「575」第9号(編集発行人:髙橋修宏)、表2(表紙裏)には、「私は進歩しない。旅をするのだ。」(フェルナンド・ペソア)の献辞がある。 エッセイに、打田峨者ん「だ。それは[二〇二一秋ー二〇二二浅春」、田中亜美「逆流の時代に」、堀田季何「共感覚体験と俳句の短さ」、上田玄「繁茂するもの 安井浩司『阿父學』をめぐって」、髙橋修宏「六林男・断章十五(2)他者としての〈女〉」、今泉康弘「蒼ざめた龍を見よー木村リュウジ試論(1)」、書評に髙橋修宏「その奥へと誘う想像力ー髙野公一著『芭蕉の天地』(朔出版)。 編集後記には、石原吉郎の言葉が引用され、以下のように結ばれている。
いま、私自身に言えることがあるとすれば、人は書くことの時点で、すでに人は加害という危うい場に立たされているということだけである。
(・・・)人が加害の場に立つとき、彼はつねに疎外と孤独により近い位置にある。そしてついに一人の加害者が、加害者の位置から進んで脱落する。そのとき、加害者と被害者という非人間的な対峙のなかから、はじめて一人の人間が生まれる。〈人間〉はつねに加害者のなからから生まれる。被害者のなかからは生まれない。
(石原吉郎「ペシミストの勇気について」より)
これまで何度となく立ち止まらされ、何度となく問いかけられてきた言葉だ。
もうひとつ、今泉康弘の「蒼ざめた龍を見よー木村リュウジ試論(1)」の部分を紹介する。
(前略)不安のあまり死にたくなるーそういう病を抱えていた。その一方で、俳句に関わっていく。そのとき、俳句が「ひかり」であるとか、救いであるとはリュウジは断言しない。断言しないのは、俳句を書いたり読んだりしていても、すぐには救われない現実があるからだ。だが、「ひかり」であり、救いであるという可能性を否定しない。「ひかり」かもしれないと自ら感じている。その「ひかり」を感じようとすることが、リュウジにとって俳句と関わることであったのだろう。(以下略)
ともあれ、本誌より、一人一句を以下に挙げておきたい。
八衢へ
化外の衆の
ささめごと 上田 玄
あかあかと敗戦日あり風もあか 堀田季何
完結の頁捲れず青葉騒 田中亜美
片しぐれ紙飛行機を持て余す 増田まさみ
氷解くことばを孵しつづけたり 三枝桂子
重ねゆく咳に衰へ花八つ手 花尻万博
大小の人の柱の鹹き夏 高橋修宏
ゲームから戻つて来たのか戦争よ 打田峨者ん
〔2・24〕
撮影・鈴木純一「須磨帰り雨後の牡丹のけだるさは」↑
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