2018年11月12日月曜日
上田玄「玻璃震え/外闇(とやみ)は//昭和十五年」(『暗夜口碑』)・・
上田玄・清水愛一『暗夜口碑』(鬣の会・風の冠文庫24)、上田玄の「あとがき」の冒頭に、
上田の、多行形式によるものとしては第二の句集で、併せて清水愛一との二十一対の対句を試みている。
とあり、ブログタイトルに挙げた
玻璃震え
外闇(とやみ)は
昭和十五年
この句中の「外闇(とやみ)」には、
(前略)「外闇」という章は、三橋敏雄のひとつの句に触発されている。
窗ガラス薄し外闇を兵送らる 『青の中』
これがその句である。
と記されている。その句末に置かれた昭和15(1940)年という年はどのような年であったのだろうか。世は皇紀2600年の祝賀の光りに彩られ、一方で翌年の真珠湾攻撃・太平洋戦争への露払いのように、新興俳句弾圧事件が行われた年である。俳句にtっては影の年でもある。それこそが、
さまよう鬼あり
俳句忌あり
の多行短律句だった。川柳はその三年前に昭和12年に、鶴彬「手と足をもいだ丸太にして返し」(川柳人)の検挙が行われている。
ジョニーハ
次郎ハ
丸太ヘト
と上田玄は書き、それを「今、この時に公刊したいという危機感とで本句集に結果させた」とあるのは、たぶん現在の状況に対する過去と現在を通貫させているものへの批評が生み出した句であろうと推測する(まさか、自らの今後の余命を思ってのことではないと思いたい)。また本句集は清水愛一との連弾とあって、そのことにも何らかの想いがあるのだろうが、それは愚生には分からない。ただ集中の以下の対句を挙げておきたい。
拾玖の初
尋牛の
山河
噴き井に
旗はあり 玄
迷ひゐる羊か
ルカよ
-生きめやもー 愛一
拾玖の附
ともあれ、上田玄の他の幾つかの句を挙げておこう(基本は髙柳重信晩年の4行の多行表記である)。
晩霞
晩鐘
未病の祖国
告げわたる
撃チテシ止マム
父ヲ
父ハ
二度ト
夏ナシ
蝉声鎮メ
耳ノ塚
暗夜惻隠
酒を
母郷の
枷として
上田玄(うえだ・げん) 1946年静岡市生まれ。
清水愛一(しみず・あいいち)1956年、横浜生まれ。
撮影・葛城綾呂↑
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿