2022年5月23日月曜日

鈴木光影「まくなぎになりかけてゐるときのあり」(『青水草』)・・

 


  鈴木光影第一句集『青水草』(コールサック社)、帯文は齋藤愼爾、それには、


 少年の涙痕(るいこん)に生ふ青水草(あおみくさ)

   十七音で少年の本質に迫るのだから、、大変なことである。こんなふうに詠んだ人   

   は、これまでに居ない。

 摘草や母の野性の胎動す

   僕の場合、母といえば「永遠の母」という固定観念がある。自分が母にどうであって    

   ほしいかという祈りみたいなものを込めて詠んでしまう。母を野性でとらえるという    

   ことは、僕には出来ない。しかし、この句、そこがおもしろい。


 とあった。また、著者「あとがき」には、


  俳句とは、伝統と新しさの間を行き来する越境精神それ自体であり、社会に開かれた時代と対峙する個人的な言葉である、という私の初学時代の俳句観は、能村登四郎、鈴木六林男、宗左近という戦争を知る世代の俳人・詩人の書物との出会いにより培われた。そして、直接的には、その先師世代の謦咳に接した戦後世代の先達方からの恩恵を受け、私は今ここに至る。

 一句一句に、いまの時代を生きるなまの実感を読み込もうと試みた。(中略)それは特段おかしなこととは思われない。この世界への自由で本質的な想像力は、俳句が私にもたらしてくれたものであり、私が俳句に表したいものでもある。


 とある。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  地下鉄ににんげん臭ふ敗戦忌       光影

  写真屋に古びる家族薄暑光

  主役の黒裏方の黒星月夜

  被曝牛の眼の中にゐて氷りけり

  噺家の舌打つ虛盃春めける

    新吉原花園池跡

  色鯉の痛みを縫ひて着飾りぬ

  朝顔市未定の色を買ひにけり

  はじまりの穢れあり白曼珠沙華

  落つるかに昇る緑雨のエレベーター

  誰も皆その身に湧いて秋の風

  木洩れ日の光の穴を蟻の行く


 鈴木光影(すずき・みつかげ) 1986年、秋田県生まれ、千葉県育ち。


              

★閑話休題・・ねじめ正一 文・コマツシンヤ 絵『ゆかしたのワニ』(福音館書店)・・


 フェイスブック繫がりで、ねじめ正一の案内に『ゆかしたのワニ』が、ハードカバーで再刊されるというので、府中市立中央図書館蔵書を検索したら、2018年に刊行された当時の月刊絵本(通巻392号)、年中向き・こどもの友があった。借りてきて置いていたら、5歳の孫娘がけっこう面白がって、見て、読んでいた。それで、G(ジー)に読んでくれ、とせがまれ、いくどか、繰り返し読まされた。よそ様がみれば、一見、幸せいっぱいの光景が出現していた、というわけだ。という次第です。ねじめさん・・・・。

 

    芽夢野うのき「やはり白桃だったんだねチューリップ」↑

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