2022年6月28日火曜日

秦夕美「はらひてもつきくる影のごときもの沖縄はなほしぐれゐるのか」(「GA」89号)・・

 

 「GA」89号(編集発行人・秦夕美)、その「あとがき」には、


(前略)のんびり海を眺め、俳句を考える。孫が就職して、頭も心も財布も暇になった私は、性懲りもなく、また句集を出すことにした。漢字一字の句集は持っていない。いつも見ながら夢を追っている雲、校正その他を考えるとうんざりするが、今ならまだ出来そう。『雲』は軽く、フランス装でいこう。目標が決まると気持ちまでシャッキとする。来春の完成までは生きていられそう。

 表紙の葉はオドリコソウかな?雑草として抜く時、可愛いので使うことにした。


 とある。やっぱりね・・・。ここ数年、句集を出されるたんびに、これで最後だ、最後だとおっしゃっていたが、やはり、また出されるのですね。嬉しいことです。ということは、来春までは、愚生も生きていかねばならない。他に、エッセイ「八十代」には、


 (前略)うっかり、若い人に弱音でも吐けば、「平均寿命が延びたし、私のまわりの八十代の人はは元気ですよ」と返って来る。当たり前だ。元気な時しか人に会わないもの。人のいる時は見栄はって、シャキッとしているが、その後はグッタリ横になる。日常生活を何とか維持していくだけで、前には考えられなかったほどのエネルギーがいるからだ。

とあった。そして,もう一編「畳」。見開きページで「蕪村へ」の2編がある。ともあれ、本誌より、句と、短歌のいくつかを以下にあげておこう。


  木は立つて人は坐りてお正月

  どことなく罪の香ぞする鏡餅

  梳ること残したり冬椿

  白桃や遺伝のひとつ虚言癖

  あれは嘘躙り口より春の音

  ベルリンの壁の破片のあたゝか

  椿つばきキリマンジャロへいそぐ雲

  ミャンマーへふりつむ音符薄暑光

  あの世にも北京ダックのゐる夕焼

  徐々に徐々に治る手足も八十代誰のせいでもなくて老いゆく

  一本二本数へて草を抜きいたり頭の中が暇すぎるので

  元気でゐる時間短くなりゆけり水煮ることが今日の仕事か


      芽夢野うのき「あれは白露草いつもそこにある」↑

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