2019年10月3日木曜日

佐孝石画「遠雷や水脈の果てとしてわたくし」(「現代俳句」10月号より)・・



 「現代俳句」10月号(現代俳句協会)は、第39回現代俳句評論賞と兜太という冠名を加わえ、応募句数も50句に増やしての第37回兜太現代俳句新人賞の掲載である。それぞれの選考経過をみると興味深い。評論賞の受賞作は,他の候補作を圧倒的に凌いで、武良竜彦「桜(しゃくら)の花の美(いつく)しさようなあー石牟礼道子が問いかけるもの」である。その賛を齋藤愼爾が「魂の秘境から」として、

  (前略)「いかに平凡に見えようとも、一人の人間の実人生、生涯を超えるような文学はなかろう。すべての文学や宗教は、人間存在の解脱の試みなのだろう」という石牟礼氏の魂の軋みに接近しえた武良評論の生誕を祝福したい。氏は『苦海浄土』に代表される石牟礼氏の評価を「公害告発とか巫女的視座による民衆史」といった「後付けの視座」で価値づけることを嫌悪する。論考の巻末に付した〔注〕が凄い。『石牟礼道子全集」(全十七巻・別巻一)を要約してみせた力量に驚愕した。

 と記している。新人賞の方は久しぶりに活きのイイ句を書く人が現れたという印象である。愚生の記憶に間違いがなければ、彼は、北陸の同人誌「狼」に所属し、中内亮玄、そして、「豈」同人でもある岡村知昭の仲間である。今回から特別選考委員として小林恭二と穂村弘を迎えての選考で、選考方法も以前と少し違っていて、今回は選考委員長で田中亜美が捌いたようである。この新人賞も圧倒的な支持を受けた佐孝石画に決まったとあるが、選考委員のなかで、最初から、佐孝石画を一位に推していたのは山本左門(中内亮玄は評価が記してなかったので不明・・)くらいで、他の選考委員のなかでは、三位までにも入っていない。いわば、両氏の句の評価に引っ張られたかっこうだ。小林恭二は、歴とした、今は無き「未定」の創刊同人でもあったので、句をキチンと読んできただろう。穂村弘は、

  緊迫感の中の意志というか、言葉に懸ける力の強さに痺れました。自分の中の「新月」や「蟬時雨」や「母」が未知の光で更新されるようでした。時に強引と感じられる修辞が見られたり、タイトルが最善と思えなかったり、ということはありつつ、それらを問題にしないほどの強い印象を受けました。

 と謙虚に評価を、まっとうに披歴しているのに好感を持った。また、佐孝石画の「受賞のことば」の最期に、

 兜太先生に会いたい。そんな思いが今回の応募につながったと思う。霧の中を歩く先生に振り向いて欲しい。もう一度あの厚いてのひらを受けて握手したい。先生に会いに行く旅がまた始まったと思う。旅はこれから。このたびは本当に有難うございました。


 と述べている。兜太はまだ生きている、と思った。ともあれ以下にいくつかの句を挙げておきたい。祝!

  新月という決定的なまばたき     石画
  月光に打たれる石の密度かな
  こなぐすり溶けゆくままに花は葉に
  消印のごとく母美し白十字
  空めくる旅に疲れて夏の蝶

武良竜彦(むら・たつひこ) 71歳
佐藤石画(さこう・せっかく) 49歳。





★閑話休題・・川名つぎお「寒林はすべて時間を持っている」(現代俳句のつどい『選集現Ⅳ』)・・・


 本選集は、

 「現代俳句のつどい」の第301回(平成二十二年六月)から第400回までの100句会に参加えた61名の全作品4239句から699句を収録したものです。(出席者ひとりにつき一句は、必ず収録)尚、作品は句会に提出されたままのかたちで掲載しました。(『現Ⅳ』刊行委員一同)

 とあり、序は秋谷菊野が書いている。「昭和58年に始まった現代俳句のつどいは、毎月休みなしで四百回。特定の指導者を置かず、原則欠席投句なしの句会、参加者全員が平等の立場で意見を述べ合う風通しのよい会です」という。


 みんなは紹介しきれないので、「豈」同人に限っていくつか紹介しておこう。

  マチピチュと言って出てゆく秋葉原   川名つぎお
  満月を切ってしたたる血を受けよ   中戸川奈津美
  手を拱いて無花果色に暮れる      杉本青三郎  
  校庭の花ふぶきから並ぶ        小湊こぎく
  
  

撮影・葛城綾呂 グズグズしてんじゃないわよ↑

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