2019年7月16日火曜日

永島靖子「花野にて母抱きしことひたすらに哀しかりしが淡くなりしか」(『冬の落暉を』)・・



 永島靖子『冬の落暉をー俳句と日本語』(邑書林)、著者4冊目の散文集。第一章に「俳句時評」(「鷹」平成22年~2年間)、第二章に「俳句随感」(折々の随想・追悼文「鷹」に連載の「遠近往来」から)、第三章に「『鷹』編集後記(「鷹」昭和50年~55年)、第四章に「経歴一通」(総合誌の依頼による執筆に補筆)を収載してある。著者「あとがき」によると、書名は邑書林社主・島田牙城がつけたという。また、

 拙句に〈廃駅あり冬の落暉を見るために〉があるが、冬の字は、本書に先立つ拙著の題に夏、秋の文字を冠しているので、今回は冬。しかして、次なる春を期すという。

 と記されている。その季節の文字を含む著書は、エッセイ集『夏の光ー俳句の周辺』(書肆季節社)と随想集『秋のひかりにー俳句の現場』(紅書房)である。他に評論集『俳句の世界』(書肆季節社)があるので、女性俳人としては、同じ「鷹」で競われた飯島晴子同様に論作、両輪の作家であることがわかる。
 第一章「「俳句時評」は、著者自身も述べているが、「執筆時より十年近く経ち、何とも出し遅れの証文の感があるが、その頃の時代証言になる部分も多少はあろうし、執筆者としては、それなりの開陳した積もりもあり、それらを現今の俳壇状況に向けて発信しておきたく思うのである」(あとがき)といい、しかし、そこにはいまだ古びない指摘がなされている。そして多くは、これからの俳句を担うであろう若い世代に対しての希望を、期待を込めているのが、叱咤と激励になっていよう。
 その十年の時間の間隙には、「追記」として補筆されているので不自由はない。藤田湘子健在の「鷹」の記念会で、お会いして以来、お住まいが隣りの駅・西荻であったので、愚生の務めていた、今は無き吉祥寺弘栄堂書店にも、お顔を出されていたこともある。
ともあれ、本書では、最近に属する「情熱の句・歌集」の項を、以下に少しく引用しておきたい。それは、髙柳重信、楠本憲吉、塚本邦雄について書かれた掉尾の部分である。

  結論的に、私が何よりも感動するのは、三冊に通底する情熱及び自恃と抵抗の念である。前記塚本の「解題」の一部を引いてみる。

   われらは老いて行く。死者は永遠に若い。『隠花植物』は、『水葬物語』は、
   そして『蕗子』は若い。私達が魂まで老いるなら、これらの處女詩歌集も死者に
   なるだらう。

 ある時の高柳重信の眼差を私は忘れない。高柳宅で話がたまたま塚本作品に及んだ際、「ああ『水葬物語』は僕の・・・」と言いつつ遠い所へ柔らかい懐旧の眼差を向けられたことを。それは、平素の舌鋒の鋭さとは異質のものだった。
 スマホに見入る今日の青年達の胸にも、こうした熱い魂の生き続けていることを願う。
                         (「鷹」二〇一九年六月号)  

 少ないが、本書中の永島靖子の句歌から、

  汗と紙と万年筆や重信忌      靖子
  桐の花嘆きは薄き紙につつむ
  ゆふぐれの一睡深し松の花
  新聞紙大の春愁ありにけり
  さびしさも透きとほりけり若楓
  
  窓よぎる蝶よ小鳥よときどきは私の小さき怒りの的よ
  ほたほたと蛇(くちなは)に肩叩かるる詩歌の道のはるけきものを
  幾重にもたたみスカーフ一枚を死出の旅路の花冠とせむか
  
 永島靖子(ながしま・やすこ) 1931年、京城(現・ソウル)生まれ。


2019年7月13日土曜日

小島一慶「走り梅雨星野高士はうつむかず」(『入口のやうに出口のやうに)・・・



 小島一慶句集『入口のやうに出口のやうに』(ふらんす堂)、集名に因む句は、

  入口のやうに出口のやうに夏至      一慶

 である。序は星野高士、「序の付録」と題して阿川佐和子。少々長くなるが引用する。星野高士は、

 一慶さんとの出会いは、今も、三十年以上続いている「五色会」という、私にとっては、楽園のような句会の横浜吟行であった。何と言っても一慶さんは、私の青春時代を共に過ごさせていただいた、有名なラジオパーソナリティの草分け的存在。そんな尊敬している彼が、その時に、よく俳句という文芸に出会ってくれたと、神に感謝だ。又、出会うだけでなく、更に進化しつつ常に探求心を向上させて俳句に向き合ってくれているのは、大変に有難い事である。要するに、一慶さんは俳句が好きなのである。いや、好きを通り越して、彼は、俳句に夢中なのである。

 と記し、その初吟行時、本人はビギナーズラックといいながら、特選に選ばれた句が、「波立ちて潮の香もなし春嵐 一慶」である。また、阿川佐和子は、

 (前略)どうせ私はダメ娘ですよお・・・・・。優秀な兄の下でひねくれまくる妹のように、私はヒーヒー泣いてばかりいた。そんな私を見かねたか、一慶さんがある日突然、私に告げた。
「スタッフルームにいるときは、常に秋元さんの隣に座りなさい」
そんな恐ろしいこと、できませんよ。なるべく目を合わさず、存在を消してたいと思っていたぐらいなのに、
「いいから、隣に座りなさい」
 この一慶さんの一言のおかげで、私と秋元さんの関係性に明らかな変化が生まれた。
 (中略)
 一慶さんのさりげない話にはいつも物語がついてきた。名もなき草を取り上げても、銀杏の赤ちゃんを見つけても、旧友の思い出を語るとき、変なプロデューサーにあだ名をつけるとき、一慶さんの言葉の後ろにはいつもワクワクするような景色が広がった。

 その一慶さんは「あとがき」に言う。

 アナウンサー歴五十年。
 俳句歴は十二年目となる。
 同じ言葉を表現方法とするが、アナウンサーの言葉と俳人の言葉は、全く、別物である。アナウンサーの言葉は、ひたすら外へ向かう。同じものを描写するにしても、アナウンサーは、瞬時に反応し、次々と言葉にして行く。間が無い。沈黙が怖い。興奮は興奮のまま、表現が、オーバーになることが多い。(中略)
 一方俳人の言葉は、ひたすら内へと向かう。一旦、言葉を沈潜させ、熟成させ、表現してゆく。間を大事にし、沈黙を怖れない。
 僕が俳句に夢中になったのは、これまでと正反対の言葉の表現に魅了されたからに他ならない。

 そして、奥方の検査に付き添いのつもりで行ったCT検査で、「奥さんに問題ありません。ご主人の方は、重篤な肺がんです」と告げられる。昨年の七月六日のことだ。

  告白にとほき告知や星祭     

 ステージ4の宣告に、少しも動じない自分がとても不思議だった。(中略)それでも、家族は、相当のショックを受けたようだ。特に子供たちにとっては、正に晴天の霹靂ー。急遽、句集としてまとめようと言うことになった経緯(いきさつ)である。

 としるされている。愚生はこれ以上のことは知らないが、本復を祈りたい。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げおこう。

  昼寝覚この世は音に満ちあふれ
  グァム島のなまこのごろんごろんかな
  極月や棒線で消す住所録
  建国日キャベツの芯までやはらかし
  踊の輪欠けたるところ闇が埋め
  ひぐらしのこゑ父母を知らぬ声
  鳥帰る刹那の風を見逃さず
  一世(ひとよ)では足りぬこの世や白牡丹
  鬼虎魚いやいや笑ふつもりなし
  追いぬいてゆく滴りはなかりけり
  この世だけつながる電話いわし雲
  凩の夜空つまづくもの多し
  九天を一夜支へて霜柱
  うるむ目にかへす目のなし春の風邪
  葉桜や柩に軽きものはなく
  我のなき一と日が見たし百日紅
  円熟に果てのありけり柘榴の実
    チャコちゃん(白石冬美さん)逝く
  ひとり死にひとり生まるるさくらかな

 小島一慶(こじま・いっけい) 1944年、長崎県生まれ。


2019年7月11日木曜日

藤田湘子「海藻を食ひ太陽に汗ささぐ」(『「鷹」と名付けてー草創期クロニクル』より)・・



 山地春眠子『「鷹」と名付けて」(邑書林)、著者「あとがき」に、

 本稿は、「鷹」の創刊から五年間の年代記(クロニクル)で、「鷹」平成二十八年七月号から同三十一年四月号まで、三十四回にわたって連載したものである。その間に鶴岡行馬さんが秋櫻子の楠本憲吉宛書簡を発掘され、それを紹介させていただける幸運に恵まれた。

 とある。本書でも第七章「湘子の馬酔木離脱」の章はもちろんだが、第一章「『鷹』の創刊前後」の章以後、「馬酔木」との確執については、縷縷記されている。それも山地春眠子の冷静な判断、注解などを含め、緻密に描き出されている(それすら、たぶん、表向きの理由に過ぎないのかもしれないが・・)。第8章「鷹独立宣言」もそうで、総ては、作と論の両輪を備えるためと、今後の俳句の新しみと表現のレベルを上げるための厳しい追求だったと思われる。発見された楠本憲吉宛の秋櫻子書簡については、全文引用されているが、その一部を以下に孫引きしておこう。

(前略)先日藤田が来て、今度九州兼任のやうなことになり、月の半分は九州へ行(ママ)ので、編集が出来ないと申しますので早速承知して置きました。試みに八月号の一部を小生がやつて見ましたが、別にむづかしくもなく、十分出来さうに思ひます。
藤田の言ふことは事実と思ひますが、編集をやめる気になつたのは、大兄の御訓しがあつた為め(ママ)と思ひます。馬酔木にとりましては好い結果になりましたので御厚意深く感佩仕ります。昔ならば到底これまで待てなかつたのですが、年をとりますと、事を荒立てるのがいやになりますので、実によかつたと思ひ、大兄の御厚意を繰り返し有難く思ふ次第であります。(後略)

 この書簡を受けて、山地春眠子は、

 ➀ 湘子の仕事が九州関連であること。
 ② 湘子の辞任を秋櫻子は「早速承知」していること。慰留や後任推挙などのやり取りがあった形跡がないこと。
 ③ 湘子の辞任申し出については、憲吉の口添え(ないし根回し?)があったらしいこと。
 ④ 秋櫻子はどうやら、(本人としては我慢して)長い間、湘子の辞任の申し出を待っていたらしいこと。(「鷹」創刊前後、湘子らがいろいろ秋櫻子の「誤解」を解くべく奔走していたことが結局無駄に終わったように見える。)

 と記している。そして、「鷹」「馬酔木」の編集後記と秋櫻子書簡から、湘子の「馬酔木」編集長辞任は四十一年七月初旬、と確定できる、とし、「花神コレクション『藤田湘子』及び『藤田湘子全句集』の湘子年譜にある昭和四十二年八月の「馬酔木」編集長辞任は誤りだったと訂正している。


湘子も常連だった新宿西口の「ぼるが」↑
 現在も営業中

 本書の帯の惹句の冒頭に、「創刊前後五年間の奇跡」とあるが、ここ数年のただ今現在、多くの俳誌が創刊されているが、かくも厳しく、俳句の論・作において、主宰を筆頭に、各同人が情熱的に切磋琢磨した俳誌はないのではなかろうか。俳句形式を追求するということは、それが、単純に楽しい・・などいう、生易しいものではなかったことが理解できる。時代の流れというには、余りの隔世の感である。
 思えば、愚生が、最初に山地春眠子に会ったのは、故・大本義幸がバーテンダーをしていた東中野のバー「八甲田」の近くだったように思う。先日、刊行された『藤原月彦全句集』の年譜をみると、たぶん1975(昭和50)年頃だ。毎日新聞の石倉昌治(寒太)や上京した坪内稔典らと一緒だった。当時、山地春眠子はたしか「週刊新潮」の仕事をされていたように記憶している。ただ、もう44,5年は前のことで、記憶違いかもしれない。その後も彼の連句入門等の著書などによって、愚生は多くの恩恵を受けている。「鷹」創刊号(昭和39年6月30日)より、以下にいくつかの句を孫引きしておこう。

  椎若葉病めば子の声透きとほり     相馬遷子
  夜鷹鳴き硫黄にゆらぐ星ひとつ     堀口星眠
  校庭の春真四角なる愁ひ       千代だ葛彦
  息溜めて真昼麦秋の野の白さ      有働 亭
  激雷の雨ともなはず別離以後      沢田緑生
  晝灯す仕切場飛燕地を打ちて     古賀まり子 
  仙台蟲喰御打ち賜ふ蕎麦くろし    小林黒石礁
  うなそこのごとき夕ぐれ四葩咲く    藤田湘子
  春嵐未治退所者の荷を搏つも      植田竹亭
  瑕瑾なき春の雲浮き遅刻せり      山口睦子
  麦の禾眼をみひらくにわれ貧し     菅原達也

 山地春眠子(やまぢ・しゅんみんし) 昭和10年 東京生まれ。  
  


2019年7月9日火曜日

ふけとしこ「蛭蓆ろろんろろんと水へ水」(『眠たい羊』)・・・



 ふけとしこ第5句集『眠たい羊』(ふらんす堂)、集名に因む句は、

    雪の日を眠たい羊眠い羊     としこ

 集中に、

   春昼のひんやりとある眼の模型

 の句があり、愚生の年代では、句の趣が違うとはいえ、すぐさま、

   犬交る街へ向けたり眼の模型   田川飛旅子

 の句を思い起こす。これも時代の受け持った感性、感受のなせるワザなのかもしれない。あるいは、

   六月を風のきれいな須磨にゐる
   青饅や須磨に眼張を上げて来て

の句には、

  〈あはれにすごげ〉須磨のガストといふ処   高山れおな

の句をつい、思い浮かべてみたりした。ただ「カリヨン」の市村究一郎師を詠んだ句、

       十一月は師の生れ月逝きし月

 にはホロリとさせられた。市村究一郎は、1927年11月23日、東京府府中町に生まれ、2011年11月26日に没している。愚生の住む府中市には、「○○カリヨン」とか「カリヨン会○○」とか、雑誌は出ていないらしいが、句会はいくつかに分かれながらも継続されていて、一年に一度は、かつての「カリヨン」の仲間の皆さんが集まられるという(一年半前までは愚生の働いていた会議室をよく使われていた)。
 また、ふけとしこは「ほたる通信」という葉書通信を毎月?発行していて、それには、数句と短いエッセイが書かれていて、楽しませてくれる。
 ともあれ、集中より愚生好みになるが、いくつかの句を挙げておこう。

   早春を雲もタオルも飛びたがる
   宿り木も宿木も芽を立てて
   走り根を枕に行基風光る
   スズメノチャヒキウシノシッペイ芒種なる
        註・雀の茶挽 牛の竹箆 共にイネ科
   水光る腹を細めてくる蛭に
   箱庭の二人心中でもしさう
   足浸すかなかなまたかなかな
   むささびの穴とや木の葉かかりゐて
   冷たしよ草の青さもその丈も
   冬の日や鞍置場E開かれて
   悪相といふべき榾のよく燃ゆる
    

ふけとしこ(本名・福家登志子) 1946年 岡山県生まれ。

2019年7月7日日曜日

山本敏倖「たんぽぽ月夜すべての蓋を外しけり」(『「山河」創刊70周年合同句集』より)・・・


挨拶する「山河」代表・山本敏倖氏↑


功労賞の右から松井国央・金谷サダ子・沖和子各氏↑




 昨日7月6日(土)は「山河」創刊70周年記念祝賀会(於:アルカディア市ヶ谷)だった。愚生は、本誌に、昨年から(今年で終わり、次期は宮崎斗士)、一つのキーワードと無季、春夏秋冬を含む二つのテーマを詠み込む企画「競作・チャレンジ俳句」の選句と、選評をやらせていただいている。「山河」は、昭和24年に小倉緑村が創刊、加藤あきと、松井国央、そして、「豈」同人でもある山本敏倖が4代目の代表を継いでいる。三代目の松井国央とは、愚生が現代俳句協会青年部員を辞した直後くらいに、先日、亡くなられた大牧広と三人で現代俳句通信講座を務めたときにお会いしてからの大先輩である。思えば、すでに鬼籍に入られた三好夜叉男、寺井禾青もいた。そしていまはLOTUS同人の豊口陽子もいた。会場で、久しぶりにお会いした金谷サダ子は90歳(多賀芳子「碧の会」で句座を共にしたこともあえう)、70歳の愚生も「私のこどものようなものね・・・」と元気いっぱい、「俳句があるから元気!」と仰っていた。来賓のなかで、隣の席になっていた宮崎斗士は、ほぼ同時刻に行われていた「公開シンポジウム『兜太俳句の晩年』」(ゆいの森あらかわ)で、司会の役目を終えて駈けつけた(夫人の芹沢愛子と一緒に)。同じテーブルには、ほかに川辺幸一、栗林浩、松澤雅世、渡辺誠一郎が居た。
 山本敏倖は挨拶で「『山河』は、これまでも、伝統と革新と普遍性を追求し、常に新・新・深を探求し、個性を自由に育てることを歩んできたが、加えて時代の次の俳句を目指して努力していきたい」の述べた。
 ともあれ、以下に「山河」のこれまでの代表者の句を挙げておきたい。

   青峡に沈みゆく触覚だけを残し     小倉緑村
   日当たりのいい球形の目覚めかな   加藤あきと
   父抜けてゆきし網戸を母も抜け     松井国央
   千年を一行にして滝凍る        山本敏倖 

愚生の挨拶で献じた祝句は、

  山と河呼び交わしては七十年(ななととせ)  恒行



   府中市中央文化センターの子どもたちによる七夕飾り↑

★閑話休題・・「第18回 七夕まつり」(東京四季出版・アルカディア市ヶ谷)・・


 今夜も本来であれば、俳句四季大賞・宇多喜代子『森へ』、特別賞・大久保白村『花の暦は日々新た』、「俳句四季」第7回新人賞・吉田篤子、第19回全国俳句大会大賞・大森藍のお祝いに馳せ参じなければならないところだったが、愚生が、府中市シルバー人材センターの請負業務で、7月1日から、職場が府中市中央文化センターに変わり、これまでの芸術劇場分館勤務の、愚生にとっては天職、天国のようなところから、ハードな中央文化、シルバー人材センターの理想である短時間・軽微な仕事というにはチョッピリ厳しい業務・・ということで、さすがに土日の連休をとっての、祝賀の会に参加するわけにもいかず、いまだ慣れない労働をしていた。
 まあ、ボンビーひまなし、死ぬまで働けということにちがいない。よって、これまで、自由にとれた休みもままならないようなので、皆様へは、多々失礼をするかもしれない。お許し願いたい。もちろん、万難を排してのことは、当然ありますので、皆さんの御慈愛にすがりたい。

2019年7月6日土曜日

照井翠「流灯にいま生きてゐる息入るる」(「小熊座」7月号より)・・



 「小熊座」7月号(小熊座俳句会)、武良竜彦連載の「俳句時評」を興味深く読んでいる。特に「八年目の『震災詠』考」は4回目である。前号の「新元号『令和』-天皇制の白髪こそ」も、世の中には祝賀ムードのみが溢れ、まるで全体主義の予兆のようですらあるなかで、

 天皇が象徴するのはその季語を含む農耕文化と詩歌文化である。その稲作文化のど真ん中に象天皇制がある。

 というもの言いには、かつて、竹内好が「一木一草に天皇制が宿る」と述べたことに通じていよう。天皇あってこその天皇制だが、その天皇こそ天皇制から解放されなければ、人権あるひとりの人間として、天皇自身もまた生きられない。じつは「八年目の震災詠」には、これまで溢れすぎた震災詠もまた、震災を詠まなければ俳人(詩人)ではないというような全体主義的な煽りを思わせるような不快感を、そこに見出していたからなのではないだろうか。公共性と倫理的正しさが強調されればされるほど、それに積極的でない人は、表向きは口をつぐんでいくしかないのが一人の弱い人間である。おっとどっこいオイラは生きている、というふうに生きられればまだしも、精神的な風圧と、それが社会的に大きな声になれば、法的な根拠を拡大解釈されて、その空気感のなかで、権力の弾圧にさらされるのは、かつての歴史が示している。それらの両義性をもって、武良竜彦は、

   天皇の白髪にこそ夏の月   宇多喜代子

 の句を捉えている。本号の「八年目の『震災詠』考」は、「照井翠」の思索から➀」で次のように記している。

  照井翠の『竜宮』所収の俳句は、作者の直接的な心情吐露ではない。創作的〈表現の虚実〉という文学的な自己表出への心的欲求を自己の内部に奮い立たせて詠んだ俳句なのである。そうすることで彼女は凄絶な狂気を孕む惨状から、自己を立ち直らせたのだ。『竜宮』の俳句表現の内面的な強度が、同じような被災体験をした者たちの心を震わせるのだ。

 その表現手法の淵源を、照井翠の師事した「寒雷」・加藤楸邨の『野哭』とリンクさせて論じている。俳句が困難なのは、その短さにもよるが、作者の思いの多くを断念せざるをえないからだろう。そうしなければ、現実を契機とする象徴性はなかなか生まれないからでもある。ともあれ、武良竜彦の論に敬意を表して、本誌本号より照井翠と彼の句を以下に挙げておきたい。

   双子なら同じ死顔桃の花        翠
   亡き娘らの真夜来て遊ぶ雛まつり
   改元や蟻が出て来て陽を担ぐ     竜彦
   咲き満ちて無きが如くに霞草  




★閑話休題・・・朝倉玲子(全労協全国一般三多摩労組書記長)参議院選挙(東京選挙区)、社民党より立候補!・・


 開けてビックリ玉手箱ではないが、テレビニュースを見ていたら、どこかで見た顔が・・と思ったら、愚生がかつて,企業を超えて組織される個人加盟の地域合同労組の委員長だったころ、その書記長で実に優れた丹力の持主だった朝倉玲子(れい子)ではないか。企業を超えた地域の労働運動一筋の女性である。趣味は、たしかダイビングで、素潜りでは、日本において、三本の指?に入るくらいの実力の持主である、と聞いた。当時、新設された労働審判制度で、東京都での唯一の女性審判員を務めていた。もとはエースコックでハイヒールを履いての営業廻りによる腰痛を、職業病だと訴え、解雇され、会社を相手取って一人争議として闘った人だ。選挙ポスターには「働く人の笑顔のために」とある。
 愚生は、そうした地域合同労組活動から、10年前に足を洗ってしまったので、すっかり、情勢に疎くなってしまっていたが、彼女もいよいよ政治家の道か、と思って少し驚いたのだった。大変お世話にもなった。彼女なら、いかなる権力にも、理不尽な攻撃にも、立ち向かっていくと思う。但し、当選して、国会に行くとなると相当高いハードルだと思う。頑張ろう!!!
 


ブログ読者より ジャガランタ↑

2019年7月4日木曜日

林田紀音夫「洗った手から軍艦の錆よみがえる」(「瓏玲」創刊号より)・・・



 「瓏玲」創刊号(瓏玲俳句会)、その中のエッセイの一篇に、東金夢明「俳句徘徊」は林田紀音夫について言う。

 (前略)この時期は、意識的に無季の句に取り組み、発表した。ただ後日、「季語と文語定型の箍をはずして以降、まず文体的に猥雑と言う形で、てきびしく俳句からの仕返しを受けた」と語っている。季語という俳句の根幹のひとつをあえて無視することの代償は大きいと言わねばならない。

 ただ、林田紀音夫は、なぜ現代仮名遣いで俳句を書くか?ということについて、「俳句を現代仮名遣いで書く意味は、現在の猥雑さに賭けるということだ」と言っていた。愚生の若き日、歴史的仮名遣いに見切りをつけ、現代仮名遣いで俳句を書こうと決意した切っ掛けの言である。その試みは、成否を別にして、いまも正しい試みだと思っている。それは、どのように言おうと、歴史的仮名遣いを使うことで、言語の旧的な秩序にどこかで寄りかかるという心性をあらわしているからだろう。いわば、現在の猥雑さに賭けるということはそれほど困難な営為であるということを指していたと思う。それでも歩むしかない。
 本誌創刊号には、多くの俳人からの祝句が寄せられているが、とにかく、以下に一人一句を挙げておこう。

   わたくしは専守防衛ももの花      今野龍二
   平成もすでに幻蛇の衣         東金夢明
   原罪はあるかも知れず林檎剥く     山中正己
   金魚玉竜宮城の容れてあり       中村和弘
   道などはない夏野の自由駆り立てよ   秋尾 敏
   (ぎょく)一つひとつ縁に和するかな 松澤雅世
   探し出す青葉の中の未知なる音    佐怒賀正美
   うぐいすのよく鳴く日なり富士玲瓏   川辺幸一
   瓏玲の旅立ちの朝青山河        青木栄子
   さえずりの浮力をバネに帆を上げよ   山本敏倖
   懸崖は海の他なし道おしへ       日野百草
   ひるがえる度の息継ぎ飛花落花    栗原かつ代
   ソーダ水突然一部発光す        中内火星
   天皇の声澄みとほり発笑顔       香川純二
   かたつむり百まで生きてほめられず   山口紀子
   海開き少女羽化するごとくなり     武悠紀子 
   数だけの器残して四月尽        片桐静江
   裸木に屈託垂れてをりにけり       三拍子
   春泥や深き轍に日のかけら      塩田千代子
   窓際のヴィシソワーズのパセリかな   石田 香
   遠雷の地の底つたうオラショかな    加藤賢明
   裸婦像にみかづきのあり梅雨に入る 長谷川はるか  
   夏館夕陽に染まる古時計        関口 裕
   約束は無けれど土筆煮て喰はな     吉田豊麿
   感情をはがす真昼の春の雷       渡邊樹音
   春雷や兜太の叫びノーモアウォー    宮川 夏
   spring thunder-
            Tohta shouted
           ”No more war!”


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