佐藤りえ第一句集『景色』(六花書林)、「豈」同人の期待の第一句集である。2003年以降の333句を収載したとあり、著者「あとがき」の冒頭に、
ぼんやりしているいちに四半世紀ほどが過ぎてしまった。俳句のようなものを読み書きしながら流れた時間を振り返ろうにも、その景色は曖昧かつ朦朧と、杳として知れない。ただいつでも、どこにいても、この身は仮寓であるという思いはついにぬぐえなかった。常にどこか所在なく、浮草のような現身を扱いかねながら、偶々此の世に端居しつつ、気づけば手になにか書くものを握り、日々を汚している。
としたためられている。いささかの韜晦があるようだが、句群は、愚生の感受の及ばぬ若さと、かつ極めて現在的な言語に満ちている。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。
箱庭も棲めば都といふだらう りえ
さうでない家のお菓子を食べてゐる
乗るバスは走つてやがて止まるバス
人工を恥ぢて人工知能泣く
一本に警官ひとり夜の新樹
あななすやうつけてゐれば夜が来る
ここへ来て滝と呼ばれてゐる水よ
穭田にハンク千体あらはるる
ロシア帽みたいな鬱をかむつてる
蒲公英についてくはしく考へる
渡河といふならずものらの遊びかな
散つてなほ桜を辞めぬ桜かな
佐藤りえ(さとう・りえ) 1973年宮城県生まれ。
★閑話休題・・・松浦寿輝『秘苑にて』(書肆山田)・・・
著者「後記」に言う。『秘苑にて』-この一書もまた、ずいぶん長い歳月にわたってわたしに取り憑いていた猥りがわしい妄執の産物である。詩篇「割符」の三行を巻頭に置き「秘苑にて」のタイトルのもとに一書を構成しようと思い立ったのは、たしか一九八九年、わたしが三十五歳あたりの時期だから、以後、何と三十年近くの時間が流れてしまったことになる。
その冒頭に置かれた三行の詩は、
割符
そこにはいるために必要なのは
傷を負った無意識と
蛋白石の艶をおびた比喩
である。そして巻尾に置かれた、これまた、三行の詩(本書初出)は、
門
そこから出るために必要なのは
傷が癒えたと錯覚しうるまでにかかる歳月と
水にほとびた乱数表の断片
である。「門」の直前に置かれた「井戸」(本書初出)の詩編の最後の7行を以下に記しておきたい。
この庭は宇宙とおなじ広がりを持つこと
いや この庭こそ宇宙そのものであること
もはや風は何も囁かず 雲は何も映さない
受け継がれた秘密はついに守りぬかれ
わたしの秘苑は完成された
遺された問題はただ一つだけだ
――そこからどうやって出るのか
松浦寿輝(まつうら・ひさき) 1954年、東京都生まれ。
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