「オルガン」28号(編集 宮本佳世乃/発行 鴇田智哉)、特集ともいうべき座談会「オルガンを解くー宮本佳世乃」。最初の小見出しに「言葉に何かを付けることが俳句だと思っていた」とあり、そこには、
宮本 (前略)私の俳句の作り方は、季語プラス十二音、もしくは五音プラス季語を含む十二音でした。今だから言いますけど、俳句を始めて二年くらいまでは、ある決まった言葉に何かを付けることが俳句だと思っていたんです。(中略)
田島 鴇田さんは〈くちなはに横のありたり流れたる〉はどう読みますか。
鴇田 「ありたり」の終止形ではっきり切れ、語形上は二句一章ですよね。で、「流れたり」は意味として「くちなは」の流れとも、時間や宇宙が流れているともとれる。もちろん水とも取れるけれど、「くちなは」の本質としての「流れ」そのものみたいな感じでも受け取れます。さっき田島さんが言った「二句一章の片方が欠けたような感じ」にあてはまるかも。
田島 明らかに書かれていないことがあって。それをどう読むかですね。
鴇田 明らかに遠い二つが「衝撃」的にぶつかるのではなく、二つが遠いか近いか分からないような感じで、欠如を含みつつ合わさる感じか。(中略)
宮本 私にとっては、俳句を作ることが壁を積み上げていくようなものなんです。ちらっと見える部分もありながら、積み上げていった壁は自分を護る手段なわけです。ああ、もう、こんなこと初めて言いましたよ~(笑)。
とあった。他に、「オルガン・連句興行 巻拾弐」があり、捌きは、浅沼璞(曳尾庵〔えいりあん〕 璞)の「転合留書(てんがうとめがき)がある。ここでは、その連句の「オン座六句『巣箱の穴』の巻」の冒頭表6句と、同誌同号よりの一人一句を挙げておこう。
対岸を巣箱の穴の見とほせり 鴇田智哉
春やとばしる泥のキャタピラ 浅沼 璞
うたごゑの劇中劇をどかどかと 宮本佳世乃
仕草ひとつで笑ひにもする 福田若之
あやつりの糸に雫の垂れて月 田島健一
茶立虫ともつかぬ古ㇸ 智哉
黒ぐろと雨脚のあり春の海 宮本佳世乃
春の葉うつろ戦争の皿にのる 田島健一
亡命やあまねく映る石鹸玉 鴇田智哉
折れ曲がるあるいは冴え返る光 福田若之
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