今井聖第4句集『九月の明るい坂』(朔出版)、著者「あとがき」に、
(前略)目に見ることのできるナマの「現実」を起点とすること。それだけが子規の「写生」の理念だったにも拘わらず、爾来百二十年間その理念に古い俳句的情趣が必須のように塗(まぶ)されて来た。諧謔、飄逸、風雅、枯淡などの意匠から「写生」を先ずは解き放ち、そこに「今」と「私」を滲透させたい。そう思って作っている。
とあった。けだし、子規の俳句改革の理念は達成されるどころか、俳諧への先祖返りしているというのが今井聖の認識のようである。愚生もまた、かつて坪内稔典が、子規に倣って唱導した、俳句は「過渡の詩」であるという輩である。その意味では、今井聖とは目指すところが異なるかもしれないが同志である。また、集名に因む句は、
永遠に下る九月の明るい坂 聖
であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。
貴兄畏兄雅兄大兄春空に
歩み来る白鳥の白は飢ゑの白
曼珠沙華日和柳美里(ユウミリ)梁石日(ヤンソギル)
駅から五分冬怒濤から五十年
夏逝くやマジカマジカヨと鸚哥
共にマスク契約書面の甲と乙
バーコード探す西瓜を回しつつ
子規庵
絶筆の一句斜めや冬の月
扁額と遺影の距離を蜘蛛走る
夏帽上ぐ防弾硝子の裡側で
十段の空気投げ見し冬日中
ぶらんこのねじれ戻らず父帰らず
流体として我は在り青芒
今井聖(いまい・せい) 1950年、新潟県に生まれ、鳥取県に育つ。
★閑話休題・・関朱門「わが死後の藻の花きつと花のまま」(「門」9月号)・・・
「門・鷹燈集」の関朱門が亡くなられた。彼の名のところには、すべて黒線が付ふしてあった。今年に入ってからだったと思うが、コロナ禍直前に、「門作家作品評」を書かせていただいた折に、彼の句の「のうぜんのスキャンダラスなきつね雨」に、中也や、福島泰樹の「・・・スキャンダラスな女ともだち」の歌などを絡めて評したのだが、丁寧なお便りをいただき、病の様子など微塵もうかがえなかった。愚生と同世代だったと思うが、残念である。「藻の花」は「喪の花」になった。いささかの覚悟があったようにも思われる。同号の「放心の一寸先の蚊喰鳥」にも闇がひかえている。今月の「門作家作品評」は安里琉太で、彼の評している句は、
はくれんの浮かぶ真昼の枕かな 関 朱門
であった。ご冥福を祈る。「朱門などと門燈を梅雨に足し 恒行」合掌。ともあれ、同誌同号からの追悼句を以下にあげておこう。
悼 関 朱門様
あれは朱門よ閂に来てほたるの火 鳥居真里子
青しぐれああ関朱門永遠に亡し 鈴木節子
芽夢野うのき「数珠玉をつなぐひとつひとつが愛の珠」↑
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