2022年5月22日日曜日

細谷源二「幸来ると思いぬ新樹天に燃ゆ」(『俳句事件』)・・


 二か国語版・マブソン青眼 日本語原文覆刻・フランス語訳『CRIMINEL POUR QUELQUES HAIKUS…俳句事件』(PiPPA)、細谷源二『どろんこ一代』(春秋社、1967年刊)所収の「俳句事件」を覆刻した日仏対訳本である。表3に、マブソン青眼は、


  世界が第二次世界大戦に逆戻りしたような昨今。暗黒政権がいかにして社会全般を束縛し、侵略戦争を正当化して、平和主義者のあらゆるレジスタンスを潰すのか。80年前の俳句弾圧事件で投獄された細谷源二は、ビビッドな描写と悲喜劇的なユーモアを交えながら、貴重な証言を残す。今こそ日本とフランスで、そして願わくば東欧の国々でも、この”獄中俳文”のメッセージに耳を傾けて欲しい。


 と記している。「俳句事件」の部分を、愚生は、外国語はからきしダメなので、日本語部分のみ引用をする。


  一九四一年二月五日、東京はみぞれが降って寒かった。どこかでけたたましく鶏が鳴き、犬がそれに答えて吠えた。妻が名刺を私の前につきつけた。警視庁〇〇巡査部長。目黒、H署の特高の刑事なのだ。「来たな」、私は布団からガバと立ち上がった。と同時に、黒い鳥打帽子をかぶったままのデカが三人、部屋にはいって来て、いきなり私の腕をつかまえた。

「ちょっと調べることがあるから署まで来てくれ」  (中略)

 本庁(警視庁)からY刑事が来て、手記を書くよう命じた。世界情勢に対する意見やら、ソ連のコミュニズム革命のこと、天皇制のこと、次の俳句作品の自句自解を書かされた。プロレタリア革命のことなどよく知らない私は、刑事の気に入るようにはなかなか書けなかった。ある日、そんな私にじれったくなったか、Y刑事は、同じ日に捕らえられてS署にいる秋元不死男の手記を持ってきて見せた。それによって私は、「広場」からは私のほかに藤田初巳・中台春嶺・林三郎・小西兼尾、「土上」から秋元不死男・古家榧夫・島田青峰、「俳句生活」から栗林一石路・橋本夢道・神代藤平・横山林二、「生活派」から平沢英一郎等がやられたことがわかった。 (中略)

 十二月八日、アメリカに宣告、真珠湾の奇襲攻撃、敵戦艦の撃沈のニュースが留置所にも届いた。スリもかっぱらいも売春婦も「たたき」も赤も、一瞬厳粛な気持ちになる。いよいよ本格的戦争に突入だ。留置所生活などしてはいられない。家はどうなる。妻はどうしているだろう。そして子供は・・・。私の手記も早く完成させなければならない。(中略)

 昭和二十年三月十五日夜の大空襲で飛鳥山の工場も焼かれ、私はまた失業者になった。(中略)

 油のきれたリヤカーがギーギー鳴るのをだましだまし曳っぱってゆくと、目黒署の玄関に大きな立て看板が立っていた。「北海道開拓団員募集」と大きな字で書いてある。家へ戻って妻に相談すると、妻も、

「働くところはないし、このままいたら七人のものが飢え死にしなければならないから、父ちゃん行こうよ」

と言う。(中略)

 誰に聞いたか中台春嶺がたずねてきた。妻にそばをつくらせて、中台とふたりですすった。俳句事件で一緒につかまり、苦労を共にしたこの友達とも、これで一生会えなくなるのだと思うと、目頭が歪んで、くすんと涙が流れてきた。


 以下には、本書に書かれていた細谷源二の俳句を抜き出して、獄中吟をふくむ、いくつかの句を挙げておきたい。


  虱とる手にしみじみと梅雨は来ぬ       源二

  軒下のひよこあやうし雪崩かな

  獄に秋風片仮名でくる子の手紙

  脱走を考える獄の秋風に乗って

  君に似し白鳩は憂し獄の初夏

  英霊をかざりぺたんと座る寡婦

  鉄工葬をはり真つ赤な鉄打てり

  地の涯に倖せありと来しが雪


 細谷源二(ほそや・げんじ、1906・9・2~1970・10・12) 東京小石川区(現・文京区)生まれ。

マブソン青眼(まぶそん・せいがん) 1968年、フランス生まれ。

  


★閑話休題・・悼・大泉史世・・大井恒行「万華鏡寂しき鳥の手の夢ばかり」(『風の銀漢』)・・


 書肆山田・鈴木一民から、彼の同志にして妻の大泉史世の訃を聞いた。先日19日(木)に誤嚥性肺炎によって亡くなったと・・・。これまで、愚生の単独句集『秋(トキ)ノ詩(ウタ)』(私家版・1976年刊)と『風の銀漢』(書肆山田・1985年刊)は、すべて鈴木一民の慫慂によるものだ。とりわけ、『風の銀漢』は、大泉史世の手による本である。若かった愚生には厳しい注文も飛んだ。その大泉さんが、好きだ言ってくれた句が、「万華鏡寂しき鳥の手の夢ばかり」だった。書肆山田の装幀の多くは、大泉史世こと亜令がしている。それによって、本を見れば書肆山田の本だとすぐにわかる瀟洒な造本ばかりである。鈴木一民からは、愚生が40歳代の頃から、次の句集をつくれと勧められていた。還暦を過ぎたあたりには会うたびに督促をされたが、納得できる句の数がないと答えていた。最近では、「大泉と俺の命」、つまり書肆山田があるうちに出せと言われ続けていた。またも愚生は約束を果たせなかったというわけだ。闘病中とは聞いていたが、これまでも何とか持ちこたえられていたので、まさかという思いだ。享年77。今はひたすらご冥福を祈るのみである。先には、『風の銀漢』の解説を書いていただいた清水哲男も逝った。合掌。



       撮影・中西ひろ美「小満や苔の素ふりかけてある」↑

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