2017年5月22日月曜日

関悦史「報道自由六十一位目借時」(『花咲く機械状独身者たちの活造り』)・・


           俳句ユニットSST(榮猿丸・関悦史・鴇田智哉)↑
          

御礼の挨拶・関悦史↑


           花束贈呈の宮﨑莉々香↑


          左後ろにちょこっと写っているのは、ふらんす堂・山岡有以子。
          関悦史・池田澄子・もてきまり、背後は愚生↑ 

 昨夜は渋谷のクラブマルヤマ59に於て、関悦史の二冊の著書『花咲く機械状独身者たちの活造り』(港の人)、『俳句という他界』(邑書林)の出版記念会が行われた。
 会場は子規庵のようにラブホテル街の一角にあり迷いながら、たどり着いたところに佐藤文香がいて、3階です、というので、エレベーターなく年寄りにはいい運動になる階段を登ったのだった。
会場はすでに人で溢れていたが、池田澄子、また関悦史の保護者だという、もてきまりが居て、久しぶりに駒根木淳子、山下知津子、四ッ谷龍、岸本尚毅、津髙里永子、鳥居真里子、対馬康子、西原天気、阪西敦子、村上鞆彦などにも会った。とはいえ、それ以外はほとんど、愚生の面識のない若い人たちで溢れていたのが印象的だった。
 俳句の時代も愚生に関係なく世代交代が勝手に進んでいるようで、すこし嬉しい気持ちになった。
 途中、俳句ユニットSST(榮猿丸・関悦史・鴇田智哉)のパフォーマンスと映像があって、面白く、楽しく過ごさせてもらった。

    皆既月食見上げわれらも供物なる     関 悦史
    ここに不意に線量機付き精米機建つ片蔭
    蟬氷痼(せみごおりひさしくなほらないもの)




  

2017年5月21日日曜日

高橋龍「作者(つくりて)は読者(よみて)をなげく秋の夜」(「人形舎雜纂」・続)・・



「人形舎雜纂」(高橋人形舎)は高橋龍の個人誌だが、その博覧強記には、いつも驚嘆している。高齢と病体をおしてなお軒昂に限りがない。それぞれの文は彼の来し方をも伺わせている。「あとがき」には、

 「親指聖母」と「対照的あべこべ」は、昨年夏以降に書いた。その後に句控『名都借』を編んだところで十一月の夜半に肺気腫と肺炎の併発で緊急入院。年末近く退院したが、酸素ボンベからチューブで酸素を吸入しての生活になった。しかし、『名都借』上梓して発送。年初からは「道行」始末、と「遠くて近きもの」を書き上げ、併せて句控「番匠免」をまとめた。三ヶ月に満たない日数なので共に不出来である。不出来といえば、むかし髙柳さんが、とにかく書け、結果については、不出来であると言えばよい。と笑って話されたことがある。(中略)
 以前、わたしは「季語」は催事=イベント。「季題」は儀式=セレモニー。とどこかに書いたが、さらにこの、様式化された自然を「季題」につけ加えたい。
 このようなもの、今後もだせるかどうか。それはわからない。
             平成二十九年四月一日

とある。記した日が万愚節、これも高橋龍の流儀だ。ともあれ、綿密に調査された長文ばかりなので、あとは直接に本文にあたっていただき、ここでは「句控・番匠免」からいくつかの句を以下に挙げておきたい。

  初御空落日はやもはじまりぬ      龍
  春立つや願ひましては五円也
  蚊帳を出て袖を通すはよろけ縞
  初あらし場の闇時の闇かさね
  土下座して拝(おろが)む蛇の入る穴
  三橋忌松山心中(まつやましんじゅ)頬冠(ほつかむり)
    注:「松山心中」は松山在住の谷野予志から三鬼へ、
    三鬼から敏雄へ。部屋の明かりを消してろうそくの灯で歌う。
  二・二六東京マラソン雪降らず
  下腹部のYの字ゆるめ失禁(おもらし)
  お互いに見せあふ奥処ももすもも




2017年5月20日土曜日

岸本マチ子「うりずんのたてがみ青くあおく梳く」(『沖縄歳時記』より)・・



沖縄県現代俳句協会編『沖縄歳時記』(文學の森・2800円+税)、帯には、

 沖縄の季節感に即した歳時記 
 「うりずん」「若夏」など、沖縄地方特有の季語を含む2800の季語と、9000以上の例句を収録

★独特の民俗・文化ミニ解説(「屏風(ひんぷん)」「ニライカナイ」他)
★季語に新かな・旧かなのルビ★巻頭に季語の50音順総索引

とある。例をあげると、「うりずん・おれづみ・うりずむ・うりずみ」の説明には、

 琉球語の古語辞典『混効験集』によると「おれづんは(旧)二・三月麦の穂出るころ」とある。農作物の植え付けにほどよい雨が降るので大地の豊穣をもイメージさせる言葉であり、したがってうりずみは「潤(ウルオイ)積(ヅミ)が訛ったのではないかといわれている。

部立は春・夏・秋・冬・新年・無季。付録には、那覇の気象データ平年値/那覇と東京の平均気温/沖縄地方地図とともに・読みにくい地名などが掲載されている。

まるで、現代俳句協会70周年に合わせて、記念事業のひとつとして出版された印象すらもつ。たぶん数年を費やした労作だろう。

以下にその労作を編集した委員の一人一句を挙げておきたい。

  春空の真中にありて水になる    安谷屋之里恵
  後ろ手に通勤鞄花菜風       池田なお
  春ショール胸に鎌匕首しのばせて  池宮照子
  揚雲雀電光石火の急降下      親泊仲眞
  葉桜の折れた伊江島激戦地     嘉陽 伸
  紙銭(うちかび)というあの世の銭の青火せり 岸本マチ子
  製糖の煙立ちたり春の潮      真喜志康陽
  虫出しの雷コーヒーはブラックで  宮里 晄



2017年5月19日金曜日

金行康子「ゲルニカの前に園児の夏帽子」(『母より』)・・



金行康子句集『母より』、エッセイ集『母より』(緑鯨社)は、二冊の文庫本仕様である。句集装画は駒井哲郎、エッセイ集装画は銅版画・彼方アツコ。句集名は、

  冬深むつくづく母より生れしこと   康子

句に因む。エッセイ集の方の「あとがき」には、

 平成十九年にエッセイ集『母をめぐる・・・』を出しましてから十年がたちました。母を見送りました。その前後の何篇かを残しておきたいと思い、緑鯨社の柴田さんにお願いを致しました。

とある。33編のエッセイが収められているが、「母をめぐる」の章は、とりわけ心に響くものがある。もちろん、他に「俳句・本・あれこれ」「くらしのなかで」の章もある。愚生は俳人だから、自然に「俳句・本・あれこれ」の章に目がいくのだが、桂信子についてや「俳人の生き方」の項では、瀬戸内寂聴のことに触れながら、ともに「春燈」の俳人であった稲垣きくのと鈴木真砂女について述べ、「どちらの人生に寄り添うか、と聞かれたら私なら稲垣きくのを採る」と言い、

 今、二人のどちらかと珈琲を飲むとしたら私は稲垣きくのさんにする。きいてみたいことがあまたある。想念の中で冷めた珈琲をひとくち啜る。窓外は、雪がますます激しい。

と記すあたりは、著者の好奇心のありようを窺えて興味深い。エッセイも句も良く、金行康子の生き方をよく表現していよう。句集の序文は山本つぼみ(「阿夫利嶺」主宰)、その句集のなかからいくつかの句を以下に挙げておきたい。

  喜雨一刻まさかの時の荷はふたつ    康子
  風耽は賢治の俳号桜降る
  冬深み尾のあるものを愛しめり
  水芭蕉まだ花でなく葉でもなく
  冬の夜足音までが母に似て
  パリにテロけふ黄落のすさまじき
  遠霞異国となりしままの島
  針穴に春待つひかりとほしけり 

金行康子(かねゆき・やすこ)1950年、北海道新十津川町生まれ。




2017年5月17日水曜日

前川弘明「小春日の女神は青い笛を吹く」(『緑林』)・・



前川弘明第5句集『緑林』(拓思舎)、著者「あとがき」に以下のように述志されている。

  俳句を詠むということは、基本的に有季定型という俳句の器に依って詩を書くということであるが、詩の心はいつも俳句の器から溢れようとする。だからそれを堪(こら)えなだめつつ器のなかに収めようとするのだが、なかなか思うようにいかないときがある。そのようなときは詩の心のために定型の器に少々の余裕を許して俳句を書く。とにかく、作品は通俗であるまいとおもう。そして平明でありたい。

愚生のようにすでに詩心枯渇している者にとっては、いささか羨ましいような気のする心ばえである。その意味では、ブログタイトルに挙げた「小春日の女神は青い笛を吹く」は、いまだ若々しい詩心溌剌たるものがある。通俗におちいらず、句に深みがあり、かつ平明であることは実に難しい。
句集名となった「緑林」もただに木の葉青々として、青い林ということだけでもなさそうである。前川弘明なら、中国史書による窮民を緑林山に集め群盗となった、こともまた示唆しているのではなかろうか。詩心には善のみが宿るわけではない。しかし、この緑林の群盗には義賊のにおいもしないではない。
ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

   大根洗う地球の暗闇から抜いて    弘明
   寒林を出る水滝になりにゆく
   なんじゃもんじゃの花咲き被爆者我が住む
   金雀枝やどこへともなく人の列
   雷鳴がピアノの上を通りけり
   葉先まできて空蝉になりました
   林檎紅し今朝のちからにて掴む
   眠るまで止まぬつもりの雪がふる

前川弘明(まえかわ・ひろあき)、1935年長崎市生まれ。




   

2017年5月16日火曜日

「日本はもう戦争はしないのよ・・・」(佐々木通武『影絵の町』より)・・



佐々木通武・短編小説集『影絵の町ー大船少年記ー』(北冬書房)、19編の短編が収められている。「あとがき」には、戦後の幼少時代を過ごした町が舞台になっているという。そして、「想像の息を吹き込み、発酵して湧き出た気体にくるんで、ふうわりと今の世に浮かべてみたい、そんな気持ちがあったように思う」(「あとがき」)と記している。
 そのうちの一篇「11、ふりさけみれば」には、百人一首の安倍仲麻呂「あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも」の札をとるためにのみ、少年は集中する。結果として他の札をまったく取れないのだ。
 ある時、半島の東側に面している軍港の記念館に遠足で行き軍艦に乗る。その軍艦にまつわる英雄譚を聞く度に、自分もいつか死ななければならないと思うと、怯えを感じる。その時の母の話が「日本はもう戦争はしないのよ・・・」の言葉なのであるが、それでも作中の少年には怖いのだった。その結びは、

 「あまのはら・・・」
 と聞こえた瞬間だけは体が瞬時に反応した。「あまのはら」の「ら」まで声がいきわたる前に、彼は「はあい」と大声を出して威嚇し、周りを押しのけて一気に札をはじいた。この勝負、負けるわけはなかった。
 当然かれは、百人一首で勝ったことはない。

 ところで、記された著者略歴によると、1944年現中華人民共和国北京市鉄匠胡同に生まれ、戦後引き上げて鎌倉市大船に住むとある。愚生が彼を知ったのは、職場の争議の際の相互支援の一環で、他の争議団支援行動をしていた現場だ(愚生は充分に支援したとは言いがたいが・・)。すでにその頃柴田法律事務所の解雇争議を数十年にわたって、たった一人で戦っていたのが彼、佐々木通武だった。その一部始終は『世界でいちばん小さな争議ー東京中部地域労働組合・柴田法律事務所争議記録編集韻会編ー』に纏められている。その長い解雇闘争(約40年間)の合間に、彼は句集を数冊(一冊には短歌も入集している)上梓している。
 確か二番目の句集が『監獄録句(かんごくろっく)』(私家版・2000年刊)、1998年刑事弾圧を受けて逮捕拘留されたときのものである。三冊目が『反射炉』(私家版・2007年刊)、その短歌篇には、

  いつよりぞ反テロ戦争きいたふうまがふかたなし治安弾圧    通武
  翔ぶことのなき鳥の年明け初むる確定判決その先の生

がおさめられている。因みに『監獄録句』からは、詞書のある句を記しておこう。

      ここでは差し入れのバラの棘も凶器として削り取られる
  棘なきも茎りんとして香る薔薇

      二番目の死刑執行
  また一人縊りし獄の冬朝餉

当時は、わが国における死刑制度反対運動もけっこう推進されていた時期だったように思う。




  

2017年5月15日月曜日

金子敦「月の舟より降りて来る銀の猫」(『音符』)・・



 金子敦第5句集『音符』(ふらんす堂)、栞文は杉山久子、金子敦とは四半世紀にわたり俳句文通を続けてきたという。それがいまだに続いているのはもちろんだが、金子敦の句稿には通し番号が振ってあって、現時点で五百八十になっているのだとか(「あとがき」によると)。どうやら金子敦という人は実に義理堅い人らしい。猫好きだというから猫の句はあるのは当然としても、杉山久子によると自称「スイーツ王子」、音楽好きでもあって、義理堅くそれらの句を多く収載している。
集名となった「音符」や音符を想像させる句だけでもけっこうある(いくつか挙げる)。

  封緘は音符のシール春隣          敦
  音符揺れ音符と触るる聖樹かな
  つくしんぼスタッカートで歌ひ出す
  三拍子で弾んで来たる雀の子
  白南風や楽譜に大きフォルティシモ
  春きざすメトロノームのアンダンテ
  まんさくやト音記号に渦いくつ
  巴里祭や楽譜の柄の包装紙
  丸刈りのボーイソプラノ星祭
  カスタネットまでたんぽぽの穂絮飛ぶ

  
 ブログタイトルに挙げた「銀の猫」は、著者にはめずらしく幻想的な句であろう。愚生は猫好きというわけではないが、かつて二十代の頃に「猫族ノ猫目ノ銀ヲ懐胎ス」(『秋(トキ)ノ詩(ウタ)』所収)と詠んだことがある。つまり猫には銀が良く似合うのだ。
ともあれ、以下には愚生好みの句をいくつか挙げておこう。

  膨らんでより風船の揺れはじむ
  十二月八日やシュレッダーの音
  酢の物に少しむせたる朧かな
  定員は妖精ふたり花筏
  湯豆腐に湯加減をちらと訊いてみる
  独り占めか一人ぼつちか大花野
  鉄条網ひとつひとつの棘に雪  

金子敦(かねこ・あつし)1959年、横浜市生まれ。