2018年11月29日木曜日

中里夏彦「洗はれし/地に/照らさるる/頭蓋かな」(『無帽の帰還』)・・



 中里夏彦第二句集『無帽の帰還』(鬣の会・風の冠文庫25)、ブログタイトルに挙げた句も、その他、収載の句もすべての漢字にルビが付されている。懇切な解説は林桂「本懐としての脱『機会詩』」。表紙口絵者写真は谷内俊文、題字は金木和子。句集各章の扉には献辞がある。まずは目次裏に、

 「語ることができないものについて、人は沈黙しなければならない」とヴィトゲンシュタインは言ったが、このたびの未曽有の大惨事に遭遇し、今もなお故郷に近づくことすら許されない身として、ただ今の心境を綴っておくことも私の役目かも知れないと思い直して筆を執ることとする。
       平成二三年三月
          (「避難所から見える風景」からの引用、以下同じ)

 しるされているように、彼の家は「原子炉か直線で五kmに位置する」「私の家には再び事故前のような時間が永遠に訪れない、というあまりに無慈悲な事実に思い至ると、思考停止になってしまうのが常である」(「あとがき」)とも記している。
 林桂の解説は無比で、一行といえどもおろそかにできないものであるが、ここでは、そのごく一部を以下に引用する。

 先ほど、『無帽の帰還』は三・一一以前で三・一一以後をサンドイッチした構成であると述べた。それは基本的に間違ってはいない。しかし中里は三・一一以後の作品群に三・一一以前の作品をいくつか密かに滑り込ませている。その一つを見ておく。

    *
   前代(ぜんだい)
   光量(くわうりやう)
     そそぐ
   頭蓋(づがい)かな        (「海の裔」より)

    *
   前代未聞(ぜんだいみもん)
   光量(くわうりやう)
     そそぐ
   頭蓋(づがい)かな        (「平成二三年三月一二日」より)

 二句の違いは「未聞」のみ。「海の裔」句は、風光溢れる自然の中での姿を想起させる。一方、「平成二三年三月一二日」句は、放射能降り注ぐ中での姿として読める。そのような構成として間違いないと思う。しかし、初出を見ると、
(中略)ともに、三・一一以前の句なのである。これも予言の句のひとつとして、中里自身がそのように読み直して構成したものと思われる。
 
 また、

 中里には二重の視力が備わっている。もちろん、ひとつは現実を直視するリアリズムの力だ。たとえばそれは、責任ある立場で原子力発電所事故以後の職場の復興をめざす姿として、多くのメディアに取り上げられた。
(中略)一方、現実を客体化し物語の中へ収めて見る力がある。そこで現実は洗われ、昇華した詩の言葉で把握される。(中略)中里の多行形式のリズムは清澄だ。濁りがない。そこに中里の東北人としての明るさが反映しているとも言えるが、本質は〈物語る〉力に由来するものと言えるだろう。この二つの視力は、中里の中で支え合って一つになる関係だろう。

 と述べている。ともあれ、多行ゆえに僅かの句になるが、挙げておきたい。

  日没(にちぼつ)
            水(みづ)
          離(はな)るる
  魂(たま)   いくつ
    *
  原子爆弾製造所(はつでんしょ)
    ラララ
      僕等(ぼくら)
    未来(みらい)ノ子供(こども)
    *
  洋上(やうじやう)
  ピアノ
  流(なが)れて
  ゐたりけり
    
 中里夏彦(なかざと・なつひこ) 1957年、福島県生まれ。


           撮影・葛城綾呂 ↑

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