2018年11月3日土曜日

笠原タカ子「野生茸(たけ)包みて『河北新報』来」(『痕跡Ⅱ)・・



 笠原タカ子句集『痕跡Ⅱ』(私家版)、後書に相当するところに、

 平成二十五年一月、夫笠原正敏は還暦をむかえました。記念に何か贈りたいと考え、この十数年共に興じてきた俳句を句集としてまとめようと思いたちました。

とあり、発行日を見れば、平成二十六年二月十八日発行とあった。また、夫・笠原正敏句集『鉄馬』の発行日は平成二十六年一月二十日であった。少々興味を惹かれたのは、『鉄馬』の巻尾に「レコンキスタを読む」(月刊「レコンキスタ」平成25年2月号掲載)と「私的な回想としての尖閣、魚釣島」(月刊「レコンキスタ」平成25年8月号掲載)とあったことである。中でも、

 (前略)私は末席を汚しただけでしたが、宴たけなわには「笠原君」ときに「おにぎり君」と「狼の歌」や「蒙古放浪歌」を聞きたいとせがまれました。私の人生にとって大東亜戦争敗北後のレコンキスタ運動に深く関わり、また、命を懸けた先生方の機微に触れることができたことは神仏からの授かりものであったのかもしれません。有難いことです。レコンキスタ運動はエンドレスです。

 とあった部分である。ならばきっと昭和維新の歌(三上卓作詞)も歌われたに違いないとおもったからだ。愚生も全く立場が違うとはいえ、若き日「蒙古放浪歌」や「昭和維新の歌」はよく歌った。少ないがカラオケにも蒙古放浪歌は入ってるところがある(いまだ昭和維新の歌の収められたものはないが)。二昔前に「俳句空間」(弘栄堂書店版)では野村秋介に俳句作品の寄稿をお願いし掲載させてもらったこともあった。俳句は「目白俳句倶楽部」というサークルで小山二六齋の指導を受けたとあった。
 ともあれ、以下にご両名の句集からいくつかの句を挙げておこう。

  哄笑の誰とは知れず春の闇        タカ子『痕跡Ⅰ』
  双眸(そうぼう)の火を盗みたし螢の夜
  良夜かなノー・ウオーと鳴く猫の本
  回転ドア四月一日まはしをり
  寒夕焼赤きは神の範疇(カテゴリー)      『痕跡Ⅱ』
    東日本大震災
  花あれど爬羅(はら)のごとくや海鳴りす
  花火師の球の中なるリゴリズム
  コスモスや千の孤独と隣りあふ
  にきはだの雨月の闇のただならず





  弐百十四萬柱(はしら)開戦日     正敏『鉄馬』
              (俳号・鉄馬はオートバイ乗りに由来)
  すうとんと空切り入れし西瓜かな
  辞す人の背に風花のおくりもの
  ビッグバン以前のことや神の旅
  運の字をつきと読ませて冷奴







★閑話休題・・小原古邨展(11月4日まで)・・・


 NHK日曜美術館で観て、本日以外に、行く日がなかったので、急遽、茅ケ崎美術館まで出かけた。テレビ放映後は、日々入場規制をする有様で、美術館としては最高の観覧人数になり3万人を超えたらしい。従って愚生も,小一時間以上美術館の外に並んだ。すぐ近くに平塚らいてうの碑があって、それには、「元始、女性は太陽であった、真正の人であった」と刻まれていた。そういえば美術館のすぐそばには、八木重吉の詩碑もあった。
 茅ヶ崎美術館に展示は、元は美術館が建っている所が実業家の原安三郎で、そのコレクションであった。「小原古邨『木版花鳥画』の魅力」というもの、このほぼ無名の優れた絵師を、無名のままであってはいけない、というのがNHKで放映された内容であって、NHKさまさま・・・いきなり盛況になったのだそうである。

小原古邨(こはら・こそん)石川県金沢市生まれ。1877年7~1945年。

小原古邨版画↑



             平塚らいてう碑↑


八木重吉詩碑↑



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