている「インタビュー」の冒頭である。

 人にはいろいろ夢があるが、わが「神曲」を成したかったと安井は発言している。平成19年、『山毛欅林と創造』が刊行された直後のインタビューでの発言であり、まだ『句篇・全』六巻は途中である。

   わが神曲の思いあがり犬芥(いぬがらし)     浩司『汝と我』

 このインタビューの後、七年後に、わが「神曲」としての『句篇全』六巻、最終巻『宇宙開』が刊行される。

 そして、「ダンテの神曲に類する」安井の「神曲」は、掲句「廻りそむ」の世界観として表された。

 何故なら、句集『宇宙開』、第一句目「廻りそむ」の句だからである。

 掲句の「原動天」は馴染薄い言葉であるが、ダンテの「神曲に類するもの」から、導かれ ての『神曲』天国篇の「原動天」となる。

 ダンテ『神曲』「天国篇」(原基晶訳・講談社学術文庫)の解説によれば、十天からなる天国の第九天が「原動天」であり、最高の天である十天が〈至高天〉となる。この〈至高天〉をすべての中心とした「原動天」の不動の意志が、自らの場所とダンテなどがいる地上などの周囲の他の全天空を回転させていく。だから、全天空(第一天から第八天まで)の動きはあくまでも「原動天」を起点として動くということになる。

 掲句もまた、「廻りそむ」の「そむ(初む)が、ここから、長く続いていくときのすべてのはじまりの意味となる。

 少しダンテ的に『神曲』「天国篇」の「原動天」を言い直してみよう。

 『神曲』「天国篇」は神への愛と神から愛される地上を理想の世界とする。「愛」の叙事詩である。

 始原の〈神〉と被造物の組み合わせが宇宙の構造であることが示される「原動天」では、全宇宙のあり方、創造主の創造行為がダンテによって明らかにされる。


 ダンテは第二十四歌で詠う。

  我が思念が明らかになるよう助けたまえ。

 「俳句形式の私的絶対化(・・・・・・)の道(当為論)は、『私』にとって成立するのではないかと考える。つまり、この時点において、自らが即刻、俳句形式に対する創造主になることを命じて、だ」。


 上記引用は『海辺のアポリア』「定型の中でー覆したい独白ー」にあり、初出は、「俳句評論」昭和五十八年第199号にある。昭和五十八年は第八句集『乾坤』刊行、安井の四十七歳の年であったことを考えると、安井は俳句形式においての創造行為が掲句のうちで世界形成することを遥か以前から「かたり」かけている。

   廻りそむ原動天や山菫     浩司


*昨日、救仁郷由美子は、72歳の誕生日を迎えた。


           

撮影・鈴木純一「がんばれと言うしかなくてがんばれと言えばがんばると言って笑った」↑

3 件のコメント:

  1. 救仁郷様 お誕生日おめでとうございます。大変ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。かつて句会の二次会にてお互いに意気投合した「安井浩司研究会」ですが、残念ながら安井さんの生前にはついに開催することができませんでした。とはいえ、この連載中の「安井浩司『自選句集 友よ』の句を読む」こそが、そこで語られるべき内容であることはもとより、このやり方でしか安井浩司は読み解けないことを確信した次第です。これに先立ってかの大論『永劫の縄梯子』があることを知る者としては、この連載を逐一プリントアウトしては再読することで、かねてより安井さんと交わしたく思い描いていた俳句原理論がここにあることを喜ぶばかりです。とはいえ、いまだに安井さんがこの世にいないという実感がありません。月並みな言い方ですが、安井さんは作品として存在するということでしょうか。ではまたあう日まで。「安井浩司研究会」を待ち望んでいる田沼より

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  2. お便り有難う存じます。プリントアウトさせていただき、救仁郷由美子にお渡しいたします。愚生より、とり急ぎの御礼まで・・・

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  3. ひょんなことで、大井さんの文を拝見しました。
    どんなことをすれば、日々拝見できるのでしょうか?
    Messengerが使えなくなっている状態ですので、ここへコメントを入れてみました。私の名前は、青木カズコといいます。友達の投稿を見ていて〜〜の今です。

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