永井江美子第3句集『風韻抄』(東京四季出版)、跋は千葉ひろみ「『風韻抄』に寄せて」、千葉ひろみは永井江美子の妹、そのなかに、
庭に古い」銀杏の木のあった生家で、血のつながらない祖父母との貧しい暮らしは、私にとって心の奥底にふたをして遠ざけてきた暗い記憶であった。
火の匂ふ家かぎろひて父と母
秋天を掴み風樹となりにけり
ご飯も釜で炊き、火鉢で暖をとっていた景が表出してくると、不思議なことに私には難解で理解がおぼつかなかった句も、句集の中でひびき合って何やらカタルシスのように感受されてくるのだった。
私にとっての『風韻抄』は、姉妹という縁で互いに長い歳月を生きてきて、明日おわるかもしれないという一抹の寂しさを含んだ実りであった。
とあり、著者「あとがき」には、
第二句集のあとがきに「この世で送るべき人すべてを送った」と感慨を書き、これからは俳句という道連れと共に、如何に自分自身を送るかという思いで、句を綴ってきた十一年であった。それは充実した時間ではあったが、予期しない悲しみもあった。
一緒に俳句形式に抗いながら同人誌を続けて行こうと言っていた仲間たち、白木忠、中烏健二、水谷康隆、そそてこの度、佐々木敏を黄泉に送った。彼らは私が送るべき人ではない。只々痛恨の極みであった。この句集に「死」の影が多いのはそんな彼らへの挽歌かも知れない。
とあった。そうか、佐々木敏まで逝ったのか。合掌。愚生は、この「あとがき」を読むまでは知らなかった。小川双々子門下の俊英ばかりだ。かつて、坪内稔典らとともに、名古屋で「現代俳句」のシンポジウムを行ったとき以来、双々子はじめ「地表」の皆さんには恩義がある。ともあれ、本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。
ほうたるやすこし濡れたる身八口 江美子
かぎろひの身のをちこちのまくらがり
あぢさゐや父にかなしきひとところ
いきものの翳を映せりあめんぼう
花奪(はなばひ)の花あざやかに美濃は雪
女から男へ渡す南風
晩夏背に明日死ぬ人の澄んでをり
はくれんにきのふの影ののこりけり
銀漢に洗ふおよびのひとつひとつ
見下せばここも他郷や冬木立
ひやくにちさう百一日を越え生きむ
月の座のこのしづけさのことばかな
永井江美子(ながい・えみこ) 昭和23年、愛知県西尾市生まれ。
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