「川柳スパイラル」第4号(編集発行人・小池正博)、昨年11月に創刊され、ちょうど1年が経った。順調な刊行である。俳句、短歌などの短詩形についての熱い議論と交流が目的をもって意識的に実現されているという印象である。川柳に門外漢の愚生には小池正博の連載「現代川柳入門以前 第三回『読みにマニュアルはあるか』」はじつに参考になる。もちろん結論は、マニュアルなどはない、というのであるが、「作品に書かれてある言葉通りに読めばいいですよと答えることにしているが、読み方が分からないということには、いろいろなニュアンスがあるらしい」などと書かれていると、愚生もたまに聞かれることがある「俳句の読み方は難しい、どう読めばいいのですか」に対して同じ答え方をしているので、少し安堵する。そして、田中裕明「鮎落ちてくるぶしは風過ぎにけり」の句と石田柊馬「くちびるはむかし平安神宮でした」について、
川柳には発想の起点がある。(中略)題詠の場合は、題が発想の起点になる。柊馬の句が題詠であるかどうかはさておいて、「くちびる」から「平安神宮」に飛躍させている。俳句の「取り合わせ」と川柳の「題からの飛躍」は結果的にとてもよく似たかたちになることがある。
とあったりすると、そうなのかと納得する。また、
(前略)これまで書かれてきた川柳作品の蓄積はあり、そこからすこしでも新しい領域を切り開こうとして現在の川柳作品が書かれている。(中略)だから過去にとらわれずいつもサバサバと新しい作品が書けるという利点はあるだろうが、川柳史を踏まえたうえでの新しい試みと感性だけで勝負している作品とではどこかに違いが出てくるかもしれない。
とあり、おもわず、そうだろうと思う。ともあれ、同人の一人一句を挙げておこう。
表出のあとのボンベのいまいまし 石田柊馬
肋骨を連れてゆくから待っていて 畑 美樹
ニヒルアヒルアヒルニヒルと分けていく 一戸涼子
ウルトラ波酒がとてつもなく不味い 川合大祐
生き残るためのハーフ&ハーフ 浪越靖政
かりそめに北エレベーターで気絶する 小池正博
たらちねにたどり着いたか鹿の王 悠とし子
リアルボイスずるずると幸せになる 柳本々々
ほじるな危険 垂れ幕と幟旗 兵頭全郎
猫(ねこ)のコネ 使(つか)うは迂闊(うかつ) 下卑(げび)たヒゲ
飯島章友
文庫本のカバーをとって声がもれ 湊 圭史
端的に言えば「枝葉をあずけて」 清水かおり
★閑話休題・・・石部明「空き家から鳥がでてゆく後日談」(「THANATOS」4/4)・・
「THANATOS」(小池正博・矢上桐子)は「川柳スパイラル」と同時に刊行されている。石部明の足跡を要約して読ませてくれる。石部明の言明と句(2003年~2012年10月27日)を以下に少し引用する。意味を飛び越えてことばを飛べ。読者を裏切れ。
そのためには、まず自分を裏切ることだ。
FIELD(2012.2.7)「作品を読む」
鳥の時間時間をかけてだきころす 明
喪の家の桃の匂いはいやらしい
死顔の布をめくればまた吹雪
眼球を放れば粒になって散る
剃刀できれいに剃っておく祖国
燃えさしのままの西半球である
石部明(いしべ・あきら) 1939年1月3日~2012年10月27日、岡山県和気郡生まれ。
撮影・葛城綾呂 サザンカ咲く富士 ↑
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