2019年10月25日金曜日
鍵和田秞子「日なたから木々は痩せゆく黄落期」(『火は禱り』])・・
鍵和田秞子第10句集『火は禱り』(角川書店)、著者「あとがき」に、
戦中、防空壕で読んだ『方丈記』が私の心に無常観を育てた。やがて西行から芭蕉、さらに近現代俳句へと流れる文芸の本質を考えるにつれて、根本を貫くものは「風雅の誠」であることに思い至った。
草田男先生は、文芸の「絶対」を生涯かけて求め続けた。私はとても先生のようにはいかないが、俳諧の真実を大事にして一筋の「風雅の誠」の道を歩み続けたいと思う。老いの身にとって、まことに心許ない歩みであるが、俳句の新しみを探り、文芸の世界の無限の天空を見つめてゆきたい。
とある。集名に因む句は、
火は禱り阿蘇の末黒野はるけしや 秞子
である。鍵和田秞子はかつて大磯の鴫立庵の庵主だった。愚生が月刊「俳句界」のグラビア撮影で、そちらに伺ったおり、「髙柳(重信)さんには、『俳句研究』に随分書かせていただいたのよ」と仰っていた。また、確か、成蹊大学の構内に草田男の句碑が建立された折りもお邪魔させていただいた。現在、愚生がシルバーの委託仕事で働いている府中市中央文化センターでは、「未来図」の句会も開かれているが、今は句会指導には来られていないとのことだった。本復を祈っている。ともあれ、以下に、いくつかの句を挙げておきたい。
西行忌歩けぬ木々は葉を鳴らす
藤揺れてみ空に汚れなかりけり
大淀三千風は鴫立庵第一世庵主
三千風の避寒の庵や磯晴るる
梟も老いたり鬼を追ふ日なり
楸邨に「鰯雲人に告ぐべきことならず」あり
鰯雲なかば崩れて何を告ぐ
回想
敗戦の焼け跡の野も灼けてゐし
月光の瓦礫の景は胸に納む
どんど立ち太平洋は紺を張り
開戦日雲なき空をふと恐る
虚子の「帚木に影といふものありにけり」に和し
帚木にたましひの紅ありにけり
いのちとは水を欲るもの原爆忌
鍵和田秞子(かぎわだ・ゆうこ) 昭和7年、神奈川県生まれ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿