「原点」No10(口語俳句振興会会報)の特集「第4回口語俳句 作品大賞記念顕彰 記念(誌上)俳句大会」(主催・口語俳句振興会/後援・現代俳句協会)、記念誌上講演は秋尾敏「俳句史を見直す、ということ」、谷口慎也「口語俳句の行方」。その他、森須蘭「作品大賞・受賞のことば」、田中信克「進行形の俳句の魅力ー『木のベンチ』と『深海魚』、久光良一と月波与生「奨励賞・受賞のことば」、田中陽「口語俳句振興会の一年・“多様性“実践」など。そのなかで、秋尾敏が貴重な発言をしているので、部分だが紹介しておきたい。
(前略)では、この「俳句」という言葉は、いつから使われていたのかというと、すでに元禄江戸時代に其角が使っています。そしてそれ以降も、江戸時代を通して使われています。
江戸時代の「俳句」は、多くの場合、発句だけでなくて、俳諧全体を指し示す言葉でした。おそらく初めは、漢文で俳諧を言い表すときの用語だったのだと思います。漢文で「俳諧」と言ったら滑稽という意味にしかなりません。俳句なら俳の句とすぐわかります。
ということは、今でいう連句が俳句だったわけですから、そこには「雑の句」も含まれることになります。「雑の句」というのは季語を含まない無季の句です。
現在の常識では、「俳句」は発句から生まれたことになっています。しかし、明治の初期までは、「俳句」は俳諧という文芸の全体を指し示す言葉だったわけですから、その伝統をも踏まえるとすれば、「俳句」に無季の句が混じっていても何の不思議もありません。(中略)
まして、秋桜子とプロレタリア文学系の俳句をまとめて「新興俳句」とくくることには到底賛成できません。これについては、青木亮人氏が二つに分けて考えることを提唱されていますが、私もその見方に賛成します。(中略)
なぜなら、一般の文学史における新興文学派というくくりが、反プロレタリア文学の潮流だからです。俳句史だけが、プロレタリア文学を新興俳句にくくるというのは、文学史に混乱をもたらすと思います。
と記されている。これ以上は、史実を踏まえた指摘も多く、興味のある方は、直接あたられたい。ともあれ、以下には誌上俳句大会の各選者による特選の句と第4回口語俳句作品大賞の中から、句を紹介しておきたい。
山眠る どこもかしこもマスクの街 鈴木喜夫
落葉が舞ってもっとたくさん笑えばよかった 鈴木瑞穂
戦争はしない日本の朝へ雛飾る 北村眞貴子
昭和という長編だった凩 北邑あぶみ
十二月八日なんとこわれやすい卵 金澤ひろあき
葱きざむ世界で私だけの音 中道量子
老いるとは童心にかえること秋桜 暉俊康端
柱時計のような親父が少なくなった日本の初春 暉俊康端
何にでも合う白シャツか脱ぎ捨てる 瀬戸優理子
あめんぼう明日はいつも目分量 森須 蘭
正論の無力がわたしの中で煮こごっている 久光良一
出入口にあるきれいな汚物入れ 月波与生
エ―ンヤコラ蟻の一揆がはじまるぞ 冨田 潤
★・・第五回口語俳句 作品大賞募集・・
・募集作品 20句(1篇)2020年以降現在までの作品。既発表・未発表を問わない
・参加資格 制限なし
・締め切り 2022年9月20日(火)
・参加費用 2000円。句稿に同封または郵便振替(00870-8ー11023 口語俳句協会)
・送稿要領 B4・400字原稿用紙1枚に書く(ワープロ可)
・右欄外に表題を書き、20句(そのままが選にまわります)。別の200字原稿用紙に表題・作者名・所属(なければ無し)・郵便番号・住所・電話番号を明記。
・送り先 422-8045 静岡市駿河区西島912-16 萩山栄一方 口語俳句振興会 事務局。電話FAX 054-281-3388
・選考委員 秋尾敏・安西篤・飯田史朗・大井恒行・岸本マチ子・谷口慎也・前田弘 他旧「口語俳句協会賞選考委員及び「現代俳句」編集長。
・主催 口語俳句振興会 後援・現代俳句協会
撮影・芽夢野うのき「ある朝こんなに淋しくて海芋の白」↑
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