2016年12月16日金曜日
攝津幸彦「夢である小島は父で舌である」(『詩(うた)の旅』より)・・・
鳴戸奈菜『詩(うた)の旅』(現代俳句協会)は、文集で、教鞭をとっていた共立女子大学芸術研究所発行の『文學芸術』や共立大学『研究叢書』に執筆されたものと、「東京新聞」夕刊に発表した「俳句月評」、また、彼女の師・永田耕衣主宰誌「琴座(りらざ)」に連載された「詩(うた)の旅」が収録されている。
勤務先の紀要ともいうべき研究誌に発表されたものについては、愚生は、今回初めて接することができた。いわば、研究論文的で俳句に事寄せて、いわば、俳句を知らない普通の人に読んでもらえるようにという配慮からか、丁寧に書かれたものばかりだった(大学の先生だから当然なのかもしれないが)。本書名の由来につては、
この文集の表題を「詩(うた)の旅」としたが、俳句は散文ではなく韻文であるということを強調したく、敢えて「詩の旅」とした。俳句は広義な意味合いで詩である。
と「あろがき」に述べられており、かつ、最初の扉には「ー俳句は詩であるが詩ではないー」と掲げられている。
その第一章「俳句における間(マ)」(『文學芸術』第11号、昭和63年2月)の「二 切れについて」のなかで、攝津幸彦「夢である小島は父で舌である」と増田まさみ「さようなら松の気管をゆく旅人」の句について、
などという現代の若い世代の句になると、一句の切れが何処にあるのかも定かではなくなり、またそれぞれのフレーズ間に、少なくとも日常の論理でつながる関係を認め難くなる。(中略)
ただ切れによって句の、言葉の間がどんどん広がっていっても、詩性という磁場での極めて細かい目に見えないつながりが、その間に架かっているとき、私は作品として成功するのだと考えるが、さてそのつながりの一般法則はなかなか見出し得ない。
と述べ、
遂には、読み手と作り手の共同作業でその作品の俳句世界が形成されるという事態になる。俳句ではよい読者に恵まれるということが重要であるといわれる所以はここにある。
と言う。むべなるかな。その意味では、愚生はあまりよい読者になれそうもない。攝津幸彦は、この文章が書かれたころ、まだ元気で、40歳を出たばかりの頃であった。
鳴戸奈菜、昭和18年、旧朝鮮・京城生まれ。祖父・鳴門聲舟、父・鳴戸四風も俳人であったらしい.
鳴戸奈菜で三代続いた俳人一家、俳諧の血統というべきか。
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