2018年11月4日日曜日

茨木和生「残されしわれも遺品か春の星」(『潤』)・・・



 茨木和生第14句集『潤』(邑書林)、表紙装画には妻の茨木多佳子のトールペイント、題箋は著者。邑書林社主は、イバさんこと茨木和生の教え子である島田牙城。これも美しい。「あとがき」には、

 句集『潤』は私の第十四句集である。私には五人の孫がいるが、潤はただ一人の男の子である。その潤の名を句集名とし、その誕生日を句集上梓の日とした。『潤』という句集名は妻も賛成してくれていた。

 その妻を失った嘆きをもとにした句が多いが、それは当然のことだろう(生前の句も挙げておこう)。

   虫出しの雷にも妻は寝てゐたり     和生
   妻恐れゐし雀蜂打ち殺す
   病室に妻を残して初詣
     二月二十一日の妻は
   青空と言葉でいへて春の昼
     二月二十四日、孫の恵が妻に「おばあちゃんはじいちゃんをどう思ってるの」
     と聞くと「だいすき」という。
   ダイスキが最後のことば春日差
     二月二十六日午後五時十六分 妻昇天
   息絶へてゆく春日差傾きて 
   野に遊ばむ命生き切りたる妻と
   帰りたき家に遺体で戻り寒
   雉鳴けり妻の棺を持ちをれば
   雉の声棺の妻に聞かせけり
   わが妻もあの世の人に万愚節
   万愚説妻死にたると思はれず
           れんげ編みたる妻見し記憶あり
   妻植ゑてゐたる花食べ雀の子
   妻と来しことのある野に青き踏む 

 その他にも妻恋の句はあるがこれで止めおこう。いずれも絶唱ならん。ともあれ、以下には愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。

     一月十一日生まれなれば
  喜寿といふ齢うれしき祝月
  樹々の雪落ちずに凍ててゐたりけり
  春の滝いちにち日差届かねど
  一枚の紙折れば鶴春の雲
    悼 小路紫峡先生
  花どきの神の御国に入られけり
  日雷真上に鳴りし記憶なし
  浪殺し途切れず積まれ雲の峰







★閑話休題・・「間村俊一装幀展-ボヴァリー夫人の庭」・・・

        11月2日(金)~11日(日)午後2時~8時

 都内に出たついでに「間村俊一展 ボヴァリー夫人の庭」(於:根岸そら塾)を観た。
  偶然、四ツ谷龍と会った。これから金沢に行くのだと言っていた。彼には、鎌倉の冬野虹展に続き、先日の間村俊一『彼方の本』の出版を祝う会でもお会いした。



   因みに「『庭』に捧ぐ」と題した間村俊一の句をいくつか以下に紹介しておこう。

     装幀としての庭
   鶫来てをりボヴァリー夫人の庭      俊一
     女主人(マダム)逝く
   柳散る忌中の札も中根岸
     小火としての装幀
   主(あるじ)亡きボヴァリー夫人の庭に小火(ぼや)




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