『自句自解ベスト100 秋尾敏』(ふらんす堂)、巻末の「俳句をつくる上でわたしが大切にしている三つのこと」に、
1 世界観、あるいは状況認識
詩歌は、ごく個人的な言葉によって、既存の状況認識をつきやぶり、新たな世界観を提示しようとする。
つまり、世界は暗いと思っている人を明るさに導き、無力だと思っている人に可能性を与え、何でも許されると思っている人に、それは違うと囁きかける。(中略)
それらが成功するかどうかは問題ではない。そういう言葉を発することが重要なのだ。(中略)
詩人は、それらの世界観に働きかける。世界は、君が思っているのとはちょっと違った、もう少しまともで美しいものなのだ、と。
2 韻律とリアリズムの相克 (中略)
俳句の〈音通〉は、五七五の句切れ目を、同じ母音、または子音でつなぐ手法である。
古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
この句の場合、五七五の切れ目の「やか」がa音の母音で共通しており、七五の句切れの「むみ」がm音の子音で共通している。これが〈音通〉である。
江戸時代には、比較的よく知られた技法だったはずだが、、大正時代以降は廃れた。(中略)〈音通〉は〈口伝〉となったために、〈秘伝〉のように考えられるようになり、神秘性を加えられ、数々の迷信を生んだと思われる。(中略)こうしたこともあって、近代になり、〈迷信〉として忘れられていったのだろう。
しかし、〈音通〉の本質は〈調べ〉である。作品の韻律をなめらかに整えるための手法なのである。
3 ラングとパロール (中略)
個人のパロールが、社会的ラングをどれほど変形させられるか。詩歌とは、そうした営みであろう。(中略)例えば季語には〈本意本情〉というものがあって、とりあえずそれは共通認識ということになっている。(中略)
そうなのである。言葉の意味には、ほぼ客観的に共通認識が成立している部分と、主観的に一部の人どうしが了解し合っている部分があり、さらに、内面に生まれたばかりの新たな意味もある。これは季語にかぎったことではない。
したがって、季語の〈本意本情〉を固定的なものと見ることはできない。(中略)
個人の〈内面〉はデータ蓄積の偏倚の場であり、その偏倚が、パロールという個人的な〈突飛な〉言葉を生み出す。
しかし、実はこのモデルこそが、原始の昔からの言語モデルではなかろうか。そもそも言語を〈内面〉という場に想定していたことが間違いなのであった。思考は常に外部のデータが投影されているのである。
俳句は、連句ほどではないが、やはり言語が関係性の中で培われていくことを教えてくれる。それぞれの俳人には、俳句についての知識の〈情報〉の偏倚があり、その偏倚が、個人的な(突飛な〉俳句を生み出し、その個人的な(突飛な)表現が周囲に影響を与えていく。こんな面白いことはない。
言い換えれば俳人たちはみな不完全なのであって、その不完全さの生み出す突飛さが、言葉をゆたかにしていくのである。
とあった。自句自解の一例のみになるが挙げておきたい。
ピーマンの輪切りの彼方まで夏野
輪切りにしたピーマンをつまんで目の前にぶらさげてみた。いささか芝居じみているが、ルネ・マグリット風の世界観で遊んでみたかったのである。ピーマンも夏の季語になるが、作者の意識としては、この句の季語は夏野。高屋窓秋を想いながら詠んだ。あなたの夏野は、今も私の脳裏に広がっている、と。
「の」「の」「野」というo音の脚韻は意識的。「輪」「彼」「夏」のaの頭韻は偶然のようなものだが、そこにoとaの対照性が生まれている。俳句の調べは重要だ。ほぼ感覚的なものだが、私の場合、意図的に作り出すこともある。 (『納まらぬ』平成十三年)
以下には、本書より、句のみなるが、愚生好みにいくつかの句を挙げておきたい。
岬からはじまる戦後秋つばめ
手に掬うべきものあまた寒の水
冬木の芽なり憤怒にはあらず
遠い約束ひまわりに火を貰う
ヒロシマにブレンドされている何か
忘却がみんな桜になっている
幾万の蛍昭和という谷に
原発に下萠ゆるとは怖ろしき
忘れないための消しゴム原爆忌
母の掌幾度も咲いて毛糸玉
陽炎の骨あるように立にけり
雷兆す体よ僕に付いてこい
窓秋忌声潜めれば紙乾く
この句には、高屋窓秋の忌日は一月一日だから、それを詠む人は少ないが、高橋龍さんの〈終わりなき年の始の窓秋忌〉や大井恒行さんの〈歳旦の箸置きいくつ窓秋忌〉など味わい深い句もある。窓秋が元旦に没した年の七月二十九日に父が没した。平成十一年は忘れようのない年である。(中略) (『ふりみだす』平成二十六年)
と、龍さんともども、愚生句を紹介していただいている(ありがとう)。
秋尾敏(あきお・びん) 1950年、埼玉県北葛飾郡吉川町(現・吉川市)生まれ。
芽夢野うのき「雲ひとつなき空や彼岸まで冬」↑
0 件のコメント:
コメントを投稿