2019年10月15日火曜日
高柳重信「『月光』旅館/開けても開けてもドアがある」(『人それを俳句と呼ぶ』より)・・・
今泉康弘評論集『人それを俳句と呼ぶー新興俳句から高柳重信へ』(沖積舎)、帯の惹句は小林恭二。それには、
新興俳句運動を可視的な時代性と対比検証することで文学史上の位置測定を試みた。野心的かつ緻密で詩的な評論集だ。
とある。愚生よりも約20歳若く、文字通り俳句批評の次代を担う俳人の一人であろう。本書に収録された論の多くを、初出誌の「円錐」「夢幻航海」「俳句界」「しんぶん赤旗」などで眼にしているので、本書をまだ隅から隅まで読んではいないが大よその想像はつく(加筆があるとはいえ、巻末に「初出一覧」でも掲載していただければ、もっと良かった)。待望された一書である。今泉康弘はこれまでも多くの批評文を書いて来ているので、第二弾、第三弾が出てもおかしくはない。小林恭二が「野心的かつ緻密で詩的」と述べているように、読者を引き込んでいく筆力がある。確か、愚生が文學の森「俳句界」に入社して、すぐの第12回山本健吉評論賞を「ドノゴオトンカ考ー高柳重信の出発」で受賞した。その時の選者評も、読ませる力、読者をぐいぐい引き込んでいく筆の力がある、という、他の応募者を圧してのものだったように記憶している。本書名の由来については、著者「後記」に、
本書の書名は『人それを俳句と呼ぶ』とした。しかし、一般の俳句観、即ち、俳句は必ず季語を使い、花鳥諷詠を内容とする、ということからすると、この書名に疑問を抱く人は多いだろう。というのも、本書の「青い街」では白泉の無季俳句を主題にしているし、巻末で扱った「伯爵領」も花鳥諷詠とかけ離れた世界であるからだ。それを俳句と呼ぶのか、と訝しむ人も多いだろう。だが、ぼくは言う。これが俳句だと。
俳句とは何か、という定義は時代によって変わる。定義は人間が作るものだからだ。だからこそ、この書名にした。これがぼくの俳句観である。そのことを前提としながら、俳句について考え続けていきたいと思っている。
と、言挙げしている。一読を勧めるにやぶさかではない。
ところで、彼の略歴に、「1989年、第2回『俳句空間』新人賞受賞」とあるのは、「俳句空間」新鋭作品(10句一組)を応募して決める登竜門で、対象の2名の一年間の選者は、小檜山繁子と夏石番矢だった。彼がまだ21歳の時である。30年以上は以前のことになる。以下は若書きながら、受賞第一作30句から、
風の日は大草原に来て坐る 康弘
渡るべき河あり風の中にあり
喪の手紙真白き街へ出て開く
卒業や机を海に対峙する
桐の花池の暗さに手を入れる
今泉康弘(いまいずみ・やすひろ) 1967年、桐生市生まれ。
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