2019年2月16日土曜日

杉山隆「襲ひ来む未来とは何夜の庭の騒ぐ青葉にわが対ひをり」(「ジャム・セッション」終刊号より)・・



「ジャム・セッション」終刊号(編集・発行人、江里昭彦)。江里昭彦「終了宣言にして訣別宣言」は、同人誌の相棒であった中川智正の死刑執行により、すでに前号にても終刊が予告されていたので、別段驚くべきことでもないはずだったが、追悼をするに訣別宣言とは穏やかではない、とおもったのだ。その理由について、

 (前略)処刑後に判明した二、三の、不可解にして不愉快な事実について述べることで、あわせて訣別宣言の性格を持たせることとしたい。(中略)
  私のだした結論は、こうである。
「カエサルのものはカエサルへ返せ」のひそみに倣って、「オウムの人間はオウムへ返そう」。今後とも中川智正は、隠れキリシタンならぬ隠れオウム信者ともども、世人の非難と嫌悪という煉獄のなかに棲みつづければよい。
 私はというと、中川氏のことをきっぱり忘れて、別の方角へ、別の季節へ、歩みだそう。
 ではあるが、中川氏が残した俳句と文章は価値あるものなので、多くのひとの記憶にとどまってほしいと願う。テクストの価値と、そのテクストを生み出した人間の人格とを分けて扱うのが、文芸の世界の常識なのだから。

 と記されている。他には「中川智正と江里昭彦の往復書簡ー〈手記〉について」が掲載されいる。今号では、江里昭彦の俳句作品が読めなかったのは、残念だったが、代わりに、「紹介」で江里昭彦選の樋口由紀子『めるくまーる』30句の中から、いくつか以下に孫引きで挙げておこう。

   入道雲この高さならだいじょうぶ     由紀子
   厚化粧だったり薄化粧だったりする笑い
   自転車で轢くにはちょうどいい椿
   うしろから触れてはならぬ帰還兵
   練り菓子へ無政府主義者がなつかしい
   もういいわブルドーザーで決めるから
   空箱はすぐに燃えるしすぐに泣く





★閑話休題・・中村遥「木の花の白ばかりなる帰省かな」(第33回俳壇賞受賞作より)・・


 昨夕は、本阿弥書店「俳壇賞・歌壇賞の授賞式と懇親の集い」が、アルカディァ市ヶ谷で行われた。近年愚生は、あまり外に出ていないので、数年ぶりに坪内稔典、佐佐木幸綱とは抱き合って挨拶をした。八十を超えられたが、愚生などよりはるかに艶やかでお元気だった。その他にも久々湊盈子、田村雅之、池田澄子、大久保白村、菊田一平、酒井佐忠、松尾隆信、三宅やよい、鳥居真里子、内村恭子、広渡敬雄、鹿又英一、戸恒東人など、また、現代短歌社・田中惣一郎、ふらんす堂・山岡有以子、六花書林・宇田川寛之、昨日に続いて東京四季出版の西井洋子、上野佐緒など多くの方々と挨拶し、久しぶりに歓談した。
 ともあれ、もう一人の「歌壇賞」の一首を以下に挙げておこう。

 灯台にうまれた者のさびしさに夜どおし鍋を磨いてすごず   高山由樹子

     

2019年2月14日木曜日

九堂夜想「忌の空につるめる蝶の紅万字」(『アラベスク』)・・



 九堂夜想句集『アラベスク』(六花書林)、「あとがき」はなく、略歴も簡便。飾りは表健太郎の帯文のみのシンプルな出で立ち、真田幸治の装幀も良い。集名は、以下の句に因んでいるだろう。

   春深く剖かるるさえアラベスク     夜想

 表4側の帯に、

 初めて、「九堂夜想」の文字を見た瞬間、ぼくはこの名の主が、虚構と幻想の論理を巧みに操れる曲者に違いないと察知し、それは確かに当たっていた。ー表健太郎

 とある。約500句、鳥の句の占める割合の多さ、そして、いわゆる樹・草・虫・魚・で彩られた織物という感触である。いずれの句を挙げても、その表現された世界のレベルは保たれているので、読者による様々好みの句を抽き出してくることができるだろう。

   太陽のあばらは視えて十字街
   あゝ死児の頭上に千の太陽が
   日(ひ)の沖へ合掌泳ぎの王母らよ
   
 ともあれ、無作為ながら以下に鳥の句をできるだけ挙げておこう。自ずと著者の趣向が伺えると思う。

  
   鳥游ぐらし夥しき佚書に
   王亡くてひたに孔雀は卦踊りを
   ゆく鳥や崑崙の葱ひとすじを
   貌鳥は貌をはずせり姉の門
   鳥風や彩なす雲を乳柱に
   地類あゝ鳥雲に影奪い合い
   諸がえり日は血脈を濁らせつ
   鳥雲にながるる妣の雲脂(ふけ)ならん
   古歌にわななく火食鳥と地と
   重力の十指の影の鳥や雲
   鵟ども千痕の日を剥き垂らし
   鳥やみな日に忘らるる花うてな
   鳥透くは他界にちぇ秋果つるべし
   瑠璃鳥や姉のまなこに入水して
   鳥古りて虹にすわるる日やあらん
   孔雀大虐殺百科辞書以前
   黒鳥に太陽はいや冷えゆくも
   鳥風や祖(おや)を殺めし石(いわ)と手と
   鳥や絶ゆ̪眦すでに砂を引き
   ねむりては孔雀の刻(とき)をガラスペン
   空井戸や薄荷匂える鳥女
   鳥女ふと草市は静もれる
   鳥女氷砂糖に涙して
   咲わんか数(す)に鳥女あゆめるを
   ひたぬらす幻日なれば鳥おんな
   鳥女抱けばせせらぐ逆さ水
   忌木なか火に産卵の鳥おんな
   劫をゆく無頭の鷹とおもわれて
   ふたなりを太陽鳥は叫(おら)ぶらん
   鳥類は裂ける太陽系覃(ふか)
   鳥の王鳥へは遺響のソプラノを
   裏声の母喰鳥が直紅(ひたくれない)
   卵生の兄まどろめる匂い鳥
   鳥食らつとに毬(があが)を咥えては
   鳥過ぎて野には呻めく石柱
   日を離ればなれの鳥や石室や
   無門とや何首鳥(かしゅう)匂える踏みはずし
   唾打ちのしばらく巫鳥吃るかも
   さえずりや野の大糞の神さびを
   鳥葬の冬青空の拉鬼体
   野巫なんで美食の鳥を眸(まみ)の上
   夕の鳥ふいに筮へ刺さらんと
   罔象(みずほ)きて紅葉鳥らの仮声は
   空国の鳥ひこ塩を娶るとや
   虚國(ここく)ではてのひら祀るとぞ雁よ
   鳥撒きのくさめ鳴物停止(ちょうじ)とや
   かりがねや霧食みのみな虛國とぞ
   鳥ひそと他屋にかくるる根踊りや
   つくよみや鳥錆びの海ふるわせて
   姑獲鳥なら白蓮の夜を梳くだろう
   玉吸いの命命鳥かひな曇り
   劫をきて虚空守とや命命鳥
   命命鳥おんおんと石哭くものを
   鳥身の兄を降ろせる散米や
   ひもし鳥とて裏海を祓わんと
   夜鳥また内紫貝(うちむらさき)を月小屋へ
   鳥絶つに天衣の胸の遊(すさ)ぶかも 

 九堂夜想(くどう・やそう) 1970年、青森県生まれ。


2019年2月13日水曜日

角谷昌子「まどろみのままに貰はれゆく仔猫」(「あだち野」2018年アンソロジーより)・・



 2018年アンソロジー「あだち野」(あだち俳句会)、表紙裏に「客観写生の確立をめざす」と掲げられている。巻頭随筆には、角谷昌子「猫と俳句と私」、金子敦「『絵葉書』と『福笑い』」、林誠司「庶民の詩」の寄稿がある。その角谷昌子のエッセイの中に、一時は「十匹以上の猫まみれの生活」だったとあり、

 猫との暮しは二十年以上になる。いまではとうとう最初の猫の孫ともう一匹だけになってしまった。
 いつも傍にいて、心を傾ければ応えてくれる猫は、俳句と同じだ。猫と俳句のおかげで生きる力を得たし、日常生活が豊かになった。猫の視線で自然を見渡すと、それぞれのいのちがぐっと身近になる。

 という。ブログタイトルに挙げた「貰はれゆく仔猫」は、角谷家から「里子に出される猫を見守ったときの句」だと記してあった。ともあれ、同誌から一人一句を挙げておこう。

  小児科の待合室の金魚玉      一枝 伸
  少年の不思議な力青嵐       松木靖夫
  水の面を蠢く蝌蚪の黒だまり   水本ひろ人
  雨音を覆ひ隠して未草       西川政春
  荒海へ吹きもどさるる波の花    村井栄子
  空蝉の乾ききつたる力かな     河合信子 
  銀閣寺で眺めし月も今日の月    二瓶里子
  短夜や兵隊還るおもちゃ箱     菅沼里江
  人気なき家の片隅草雲雀     小松トミ子
  誘はれてゐる食事会春浅し    尾形けい子
  スタンプの滲む宅配春の闇    天野みつ子
  閼伽桶にさし入る春日母の声   石田むつき
  シスターの手荷物ふたつ春コート  澁谷 遥
  地下鉄を出て木枯に吹かれけり   伊藤弘子
  模擬テスト窓より外は虫時雨    竹内祥子
  下駄の歯にかみつく雪を叩きけり 岡田みさ子
  丸き背を反ればくすぐる春の風  越川てる子
  猛暑日や思ひ切り割る貯金箱   田ケ谷房子
  急流に水草の花湛へけり      國井京子
  園庭のドームの屋根と木漏れ日と  三浦恒子
  木登りの先は青空樟若葉     矢作十志夫
  酉の市路地の置屋に灯がともり  田ケ谷やすじ
  一夜にて積もる一枝綿帽子   五十君與志子
  山並は入道雲を上に乗せ      渡辺 徹
  雪解けの山ことごとく迸る     田口 修
  春霞空のいちぶにスカイツリー  佐藤やよい
  自転車の籠の中から千住葱    吉村すみえ
  ひとときの色鮮やかな柘榴かな   水tに義江
  豊の秋生あるものの淫らなる    高野敏男
   



2019年2月12日火曜日

西川徹郎「湖底の駅で星の出予報していたり」(『惨劇のファンタジー』より)・・



 綾目広治『惨劇のファンタジー—西川徹郎十七文字の世界藝術』(茜屋書店)、西川徹郎宇研究叢書の第1巻でもある。同著には資料編として、西川徹郎自選句集『黄金海峡』(240句収載)、「十七文字の銀河系(西川徹郎=西川徹真)略年譜」、西川徹郎主要著作一覧、諸家西川徹郎論一覧が収録されている。また自選句集『黄金海峡』には、未刊の第15句集『永遠の旅人』、第16句集『冬菫』、第17句集『湖底の町』から、それぞれ数句が収録されている。
 本著の目次には、「序にかえて 読みの方法論」をまず示して、各句集ごとに節目をつけ、第1章「隠喩の冒険ー『無灯艦隊』『瞳孔祭』」、第2章「シュールレアリスムの冒険ー『家族の肖像』『死亡の塔』、第3章「実存を問うー『町は白緑』『桔梗祭』」、第4章「浄土教を背景にー『月光学校』『月山山系』『天女と修羅』」、第5章「ファンタスティックな俳句へー『わが植物領』『月夜の遠』『銀河小学校』、第6章「惨劇のファンタジーー『幻想詩論 天使の悪夢九千句』、「抗う俳句 結びにかえて」と分け、詳細な資料編・略年譜などを通覧するだけでも、西川徹郎の句業の来し方の特徴が伺われる。例えば、第1章において、

 (前略)さらに阿部誠文は同論文で、再び西川俳句の難解さの問題に言及して、「西川徹郎の俳句は、難解だという、そこには誤解がある。西川徹郎の俳句をわかる俳句だと思い、理解(・・)しようとするからだ。西川徹郎の俳句は、わかる俳句ではない。伝わってくる俳句だ。イメージとして伝わってくるし、音楽としても伝わってくる」と語っている。

 と述べられている。あるいは略年譜とはいえ、詳細を極め、編の齊藤冬海は、西川俳句の特徴を以下のように、

 (前略)独自の〈実存俳句〉を創始した。◆それは明治の正岡子規や高浜虚子の花鳥諷詠・客観写生等といった文語による伝承的俳句論や種田山頭火・尾崎放哉等の自由律俳句、戦前戦中の新興俳句や口語俳句、更には戦後の「海程」等の社会性俳句や前衛俳句、高柳重信の等の多行書き俳句、感覚だけで詠まれた金子兜太等の無思想俳句、娯楽番組化した坪内稔典の片言俳句や軽薄俳句等、明治・大正・昭和・平成の今日迄、正岡子規巳来、百五十年に到らんとする近現代俳句史の〈有季定型〉の趣味的俳句論や〈季語季題〉偏重の伝承的美意識で作られた俳句を否定し超絶した、森村誠一が松尾芭蕉の〈蕉句〉と比肩し〈凄句〉と命名した〈世界文学としての俳句〉の屹立へ向けた〈反定型の定型詩〉論の提唱と実践であり、それはまさに、〈十七文字定型〉の胎内原理〈反俳句の俳句〉〈反俳句即俳句〉を顕彰し、日本の詩歌文学一千年の伝統と対峙する〈反伝統の伝統〉詩としての俳句革命の実践であり、西川徹郎が提唱する、世界文学・世界藝術の極限を切り拓く〈十七文字の世界藝術〉の樹立に外ならない◆

 と、言挙げしている。ともあれ、自選句集『黄金海峡』より以下にいくつか句を挙げておこう。

  不眠症に落葉が魚になっている     徹郎
  男根担ぎ佛壇峠越えにけり
  樹上に鬼 歯が泣き濡れる小学校
  ねむれぬから隣家の馬をなぐりに行く
  父はなみだのらんぷの船でながれている
  食器持って集まれ脳髄の白い木
  畳めくれば氷河うねっているよ父さん
  なみだながれてかげろうは月夜のゆうびん
  遠い駅から届いた死体町は白緑
  抽斗の中の月山山系に行きて帰らず
  
 綾目広治(あやめ・ひろはる) 1953年、広島市生まれ。

2019年2月11日月曜日

樋口由紀子「暗がりに連れていったら泣く日本」(「オルガン」16号より)・・



 「オルガン」16号、座談会は「樋口由紀子『めるくまーる』を読んでみた」。座談の主は田島健一、鴇田智哉、福田若之、宮本佳世乃。なかに「しばらくが山茶花の塀越えてくる」という句についての件では、

 宮本 こういう「山茶花」は季語に見える?
 鴇田 一句だけ見れば、見えるね。でも句集のなかで見るとそうでもないね。
 田島 「山茶花」はまだいいんだけど、〈昼寝する前はジプシーだったのに〉の「昼寝」とか。
 宮本 季語に見えないよね。
 鴇田 でも「ジプシー」の句は、俳句の句集にもし入っていたら、「昼寝」を季語として読まれるよね。
 宮本 その下地の差って何だろう?
 鴇田 俳句句集か、川柳句集かというパッケージの違いはある。
 福田 ただ『めるくまーる』には、かなり意識的に季題を詠み込んでいるふうにも読める句がありますよね。〈髪洗うときアメリカを忘れてる〉とか。これ「髪洗う」という季題を意識しているのでは。

 など、句を詳細に読んでいて、川柳と俳句の違いについて、当然ながら話が及んでいく。

鴇田 (前略)僕の場合は今、俳句と川柳は傾向の違いだと考えている。どちらも五七五の「句」であることは一緒だよね。その「句」のなかに傾向性の問題として俳句と川柳があるんじゃないかと。(後略)
田島 僕はちょっとそこの考え方が違っています。俳句と川柳がグラデーションで繋がっていると、以前は考えていたのですが、現在はむしろ両者の間にある断絶を考えないと間違えるような気がしています。
  
 と述べている。愚生もどちらかというと近くて遠い、同根の形式の持っているゆえに、それぞれの屹立性を持たないと、究極のところで、句がそれぞれ自立できないのではないかと思っている。
 他に青木亮人のエッセイ「あをぞら」。浅沼璞と柳本々々の往復書簡(5)は、今回で最終回。毎回、読ませてもらっていたが、刺激的で面白く、今号では、石田柊馬「妖精は酢豚に似ている絶対似ている」の句について、柳本々々が、

 現代川柳の代表句のような句だと思いますが、なぜこの句が現代川柳を《代表=代替》するのかは。(中略)
 この「似ている絶対似ている」は強度なんです。でも、無駄に《強すぎる》ことが大事だと思うんです。神はいる、神はいる、と強く主張するあまり、自分が神を信じていないことをさらけだすような言説になっているというか、ほんとうに《似ている》んだったら、ここまで言う必要はない。「妖精は酢豚に似ている」で、いい。でも「絶対似ている」をつけたことで《うさんくさく》なっている。この句の主体のようなものが仮にあるとしたら、いっぽうで主体は《絶対似ている》と信じている。でもその一方で「絶対」ということばと反復まで持ち出した語り手は、どこかでそれを信じていない。そこまで言説化する語り手の《かすかな信じ切れなさ》もこの句には露呈している。絶対といえばいうほどズレていく仕掛けがここにはある。そのねじれ、つかみにくい、ねじれが、現代川柳的だとおもうんです。(中略)右にあげた柊馬さんの妖精の句はこの〈アートロフの超躍〉に似たところがあります。(超躍は、わたしが今つくった超越+飛躍+跳躍の造語です)。
 いっかい、「妖精」と「酢豚」をメタファーでつなげる。そして修飾と反復で強度をくわえる。ところがその強度を裏切り、もっと別次元へ水平的に拡張していく。現代川柳にはそのようなところがあるのではないでしょうか。(中略)
このふおんさはなんだろうと。それは、ひとりの人間が複数の主体をもっていることの不穏さです。それは主体のイリーガル、違法な主体のはずです。でも現代川柳はやってしまう。

 という。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

   鬼籍から枯木めがけて入る人    宮本佳世乃
   線路わきの機械に冬の月あかり    田島健一
   草の穂ははるかな舟を患へり     鴇田智哉
   身はみみずく海への風をさびしがる  福田若之



2019年2月10日日曜日

大本義幸「霜げたる癌緩和センターの男たち」(「北の句会報告」2019年2月・立春号より)・・



 「北の句会報告」VOL94・95・96合併号(編集・丸山巧)の巻末は「緊急追悼特集・大本義幸追善一句抄」である。中に、北村虻曵は「大本義幸の視ていたもの」というエッセイを寄せて、「豈」誌の作品下段にいつも「マスード様」、「マスード拝」が出てくるのに注目して、そのアフマド・シャー・マスードが、北村虻曵にとっても印象深い人物であり、「マスードはアフガニスタンのタジク人で、ソヴィエトの占領に反抗するゲリラとして多くの戦果を挙げ『パンジールの獅子』と呼ばれた」といい、2001年9月11日の米国同時多発テロの二日前に暗殺され、「暗殺者は彼の力を恐れるタリバーンなどに連なるのではないかと見られる」という。また、冨岡和秀は、「さらば地球よわれら雫す春の水」の句を挙げ、以下のように記している。

 ファキイルの俳句詩人・大本義幸、貧者の一灯と同質のものがあなたの元にあるだろう。地を這うように地上を遍歴し、聖痕を潜めしファキイルに春の水のごとき雫(すなわち涙)が落ちる。さらばファキ―ル!

 他にも大本義幸について多くの方々がしたため、その様子が語られているが、どれもこれも愛惜に満ちていた。ただ、なかでも愚生には。坪内稔典や攝津幸彦の「日時計」時代からの同志であった矢上新八のものに、とりわけ熱くなる思いをした。それはブログタイトルにした「霜げたる癌緩和センターの男たち」について書かれたものだ。

 (前略)掲句の「霜げたる」の意味が分からずに辞書を引いたのだが、「落ちぶれてみすぼらしい」と書かれているのを見て愕然とした。あのプライドの高い大本が、自らを霜げた男と自嘲している。彼はそれほどまでに弱り切っていたのであろうか。私は嗚咽を漏らしながら掲句を読み返していた。

 ともあれ、以下に追善一句として選ばれた大本義幸の句を挙げておきたい。カッコ内はその選著者名である。

  よくなるよ水泡(みなわ)のごとき春の嘘  大本義幸(北村虻曵)
  薄氷(うすらい)のなか眼をひらくのは蝶だ     (冨岡和秀)
  西瓜を齧る鯔がいた汽水の町            (泉 史)
  初夢や象が出てくる針の穴             (宗本智之)
  十月の鯨は夙によく笑う              (野間幸恵)
  密漁船待つ母子 海光眸を射る朝          (藤田踏靑)
  犬猫清持たざるは涼し通り雨           (井上せい子)
  硝子器に風は充ちてよこの国に死なむ        (竹内順子)
  秋日とは永遠にものほし竿である         (谷川すみれ)
  くれるなら木沓がほしい水平線           (森本突張)
  われわれは我ではないぞ烏瓜           (木村オサム)
  初夢や象がでてゆく針の穴             (坂本綺羅)
  水に影それよりあわき四国かな           (波田野令)
  空箱のひとつに風花鬼は外             (浅井廣文)
  我が声は喃語以下なりこの冬は           (野口 裕)
  薄氷を踏んでいたると鳥翔てり           (島 一木)
  水を呑む罪過のごとく夕陽背に          (中山登美子) 
  霜げたる癌緩和センターの男たち          (矢上新八)
  くらがりへ少年流すあけぼの列車         (小林かんな)
  星きれい餓死という選択もある          (植松七風姿)
  硝子器に春の影さすような人            (岡田由季)
  骸花(はなむくろ)知らぬ女を抱きにけり      (宮本武史)
  河その名きれいに曲がる朝の邦           (丸山 功)
  風は国境を煽る砕けた虹は納屋にある        (堀本 吟) 
  【追悼句】ー両手で撫でる『硝子器に春の影みち』  樋口由紀子 
  【訃報連絡への返信あり】 (前略)「作品云々よりご当人の命運の方が圧倒的に在って、何かが言えなかった思い出が、いまも濃厚に在り続けています。」(後略)
                            石田柊馬
 巻末、後記らしい部分に、、

 句友大本義幸さんの逝去に伴って緊急追悼特集を企画したところ、それに応えて大勢の会友の皆さんが稿を寄せてくれました。超ジャンル、出入り自由の当北の句会にあって、このような形で各々の思いを結集できたことは、実に意味深い作家冥利に尽きる出来事ではなかったかと、改めて皆さんお礼申し上げます。

 とあった。思えば、愚生はこのブログを日日の間をあまり置かずに書くようになったのは、大本義幸の便りに、毎日見ています、励みになります・・とあったからだ。だから、愚生は、日日、オレはまだ元気で生きていますよ・・というメッセージのつもりでブログをアップし、何かにかこつけては、大本義幸の名をその文中に刻んだように思う。攝津幸彦を仁平勝、筑紫磐井、酒巻英一郎と病室に見舞ったとき、エレベーター前で点滴の管をぶら下げたまま、手を振って別れたが、晴天の霹靂ごとく、三日後に亡くなった。それと全く同じシーンが、豊中の病院において、妹尾健と堀本吟と久仁郷由美子とで見舞ったときに生じた。余命を4,5か月と聞かされていた愚生は、これで永の別れか、と覚悟したのだったが、その後、手術で声を失ったものの、それまで以上に彼は俳句を書いた。そして、せめて彼が生きたいと言っていた60歳を超え、70歳も越えてみせた。今度の肺癌も必ず克服するだろうとおもっていたが、さすがに抗がん剤治療による副作用を嘆いていた様子があった。大本さん・・先日、高橋龍さんがそちらに逝ったよ。龍さんには、


      龍天に青枯れの葉を玩味するか    恒行

をおくったが、大本さんにはいまだに追悼句を書けないでいる。

大本義幸(おおもと・よしゆき) 1945年5月11日~2018年10月18日 享年73。



2019年2月9日土曜日

木村緑平「生きねばならぬ足袋つくろうておく」(佐瀬茶楽「木村緑平秀句鑑賞・その2」より)・・



 昨年末に結成された自由律俳句協会(会長・佐瀬広隆)の機関誌「自由律俳句協会ニュースレター」に同封されていた「木村緑平の俳句鑑賞」というA42枚を折った8ページほどの冊子がある。実に貴重である。それは、佐瀬広隆が父・佐瀬茶楽のノートに書かれていた内容を紹介しているものである。その(1)の「はじめに」に、

 父茶楽は木村緑平の句が好きでした。緑平の話も聞かされいましたが、俳句に興味がなかった時代の私には、その話は右から左でした。(中略) 昭和四十四年緑平と書かれたノートをみつけました。父がどれほど緑平の句に魅入られていたか、知ることになりました。ノートに書き記されているだけのもので、推敲や清書もなされてないものです。意味不明な文や表現は子である私が手直ししました。独断、偏向があると思いますが、緑平の理解に役立てばとの思いで掲載させて頂くことになりました。
                  平成三十年 晩秋 佐瀬広隆

とある。例えば、次のようなもの。

 おしめ洗って干してたたんで春の一日

  病気の妻のみとりであるが、ここにはもうじめじめした生活はない。しんみりした生活と、緑平ののホッとした嘆息と、妻への愛情がある。(その1、より)

また、(その2)には、

 やっぱり生きとらねばならぬ髭剃る

  ぎりぎりの極限生活である。そこに胸打つものがある。
 *死を見詰めた緑平ではあるが、”髭剃る”に並々ならぬ思いが感じられる。(広隆)

あるいは、

 これがお別れになる日記の重さ膝に置く
 はらはらめくる日記のなかの山頭火の顔々
 その手垢の跡も山頭火の顔になる
 日記と別れてからの寒い日がつつづく

  (前略)山頭火が二十冊の日記を託したのは、この世の誰にも言えないことを、緑平さんだけには知って貰いたかったからである。そしてまた山頭火が孤独に耐えることが出来たのは、心の中にいつも緑平がいたからだと私は思う。(後略)

 と記されている。木村緑平は明治21年10月22日、福岡県生まれ、炭鉱医として半生を送る。荻原井泉水に師事し「層雲」に拠り、漂泊の俳人山頭火を物心両面から支えた。生涯、雀の句を作り続けたという。享年は79。また、佐瀬茶楽には、佐瀬広隆監修・佐瀬茶楽著『随翁井泉水秀句鑑賞』(2008年、喜怒哀楽書房)があるが、愚生は未見である。ともあれ、この「木村緑平秀句鑑賞」(その1、2)から句のみになるが、以下にいくつか挙げておこう。

   三月二十五日
 父より白くなった鬢つまみ父想う父の日     緑平
 ひぐらしなかせているだけの生活である
 年の夜おしめ火鉢にかけて寝る
 病妻に白い雲みせておいて街に出かける
 ねころべば昼寝になっている
 誕生日好きな柿ひとつ柿の木から貰う
   国久君来訪
 生きとるから逢えもししぐれの音聴く 
 先に死なれぬ残っている歯をみがく
 まだ死ぬことが残っている水を飲む