現代短歌文庫『𠮷野裕之歌集』(砂子屋書房)、既刊の歌集『ざわめく卵』(全編)、自撰歌集の抄出に『空間和音』『博物学者』『Yの森』『砂丘の魚』を収載。他に著者の歌論・エッセイ7編、解説に内藤明「風景の向うに」、喜多昭夫「ぼくの知らない約束がある」。山田富士郎「余白の生成ー歌集『ざわめく扉』」、加藤治郎「空気の音色ー歌集『空間和音』」、東郷雄二「𠮷野裕之または、縮小する世界で我に返る歌」、上村典子「やさしき音ー歌集『Yの森』」、阿波野巧也「風景と余白ー𠮷野裕之論」を収載。吉野裕之のエッセイの「ぼくの住む町」の中に、
横浜市全図を広げぼくの住む町の大きさたしかめている
古いノートを見てみると、一九八九年六月五日の日付があり、隣には「外つ国は〈血の日曜日〉六月のピアノは重き音を出しつつ」がおかれている(ともに『空間和音』〔砂子屋書房〕、一九九一年)所収)。昭和が平成に変わったこの年の四月、私は青春の八年間を過ごした福岡から横浜に戻ってきたのだった。(中略)
「ぼくの住む町」。それが根岸であり、横浜でもある。前者は日常、後者は非日常。あるいは、前者は具体、後者は抽象。そんな言い方ができるかもしれない。そしてときにふたつは入れ替わる。
あれから三十一年が経った(おお、三十一(・・・)年!)。二十代だった青年は、来年還暦だ。おそらく、これからもここが「ぼくの住む町」。そう思う。
(「横浜歌人会議会報」第一二一号、二〇二〇年一二月)
とあった。また、加藤治郎「空気の音色ー歌集『空間和音』」には、
(前略)𠮷野裕之の良さというのは、おそらく自らの資質をうまく掴んでいるところから来ている。それはなかなか困難なことであるように思う。いや、自らの資質を世界のイメージから隔離されたところで温存することは、ある意味でたやすい。世界のイメージの波をかぶりながら、その資質に忠実であることが本当はしんどいことなのである。吉野裕之の作品は、現代の欲望のイメージや、(歌壇という範疇でみても)ライト・ヴァースのイメージをくぐり抜けてきた文体を提示している。
とある。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。
夕べにて馬一頭が過ぎてゆく夢より覚めて組織を思う 裕之
仰ぎつつ雨の迅さを見ていたりまちの形の議論を終えて
鞄には花の名所の地図を入れ東京支社のビルを出でたり
焼却炉まで運ぶのが約束でそれより先は七月の風
Mather Lake
湖が秋という名の空を抱きその風景がわれを引っ張る
春の鞄の重たさをいう雨粒は集まりながら流されている
銀杏黄葉銀杏黄葉とくり返す南京坂はゆるやかな坂
山までのあわいに広がる銀の秋 ぎんのあきとはやさしきことば
諍いを避ける技術を話しおり技術といえばそうかもしれぬ
いもうとがシャワーを浴びているときの廊下に風は埃をはこぶ
わたくしが働くビルをすっぽりと包める影はゴジラにあらず
風景はわたくしである眠ければ眠ってしまうわたくしである
ネクタイの太さを競う会議かもしれないと眠りゆくべし
葉書とは小さな紙と思うかなそこに余白を置いてあなたは
𠮷野裕之(よしの・ひろゆき) 1961年、横浜・根岸生まれ。
芽夢野うのき「いつもそこにいる白い躑躅に平伏して」↑
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