須田優子は、昭和32年10月、享年28で夭折した俳人である。句集『白炎』(鬣の会・風の花冠文庫、本体800円・400部限定)は、没後出版された、
昭和26年から早すぎる晩年までの作品を編年体で収めた『須田優子句集 白炎』が昭和33年「やまびこ叢書 第三輯」として「やまびこ発行所」より刊行された。
(解説・水野真由美「須田優子ー俳句にいのちを光らせて」より)
ものの復刻版である。風の花冠文庫刊行のいきさつについては、林桂が以下のように記している。
『群馬文学全集』(伊藤信吉監修・群馬県立土屋文明記念文学館)の第十三巻で、「群馬の俳句」を編集担当することとなり、関係の句集を読み進める中で、県内の俳壇史を記述する著作に殆ど取り上げられていない、優れた句集とその俳人に出会うこととなった。すなわち、浅香甲陽『白夢』、竹内雲人『療園断片』、須田優子『白炎』である。(中略)
三人共に夭折の俳人で、その資料も十全でないことが、世に知られない要因の一つであろう。その存在を知ってしまった以上このままの状況のもとに置いておくのは、自身の怠惰の上に怠惰を重ねるようなものであろう。
こうして、上記に記された三冊の句集の復刻版が、2002年に『白夢』、2003年に『療園断片』、そして、さらに13年ののち、須田優子句集『白炎』の刊行に漕ぎつけたのだ。林桂の持続する意思、粘り強さに対しては敬意の言葉のほか見つからない。
これら風の花冠文庫復刻の三冊の句集は、いずれも、自らのいのちを俳句に刻み付けた歴程を杖にして書かれたものばかりである。
昭和5年、群馬県渋川市生まれ、須田優子の「俳人としての活動期間は七年ほどで、さらにそのうちのの六年間は闘病生活のなかにいた」(同前解説)
という。幾つかの句を以下に挙げておこう。
もうやせる余地なしセルの胸あわす
聖夜ひとり壁のイエスは振り向かず
母の日の母をカメラに束縛す
紫陽花や妬心もたねば愛薄し
原爆忌傷なき裸身湯に浸す
秋霜や病めば疎まれ哀れまれ
弟、伊豆みやげとて貝殻呉れる
貝殻掌に春の潮騒聞こうとする
長梅雨や癒ゆる希望(のぞみ)は何時捨てし
夜霧の試歩我よりちびし母従え
鰯雲きしきし胸に脈しぶる
ビワ↑
須田優子
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