2022年4月11日月曜日

久下晴美「新緑にゐて海底にゐる記憶」(『単眼鏡』)・・ 


  久下晴美第一句集『単眼鏡』(現代俳句協会)、懇切な序文は山﨑十生、その冒頭から、


 久下晴美さんの御尊父、吉﨑不二夫氏と私は、埼玉県俳句連盟を通じて知己の間柄であった。不二夫氏は、高柳重信、三橋敏雄、鈴木六林男、佐藤鬼房、赤尾兜子、林田紀音夫が選考委員だった「六人の会賞」を昭和五十一年に受賞され、平成七年に第三十五回の「埼玉俳句賞」を受賞されている俳句の世界でも有力な方であった。そういう俳人を父に、恵まれた俳句環境の中で育てられた晴美さんが、俳句を始める切っ掛けとなったのは、母上の命日に墓参りを済ませ、帰宅途中の車から遮断機が上がるのを見た瞬間に「句のようなもの」が浮かび、俳句を始めてみようかと思ったからとのことである。その時の思いを十七音にまとめたのがⅠ章の

  遮断機のゆつくり上がる春の雨

と云う一句である。(中略)

 特に句集名となった

  秋風をまるく切り取る単眼鏡

 は、作者が「あとがき」に「瞬間を切り取り十七音にのせる俳句は、単眼鏡で覗く世界のようだ」と書かれているように、自身の作句工房、俳句への態度を如実に示している。瞬間を切り取るということは、俳句には欠かせない要素である。韻文である俳句は、散文のように饒舌な表現ではなく、切り取った瞬間の断面の見事さが問われる詩である。


と記されている。その著者「あとがき」には、続けて、

 

 見たいものに焦点をあわせられなければ、ぼんやりとして歯痒い。ぴったり焦点があって、鮮明な画像を結んだ時の感動。それは俳句で表現することに似ていると思う。自分の五感で切り取った景をどう伝えるか、もがく日々が続いている。


とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   かたつむり三歩先行く心かな      晴美

   真つ青な地球の上にゐて紅葉

   真夏日や切り取り線のない身体

   手がかりと云へば菜の花明りかな

   定位置に臍はありけり天の川

   ほんたうは水の塊渡り鳥

   どんぐりころころ一所懸命なら晴れる

   雲切れるあたりの山を恵方とす

   おはじきの青を弾きし白露かな

   グーグルマップ静寂の芒原

   四万六千日手の届かない背中

   真上から見つめる柩夜長し

   雪をんな位置情報が洩れてゐる

   黙食が辞書に載る日よ亀の鳴く

   マドラーに纏ひつく泡桜桃忌

 

 久下晴美(くげ・はるみ) 1956年、埼玉県狭山市生まれ。



      芽夢野うのき「消えて逝く時のかたみよ雪柳」↑

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