2022年12月30日金曜日

佐孝石画「冬木という眩しい肺が立っている」(『青草』)・・


 佐孝石画第一句集『青草』(俳句同人誌「狼」編集室)、「序に代えて」は金子兜太、跋文は、松本勇二「眩しい肺」、石川青狼「佐孝石画句集『青草』」。金子兜太はその中で、


   この道は夕焼けに毀されている

 これは夏の焼けるような夕焼け。しかも他の何ものもなくて、道が一本ぐっとあるという。「赤々と日はつれなくも秋の風」(芭蕉)、佐孝はこの句と同じ受け止め方ここに書いたと思う。

 映像としては、道が毀れるくらい激しい夕焼け、それだけなんだ。しかしその激しさだな、それを「毀されている」と書けたというのは、佐孝の若さだ。激しい孤独もあるわけで、これから人生の境目の第二段階に踏み込もうとしている感じがある。


 と記している。また、松本勇二は、


 (前略)俳句には言い切ること。断定が必要だ。ここに挙げた句群にはきっぱり断定されている切れ味がある。


と言い、石川青狼は、


(前略)佐孝の青臭さが好きと言ったが、青臭い意の、未熟であるということではなく、青草のような芳しいにおいがする青春性が根底にあるのだ。(中略)

 この句集の最大のテーマは自己の生き方で自問自答の中で、もがき苦しみ叫んでいる直情を臆することなく叩きつけている青臭さと、何よりもそれを支えている家族への並々ならぬ愛である。


 と述べる。また、著者「あとがき」には、


 初句集です。一句一句を恋文のように金子先生の元へ投句していた日々は、いつしか遠くへ過ぎ去ってしまいました。これまでの句をまとめてみると、あらためて、いかに不自然なテンションで作っていたのだろうと、赤面する思いもします。しかし、これから終生、俳句という文学形式を愛し続けるために、これまでの俳句をまとめ、Reスタートしたいと考えました。(中略)

 句集名『青草』は息子二人の名から取りました。彼らもまだ青い草であり、この青さを胸に抱く仲間として、季節を経て次のステージへ歩みを進めていけたらと思っております。


 とあった。佐孝石画のことで思い出すのは、、記憶に間違いがなければ、以前、愚生が現俳協の新人賞の選考委員をしていた時、彼の作品を授賞作に推し(もちろん、作品は無記名)、その場で、それが決まったことを知らせた顕彰部長からの電話で、彼が既発表作が一句混じっていたということで、辞退されたことである(当時、未発表作の規定あり)。じつに無念に思ったこと。その余のことは、記憶に無い。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  少年期白梅というか歯軋りというか      石画

  春星はおそらく与え合う距離だ

  わたくしも言問いの粒春の雨

  冬野という閉め忘れた窓があります

  息継ぎの足りぬ雲から雪になる

  白鳥来るいろんな沼を縫い合わせ

  音階の高みに枝の枯れゆくや

  雪が降る嗚咽のように啞のように

  夜のポストつぎつぎ谺が投函される

  鴉去る私が鴉になったあと


佐孝石画(さこう・せっかく) 1970年、福井県生まれ。



  

★閑話休題・・松林尚志「虎ふぐでジュゴンでありし兜太逝く」(「海原」NO,45より)・・


 佐孝石画つながりで「海原」no、45。安西篤の石画『青草 seiso』書評「庄倒する青春性」には、 


 (前略)佐孝は一句を成そうとする時、かなりの力技でもがき苦しむはずだが、その果ての天与のように、体からほとばしる言葉が授かるのではないか。その力感が、松本のいう「断定」に結びつくのかもしれない。(中略)

   冬木という圧倒的な居留守かな

 冬木の疎林を、圧倒的な居留守とは、作者ならではの若々しい不信の抗議。「居留守」を「圧倒的」とまで詠むのは、作者の内面の燃えあればこそといえよう。


 とあった。本紙本誌本号には、別に、「追悼 松林尚志」のページが組まれ、彼の『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』より「金子兜太の俳句ー鑑賞と批評」が特集されている。山中葛子による彼の最後の句集『山法師』20句抄もある。

 愚生は縁あって、「俳句」(2023年2月号・1月25日発売)誌に、松林尚志追悼「静謐にして熱く」を寄稿させていただいた。改めて生前のご厚誼に感謝し、ご冥福をお祈りする。

 松林尚志(まつばやし・しょうし)、1930年、長野県生まれ、本年10月16日、胆管癌のため死去。享年92。

 


       撮影・中西ひろ美「空想の帆を張れ冬の男たち」↑

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