2014年8月31日日曜日

大本義幸「老犬がひく老人暮れてゆく」(俳句新空間NO.2)・・・



「俳句新空間」NO.2(豈の会発行・発行編集人,北川美美・筑紫磐井)が発行された。「この冊子の試みは、『インターネットと雑誌の合体』であり先行掲出のブログ記事を元に編集発行するスタイル。句帖転載者には一冊贈呈、作品集出品者は冊子をご購入いただき印刷・運営費とした」と後記に記されている(問い合わせはsengohaiku@gmail.comまで)。作品集出品者の句は「夏行帖」として掲載されている(21名)。
他には前号NO.1の掲載句の鑑賞(小野裕三・北川美美・筑紫磐井・網野月を)、そして、今年の俳句帖(歳旦・春興・花鳥編)が収録されている。

以下に他に紛れない独特の夏行帖作品を寄せている大本義幸のほか「豈」同人を中心に数名の愚生好みの作品をあげておこう。

      高田渡的貧しい月が出ている        大本義幸
      死んでみたいとたんぽぽがほざく夕暮だ  
      老犬がひく老人暮れてゆく          〃
      落暉いま花野の芯をめざしけり        秦 夕美
      夏木立ルソーを蒼くぬってみる         神山姫余
      神の来る沖から虎列刺なども来し      仲 寒蟬
      よしきりを訪ね新聞休刊日           神谷 波
      太陽のちぎれて八月十五日           関根かな
      ぼうたんの揺るるは虐殺プロトコル       真矢ひろみ
      敗戦記念日産土に挿す黒き傘          
      昼顔に目覚めて口のにがきかな        中西夕紀 
       行基上人開祖紫陽花女坂             堀本 吟 
      老木が芽吹く病棟精神科             福田葉子
      花吹雪降りしはじめは母の灰           高橋修宏
      廃炉より蛹の如き呼吸音               〃
      桃熟す家の中まで被爆して             〃
      弾力や網戸にあたる我が頭             北川美美 
      徹頭徹尾人殺されし夏芝居             堀田季何
        見渡せば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋のゆふぐれ
      TOKYOや海市となりて流れ寄り           夏木 久
      八月六日骨格に沿ふ汗滂沱              筑紫磐井
      降伏の日に幸せは始まるか              〃
  

    
    
          

2014年8月30日土曜日

府中市よさこい祭・・・



本日と明日は府中市よさこい祭だ(よさこいin府中)。
大国魂神社や天然記念物のある欅並木通りを車両通行止めにして行われる。
明日がメインらしい。
今朝は雨模様という天気予報だったが、雨も止み、夕方にはすっかり空も明るくなった。
愚生が勤務している府中市グリーンプラザは多くの会議室やホールがよさこい参加者の控室になっている。したがって、さまざまな法被姿やデザインされた服装の男女があふれて、ときに壮観でさえある。
今年は府中市市制60周年記念行事が数多く企画されている。
俳句では、10月26日(日)、府中市俳句連盟が俳句大会を開催する。大会選者は星野高士。現在、投句を募集中である。

     夕日射す木の間人の間秋まつり     広瀬直人   

ヨウシュヤマゴボウとネコジャラシ↑

2014年8月29日金曜日

竹岡一郎「攝津幸彦、その戦争詠の二重性」・・・



「現代俳句」9月号(現代俳句協会刊)に、第34回現代俳句評論賞受賞作・竹岡一郎「攝津幸彦、その戦争俳句の二重性」の全文が掲載されている。
400字詰原稿用紙約50枚の力作である。
略歴によると、竹岡一郎は1963(昭和38)年大阪府生れ。大阪府在住で平成4年「鷹」に入会、藤田湘子に師事。その後「鷹」新人賞、「鷹」俳句賞受賞。現在「鷹 月光集」同人。俳人協会会員。句集に『蜂の巣マシンガン』(ふらんす堂)がある。
選考委員会の選考過程を読むと、激論が交わされ、例年になく熱心な討議が繰り返されたようである。接戦のすえに選考委員7名の多数決となって一票差で受賞のようだ。
(応募作は記名であったらしいが選考は無記名の方がいいのではないか)。
最初から一位に推したのは高岡修。選考委員長の秋尾敏には、当初から、佳作となった武良竜彦「『不可能性の文学』大いなる可能性ー高野ムツオ」との一騎うちの予感があったらしい。とはいえ、選考過程を推測するに、必ずしも竹岡一郎リードで最後まで行ったという感じではないようだ。むしろ、秋尾敏が整った文体と評した武良竜彦に分があったのではなかろうか。たぶん、選考が進むにしたがって、竹岡一郎の評価が上がって行ったのではなかろうか。つまり、選考委員のなかで、自らが最初に推した候補者が、受賞作候補から消えたときに、竹岡一郎の論に与する委員が加わったのだろう。さらに推測すれば、竹岡一郎の視点が攝津俳句を読むに際しての独特、斬新な視点と、論を運ぶ際の竹岡自身の切実な情意を理路をもって推挽した委員の論理に説得力があったに違いない。それを裏付け、それを認めざるを得ない力が竹岡一郎の評論にあったからではないだろうか。
竹岡一郎の「受賞のことば」に愚生の名があって恐縮したが、確かに、独断ともいえる強引さがみえる論であはあったと思う(「鷹」に発表された攝津幸彦論よりもそうだったかも知れない)。だが、その力技とも思える筆運びと、そこに読者を引き込んでいく魅力的な展開を躊躇していては、竹岡一郎の論の魅力は半減してしまう。
ここからは、愚生の勝手な想像だが、選評で高岡修が「一読、今回は竹岡一郎の『攝津幸彦その戦争詠の二重性』を一番に推そうと決めた。攝津作品それぞれに対する読みの深さの多様さは予想以上に優れたものであった」と記していることが、決め手であったよう思う。たぶん、その選択は間違っていないと愚生は付け加えておきたい。そしてまた攝津幸彦の作品を、攝津幸彦自身が抱えていた俳句表現への想いのいくばくかを切開してみせた竹岡一郎の力量にさらなる展開があることを確信する。


                    キバナコスモス↑

「鬣」TATEGAMI、特集 追悼・松原令子・・・



「鬣」第52号の特集の一本は「追悼・松原令子」。毎号、「鬣」の表紙裏(表2)にモノクロ写真が載っていた。その写真作家である(早逝であろう)。
愚生は、本人にお会いしたことはない。
いつも、その写真をなんとなく眺めていただけだ。
でも、どこか気にかかっている写真だった。
そんなこともあって、愚生が文學の森に勤務していた頃、確か「言葉のないエッセイ」という写真のページがあって、編集会議の折に、推薦したことがあったが、あえなく却下され、実現しなかった。
今回の追悼特集で松原令子がリブロ前橋、愌乎堂の書店員だったことが書かれていたので、愚生も書店員時代を過ごしたことがあり、その親近感も手伝ってか、きっと見事な棚を作った人に違いないと思ったのである。
「鬣」同人諸氏の松原令子への涼やかな愛情のうかがえる特集だった。
句会に誘われて、俳句も作られたことがあるらしい。未発表の遺作がある。以下に転載したい。

      海風の坂に記憶はうずくまり     松原令子
      手品師の指よりコバルト色こぼれ
      港町修道女ついに凧となり
      淡色の約束空へ昇降機
      秋の河忘れし夢の澄んでいて
 
そして、各人の追悼句挙げておきたい。

      夢見る頃を過ぎても知りたる陰翳ぞ        上田 玄
      白黒(モノクロ)の木馬に風や令子逝く       後藤貴子
      この初夏の空のどこかに君昇る          佐藤清美
      写し世のブルースる松落葉            田中霆二郎
      松原令子の猫よ天河を徒ち渉れ         中島敏之
      お気に入りの歌はつなつの空にまだ       永井貴美子
      モノクロの写真を置いてゆく            西躰かずよし
      見越(みこ)しの松(まつ)に初夏(しょか)の陽(ひ)いっぱい令子逝(れいこゆ)  林 桂
      陽子美登利秋櫻子(こすもすこ)松原令子     堀込 学
      野良猫とセピアの町へ入りたまふ          丸山 巧
      友よこの最後の夜をリラの花            水野真由美
      育つ樹のなかに眠れば緑の夢           吉野わとすん
  
      (まつ)
      原初(げんしょ)
      令月(れいげつ)(きよ)
      (こ)は睡(ねむ)                  中里夏彦

                                           フウセンカズラ↑

2014年8月27日水曜日

堀本裕樹『富士百句で俳句入門』・・・



堀本裕樹著『富士百句で俳句入門』(ちくまプリマ―新書)。
果敢なアイデアというべきか。昨年6月に世界文化遺産に登録された富士山にあやかって、俳句の入門書にしてしまった。
堀本裕樹はもともと,生まれ故郷の作家・中上健次を目標に小説家をめざしていたらしいから、さまざまな文章が書けるのは当然としても、俳句に関して、いわば俳句の素人にわかりやすく、その機微を説明しようとするのは、じつに困難なことである。相当に苦労したのではなかろうか、と推測する。
富士百句を独断で選ぶことは、資料収集の困難さを思ったとしても、俳人であれば可能といえば可能である。問題は俳句の本質的な問題をどこまで読者に分かりやすく提示し、さらに収載された句を、入門書としてどのように解釈・鑑賞して供するかが問われる。
愚生は俳人の端くれだから、選ばれた百句選さえあれば、それで様々に思いを巡らす楽しみを与えてもらったと、感謝しておきたい。
山口誓子が朝日新聞俳壇の選句のために、東海道新幹線の往復で俳句を作り続けたことは有名だが、本著では、無季の作品、誓子「富士火口肉がめくれて八蓮華(れんげ)」を選んでいる。が、富士登山のシーズンに登った誓子を思って、夏季の項に入れている。
ともあれ、富士山の句を春夏秋冬・新年に分類しての章立ては、絵葉書ではないが何と言っても富士には新年がよく似合うのだ。それが巻末に置かれているのだから、富士山も一層美しく見えようというもの。集中の小見出しは「めでたき存在感」。収載された句は、

      眼前に富士の闇ある淑気(しゅくき)かな        東  良子
      御降(おさがり)の大くまとりやふじの山          小林見外
      元朝(がんちょう)や大いなる手を富士拡げ      五所平之助
      小さくとも淡くとも富士初景色                西村和子

最後に、「裏富士」の句について、無い物ねだりの希望を言わせてもらうとすれば、愚生の第一の好みからすると、三橋敏雄の次の句を是非、入集して欲しかった。

     裏富士は鴎を知らず魂まつり               三橋敏雄


2014年8月26日火曜日

森川許六「十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風」・・・



8月26日は旧暦ながら森川許六の忌日である。「去来抄」の巻尾には、許六(きょりく)「十団子(とをだご)も小粒になりぬ秋の風」が置かれ、「先師曰、此句しほり有と評し給ひしと也。惣じて句の寂ビ・位・細み・しほりの事は、言語筆頭に應しがたし」とある。
あるいは、また、江戸に滞在していた許六が彦根に帰る折に、餞別に送った「許六離別ノ詞」(芭蕉文集)には、有名な「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所なし」と述べられている。
愚生は現物を見たことはないが、許六画で「芭蕉行脚の図」が天理図書館にあるらしい(写真上)。
「十団子」は東海道宇津谷峠の茶店の団子で、静岡県の岡部と丸子の宿の間にある。愚生が先年、文學の森に勤めていた頃、編集長・林誠司が東海道を休日ごとに歩いていて、現在では当地の名物になっている十団子を食べた話を聞いた。その林編集長は東海道を踏破したのちは中仙道を歩いていたが、その後の消息は聞いていない。

                                           
                                                      ムカゴ↑

2014年8月24日日曜日

アートアクアリウム2014~江戸・金魚の涼~・・・



少し前の話になるが、アートアクアリウム2014~江戸・金魚の涼~、日本橋三井ホール(~9月23日まで)に娘と出かけた。テレビで見たらしいが、愚生はさして期待していなかったのが幸いしてか、それなりに楽しめた。
わかったことは、金魚はどうやら中国が起源のようで、人の手によって交配が試みられ、さまざまな種類が創り出された魚のようである。
それだけでも芸術的な産物というべきかもしれないが、真っ白の金魚はいないのか、と尋ねられたが、会場では見つからなかった。白蛇も突然変異だというから、金魚そのものが突然変異で、生きて繁殖などというのはホントは奇跡に近いものなのだろう。
ともあれ、12曲の屏風に影絵のように四季が移り、金魚が泳ぐすがたはいかにも日本的で江戸情緒的だったが、それが通俗と背中あわせにあるのが、若い人たちの人気を集めている理由のひとつなのかも知れない。
そういえば、下戸の愚生にも、山口県つながりで日本酒の獺祭が並んでいたので、これは、いま人気の酒で、酒粕も美味しいのだ、とお国自慢をした。

                                                            エリカ↑

2014年8月22日金曜日

酒井弘司「月光に乗って星の子部屋に来る」・・・



酒井弘司といえば、愚生らの年代には、目標にされた世代であり、そのころ愚生らが「三コージ」と呼んでいた俳人らがいた。すなわち大岡頌司、酒井弘司、安井浩司である。ただし、酒井弘司本人は本名の「ひろし」に拘っているらしい(坪内稔典も長く「としのり」に拘っていたが、今やネンテンと自認している)。
その、サンコージのひとり、弘司の第八句集『谷戸抄』(ふらんす堂)が上梓された。平成20年から25年の作品から372句を収録したという。昭和13年8月、長野県生まれだから、愚生よりちょうど10歳上だ。いわゆる60年安保の世代である(愚生は70年安保世代)。旅の句も多いが、やんぬるかな、友を送った句が多くなってくるのもやむを得ないのかも知れない。

      松永伍一さん逝く
   伊那谷を蟬の声聴きゆきしことも         弘司
   花びらで送る前登志夫・小川国夫
   六月来る樺美智子のことは言わず
     清水昶さん逝く
   花うつぎ待たずに友のわかれかな
     村上護さん逝く
   共に歩きし大洲の街よ蟬を浴び 
     あずさ友見さん逝く
   常念岳へ飛んで夏蝶もう見えぬ
   津軽じょんがら寺山修司も跳んで冬
   
酒井弘司はかつて「ユニコーン」に所属し、「海程」の創刊同人。平成6年に「朱夏」を創刊、主宰している。『谷戸抄』からいくつかの愚生好みを句をあげておこう。

   青葡萄友より長く生かされし
   十二月坂を登ってそうおもう
   この星のいのちはいくつ春立てり
   戻れぬ春対岸は3・11以前
   人も馬も光に斃れ青山河
   焦土いま光の中に青山河
   気で行こういっしょにあるく九月の木



                               モミジアオイ↑

2014年8月21日木曜日

大月健を偲ぶ会(京大俳句会)のこと・・・



今頃になって彼の死を初めて知ったのだが、第三次京大俳句会(雑誌を出さなかった泉田秋硯時代を入れると第4次?)を再興した大月健の偲ぶ会が京大西部講堂おいて、去る7月7日に中島夜汽車句集『銀幕』の出版を祝う会とともに一緒に行われていた。
6年前に再建された京大俳句会を共に支えてきたのが中島夜汽車らしい。
大月健を愚生に紹介したのは、小樽在住の画家・小原うたたが、東京で毎年開催している個展を愚生が訪ねたおりに、京都から上京していた大月健を紹介されたのだ。
以来、京大俳句会の句会の様子などをメールでもらい、かつ、彼が出していた「虚無思想研究」という辻潤研究誌を恵まれていた。
その小原うたたから偲ぶ会の様子を収めたDVDが送られてきた。
その会は京大俳句会に関係しているらしい鎌田東二のほら貝で会は始められていた。
鎌田東二は愚生がその昔、季刊「俳句空間」の編集をしていた頃、確か加藤郁乎論を書いてもらったように思う。当時は国学院俳句に所属していたと思う。
大月健は1949年2月、岡山県生まれ、京大には司書として、最初は臨時職員で図書館に勤めていたと聞いている。京都植物園にも関わりがあったらしい。食道がんだったという。とはいえ、愚生よりは一年若い、まだまだ途上の死である。
とにかく、彼のいう第三次京大俳句会は、かつて存在していた京大俳句会とは性格を全く異にしていて、何の権威もなく、主宰もなく、すべてがフラットな会であった。その第一合同句集の名が『自由船』なら、それもうなづけよう。それがよいのである。
「豈」からは岡村知昭が出席していた。
はるかに冥福を祈りたい。


2014年8月19日火曜日

坂口昌弘『文人たちの俳句』・・・



収載された27名。必ずしもすべてが文人というわけではない。通俗的にいえば著名人というところか。このあたりの事情については、著者も「あとがきに」詳しく述べているところだ。
文人とは違うと言っても、これまで、ライバル〇〇VS××という対立的な構図で論を進める著作が評判であった坂口昌弘だが、さすがにそういういう描き方はしておらず、それぞれのエピソードを交えながら楽しめる読み物となっている。
興味ある御仁を読めばそれでもすむというのがいい。そうしたなかでは平塚らいてう(女性は実に太陽でった)、初代中村吉右衛門(弓もひくなり句も作る)、大久保橙青(今生にホ句浄土あり)、松本幸四郎(俳句は神からの贈り物)などには興味がひかれた。
  
       天地のこヽにひらきし花火かな     らいてう
       炉びらきに弓も引くなり句も作る     吉右衛門
       子規祀る虚子に仕へて生き残り      橙青
       花吹雪つつまれゆきし人想ふ       幸四郎
       打ち出して銀座は香る月の道       松たか子

ともあれ、集中の寺山修司〈目つむりいても吾を統(す)ぶ五月の鷹)〉については、かつての愚生もふくめ、いまでも若き俳人に多大の影響を与え、俳句を作る切っ掛けをもたらすなど、俳句史的にも特筆すべき俳人?であり、人気に到っては、いまだに現役俳人をしのぐほどである。

      山鳩啼く祈りわれより母ながき       修司
      麦一粒かがめば祈るごとき母よ
      誰が為の祈りぞ紫雲英(れんげ)うつむける  
      
その修司について坂口昌弘は「詩歌の旅に病んだ修司は、銀河の星の中に溺死して今輝いている」と書いている。 

                                                 サルスベリ↑

2014年8月18日月曜日

栗林浩『新 俳人探訪』 〈中谷寛章〉・・・



 このところ立て続けに著書を出している栗林浩だが、新著『新 俳人探訪』(文學の森)に「中谷寛章(夭折の俳論者・影の運動家?」の項をたてて論じている。いまは、ごく少数の、それも団塊世代の上あたりの年齢の俳人たちしか覚えていない俳人であろうが、1960年代末、当時、明らかに俳句の未来を語って、その筆法の鋭かった若き俳人といえば、第一に中谷寛章をあげ、第二に坪内稔典をあげるにやぶさかではない。
 その中谷寛章に光をあてた栗林浩に、まず敬意を表しておきたい。
 改めて資料を探したら、愚生はかつて1987(昭和62)年「俳句とエッセイ」4月号(牧羊社)に「大和の空を横飛びにー夭折の俳人・中谷寛章」と題して執筆したことがある。その冒頭を次のように書き出している。

  「どこからきて、どこへ行くのか」。それが中谷寛章の口癖だった。その中谷寛章が急逝してはや十三年がたつ。享年三十一。一九七三年(昭48)十二月十六日、豊中病院にて腹膜肉腫による病死であった。同年五月に赤水有里と結婚して長女真海(まみ)誕生後わずか一ヵ月のことである。
(以下略)

 中谷寛章は本名を「宏文」といい、1942(昭17)年4月15日奈良県橿原市に生まれた。6年予備校に通うために京都に下宿。そこの女主人が「京鹿子」「青」の俳人であったことから「青」(波多野爽波)に入会。
    
   大試験近し吐息にくもる玻璃     「青」昭和37年5月号

 62年京大経済学部に入学、京大新聞社にも入り、赤尾兜子にも寄稿を勧めた。京大俳句会では「関西学生俳句連絡会」(略称・関俳連)を結成、京都で合同のシンポジウムを開いている。京大、同志社、立命館大、京都女子大、大阪女子大、甲南大が参加。坪内稔典もいた。当時の状況は羽田闘争での京大生・山﨑博昭の死、米原子力空母の佐世保入港阻止闘争、さらに東大闘争などのなかで戦後の俳句、とりわけ金子兜太は愚生らを含めて若い俳人の多くにとって、最も強く惹かれ、、かつ、乗り越えなければならない壁としてあった。それは、同時に、これまでの俳句の書き方では、到底自分たちの思いの表現は実現できないという切実な願いであったように思う。
 ともあれ、中谷寛章遺稿集『眩さへの挑戦』(序章社・75年)で清水昶は「若い死者に出会うのはつらい。ましてや中谷寛章のように、この生きにくさを深める世界に対して一途に挑んでいた者を志し半ばにして失ったというつらさはいっそう倍加する」(若き死者への独白)と記した。その清水昶もいまは冥界にいる。

 愚生はといえば、「俳句研究」(昭和44年11月)の中谷寛章「社会性から自然への成熟ー金子兜太氏へ」を読み、京大前にあった書店で「渦」を手に取り、中谷寛章にあこがれ、「渦」の購読を申し込んだのだった。

    不意に醒めかなしきまでの遠花火       寛章
    大時計とまりじんわり日本の砂流れ
    鳶の空へ窓のない箱つみあげる
    冬眠すわれら千の眼球(め)売り払い
    バッタを追ってかるがる空を泳ぐかな


                                                 ホオの実↑

2014年8月17日日曜日

和田悟朗「降り止まぬ雨中は宇宙短き夜」・・・



「風来」第18号、「雨中は宇宙」の措辞は、和田悟朗ならではのものであろう。
この号の表2には「赤尾兜子戦後初期作品抄」として和田悟朗による8句の抄出と小文が掲載されている。以下に少し引用する。

     黴くさき長靴よりも長き貌      兜子
     木菟の杜白骨となるまで人を焼く
     校塔のさびしさ雪のふりつくす
     にんげんの焚く火かくさず露の中


  赤尾兜子は、戦後の昭和二十年代、このような句を作っていた。毎日新聞神戸支局の記者となり、兵庫俳句欄の選者となった。ぼくは投句して兜子と接するようになり、そこでは大河双魚や村上鬼愁らとライバルだった。
 ある冬の日、綿虫が異常発生したことがあり、そのことを投句の際、ちょっと書き添えたら、翌日の紙面に「東灘に綿虫異常発生」という記事が目についた。恐らく兜子のはじめての取材記事に違いない。

 「風来」は発行されるのが楽しみな俳誌のひとつだが、実は「豈」の関西同人が幾人かいるのも原因のひとつかも知れない。以下に「風来」参加の「豈」同人の冒頭句を以下に記す。

    木の芽田楽歩兵のごとく串並ぶ     堀本 吟
    燈台のうしろに闌ける春の詩(うた)   山上康子
    死と生をうすものにして桜逝き      山村 嚝(日偏に廣)
    初景色焚書の煙たなびきて       高橋修宏 

今号より津髙里永子「冷凍庫に食パン冷蔵庫にバター」が新同人に加わったとある。


    
   

2014年8月16日土曜日

谷川晃一『これっていいね雑貨主義』・・



俳句つながりで紹介するのだが、谷川晃一には手作りしたような2冊の句集がある。
句集『地名傷』と句集『異人伝』。本著『これっていいね雑貨主義』にも自身で雑排句集として俎上にあげている。

    ハンペンを二つに切ってプノンペン     晃一
    股倉にチャック噛みつくカムチャッカ
    赤毛のアンもんどりうってモンドリアン
    ロダン考える人 仏壇死んだ人

愚生との不思議な縁にふれると、「豈」の表紙絵に、風倉匠が亡くなったのちも彼のデカルコマニーを使い続けていて(風倉夫人の好意による)、60年代初頭からの風倉匠の友人の一人が谷川晃一であった、ということである。
一昨年であったか、それとは知らずに、たまたま「豈」を贈呈したところ、風倉匠のことが懐かしいと便りをいただいたのである。
愚生は行けなかったが、最近では2月9日~6月1日まで「これっていいね雑貨展」(谷川晃一雑貨コレクション&作品)が三島の「大岡信ことば館」で開催されていた。
本著の「雑貨とはなんだろう」の項の末尾には以下のように述べられている。

 大事なことはその雑貨が「好きかどうか」「気に入っているかどうか」だけなのです。私は絵描きですが芸術にこだわってはいません。長年、雑貨を集めてきたのも、芸術病から解放されていたいからです。「生活雑貨」という言葉がありますがいい言葉です。これが「生活芸術」なんて気持ちが悪いと思います。本書が芸術病から解放される処方箋になれば幸いです。


もちろん、中では雑貨も芸術である、とも書かれていたり、雑貨のありように時代の変遷やこれまでの男権社会の世界を見、、家族の変容をみたり、フェニミズムをみたり、雑貨を楽しみ、遊ぶ視点もうかがえる写真ふんだんの、見ているだけでも、おのずと興味がわく本であった。
 
ツリガネニンジン↑

               

2014年8月15日金曜日

「365日が終戦記念日の国で」・・・



今日は敗戦記念日・・・。東京は35度近い猛暑である。
先日の現代俳句協会の第32回新人賞選考委員会で、愚生が最後まで推した作品のタイトルが「365日が終戦記念日の国で」だった。
選考委員の一人は、この題の「終戦記念日」が「敗戦記念日」だったら、文句なく推したと感想を述べておられていた。激論の末、岡田眠「浮力」が受賞。佳作が内田麻衣子「クジラモビール」と決まった。
が、実は、同時二名受賞になるはずだったのだ。そのもう一人が木下竣介「365日が終戦記念日の国で」だった。しかし、電話で受賞を伝えられた木村竣介は30句のなかに一句、既発表作品が含まれているということで辞退となった。ちょっと残念だが、それは応募規定に沿っていないのだから仕方ない。応募するときにもう少し慎重になってほしい(愚痴を言えば、全選考委員がなんのために最後まで彼の句をめぐって激論を闘わせたか、ちょっとつらい・・)。
たしかに、初回に候補作として残していたのは、愚生ともう一人の委員のみであったから、その時点ではほとんど受賞の望みはない。その後の話し合いのなかで、句に光があたって、まさかの展開となり、最後の投票で最高点として同点、他の候補作を逆転して並んだのである。
野球でいえば9回、土壇場でホームランが出たようなものだ。
確かに、氏名は不明、年齢も不明のなかでの選考、自筆原稿は少し乱暴だったが、そこに年少の趣を合わせ、みせていた。
「現代俳句」10月号で選評が発表されるので、そこで、句を、少し取り上げるつもりであるが・・・。
この作者はたぶん、俳句の技法の修練を積んではいないが、他のいわゆる俳句的な作品とは違って初々しく、新鮮だったことだけは確かである。それがなければ、選考途中での逆転には結びつかなかっただろう。

      手負いのいわし雲が窓から入ってきた          木村竣介
       暴力の優しい気配がしてなめくじ
                  グラジオラス笑いかたと泣きかたが同じ
      過去ログに果てなくアヤメを植えてきた
      鹿の国ダウンロードはしつこくした
      パスワードすべて一桁の春になる
      絡み合う糸をほどくが春にはするな





2014年8月14日木曜日

田沼泰彦『断片・天国と地獄の結婚』・・・



久しぶりに造本の見事な詩句集に出逢った。
田沼泰彦『断片・天国お地獄の結婚』(下井草書房。限定八十八部・第一~八番は著者用)である。黒の帙入り(写真では黒がうまく写らなかった)、書題は銀の箔押し。表紙は耳付き和紙(奥付に表紙 鷹野禎三とある)。
ページ数は付されておらず、多行(三行)の句篇は地獄Ⅰ~Ⅹ、詩編は天国Ⅰ~Ⅹの各章だてになっている。
例えば、詩編の天国Ⅰは(『煉獄無線』より)、天国Ⅱには(『異母郷行』より、『ある碑伝』より、『冥婚の村』より)からなる。こうして、それぞれの趣向がⅩ章ある。
句篇は地獄Ⅴのみは一行の句が20句収めた章があるのみで、あとは三行の句が各章ごとに各15句ほどこされている。
この一行句のみは20句すべてに「はは」が詠みこまれ、平仮名であり、他は漢字、片仮名表記である。例えば、

     素手デ掘ルははノ墓穴雨干潟       
     生煮エノ独活生温キははノ帯
     聞カセテヨオレノ産声テフヨははヨ 

ついでと言っては失礼だが、三行表記の句をいくつか挙げておきたい。

     霊喚ばむ
    火の見やぐらの
    鐘おぼろ                地獄Ⅰ

     神饌の
    山羊を屠るは
    神無月                   地獄Ⅱ

     能面の
    めをとめしひか
    瞑目か                                  地獄Ⅲ

     仏壇の
    無花果
    誰の歯形残し             地獄Ⅳ

詩編の天国Ⅰの冒頭は以下のように始まる。

   こちらは防災オハナバタケです
                      小学校よりお知らせします
                                      地域の皆さん
   いつも私たちを見守っていただき
                       ありがとうございます
                                   これからも私たちの見守りを
   よろしくお願いします (以下略)

最後の天国Ⅹの最後の三行は、

   発見サレタトキノ 着衣ハ シロイ ネマキ シロイ オビ アカイ ハダジュバン
   ハダシデ ヒライタ クロイ コウモリ ガサヲ テニ シテ イマシタ 
   ヤマダサン二 ココロアタリノカタハ ケイサツショマデ れんらくをクダサイ・・・
                                                  畢
  
これらを読み解くには、愚生ではおぼつかず、いささか時間を要すようだが、その片々なりとも皆さんに伝えたくてアップした次第・・・しかし、句は少なくとも、その言語の彫鏤ぶりに俳詩人としての矜持をみるおもいだった。



*閑話休題・・
午後から雨が降ると予報されていたが、基調は曇りだと思い込んで、散歩のつもりで、府中市郷土の森博物館に行った。府中市民は特別に入場料は半額の100円。晴れていれば一日植物類を眺めていることも可能だ(プラネタリウムは休みだった)。府中市生まれの現代詩人として村野四郎の記念館もある(無料)。古い民家なども移築されている。
花の時期としてはコスモスと萩が少し咲だしているくらいだった。午後二時過ぎには雨が降り出して傘も忘れてしまったので、結局濡れ鼠・・・。



    

2014年8月13日水曜日

戸栗美術館「涼のうつわー伊万里焼の水模様」・・・



昨夜の涼しさも去って、午後は真夏の蒸し暑さが戻ってきた。
ことさら、涼を求めたわけではないが、招待券があるとういうので、渋谷の戸栗美術館「涼のうつわー伊万里焼の水模様ー」(~9月21日)に出かけた。
「涼」がテーマだから、青磁が多く、山水文が涼しげだった。
なかには献上ものの鮮やかな色絵も・・・
説明文によると日本初の磁器として17世紀初頭に肥前地方で製造がはじまった伊万里焼とある。
また、初期に作られた水指など、中国製の磁器をを模した山水文が多く描かれたという。
水指(注)の英語訳にサケ・ピッチャーとあったのには思わず笑った。
青一色の染付や濃淡を駆使した水の文様はいかにも涼しげだった。
そのほか、素人目にもオモシロイとおもったのは扇形の皿や、団扇の形をした皿、東海道53次を描いた皿、日本地図を描いた皿などである。
ちなみに9月15日の敬老の日は65歳以上の方は入館無料になるそうである(年齢を証明するもの)。

フヨウ↑

2014年8月12日火曜日

「俳句と短歌の待ち合わせ」・・・



「波」(新潮社)8月号の堀本裕樹VS穂村弘の「俳句と短歌の待ち合わせ」が今月で第12回になる。
愚生の楽しみのひとつだ。
愚生の記憶だと始まった時には、確か2か月に一度の掲載だった。最近は毎月載っているようである。
この雑誌にはほかにも楽しみな連載がある。
嵐山光三郎「芭蕉という修羅」、森まゆみ「子規の音」もそうだ。時には池上彰「超訳 日本国憲法」も読む。
どうしても、俳句関係の方に興味が行ってしまうのは、愚か?な癖かも知れない。

この企画には、出題者の「題」にそれぞれ、短歌と俳句とエッセイが載る。
今月のお題は「謀反」(出題者は北村薫、64歳 男性・作家)。

堀本裕樹「炎天の校区飛び出す謀反かな」。

穂村弘「どろどろのバナナの皮を抱きしめて猿が謀反の夢をみている

それぞれの作家の特徴が出ているが、堀本祐樹は、お題に関わらず、出身の和歌山・熊野に関するエッセイが多くなる傾向にある。




2014年8月11日月曜日

「豈」56号、石母田星人「五島高資小論」について・・・



残暑お見舞い申し上げます。
「豈」56号の「特集●第三次『豈』十年の新撰世代・五島高資」における石母田星人氏の「五島高資小論」についての玉文中、2か所2行にわたる脱落文が生じましたことを、まずお詫び申し上げます。
著者校正のもどり、並びに再校ゲラを確認しましたところ、校了までのゲラには、2か所の脱落文は生じておらず、現在、印刷所に原因を問い合わせているところです。
とりあえずで恐縮に存じますが、読者の方々には、石母田星人「五島高資小論」に以下の脱落部分の文を加えて、訂正の上、お読みいただければ幸甚です。
よろしくお願い申し上げます。


☆「豈」64ページ下段、最後の行の末尾に以下の文を加える。

・「をとった。どうだ、これが五島高資だ。


☆65ページ上段最後の行の末尾に以下の文を加える。

・「評論を掲載する零細なページだったが、『俳句スクエア集』とい


石母田星人氏並びに読者の方々にはご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます、とともに、時期は遅れて申し訳ありませんが、改めて次号「豈」57号に訂正の上、全文を再掲載させていただくことでご了承をお願いいたしたく存じます。

末筆になりますが、皆様のご健勝、ご自愛を祈念申し上げます。


2014年8月10日日曜日

「平成百人一句鑑賞のための自信作」余録・・・



外は台風11号の影響で時折り激しい雨が降っている。風も少し強い。
昨日は、第32回現代俳句新人賞の選考委員会が開かれた。その台風に追われるように三重県から橋本輝久委員も上京されていた。選考委員は7名(浦川聡子・大井恒行・佐怒賀正美・鈴木明・対馬康子・橋本輝久・林桂)。
例年になく長時間の選考委員会となったが、結果は近日中に現代俳句協会から発表されるだろうから、それを待ちたい。
現代俳句協会主催の新人賞だが、応募は協会内外に開かれているので、このところ協会員以外の方々からの応募も多くなっており、今回は43編中24編が協会員外で、ついに応募の半数以上を協会員以外の方が占めた。もちろん、無記名の選考が行われていて、最後に受賞者があきらかになるのだが、中には日ごろからいい作品を作って注目している俳人もいる。しかし、文字通り、新人らしい、力技を引っさげての応募者となるとなかなか難しい。選考委員の方も、愚生も含めて、つい俳句らしい俳句の方へ、安全な選句をしてしまいがちなのである。
今回も応募作品はおおむね表現レベルが確保された無難な、いわば、安心して読める応募作が多かったが、今回もまた、初回の予選10篇を選ぶ際に選考委員全員7名が残した応募作は、論議の最初で、沈んだ。例えば句会でいえば、10句選の十番目に選んだ句が全員いて、高点句になった、というようなものである。
さて、愚生は、表題の「平成百人一句鑑賞のための自信作5句」の続編を「ブログ俳句空間」に不定期に連載しているのだが、余録として、今回はこの「日日彼是」に原稿の写真を、当時のいわゆる俳壇において、新人中の新人だった攝津幸彦、田中裕明を載せておきたい。

句は、

・攝津幸彦

立ち上がり皇国(すめら)乙女となりしかな   「俳句研究」平成2年3月号
厠出て小さきをみな青葉せり           「俳句」 〃   5月号
傘さして馬酔木見し人隠さるる           〃
日輪もスープもさびし青あらし           「豈」90年春号
簾して仔牛の肉を叱りたり               〃

「日輪もスープもさびし青あらし」の一句鑑賞者は仙田洋子。

・田中裕明

楪に筆のはやさと眼の速さ          「青」平成2年3月号
春氷からの鞄を持つて出て            〃      5月号
空港で鞄にすはるチューリップ          〃      6月号
夏鶯道のをはりは梯子かな           〃      7月号
さみだれは赤子の髪に細かかり             〃      

「夏鶯道のをはりの梯子かな」の一句鑑賞者は、はらだかおる。  

                                        アゼリア↑


2014年8月8日金曜日

「豈」56号ようやく出来・・・



いつものこととはいえ、「俳句空間ー」56号がようやく出来てきた(購読の申し込みは邑書林へ・・)。
表紙絵は、故・風倉匠のデカルコマニーを夫人の好意もあって、ずっと使わせてもらっている。深謝。今号もまた20名近い外部の方からの寄稿をいただいた。感謝することしきりである。
ともあれ、以下に冒頭の作品のみで恐縮だが、一人一句を挙げておきたい。

     清き故迷ふ白鳥黄泉平坂          花尻万博
     わだつみの母郷つらつら椿かな      恩田侑布子
     紅梅と赤子のおしり見較べる        金原まさ子
     忘却は剖きぬる頭の睡蓮(ロチュス)より  小津夜景
     たくさんの鳥の群よわむしのわたしたち   鈴木瑞恵
     松籟を夜伽のころと思いけり         曾根 毅
     海中(わだなか)にダイオウイカや春の星  冨田拓也
     双眸に未踏の噴水がありぬ         青山茂根
     月光の柱テーマに揺るぎなし         秋元 倫
     山頂へ続く黙あり岩煙草           飯田冬眞
     大なり小なり我らにハート春告鳥      池田澄子
     春風の手の鳴る方へ深ねむり       丑丸敬史
     風のいろ火のいろなべて立木の色      大井恒行
     雑密を鉢植えすれば砂時計ささくれて    大橋愛由等
     奇(くす)けきひかりよカップラーメンのエビよ 大本義幸
     風花のあってはならぬ写経には        岡村知昭
     春寒の伊勢佐木町のへび屋かな       鹿又英一
     瓶の蓋なかなか開かぬ近松忌        神谷 波
     月満ちて来る赤子の黄金の腕        神山姫余
     体内模型のビル街吹きさらし         川名つぎお
     カタクリの花に届くや村太鼓          北川美美
     妄信の梵か偽魔女の一撃か         北野元生
     蜂生れる景色睨んで逆さまに        北村虻曳 
     理想都市 まつすぐ伸びる腕と道       倉阪鬼一郎
     立春や川の話をはじめよう           小池正博
     フェラガモの靴履く男道をしへ         小湊こぎく
     青梅雨窓よりひかり板の間に         小山森生
     帚木や真昼の星を集めたる          五島高資
     オールトの雲渺々と漱石忌           堺谷真人
     からすうり伊吹山からさざれ石         坂間恒子
     鬼は外家中がでこぼこする          杉本青三郎
     
     ねぶのはな
     たがよ
     たがよ 
     とりかへこ                   鈴木純一
 
     見の中に明るきところ裕明忌       関 悦史
     春の空見てと始まる友の遺書       関根かな  
     入梅の空の果てまで行きたき日      妹尾 健
     兇火の中なる擬卵あたためし        高橋修宏
     絵本魔術師つがるからつゆいり      高橋比呂子
     夏蝶の焦点があるもらいにゆく       津のだとも子
     はるともし孔雀なきゐるやうきえり     夏木 久
     C面の夏が漂っている海          成宮 颯
     見上げれば顔・貌・かお・カオ・紅葉山  萩山栄一
     鬱陶しい立つこと春が冷えている     橋本 直
     波羅蜜は縁なしいざや昼寝せむ     秦 夕美
     お降りの畏くもこの世でこぼこ      羽村美和子
     「椿榎楸柊」-俳ー秋津島        早瀬恵子
     バルコニーから虫をばらまく花婿だ   樋口由紀子
     北里に幾年月の花菜雨          福田葉子
     此処彼処亜細亜悪霊産卵期       藤田踏青
     軽羅着て三囲神社ぬけて行く      藤原龍一郎
     芍薬にかくまいしままあさき夢      堀本 吟
     春の闇常世の妣がものを曳く      真矢ひろみ
     白猫に飼われし一家布衣(ふい)の人  森川麗子
     三鬼の忌計量カップで呑んでいる    森須 蘭
     そぞろかな加茂の春月青々と      山上康子
     フクシマの春泥宮城(きゅう)の春泥   山﨑十生
     松林(しょうりん)に魚の骨しらしらと   山村 嚝
     空豆の方言を水位している       山本敏倖
     そうめんぞするり解けて「神の数式」  わたなべ柊
     砂糖宿舎(さたやどい)湯気もおぼろの船ランプ  亘 余世夫  

ちなみに、特集は「攝津幸彦以降の『豈』」、新撰世代の「豈」論。


        

2014年8月6日水曜日

永田耕衣「空蟬に肉残り居る山河かな」・・・



閑話休題のみ・・・
昨日は、昼近く、府中市立図書館の側の府中公園を散歩したら、蟬しぐれとともに、蟬の穴や空蝉の多さにいささかあっけにとられた。
愚生といえば、だらしなくTシャツからのぞいていた首筋がすっかり日焼けして痛く・・・
たちまち、疲れて昼寝をしてしまった。
今日ですか?
今日は、シルバー人材センターの関係で、普通救命講習でAED扱いの講習を受けました。


   空蟬に肉残り居る山河かな    耕衣
   空蟬を拾い跡見る見損かな   





2014年8月5日火曜日

高幡不動尊散策・・・句碑めぐり・・




数日前、歩かなければいけない、という義務感に似たものにかられ、散歩がてら、近くにありながら、一度も行ったことのない高幡不動尊に散歩気分で出かけた。
噂には聞いていたが高幡山金剛寺貫主であり俳人・川澄祐勝の縁であろうか、多くの句碑にめぐり合えた。
散歩の目的は、句碑めぐりではなく山内拝八十八ヶ所めぐりで歩くことだった。
とはいえ、写真におさめた句碑を掲載しておこうか(順不同)。



                      誓子↑

 夏風↑


鏡水↑

陽平↑

山埼千枝子↑

ゆう(禾偏に由)子↑


波郷↑

盤水↑



悦男↑

芭蕉↑

*閑話休題
突然思いついて、日本橋三井ホール「アートアクアリウム2014」にでかけたが、日が悪く、当日券は入場制限つき一時間半待ちだったので、さっさとあきらめて、地上に出て目の前にあったのが三井美術館「能面と能装束ーみる・しる・くらべる」が開催中(7月24日~9月21日)とあり、愚生の趣味ではないが、そちらに寄ることにした。小面に般若面、翁面、尉などそれなりに楽しんだ。