2022年6月24日金曜日

寺山修司「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」(『寺山修司の百首』)・・


 藤原龍一郎『寺山修司の百首』(歌人入門⑤・ふらんす堂)、その解説「歌人・寺山修司ー超新星の輝き」の冒頭に、


 かつて寺山修司はサブカルチャー・シーンのスーパースターであった。いや、サブカルチャーというより、正確にはカウンターカルチャー・シーンといった方がよいだろう。寺山修司の表現行為は、すべてのジャンルのメインストーリームに対する明確で意志的なカウンターであった。

 多彩なジャンルで活動する寺山修司に対して、インタビューに来た新聞記者が、こう尋ねた。

「寺山さん、あなたの職業は何ですか?」

すると寺山修司は顔色も変えずにこう答えた。

「私の職業は寺山修司はです。」  (中略)

 かつて寺山修司という多面的な表現者が存在した。その寺山は一九五四年に、まず、歌人として世に登場した。そして『空には本』から『田園に死す』までの単行歌集を上梓し、さらに未刊歌集を含む『寺山修司全歌集』刊行によって、現代短歌の世界に大きな刺激を与えた。超新星の爆発にも喩えるべき輝きだ。それは何度でも繰り返し確認されてよい。


 と記されている。集中の一首の解説をのみを以下に紹介し、他は短歌のみをいくつか挙げておきたい。


  テーブルの上の荒野をさむざむと見下すのみの劇の再会

「テーブルの上の荒野」の一首。何より「テーブルの上の荒野」というイメージが冴えている。再会した男と女がさむざむと見下すのみという場面設定もよい。何があったのか、これから何が起こるのか。読者の想像力はひたすら刺激される。

 この一連には「ここより他(ほか)の場所」を語れば叔父の眼にばうばうとして煙るシベリア」があり、帝政末期のロシアの荒涼たる光景も広がる。

 寺山修司の短歌としては、あまり語れないが、この倦んだ虚無感は、記憶されてよいのではないか。

 

  ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

  雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

  ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし自由をすでに怖じぬわれらに

  蝶とまる木の墓をわが背丈越ゆ父の思想も超えつつあらん

  一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを

  麻薬中毒重婚不法所持サイコロ賭博われのブルース

  一本の馬のたてがみはさみおく彼の獄中日記のページ

  大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ

  売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

  間引かれしゆゑに一生欠席する学校地獄のおとうとの椅子


 藤原龍一郎(ふじわら・りゅういちろう) 1952年、福岡県生まれ。



    撮影・鈴木純一「南天は難を転じるなんちゃって」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿