2016年12月23日金曜日

中村安伸「俳句思へば卵生まれる野分かな」(『虎の夜食』)・・



中村安伸『虎の夜食』(邑書林)は、およそ1995年から20年に渡って作られた句作品と前書きとは違う独立した短いエッセイが併載されている。これらの趣向はすべて、同行者の青嶋ひろのによるもだという。「あとがき」冒頭には、

 この句集におさめられた俳句と短文はすべてフィクションですが、実在の世界と無関係というわけでもありません。たとえば「卒業やバカはサリンで皆殺し」という句がありますが、もちろん事実ではありません。しかし、一九九五年の春、初めて参加した句会で「サリン」という席題を与えられたときに、作った、と言うよりは、出来てしまったこの句を目にして、私は、私のなかにひろがっている闇を生々しく実感したのでした。

とある。愚生がブログタイトルにした「俳句思へば卵生まれる野分かな」の句を目にしたとき、たぶん、だれでもそうであろうし、また、彼がすでに見知っていただろう先行作品、赤尾兜子の、

  俳句思へば泪(なみだ)わき出づ朝の李花     兜子

とっさに思い浮かべると思われる。パロディに違いない、と。「聖五月」の章には、他にも、

  鎖とははばたくものぞ夏の河   安伸    
  夏来る乳房は光りそれとも色  
  少女みな写真のなかへ夕桜
  
  
の句があるが、それらも、

  夏の河赤き鉄鎖のはし浸る     山口誓子
  おそるべき君等の乳房夏来る    西東三鬼
  少女みな紺の水着を絞りけり    佐藤文香

の句が想起されるだろう。これらもパロディなのか。それはそれで読む者をそれなりに楽しませてくれる。ただ、「俳句思へば」の句については、兜子と安伸の句の余りの落差に少し悲しくなるのだ。
もちろん、高柳重信は、

   目醒(めざ)
   がちなる
   わが盡忠(じんちゅう)
   俳句(はいく)かな

と書いた。そのとき中村安伸は、たぶん俳句に倦んでいたのだろう。

 思えばこの二十年間に私の野心や自負心は衰え、一方で俳句に馴れたり、飽きたりもしました。(「あとがき」)

ともあれ句集名由来の句は、

   よきパズル解くかに虎の夜食かな

以下に幾つかの句を挙げておこう。

  草若く女の馬鹿をからかへり
  春風や模様のちがふ妻二人 
  とくつくにのひとのあくびとなるなだれ
   



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