2021年8月25日水曜日

表健太郎「大老(ターロン)ここに一球の火語を吊るし」(『鵠歌*黄金平糖記』)・・・

 


 表健太郎『鵠歌*黄金平糖記』(私家版・五時館)、挿画・印刷・製本を含めすべて手作りの句集である。従って極々少ない部数のようである。扉には「亡き父へ」と献辞されている。「後記」には、


 二〇一七年十二月に父が逝った。七十歳だった。病気とは言え、いまの平均寿命から考えると少し早すぎたように思う。(中略)

 集名『鵠沼歌』は父の生家であり、ぼくにとっては祖父母の家があった神奈川県の鵠沼海岸から採っている。借家だったその平屋は祖父母の他界の後に取り壊されてしまったが、もし原風景というものがあるとすれば、ぼくの言葉の多くはきっと、この土地に出自を持っているのだろう。収録の五十句は父の一周忌から半年を経過した二〇十九年六月、ふと見上げた空に言いようのない懐かしさを覚え、促されるようにして一気に書き上げたものである。六月は空と海の青をこよなく愛した、父の誕生月なのだ。

 『黄金平糖記』はいつから書き始めたのかはっきりと覚えていないが、最初の方は、六、七年くらい前の作品であるように思う。「天地論」を書き継ぐなかで思考訓練の試みとして、あるいは発想転換の戯れと称してこぼしてきた疑似作品群である。特に発表はしてこなかったが、捨ててしまうには惜しい気もあり、併載することにした。

 かつて句集の発行に戸惑いがあることを告白した思いはいまでも変わっていない。けれど父も俳句を嗜む者で、ある時期から俳句の話題を通じ、ささやかにして幸福な親子のコミニュケーションが生まれていた事実を振り返ったとき、『鵠歌』を父の霊前に捧げることも、故人への一孝行となる気がした。(中略)いずれにしろ、極めて私的な理由であるため、限られた人たちだけに配ることとし、これまでの罪を償いたいと思った。


 と記されている。それにしても、表健太郎に最初に会ったのは、彼が、偶然に、書店で手にした現代俳句文庫『大井恒行句集』(ふらんす堂)を読んで、お会いしたいと熱い手紙をくれたからだ。もう20年以上以前のことになる。吉祥寺の喫茶店で会った。たぶん、彼の父上と愚生の年齢はさして違わないように思う。母君の表ひろは、現代俳句協会員で秋尾敏の「軸」におられる。表健太郎の俳句に向かう姿勢の真摯さに対しては、当初より敬意を払っていた。その後「LOTUS」同人になり、芝不器男賞城戸朱里奨励賞を2度受賞したのちも、彼は彼自身が求める道を地道に歩み続けている。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中より、句をいくつか挙げておきたい。


   陽炎の向うへ親が子をさらう

   蝶止まる蛇口にも空来ていたり

   空憎き日も青深し花あんず

   草笛はすぐ風に消ゆ汗も血も

   海を向く父の後ろも風吹いて

   青蜜柑父の掌にあり眩しかり

   花の辺のイデアに触れぬ春の道

   貧血の日の皮膚色のぱらそるか

   思い出を出てまた入る濡れ梟

   ぎやまんの魔の一刻のぎんやんま

   居留守の真昼に一πの蓮を欠き

   春空へぷらとにずむの帽を脱ぎ

   神学に投げつける日の檸檬成る

   烏衣装を脱ぎダダにも秋が来る


 表健太郎(おもて・けんたろう) 1979年生まれ。



        芽夢野うのき「真ッ白な髭になれない仙人草」↑

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