2018年7月30日月曜日

中西ひろ美「海鞘は好きかと昆布のやうに問はれけり」(第一回「ひらくかい」)・・



 愚生の地元・府中市市民活動センタープラッツの会議室に於て、第一回「ひらくかい」の句会を開いた。今後はどうするとも、どのようなペースで行うとも、句会の方法も何も決めずに、とりあえず雑詠3句を持ち寄り、その後は相談することで出発した。もっとも今回は地元市民の方と近隣の方にのみ案内をした。
 初回だから、初対面の方も多く、まずは自己紹介から入り、句会の後は近所の喫茶店での茶話会で解散した。以下に一人一句を挙げておきたい。

 炎天をおんぶお化けの詫び回り       武藤 幹
 炎天の影に重さの無い恵み       たなべきよみ  
 貝殻の白きをあつめ雲の嵩        中西ひろ美
 全山の春蝦夷蟬を連れ帰る         鈴木純一
 背泳ぎやこの世このまゝ滾(たぎ)つ瀬へ   猫 翁 
 秋出水屋根へ着きたるゴムボート      大熊秀夫
 朝まだき遠くに蓮の香り立ち        成沢洋子
 銀杏黄葉黄泉へ帰(おもむ)く門にあり 救仁郷由美子
 すすき占(うら)明日まぼろしに託す声   大井恒行 

 次回は、9月4日(火)午後1時~4時半、プラッツ第7会議室B於。逆選あり句会の予定。
府中近辺の方はどうぞ!



★閑話休題・・・

 「面」123号(面俳句会)には小宮山遠の遺作・続が掲載されている。他には相変わらずの健筆が衰えない高橋龍のエッセイ「丸山薫と三橋敏雄の海王丸」。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

   夏木立人居れどみな後ろ向き     小宮山遠
   平成に最後の立夏水潔し       網野月を
   古今東西ときに人泣く木々芽吹く   池田澄子
  
   野に放つ
    声
   ひとかどの
   翌檜に               上田 玄
 
   水仙を摘んで束ねて誕生日     衣斐ちづ子
   落さずに運ぶ頭や萬愚節       岡田一夫
   憲法九条涙のあとの死者生者     北上正枝
   うぐひすをさかしまにきくあさねかな 北川美美
   春の野や雲に追はるる雲のあり    黒川俊郎
   夕暮の桜もっとも日を残す      小林幹彦
   庭いっぱいのポピー狂気とも元気とも 渋川京子
   方舟にのりそこねたる子猫かな    島 一木
   核の罪語りて尽きぬ緑星忌(窓秋忌) 髙橋 龍
   右折焼鳥屋脳不足さて酷暑      田口鷹生
   檣頭の一粒はわが春の星       遠山陽子
   お試しは一回切りに願います    とくぐいち
   富士櫻思えば吹雪く墓いくつ     福田葉子
   階の熊野へ一歩虫時雨        本多和子
   こどくしのあきやのうらのうぐいすや 三橋孝子
   撞くたびに重たくなりぬ紙風船    宮路久子
   残雪や時よ遥かに赤軍派      山本鬼之介
   死の家の灯の煌々と桃の花      山本左門  
   翁おうな杖に名札や白菖蒲     吉田香津代

   
         

2018年7月29日日曜日

かわにし雄作「肩書がふわっと取れて草の絮」(第36回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会大会賞)・・


挨拶する吉村春風子会長↑


                講演する高野ムツオ氏↑

 本日は第36回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会(於:武蔵野スイングホール・午後2時~)だった。東京多摩地区現代俳句協会は創立35周年。講演は高野ムツオ「私の現代俳句ー兜太と鬼房」だった。講演が終わってのち、大会俳句作品の成績発表と顕彰が行われた。
 恒例だが開会には会歌「多摩のあけぼの」(作詞・沢田改司、作曲・宮川としを)の合唱から始まる。今回は最初に金子兜太逝去に伴う黙禱が捧げられた。ブログタイトルに挙げた句、かわにし雄作「肩書がふわっと取れて草の絮」は互選最高点を獲得した大会賞である。以下入選の6名までを以下に挙げておこう。

   大根を引き大根に倒さるる       永井 潮
   日向ぼこニュースがニュース消して行く 原田洋子
   すでに名で呼ばれし胎児春近し     菅沼淑子
   蜩の他は無口な村境          地原光夫
   風船やぶつかりあひて傷つかず     根岸 操
   晩年の素顔の軽さ藍浴衣        遠山陽子

  

      「朝日俳壇」7月29日。入選のたなべきよみ句↑

★閑話休題・・・
遊句会のメンバーのひとり、たなべきよみが久しぶりに朝日俳壇・長谷川櫂選に入賞した。

  ゲバ棒と寝たアカシアの花の下  (東京都)たなべきよみ

「評」には、「十句目。闘争も思い出に。時間の作用」とあった。この十句目に特別な句を置いて評する、というのは、金子兜太がやっていたことで、長谷川櫂は、それを承継している。さらに、俳句の場合、共選の☆印がつくのはめったにないことだが、しかも、長谷川櫂、高山れおな各選の、第一席が奇跡的に重なったのだ。次の句である。

   蟻の列死を分解し運び去る  (筑紫野市)二宮正博

「評」は、長谷川櫂が「一席。死さえ最後は残らない。たゆみない自然の営みによって」であり、高山れおなは「二宮さん。『死を分解し』の抽象化が箴言(しんげん)のように力強い」である。共選一席の句の名誉は動くものではないだろうが、句を評価する際の両者のこの評価の差異は、どこからきているのか。この乖離について、愚生のところに早速尋ねてきたのが、これも遊句会の染々亭呆人で、「箴言のように力強い」に反応して、遠藤周作の言葉にならえば、

  「死んだやつは死なせておけ、俺はこれから朝飯だ」というイエスの断固とした言葉を想起させるのです。

と感想を述べてきた。また、朝日俳壇に新風が巻き起こってきそうですとも言っていた。愚生ら俳人よりも、いわゆる一般の俳句愛好家の方々のほうが朝日俳壇新選者への期待が大きいようである。


          撮影・葛城綾呂 アブラゼミの羽化↑


2018年7月28日土曜日

堺谷真人「森よりはづす蟬といふ一部品」(第143回「豈」東京句会)・・



 今日は、台風12号接近中の白金台いきいきプラザに於て、隔月開催の「豈」第143回東京句会が行わた。夕刻には風雨一層強くなるとの予報だったので、進行はいつもの倍ほどのスピードで早めの切り上げだった。参加者の方も、台風には勝てず、7名と少なかったが、それでも「豈」以外の新人の参加があって充実した会となった。愚生が一番年長?・・・雑誌「豈」の方はもう38周年(秋口には刊行予定)で、まさに少年老い易くの心境だった。
 ともあれ、一人一句を以下に記しておきたい。

    刺身買ふつもりが金魚買うて帰る       渕上信子
    月退(の)ける蔓のありけり青瓢       千原櫻子
    火星接近海月の触手伸びはじめ       羽村美和子
    草いきれ手の付けられない純情       杉本青三郎
    骨うすき脚を半跏に端居かな         堺谷真人
    扇子屋の保一(ぽいち)と呼ばれ弟よ     早瀬恵子
    墨書は「死民」暗黒の満つ力石(ちからいし) 大井恒行

    

          撮影・葛城綾呂 アブラゼミの羽化↑
    
     
    

辻村麻乃「放射線状屋根全面に夏の雨」(『るん』)・・



 辻村麻乃第二句集『るん』(俳句アトラス)、序は筑紫磐井、跋文は岩淵喜代子。その序(~感想文)には、

(前略)以前考えた、あの子のいた国は、国境で隔てられた国ではなかったのではないか。もっとこころの国だ。僕の叔父さんは、俳句の国の王様だと言って威張っていたが、日本に住んでいると俳句の国の人間となってしまうのだ。だからあの子は、詩の句にから俳句の句にへやってきてとまどっているのだろう。
 
 筑紫磐井にしては珍しく寓意のような序である。結社「篠(すず)」は「しの」か「詩野」か、

 (前略)俳句の国に住んでいる僕たちが自由な詩の国からやってきたあの子の言葉を見、あの子と話をしてとまどっているだけなのだ。
 さあ、明日はどんな感想を言えばいいのだろう。教科書には何も書いていない、教科書なんてないのだから。

一転、岩淵喜代子の跋は、辻村麻乃「口開けし金魚の中の赤き闇」の句を挙げて、

 伝統俳句に見えている俳句の軸足は、第二句集でもそのままの位置に置かれている。そのことが、より作品を重厚にしてきた。

と記し、結びに、父である岡田隆彦の「美しいManoよーわが娘・麻乃へ」の詩で締めくくられている。
 
(前略)”わたしのいとしいマノよ、信じておくれ”
    実りある魂は、時と藁で熟す。
    わたしの美しい手は五つの未来を持つのだ。
     「一九八五年思潮社刊、高見順賞受賞作品『時に岸なし』」より
    おお麻乃と言ふ父探す冬の駅
    句集『るん』から引き出したこの一句は、そのまま岡田隆彦の詩に反歌として添えられる美しい句である。 

 そして、本句集には母(岡田史乃)、父、夫といういわゆる家族を詠んだ句も多い。少し例を挙げると、

    母留守の納戸に雛の眠りをり    麻乃
    雛のなき母の机にあられ菓子
    振り向きて母の面影春日傘
    母からの小言嬉しや松の芯
    母入院「メロン」と書きしメモ一つ
    病床の母の断ち切る桃ゼリー
    夏シャツや背中に父の憑いてくる
    神無月父だけのゐる神道山
    言ひ返す夫の居なくて万愚節
    階上の夫の寝息や髪洗ふ
    夫の持つ脈の期限や帰り花   
 
 因みに、集名に因む句は、

   鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 「るん」の由来については、著者「あとがき」にあるが、「ルン」(rlung、風)らしい。
 ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

    燕の巣そろそろ自由にさせようか
    膨らみし辞書に旧姓夜学校
    海のなき月の裏側見てしまふ
    ちちちゆちゆと声降らしをりかじけ鳥
    冬霧の三ツ鳥居より蜃に会ふ
   
辻村麻乃(つじむら・まの)、1964年、東京都生まれ。




2018年7月27日金曜日

高山れおな「駅前の蚯蚓鳴くこと市史にあり」(「俳句四季」8月号より)・・



 「俳句四季」8月号(東京四季出版)に、筑紫磐井による「俳壇観測」という連載記事がある。迎えて187回(月刊誌だから、約16年になろうとする超長寿連載である)は「速報!朝日俳壇新選者・高山れおなー最年少新聞俳壇選者から見る新しい俳句」である。それには、高山れおなについて述べた卓見がいくつもある。それは、いわゆる俳壇においてはバッシングとおもわれる褒貶を受けている朝日俳壇新選者の紹介に多くを費やしているのだが、何と言っても、高山れおながが生み出してきた俳句作品について、じつにまっとうに、俳句作品としての表現レベルの俳句史的な意味ついて高く評価をしている点である。彼の俳句を例に挙げて、

 だから、ありていに言えばもはやここには戦後俳句は存在しない。戦後俳句の誰もここまで到達していないからだ。それにもかかわらず「正統のインチキ」に対する糾弾という意味での兜太の承継を見ることが出来るのである。朝日俳壇の一層の変質を期待したい。

 と述べ、また、「高山の俳句の特色とは何であろうか」としたあとには、

①無季や自由な言語遊戯、②俳句の枠組みの破壊(しかし完璧な俳句)、③諧謔的社会性、④脱俳句性等であろう。これらは、一部は兜太の言語原理(例えば定型)を更に逸脱する新言語原理でもあった。もちろんそこには高柳重信や加藤郁乎、攝津幸彦らの前衛原理もそこはかとなく漂っていたが。

 とも述べている。いずれにしても高山れおなが結社を知らない俳人でありながら、また俳句に師匠が要らない格好の例(高山の作句信条に定家卿の「和歌無師匠只以旧歌為師」)としてあげ、攝津幸彦をはじめ「無結社」「無師匠」の系譜が現代俳句に歴然と存在することを言い、さらに『新撰21』(邑書林)の刊行を企画し、ブログ「俳句空間―豈Weekly」を中村安伸と運営し、もっぱら俳句批評に力を注いできたことや、そうしたことがなければ、現俳壇において、まさに層として、かたまりとして若手俳人の多くも登場しなかったにちがいない、と述べている。にもかかわらず、

 これほどの活躍をしながらも、角川書店の最新版「俳句年鑑」の主要俳人の活躍を取り上げた「年代別二〇一七年の収穫」の四二八名のなかには高山を上げていない。俳壇主流から疎外されていたという意味で、金子兜太によく似ていると思う。

 この疎外されていたという意味で、愚生は思い出したことがある。愚生が「俳句空間」(弘栄堂書店版)を編集していたころだから、すでに30年前のことになるが、そのとき、愚生は、金子兜太に「金子兜太読本」を作らせてもらいたいと申し込んだことがある。その時、金子兜太は「お前さんとこでやっていいよ。角川からは絶対に出ないから・・・」と言っていた。そして、金子兜太の年譜を武田伸一、書下ろしの論を安西篤にお願いし、その原稿はほぼ出来上がっていたのだ。ただ、愚生の非力、力不足により、「俳句空間」は休刊になり、ついに読本は実現することはなかった。その意味で愚生には、安西、武田両氏と兜太氏には返せない恩がある。
 時代は変わり、河出書房から「金子兜太全集」が出版され、「兜太ばかりがなぜもてる!」となって、兜太逝去後にさいしては「俳句」が総合誌ではもっとも重厚な読本(特集)を作った。だが、それは、兜太の俳句作品そのものへの評価というよりも、社会的な平和運動に寄与したことなどの影響が大きいように思われた。そして最晩年の兜太は、日銀時代に従業員組合長だった頃の思いを、その挫折した志をもう一度、今度こそは、死ぬまで手放さず、社会的な行為として闘い続けることを選んでいたのではないだろうか。
 ともあれ、同誌より高山れおな作品を孫引きしておこう。

   陽の裏の光いづこへ浮寝鳥        れおな
   麿 、変?
   吊革に葱より白き君は夢
   げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も
   きれ より も ぎやくぎれ だいじ ぜんゑい は
   でんとう の かさ の とりかへ むれう で します

 高山れおな(たかやま・れおな)、1968年、茨城県生まれ。
  



2018年7月26日木曜日

鈴木節子「詩嚢使ひ切るまで死ねぬ雲の峰」(「門」8月号)・・



 「門」8月号(門発行所)に、山田耕司が「門作家作品評/5月号より」を執筆している。かねてより山田耕司の句の読みには注目していたのだが、今回の「門」の作品鑑賞でも、そのよいところが遺憾なく発揮されていると思う。例えば、鈴木節子啓蟄の一本の棒どうしよう」の句について、

 (前略)て、その表現は実に巧み「啓蟄の」と打ち出すことで、「啓蟄」にまつわるあらゆることを読者に想起させてから、視点を一本の棒にしぼり込む。この場合の格助詞「の」は、「一本の棒」を修飾するのみならず、むしろ切字の「や」のような働きを示しているのである。であるからこそ、〈啓蟄の頃の棒〉ではなく、〈垂直の意志が現実の形状になったかのごとき一本の棒〉として、この「棒」が読者に届く。

 と、一句を実に正確に読み、鑑賞している。ブログタイトルにした鈴木節子「詩嚢使ひ切るまで雲の峰」の句にも、その垂直の意志がよく反映されている。
 他に、同誌本号には、木本隆行句集『鶏冠』の特集も組まれている。

   人ひとりひとつ影もつ原爆忌     隆行
   息白し黙せばさらに息白し
   父知らず父にもなれぬ父の日よ

 また、兼題〈押〉の鳥居真里子特選句には、

  青饅の色老年の押へどこ      中島悠美子
  六道へ押し出されたる蝌蚪の紐    木本隆行
  玄白の花押のごとき日永かな     桐野 晃

 が選ばれている。
 ともあれ、「門麗抄」「鷹燈抄」より一人一句を以下に挙げておこう。

  その宛名かの虹の根つこではないか  鳥居真里子
  万歳が永久の訣れに麦の秋      野村東央留
  黒樫の涼しさ師恩にも似たる     小田島亮悦
  母は太陽父は大地の葱坊主       成田清子
  幾万の亀を鳴かせて兜太逝く      神戸周子
  蜥蜴出て俄かに日なた生臭し      大隈徳保
  蜜豆や築地の路地のつきあたり     長浜 勤
  たんぽぽの低さになじみ潮の風    石山ヨシエ
  春筍や三方より来たけくらべ      布施 良
  犬の耳屹立日本の五月来る       関 朱門



           
          撮影・葛城綾呂 息つぎ↑

田中葉月「道化師のポケットいつぱい虹の種」(『子音』)・・



 田中葉月句集『子音』(ふらんす堂)、【第一句集シリーズ/1】と銘打たれているから、ふらんす堂の新句集シリーズである。大昔に、まだ、ふらんす堂社主が牧羊社時代の時に、確か「処女句集シリーズ」?というのがあって、それを思い起こす。もっとも今の時代にはそぐわないシリーズ名だから、当然ながら、「第一句集シリーズ」なのだが、かつてそのシリーズから多くの俳人を生み出してきたように、その名誉ある第一冊目が「豈」同人でもある田中葉月だというのは嬉しい。過不足のない序文は秦夕美。その末尾に、

 若い頃、外国暮しをした葉月さんは、体感でそれを捉えていた。この句集も自らの皮膚感覚を先行させて編まれたので、歳時記的に見れば季の感覚はずれていよう。それでいい。それが葉月さん。『歳時記』もマニュアルの一つにすぎない葉月さんはやがて「老い」という未知の分野に踏み込んでいく。その時、三賢人をベツレヘムへ導いたように、俳句が道しるべになってくれるといい。俳句にはそのちからがある。そう信じ続けて欲しい。

 としたためられている。句集名に因む句は、

  ふらここの響くは子音ばかりなり    葉月

 だろう。著者「あとがき」には、

  世界最短詩とも言われる俳句とは何だろう。私にとって俳句とは心のキャンパスにして描く絵のようなもの。今更ながらそう思う。まだまだ思うに任せないのが現実だが、なぜか大抵言葉が遅れてくるような気がする。その奇妙な時間のずれが不思議な感覚となって快い。 

 とあった。田中葉月にはまだまだ今後がある。ともあれ、いくつかの句を挙げておきたい。

   白蓮や大地は胎児差し出しぬ
   さつきですめいですおたまじやくしです
   鍵穴を無数の蝶の飛び立ちぬ
   短夜やゆらゆら歩く零(ゼロ)の影
   月下美人しづかに闇をはきだして
   原爆忌振子時計の螺子の穴
   閻王の集めし舌や唐辛子
   百八の窓に百八秋茜
  
シリーズの装幀は和兎。これもシンプルながら大胆で良い。
田中葉月(たなか・はづき)、1955年、岡山県生まれ。


          撮影・葛城綾呂 サルスベリ↑

2018年7月25日水曜日

「安保粉砕 反米反基地 琉球独立」(豊里友行写真集『おきなわ 辺野古』より)・・



豊里友行写真集『おきなわ 辺野古ー怒り・抵抗・希望』(沖縄書房・本体1000円)、その「あとがき」に、

 こなんして生きていていいのかねーというのに、私の祖父は、この戦争が終わったらどんな良い時代が来るかもしれないからと(赤子の母子)生かしておきなさいと逃げ回って生き延びた。(中略)
 これからも私は、この著書のおける沖縄の不条理と非暴力の民衆の抵抗を写真と文章に綴りながら歴史証言として記録しつづけたい。
 そして私は、この辺野古語りの民衆の抵抗の写真記録を沖縄の未来を紡ぐための希望の光として歩んでいきたい。

 とその志が記されている。彼の恩師は樋口健二だとも書かれている。愚生の棚には、数年前の断捨離から逃れた一冊、樋口健二『売れない写真家になるには』(八月書館・1989年刊新装版)が残されている(第一版1883年刊)。



 思えば、15年近く前になるだろうか。愚生は沖縄平和行進に参加し、その折、一部別行動で、高江のヘリパッドの座り込み(まだオスプレイは配備されていなかった)、辺野古の座り込み(まだ工事は行われていなかった)、などに短時間だが参加したことがある。その時、思ったことは、ここには本土とは明らかに違う風が吹いている。それも愚生が少年だったころの、進駐軍(と呼んでいた)がいたころの景色に近かった。


          「日本カメラ」2017年11月号の記事↑

 つい先日、豊里友行写真集を恵まれる直前の眼科で診察待ちの時に、ふと手にとった「日本カメラ」に豊里友行「国内プロの部 さがみはら写真新人奨励賞」に掲載された記事を読んだのだった。それは「オキナワンブルー」というタイトルだった。その中に、愚生が辺野古で見た独特な形の有刺鉄線(刺さると抜けにくい)の写真(2004年)があった。



 もう一冊『南風の根(ふぇーぬにぃー)』(沖縄書房、2017年)の帯には、師である樋口健二の「沖縄の本質に迫るにはまだ、道なかば、今後に期待!!」と檄が飛んでいる。        その豊里友行は気鋭の俳人でもある。『新撰21』(邑書林・2009年)では、先日、朝日俳壇新選者に就任した、これも気鋭の俳人・高山れおなが以下のようにエールを送っている。

  豊里の現在の師である金子兜太の〈縄とびの純潔の額を組織すべし〉〈ガスタンクが夜の目標メーデー来る〉〈湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン〉といった句々が、公式言語的でありつつそれを逸脱する魅力を持ち得ているのと同じことが、豊里の場合も成功作に関しては言えるようだ。
 基地背負う牛の背朝日煙り行く     友行
 お互い、牛のように進んで行きましょう!

 いよいよ、君らの世代の時代が来つつある。心して闘おう!!


 豊里友行(とよざと・ともゆき)、1976年、沖縄市生まれ。



2018年7月24日火曜日

伊藤伊那男「鹿鳴くや恋はかくかくしかじかと」(『然々(しかじか)と』)・・



 伊藤伊那男第三句集『然々と』(北辰社)、集名の由来については著者「あとがき」に縷々記されているが、ブログタイトルに挙げた「鹿鳴くや恋はかくかくしかじかと」に因むのではなかろうか。

 俳句は人生の変遷を映す鏡だなと思う。句集名『然々(しかじか)と』は「斯様(かよう)「斯(か)く斯(か)く」と同類で、その後私はこんな風に生きてきましたー、という意を籠めたつもりである。

 とある。母恋、妻恋の句が目にとまる。

   母に書く花の便りはひらがなで    伊那男
   針箱は母の密室春隣
   秋袷子が着て妻と見間違ふ
   蒔いてみん妻の残しし花の種
   風鈴を妻の吊しし位置に吊る

 ともあれ、愚生好みのいくつかの句を以下に挙げておきたい。

   冬夕焼この色誰か死にたるか
   掛け替へてはや風癖の夏のれん
   動かせば火鉢に爺がついてくる
   鳴りづめの風鈴の舌すこし切る
   楪や山国の日の遍満に
   銃眼で見る横須賀の冬鷗
   石たたき叩き回りて川暮れぬ
   隠れん坊のやうに人逝く年の暮 

 伊藤伊那男(いとう・いなお)、1949年長野県駒ケ根市生まれ。



★閑話休題・・・
 先日、都内に出たついでと言っては恐縮だが、愚生のブログに写真をいただいている葛城綾呂の写真のひとつがが「フォトパスグランプリ2018 1st ステージ写真展」7月20日~25日(於:オリンパスギャラリー 東京新宿)に入選して飾られているというので、立ち寄った(写真ではコードネームがあるらしい)。葛城綾呂(これもすべてペンネームだが)は愚生と同県生まれ、亡き大中祥生に、俳句の才をかわれていたらしい。かつて「未定」の創刊同人仲間でもあった。彼の写真(上段中央)の題は錦鯉①だったが、被写体は紅葉した葉である。愚生と同齢なれど、息災に病はいろいろ飼っているらしいが、愚生より様々な面で、はるかに明晰である。



撮影・葛城綾呂 アブラゼミの羽化↑


2018年7月23日月曜日

宮﨑莉々香「ねむる鳥しりとりしりとられつづく」(「オルガン」14号より)・・

 


 「オルガン」14号(編集・宮本佳世乃、発行・鴇田智哉)の鼎談は「『わからない』って何ですか?」、愚生と浅沼璞と宮﨑莉々香。この普遍的な問いとも思える問いに、愚生は、よく答えられていると思えないけれど、具体的には、

(前略)
宮﨑 大井さんと私とで、「わからない」が決定的に違うんだな、ということが分かった気がします。今あげられた句の意味は取れるじゃないですか。「わからない」って、そういうことじゃない気がするんです。たとえば〈ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一〉の「ぽ」のあり方は、意味ではないですよね。だからこの「ぽ」が「わからない」というのはわかる。でも、〈たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典〉の「ぽぽ」は「たんぽぽ」があるからその文脈できている。つまり「わからない」のありようが違う。(中略)
鴇田 たいていの五七五の言葉は、意味が取れる。無理をしようが、しまいが意味が取れないということはまずないのでは。
宮﨑 「ぽ」が「光」を発している、とか意味を決めるのが読者だということです。「わからない」ってそういうことだと思うんです。何で今日、「わからない」の話をしようとしたかっていうと、もともと気になっていたっていうのもあるんですが、オルガンへの批判として「お前らの俳句はわからない」というのがあったからです。

と話されたことや、別のところでは、

浅沼 青畝は「俳句は言葉です」と言って、季語だとは言わなかった。伝統派の人は、季語が大切だって言ったときに本意本情が大事というが、たとえば、復本一郎さんが俳諧的視点から本意本情と言うのと、虚子以降の俳人が言うのとは当然違ってくる。季語は約束事として使っていることが多い。大方は、本意本情が共通認識になっていないんじゃないかな。
宮﨑 季語が大事っていうのは、もう季語が大事ということが形式化して空洞化している議論ですよね。

 と俳句にまつわる現状について、しごくまっとうに批判している(さらなる興味のある方は本誌を是非お読みください)。

 他に、浅沼璞と柳本々々の往復書簡が4回目を迎え、今回は「〔8〕柳本々々から浅沼璞さんへ」で興味尽きない展開となっている。鼎談で田島健一の句についての引用をしたので、ここも彼に登場してもらおう。

 わたしは田島さんの俳句を読む機会をいただいて短詩の認知についてかんがえはじめました。田島さんの俳句は、ひとが俳句を俳句として認知するしゅんかんはどういうしゅんかんなんだろう。そのことをずーっと俳句によってあらわしつづける、そしてあえて失敗しつづけているのだとおもうのです(もし成功したらそれは認知の実践としては逆説的ですが失敗になるとおもうんです。ですから、ここでは失敗しつづけることが重要なのだとおもいます)。

 と柳本々々はしたためている。なかなかいい語りだと思う。ともあれ、本誌より一人二句を挙げておきたい。

   日暮れY染色体に車輪の音      福田若之
   水の五月笹薮に仕草の交じる
   麦からだよりみちばかりしてさびし 宮﨑莉々香
   鵜を羽ペン持ちかたに線あらはれる
   玻璃ごし捩花へゆび波へゆび    宮本佳世乃
   夕焼のだんだん首になるダンス
   あじさいやひとりで扉削っている   田島健一
   泉辺を去る時がきて二人の手話   
   本を読みながらちらつく青みどろ   鴇田智哉
   歯の裏の砦を無人機が狙ふ  




          撮影・葛城綾呂 ↑
   

2018年7月22日日曜日

山田浩明「清冽を纏(まと)ひ裸足の魚となる」(第181回遊句会)・・



先日、7月19日(木)は第181回遊句会(於*たい乃家)だった。炎暑のなかに参集した呑んべえの連衆は、アルコールがじつは脱水作用があるというのを承知して(さすがに皆さん人生長くやっているだけのことはある)、まずは烏龍茶を注文し、水分補給をたっぷりして、すわ、ビールで喉を潤していた(ついに、一滴も飲めなくなった愚生は、未練たらしくノンアルコールビールに烏龍茶)。ともあれ、三句が最高点を分け合い、そのうち2句を山田浩明氏がさらってしまい独り勝ち、さらに他の句も加点され、総合点では他を圧して、群を抜く結果になった。同点最高で奮闘したのは植松隆一郎氏。
 以下に一人一句を挙げておこう。兼題は裸足・焼酎・西日。

   凪(なぎ)の街西日へ向かうバス焦げる  植松隆一郎
   大西日壁に染み入る罵詈雑言        山田浩明
   選手村群れるクレーンや大西日       石原友夫
   畳部屋西日に祖父の古書が蒸す      春風亭昇吉
   末期の水に焼酎二滴魂に翼(はね)   たなべきよみ
   崩れ落つ山肌に酷(むご)き西日かな    渡辺 保
   指ひらき裸足うれしや寄せる波       武藤 幹
   職退いてひねもす裸足の心地良さ      橋本 明
   午後四時の焼酎氷のエッジたつ       石川耕治
   汗と泥疲れと不安に西日刺す        前田勝己
   三畳間西日にうだる早稲田裏        川島紘一
   裸足とはアグネスラムと共にあり      石飛公也
   ぺディキュアの素足競いし乙女らよ    中山よしこ
   あんにゅいに素足はそこに置かれしか    大井恒行

☆欠席投句・・

   なわとびの回競ふ子みな裸足        加藤智也
   西日差す水面を揺らす漁師網        林 桂子
   きらきらと埃踊らす西日かな       原島なほみ



 上の写真は、7月16日の愚生のブログで法然院・谷崎潤一郎の墓、川田順に触れたものに、渡辺保(染々亭呆人)からいただいた写真↑。

 次回は、8月16日(木)、兼題は天の川・衣被(きぬかつぎ)・蔦(つた)。



          撮影・葛城綾呂 スッポン産卵中↑

     
   

2018年7月21日土曜日

村山栄子「馬の名はマルク・シャガール冬薔薇」(『マーマレード』より)・・

 

 村上栄子俳句とエッセー『マーマレード』(創風社出版)、書名の由来については著者が、

 幸せをかたちにすると、あの「マーマレード」のような色つやでは、と思っていることから。

 と記している。因みにマーマレードの句もいくつかある。

   バター派とマーマレード派柿若葉      栄子
   小鳥来るマーマレードの壜は空
   希望とはたとえば冬のマーマレード
   
 そして、本書には、扉に次の献辞がある。

   この本を亡き友、奥本郁子さんに捧げます 

 本書中「夾竹桃」のエッセイにはとくに惹かれた。

 「六二三、八六八九八一五、五三に繋げ我ら今生く」。
 朝日歌壇賞を受けた西野防人さんの一首だ。六月二十五日の朝日新聞コラムには「八六と八九は広島と長崎に原爆が投下された日、八一五は終戦、五三は新憲法施行の日と分かった。では冒頭の六二三は・・・・。」と言葉が続く。(中略)
 昭和五十年前後の大学生活。平和記念公園にも何度か足を運んだ。公園の横を流れる本川。その両岸に七月頃になると白やピンクの、また真紅の美しい花が咲く。九月ごろまで咲き続ける。
 原爆の焦土にいち早く咲いた花として知られる夾竹桃。ピンク色が目にしみる。

 六二三とは、昭和二十年六月二十三日、本土決戦にいたる前、沖縄での地上戦が終結した日、沖縄慰霊の日である。敗戦日8月15日のほぼ2ヶ月前。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておこう。

  春立つ日貫之が来て万智ちゃんも
  ペットなんてやってらんねぇ恋の猫
  いつの日かこの虻のひとつがワタシ
  緑さす八幡さまの文庫かな
  新茶汲む母のま白き割烹着
  恋人は時にたんぽぽ時に犀

 村上栄子(むらかみ・えいこ)、1953年、兵庫県生まれ。

        

2018年7月20日金曜日

中濱鐡「菊一輪ギロチンの上に微笑みし黒き香りを遥かに偲ぶ」(『菊とギロチン』より)・・



 瀬々敬久監督作品『菊とギロチン』(於・テアトル新宿)、ワイズ出版社主・岡田博の招きで、昨夜、遊句会の帰りに最終の上映時間に駆け込んだ。三時間ちょっとの上映を終わると午後11時近かった。
 つづめていえば、関東大震災直後の、朝鮮人虐殺、大杉栄虐殺をめぐる報復を計画するギロチン社の中濱鐡を中心に、昭和三十年代近くまで興行された「女相撲」との出会いと、その神聖なる土俵には、権力に対する抵抗があったことも描かれている。本質的に描かれているのは、当時の世情と若者の日常であるが、観客の客層は愚生のときだけかもしれないが、意外に白髪の翁、媼の高齢者の方々が多かった(愚生もそのひとり)。
 絶対自由のアナキズム、いずれにせよ、何んらかのしがらみのなかにとらわれている「女一人を救えないで、何が革命だ!」と叫びつつ、民衆のアンビヴァレンツな天皇陛下万歳のバンザイ!の挙げた手に虚しい悲哀がこもっていた。
 中濱鐡と古田大次郎。中濱鐡(哲)は、1924年「労働運動」の大杉栄・伊藤野枝追悼号に「杉よ!目の男よ!」という詩を寄せている。あるいは、獄中で自裁する酔峰・和田久太郎には次の辞世句が残されている。

   もろもろの悩みも消ゆる雪の風     久太郎(昭和3年没、享年36)

 また、大杉榮には、大逆事件により幸徳秋水以下12名の処刑が行われた、明治44年、生き残りの同志たちの茶話会で、

   春三月縊り残され花に舞ふ     榮

と詠んだ句がある。



           撮影・葛城綾呂 カラスウリの花↑
          

2018年7月18日水曜日

田巻幸生「三日月の雫のような花が咲き 茗荷の香り古稀近き恋」(『生まれたての光』)・・



 田巻幸生エッセイ集『生まれたての光ー京都・法然院へ』(コールサック社)、心に沁みる解説は淺山泰美「うつくしい奇跡」、その結びに、

 三十歳までしか生きられないだろうと言われた幸生さんは、この三月、めでたく古希を迎えた。医師からは奇跡だと言われたそうである。うつくしい奇跡はきっと、この先も続いてゆくに違いない。

 とある。そうした病に加えて、著者の「三月九日ーあとがきにかえて」では、

 ニ〇一一年、高校の司書を退職した年に死と対峙する手術を二度した。やっと起き上がれた翌年、八千代市のエッセイの会と、ふるさと、京都に本部があるという理由だけで短歌結社「塔」に入会した。この六年間に書き溜めた文、短歌、写真をと欲張った本になった。

 と記されている。本書には、エッセイの最初に著者の短歌が多く添えられており、ブログタイトルに挙げた歌には、以下のエッセイが続く。

(前略)法然院。谷崎潤一郎の墓がある寺で有名だが、潤一郎の墓のすぐ近くに、歌人で実業家の川田順の墓がある。(中略)妻を亡くされ六十三歳の時に、短歌の弟子として鈴鹿俊子と出逢う。彼女は京都帝国大教授夫人で三十六歳。三人の子供の母であった。姦通罪がある時代、若い俊子の情熱に押されて二人で出奔。当時、皇太子の短歌指導者であり、三大新聞歌壇の選者でもあったので「老いらくの恋」と新聞に書き立てられる。彼は恋を終わらせようと自殺を計る。それも法然院の妻の墓に頭を打ち付けたそうだが、友達が駈けつけて未遂に終わる。俊子の離婚が成立し、一九四九年、順、六十八歳、俊子、四十一歳。京都を離れ子供を連れて結婚生活に入る。

 愚生は、18歳から3年間、京都は百万遍の学生寮で暮らしたことがある。法然院には、散歩がてらに、よく行った(当時は、哲学の道も整備されておらず、拝観料もなく、訪れる人も少なかった)。雪の降る日、その雪景色も素晴らしかったが、谷崎潤一郎の墓(確か「寂」の文字が刻まれていた)の前で、夫人の谷崎松子に偶然お会いした。お供の人が一人おられたが、愚生は、その墓前にいたにすぎないのだが、お参り有難うございます、と挨拶されたのをよく覚えている。四季折々、紅葉も格別だった。もう50年も昔の話だ。ともあれ、本書中よりいくつかの歌を挙げておこう。

  ふるさとのおけら火廻す初夢の八坂神社の父母若し      幸生
  路地路地に虹の切れはし確かめて府庁前にて虹に追いつく
  歳月が葡萄のように熟れてゆくつかめぬ風を追いかけるうち
  朝七時「生きてるぞコール」の九年半父の電話は二月に途絶え
  ハイハイからバイバイまでの人生を忘れたふりして花殻を摘む
  公演のベンチはどれも剥げたまま雲の数だけ影がうごめく(コニーアイランド)
  岩々より湧き上がりたる風の音は三億年まえの海のさざ波(ラスベガス)

田巻幸生(たまき・さちお)、1948年、京都市生まれ。


2018年7月17日火曜日

佐山哲郎「果てしなき欲望を観る祖父とゐて入谷金美館便所臭いよ」(「塵風」第7号)・・



「塵風」第7号(塵風句会編集部発行、発売・西田書店)の特集は「映画館」、インタビューは、「ハビイ氏が語る 新宿昭和館の日常」。ブログタイトルに挙げた佐山哲郎の一首には、以下の前書がある。

 祖父は好きだった(と思う)。上野あたりの娘義太夫にも通っていたが、それが下火になったのか、小学生の私を出汁にして入谷金美館に私を連れていった。演者はなんと今村昌平の果てしなき欲望。青年長門裕之を誘惑する渡辺美佐子の色気に目を瞠った。

  果てしなき欲望を観る祖父とゐて入谷金美館便所臭いよ

 写真やイラストもふんだんなので、愚生のようなあまり映画館に通ったことのない者にも楽しめる。といはえ、愚生にも思い出がないわけではない。二十歳代なかば、下は店舗になっている三鷹駅前の団地に住んでいたころのことだ。ごく近くにあった三鷹オスカー?に仕事の休みの平日に暇つぶしに幾度か入った記憶があるが、見た映画は覚えていない。もう一つは、飯田橋は佳作座での解雇撤回闘争をしていた争議団の支援の、抗議申し入れ行動でけっこう行った記憶だけがある。遠い昔の話だ。
 本特集の記事の多くに共感させられたが、とりわけ、久保隆「『映画』をめぐる共同性の場所」に、

 歌舞伎というものは、わたしは観劇したことはないが、芝居の中で役者の通称名が客席から発せられるようだが、むろん、当時の文芸坐や昭和館の観客たちは、誰も歌舞伎座を観劇したことはない、といい切っていいと思う。例え清順映画に、歌舞伎的様式美があったとしてもだ。

というあたりの、挑発的なものいいには、思わず納得させられた。愚生もそうだったからにすぎないが・・・。ともあれ、以下に同号よりの一人一句を挙げておきたい。

  歌舞伎町一丁目一番地嫁が君        啞々砂
  あやとりのこの娘飽かずや花の雲      亞羅多
  中横と躑躅閉じつつ常世かな       井口吾郎
  三月の対話がうまくいかぬチェロ     井口 栞
  階段をヌードの降りる春の暮        伊 豫
  息白しラインダンスの端のひと      笠井亞子
  明日死ぬよと九官鳥は言わず       かまちん
  風飼いのかいやぐらから薄狼煙       ことり
  凍て窓を開け放ちたる幸福論        虎 助
  うらゝけし掃除当番だろお前       小林苑を
  余生とは期日なきもの初硯        小林暢夫
  「また独りごと言ってるし」言ってるし 近藤十四郎
  父の日のぼんやりかかる月の暈      斉田 仁
  みながみなみなしでいへばみなしぐり   佐山哲郎
  擦れ違うマスクの女みなふたえ       子 青
  春の夜の廊下が濡れてゐて怖い       月 犬
  白髪の息子がつくる蕪汁          貞 華
  春先の志村坂上女子多し          東 人
  ハクモクレン夜が余白へ流れ込む     長谷川裕
  木が切られ寒く晴れ             温
  革命の話枝豆尽くるまで          風 牙
  沙羅の花咲くここにをりいちにちをり    振り子
  アフリカやオクラを切れば星がある      槇
  啄木の酸ゆきサラドよ初夏よ       皆川 燈
  睡蓮の家まづ描いて街の地図       村田 篠
  病棟にマグロ解体ショーのデマ       喪字男
  吹かれてはたんぽぽたんぽぽから自由  山中さゆり
  いつまでとこの湯たんぽに問うている    由紀子
  新居者の鍵かけて出る春のをと       ラジオ



2018年7月15日日曜日

河内静魚「風船の不安なかるさ持たさるる」(『夏夕日』)・・

 


 河内静魚第6句集『夏夕日』(文學の森)、集名の由来は巻頭の句、

   美しきところへ涼む夏夕日    静魚

そして、「あとがき」には、

 句集名の「夏夕日」は、そんな都心のぶらつきの中から浮かび上がった。夏夕日の色彩の氾濫は、自由で気ままな身に、こよなき観想の場を提供してくれた。不思議なのだが、季語もいきいきと呼吸する。はるかなる憧れの海原、山野、京都、淡海が、目の前に浮かび上がる。そして、過ごしてきた月日を忘れメルヘンに遊び、少年の頃に戻ったりもした。都心の夕日の光と影が、幻のようにそのような四季の自然を呼び寄せてくれたのである。

と記している。河内静魚は自宅(港区白金)が再開発によって、新しい住まいができるまでの5年間を文京区千駄木に住むことになったのだという。いわば、都会の真ん中で幻視の旅を句の世界にしているのだ。
 ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  流さるることをしづかに秋の雲   
  海見えてすこし揺れたり発電車
  鶯餅の尻だか腹だかよく伸びる
  羅や鏡がはりの他人の顔
  来る水と去る水秋の川とんぼ
  次の波あひだを置かず寒かりし
  見えてこそ淡海はよけれ初諸子
  春二番その頃よりのものおもひ
  紙折りて夜の深さよ素逝の忌

河内静魚(かわうち・せいぎょ)、1950年、石巻市生まれ。
月刊「俳句界」(文學の森)7月号より、編集長に就任。



2018年7月14日土曜日

小中英之「風立てば風を朋とす含羞の花うすくれなゐの国籍知らず」(『ユーカラ邂逅』)より・・



 天草李紅『ユーカラ邂逅ーアイヌ文学と歌人小中英之の世界』(新評論)、愚生はといえば、副題に記された「アイヌ文学と歌人小中英之」に、愚生の若き日、小中英之歌集『わがからんどりえ』を手にして以来の、その歌のいくつかを思い出すためのよすがであって、それにまつわるもろもろに興味があったのだけれど、それだけではない著者・天草李紅のアイヌ文学に向けられた眼差しに深く射られたのである。その第Ⅱ章の「途絶の足音 佐々木昌雄ノート」の最期に記されたことが、本著の内容をよく言い当てているように思えるので、以下に引用する。

(前略)本書でとりあげてきた違星北斗(いほしほくと)もバチラー八重子も森竹市(もりたけたけいち)(本書一九三頁4参照)も鳩沢佐美夫も、北海道の文献にはかならず出てくるのに、日本の文学史に掲載されないのは、かれらがアイヌの文脈のなかでしか語られていないことを意味する。知里幸恵(ちりゆきえ)の『アイヌ神謡集』(本書一六一・二〇六頁参照)の日本語訳が「翻訳自体の美しさ」において賞讃されたりすることと、それは軌を一にしていると佐々木は言う(「鳩沢佐美雄の内景」『コタンに死す 鳩沢佐美雄作品集』新人物往来社)。つまり文学作品の評価においても日本のあり方が問われているのであって、佐々木の評論は、これまでアイヌの文脈でしか語られなかったものを、日本の問題としてとらえなおすという意味をもつよく担っていたはずである。 

 そして、「まえがき」には、

 小中英之の透明な短歌の向こうには、アイヌの自然が息づいている。
 かれがアイヌゆかりの北海道平取(ぴらとり)の地に暮らしたのは、少年時代の一時期だが、その出会いはけっして行きづりのものではなく、そこから出発し、またそこへ戻ってくる、そういう性質をもった宿命的な場所のように感じられた。(中略)
 そういうものを、小中は「約束」という名で呼んだように記憶する。小中英之にとって、そこは最後の希望の砦だったのではないだろうか。
 
と述べられている。また、巻末には、当時の状況を知るてだてにと「本書関係年表」が「近代アイヌ文学の流れ」「近代短歌の流れ/小中英之年譜(太字)」「参考事項」として示されいる。その年表によると、『わがからんどりえ』(角川書店)は1979年に上梓されている。愚生が、吉祥寺駅ビルの弘栄堂書店に勤務していた頃だ。その前年には小池光『バルサの翼』、さらに前年は永田和宏『メビウスの地平』や同時代には福島泰樹、河野裕子、佐佐木幸綱など、愚生が興味をもった短歌集が目白押しだった時代でもある。
 ともあれ、本書のなかよりいくつかの歌を以下に挙げておこう。

  蛍田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり  英之
  はなやぐにあらねど秋のまぼろしを魚ら光りてしきり過ぎたり
  月射せばすすきみみづく光りほほゑみのみとなりゆく世界
  小海線左右(さう)の残雪ここすぎてふたたび逢ふはわが死者ならむ
  中生代白亜紀ふみてたまきはる蜂起にかけし死はも反るべし
  ハヨピラの丘に雪降れまむかえどすでに神(カムイ)の顕ちがたくして
  少年の日におぼえたるユーカラのひとふし剛(つよ)き救ひなりけり

天草李紅(あまくさ・きこう) 1950年生まれ。



2018年7月13日金曜日

東徳門百合子「父母に焚く紙銭の嵩や秋彼岸」(「澤」7月号より)・・



「澤」7月号の特集は「俳句とアニミズム」である。執筆陣は坂口昌弘「日本文学を貫通するものはアニミズムなり」、高橋和志「松本たかしと能」、上田信治「波多野爽波ー原始彫刻と怪人の笑い」、関悦史「死と変容の充足ー永田耕衣のアニミズム」、柳元佑太「田中裕明ー言葉に棲むアニマと遊ぶ」、田中亜美「少年・狼・東国抄ー金子兜太のアニミズムをめぐって」、望月とし江「アニミズムと擬人化」の錚錚たるメンバーの他に、「澤」同人の方々の「俳句と一句鑑賞」などが誌面を飾っているが、もっとも面白く読めたのは、対談という気楽さもあろうが、中沢新一VS小澤實「相即相入の世界ーアニミズム俳句を読む」であった。読みどころ満載なので、興味のある方は、本誌を手にとってもらうのが一番だとおもう。が、対談のなかでごく一部だが、以下に引用する。

 中沢 (前略)長々と話をしましたが、芭蕉の時代、元禄期のいろいろなものを見て行くときには、今の常識で見てはいけないということが非常に重要です。〈伊勢〉と言ったら、今は皇室の重要な場所で国家神道の中心だと思いますが、芭蕉はそうは思ってないですからね。第一、国家のことは考えていない。徳川さまの世という風には思っていたでしょうけれど。そういう時代に芭蕉の句を解釈するときにはタイムトリップするべきです。伊勢と聞いたら「ふふっ」と思わなくてはいけないし(笑)蓬来と聞いたら、「ああ、こういう形ね」(笑)って思わないといけないのではないでしょうか。それが、アニミズムというものだと思うのです。(中略)
小澤 正岡子規以降が本当の俳句で、それ以前のものは別世界のものだという考え方の人もいます。貧しいことだと思いますね。
中沢 それは明治以降の神道を見て、あれが本当の神道だと思っているようなものです。で、はだか祭りなどを見ると、こんなのは神道じゃないなどと言うのでしょう。ところが、どっこい、逆なんだよね。

 ところで、ブログタイトルにあげた東徳門百合子(ひがしとくじょう・ゆりこ)の「父母に焚く」の句は、東徳門百合子が「第5回澤叢林賞」を受賞しているうちの一句である。それにしても東徳門を「ひがしとくじょう」とは、まず沖縄の人以外には読めないと思うが、彼女は沖縄出身である。数年前に、ある処で、その昔、愚生が少しだけ関わっていた労働争議の当該者だったことを知ったのだった。まさか俳句などという夏炉冬扇の器をたしなんでいるとはつゆ思わなかった。お祝いの意味をこめて、受賞作のなかから、いくつかの句を以下に挙げておこう。

   騎馬戦のわれは馬なり太り肉     百合子
   秩父祭男衆(おとこし)の化粧濃し
   総務部へ妊娠届出す小春
   死ぬ父に母が接吻夜の梅
   椅子の脚つかみ立つ嬰桃の花
   
 また、同号の「同人二〇一七年の一句」から、愚生のちょこっと知り合いのよしみの方の句を挙げさせていただく。

   硬貨入れ灼けし遊具に跨りぬ        相子智恵
   葉桜や鋲に閉ぢたる検死創         池田瑠那
   ネアンデルタール以来なる鬱冬籠      小澤 實
   まないたに豚カツ切るや花の昼       押野 裕
   奔馬性結核の友白きシャツ         梶等太郎
   別れるまへの変顔やめよ冬紅葉       榮 猿丸
   全焼す木造一部二階建           林 雅樹
   ジェットコースターに叫び流行風邪治す   東徳門百合子
   うち揚げられし魚(うお)へ夏蝶とめどなし 堀田季何
   心臓スカラベ付き胸飾(ベクトラム)青冷ゆる  望月とし江