樽谷俊彦句集『風紋』(文學の森)、序は秋尾敏、その末尾に、
一方で、俊彦さんの平和への思いが消えることもない。
兜虫いくさ仕度が始まるぞ
ゴスペルの遠くに戦場の冬
闇深む二月の海やトリチウム
八月の死者に付箋がついており
九十歳を目前に、今なお俊彦さんは新しい表現を求め続けている。すばらしいことである。〈新しみは俳諧の花〉である。これからもその信念を曲げず、存分に俳句を楽しんでいただきたいと思う。
とあった。また、著者「あとがき」には、
物心ついた頃にはもう戦争が始まっていた。日支事変である。主要都市での戦勝を祝う提灯行列に加わった記憶が、今も鮮明に残っている。(中略)
やがて我が町内に投下された爆弾により、店舗・倉庫・居宅が全壊。父親が下敷きになり一時は死亡と伝えられたが、九死に一生を得た。その報を受けて中学の担任(配属将校)に早退を願い出たが、「戦争中に親が死んだくらいでオタオタするな」と怒鳴られた。また、その頃、下校途中に敵機の機銃掃射を受け、わが身の死を意識する体験もした。(中略)
顧みてわが人生のバックボーンは戦争体験。戦争に鍛えられ、戦争に教えられたが、戦争とは絶対避けなければならないものである。そのためには憲法九条を守り抜くこと。周辺には強い武力を背景に領土の現状変更を企てる国があり、軍拡競争が強まっていることは確かである。しかし、核戦力の使用が懸念される今、大戦に至れば悲惨な末路は避けられない。戦争を知らない政治家の中には、戦争ができる普通の国にしたいと願うものがいる。心配だ。わが国としては専守防衛に徹し、難しいことではあるが世界に対し、軍縮を呼びかけ続ける存在であってほしい。これが人類の英知。
と記されている。そして、集名に因む句は、
風紋を残して冬の月西へ
である。「広大な砂漠に耿耿と冬の月、あちらこちらに美しい風紋が語りかけるように輝いていた。古代エジプトでは西は死後の国、そして再生が信じられていた」ともあった。ともあれ、愚性好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておこう。
機上
雲海の奈落シベリアの暗い河
消えやらぬ地震の痕跡竹の秋
炎昼の声玉音と呼ばれけり
むきになり草抜いている原爆忌
滝壺やこの世に生まれしときの音
卑弥呼にも体臭あらむ蓮ひらく
蛇になる少年蛇を飼う少女
薔薇の血を入れ替えている真夏の夜
一字ずつ伏せ字をおこす終戦日
夕焼けの一皮剥けば闇である
冬銀河世界地図には空がない
見ぬ聞かぬ言わぬ若者鳥帰る
秋深しいくさ知る人知らぬひと
樽谷俊彦(たるたに・としひこ) 1932年、大阪市生まれ。
芽夢野うのき「枇杷の家まだあかるさのほのと宇宙」↑
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