2017年3月31日金曜日

岡田耕治「日本国憲法の蛇穴を出る」(『日脚』)・・



 岡田耕治第二句集『日脚』(邑書林)、本文部分を4章に、それぞれに分けた理由が「あとがき」に記されている。例えばⅠ章については、

 第Ⅰ章「先生」については、一九九六年一月~二〇〇四年十二月まで。「花曜」編集長として、「鈴木六林男に代わって『花曜』を編むこと」というミッションは、否応なく私を育ててくれた。

というように。ブログタイトルにした「日本国憲法」の句は、ただちに師であった鈴木六林男の句「憲法を変えるたくらみ歌留多でない」を思い起こすことができるし、その表現手法を学んだのだと理解できる。こうして、各章にまとめられた章にはそれぞれに岡田耕治のいわば生活を支えた実業での業績も併せて述べられているが、つまり、岡田耕治の現実的な歩みが句の歩みとともに、その変遷として読めるのである。その誠実な在りようにこそ、むしろ岡田耕治の全体が句集として示されているのではなかろうか。
著者も「俳人は、師匠を亡くしてからが勝負」と記しているが、鈴木六林男亡きのちの句業の行く末が「香天」創刊後の道行として、確実に定まったのだといえよう。
ともあれ、愚生の好みでいくつかの句を以下に挙げておこう。

  牡丹の芽友は女のもとにいる       耕治
  緑陰に入り精神をはたらかす
  先生のいつも鞄敗戦日
  聞き耳の至近にありし初時雨
  余命という未来のありて著莪の花
  六日からきざむ九日秋立ちぬ
  赤蜻蛉向き変えるとき高くなる
  虫の声読まずに捨てるメールにも
  えんぴつのひらがなだけの日記果つ
  鰡飛ぶを見ることにしてまだ飛ばず

岡田耕治、1954年大阪府泉南郡生まれ。

 

2017年3月30日木曜日

清水伶「弥生ついたち狐が揺らす昼の月」(『星狩』)・・

 

 ブログタイトルに揚げた句には、「阿部完市氏に『やよい朔日きつねきている姉のなかよし』ありて」の詞書が付いている。句は前書がなくても成立するようにも思えるが、上句がその変奏として、よく理解されないだろうという読者への配慮からかも知れない。もっとも清水伶の句は下五が「昼の月」に収まっているので、いわゆるアベカン流から免れているように思えるのだが。さすがにアベカンの原句は、下句で、創造(想像)された上句からのイメージを大きく外してきて、「姉のなかよし」へと転回する。これは清水伶とアベカンとの句を創る際の作法の違いだからしかたない。
ところで、句集名「星狩」の由来は、次の句から、

  星狩に行ったきりなり縞梟

序文は塩野谷仁「叙情ふたたび」で、掉尾を以下のように結んでいる。

   たましいを華とおもえば霰ふる

 巻末の一句である。「叙情」を本義と弁え、ひたすらそれを追い求めている作者。「叙情」のみなもとは「存在衝動」であり、それは「存在の哀しみ」でもあり、また「たましい」の謂いでもある。そのたましいを「華」と思う作者。その時、たしかに「霰」も降るに相違ない。

ともあれ、愚生好みの句をいくつか挙げておこう。

   蓖麻(ひま)は実に真昼の星座まうしろに    伶
   昼月の消ゆるは知らず飛蝗とぶ
   夕ぐれの蝶の冷たき瞳(め)を撃ちぬ
   おぼろ夜の十指さびしきピアニスト
      悼 大畑等様
   人の死へけぶるまで独楽回しけり
   せきららな寒の孔雀の日暮かな
   永遠のひとさし指に椿落つ
   蛇衣を脱ぎまぼろしの熊野かな

清水伶(しみず・れい)1948年、岡山県生まれ。  



 




2017年3月29日水曜日

川合大祐「中八がそんなに憎いかさあ殺せ」(「川柳カード」終刊号より)・・



「川柳カード」が第14号で終刊する。発行人・樋口由紀子、編集人・小池正博、ともに「豈」同人でもある。愚生のような川柳の門外漢からすると、じつに貴重な川柳の窓だった。俳句が常に俳句とは何か?を問い続けなければ、たちまち俳句が沈んでしまうように、川柳カードの同人たちも常に川柳とは何かを問い続けていた雑誌だったように思う。とはいえ、雑誌は終わっても、これも旅立ちである。個々の作家の歩みは今後とも続くにちがいない。たぶん「川柳カード」としての一定の使命と役割に一区切りつけようということだろう。
 本号の柳本々々「川柳は支えないー兵頭全郎・川合大祐・岩田多佳子ー」では、以下のように述べた部分がある。

 俳句は〈風景〉を描くが、川柳は、人間を描く。これはよく流通している言説である。たしかに、川柳は〈人間を描く〉かもしれない。しかし、、これまでの全郎や大祐の句をみてもわかるように、そうした一般的な言説は疑ってみる必要があるように思う。
 《川柳は人間を描かない》ことを本懐とするかもしれない、と。むしろそのかたちで《人間を描く》。 (中略)

 今回見た三冊の句集を通していま私は思うのだが、川柳が川柳を描かないことこそ、川柳が川柳に似なくなるまさにそのしゅんかんこそが、もっとも川柳的な瞬間なのではないか。川柳というダイナミズムはそこにこそあるように思う。

上記三人の句集の句を以下に、いくつか孫引きさせてもらう。

  ドアノブの無いトイレから漏れる水    兵頭全郎
  変わる季節のどこにも変わらない風景
  」あるものだ過去の手前に未来とは    川合大祐
  こうやって宇宙をひとつ閉じてゆく」
  喉の奥から父方の鹿 顔を出す      岩田多佳子
  エンジンの掛かったままの木が並ぶ



  
 

2017年3月28日火曜日

大本義幸「声なし味覚なし匂いなしこの軀」(「俳句新空間」NO.7)・・・



 「『俳句新空間』第7号ーBLOG俳句新空間媒体誌ー」(発行人・筑紫磐井、北川美美)は今号より、発売元・邑書林で全国の書店から(地方・小出版流通センター扱い)注文、入手可能になった。
今号の特集は「二十一世紀俳句」、「豈」が事実上の年刊模様になっている関係もあって、「俳句新空間」を季刊にし、作品発表の場をもう少し欲している「豈」の同人諸兄に場を広げてもらい、「豈」誌との連動企画のような柔軟な体裁になっている。もっともメインは作品「俳句帖」である。
 本特集「二十一世紀俳句」がなったのは、安井浩司の「叢林の中でー二十一世紀俳句に寄せて」の寄稿を契機として、それを巡って、筑紫磐井・酒巻英一郎・愚生で鼎談をすることになり、加えて若い柳本々々の犀利な評論を掲載する運びに至ったことによる。
「叢林の中で」の最後部分で、安井浩司の檄がとんでいる。

 つい口を滑らしたくなるのだが、”芭蕉以前の俳句”として、俳壇の規範以前の原点、いわゆる己が詩としての一個の俳句作品を書き続ける外は無いのである。(中略)
 されば諸兄よ、征くも帰るもきみ一人である。。師も同志も何処にも居ないのである。そこに在るのは、一本の乞食杖だけだが、それを頼りにいわゆる”二十一世紀”の宇宙に旅立って欲しいのだ。 

この安井浩司論稿に、柳本々々は「叢林の根っこー安井浩司の原稿『叢林の中で』からー」で以下のように結んでいる。

師匠がいないということは、縦の時間軸が崩れ、階層が無くなり、時間が無化され、絶対的審級としての季語さえも問い直されるということだ。それが、「一人」ということだ。

  歳時記は要らない目も手も無しで書け   御中虫

 以下に、「豈」次号から同人として参加される一人一句と,前号評を執筆された、もてきまりの句を「新春帖」から挙げておきたい。渕上信子は短句にして有季定型。

   流星を見たか見ないかのるかそるか    加藤知子
   首か椿か持てない方を置いて行く     佐藤りえ
   花筏全員溺れけり               渕上信子
   豪遊のヴィルスに仕へ咳地獄        もてきまり



2017年3月27日月曜日

丸喜久枝「船霊を抜きて船焼く春の雷」(『青鷹』)・・



丸喜久枝第二句集『青鷹』(書肆麒麟・300部限定,私家版)、装幀は河口聖。句集名は次の句に因む。

    ゆつたりと神の高さに青鷹       喜久枝

青鷹は諸回り(もろがえり)と読み、生後3年を経た鷹のこと。俳人の好きな難読季語のひとつだろう。
磯貝碧蹄館に師事し「握手」同人を経て、現在「円錐」同人。従って句歴も長く句姿のしっかりした句を書かれている。また、くり返し父母のことを詠まれている。

  グァム島の熱砂ぞ父の戦死の地
  父の日や風過ぐ天に父の声
  父散華以後の月日や花菫
  父祖に買ふ地酒二本や寒桜
  母の手の大きく厚し麦の秋
  菜の花や母の野良着の盲縞
  長命の母に好みの菊膾
  初時雨気弱くなりし母を訪ふ
  腰痛は母似にあらず鵙猛る
  一生を農に母老ゆ秋の風
  蓑虫の繕ひ母の居らざりし
  幾千の蟬に鳴かれて母逝きぬ
  無花果や母の形見を着ず捨てず
  葉桜やどこへも行かぬ母笑まふ
  身に入むや母の形見の帯を締め
  
多くの句を抜くことになったが、以下には、愚生好みの他の句をいくつか挙げよう。
 
  峡の田を植ゑて生涯とどまれり
  烏瓜引けば女人のふところへ
  寒菊の気勢ととのふ朝茜
  藤の袈裟かけて微笑む磨崖仏
  石臼を捨てず使はず春埃
    
丸喜久枝(まる・きくえ)1935年生まれ。



2017年3月26日日曜日

羽村美和子「風葬の風のはじまり根白草」(「豈」第135回東京句会)



 本日は、現代俳句協会の総会と重複したこともあるが、いつもより少人数の句会となった。とはいえ、それだけ微に入った批評ができ、充実していた。ブログ掲出の句の「根白草(ねじろぐさ)」は「セリ」の異称、下の杉本青三郎の句「いたちぐさ」は「レンギョウ」の古称、いずれもその名を選び、言葉を選択することによって一句の表す姿に大きく影響することが知れる。
 また、少し早めに句会が終了したお蔭で、愚生は夕刻から行われた現代俳句協会懇親会には十分間に合った。久しぶりに多くの同志にあうことが出来(意気のいい若い俳人にもけっこう会えた)、この歳になるとひたすら健康であることと次の会、と言っても、今年は創立70周年の11月23日(木曜祝日)の帝国ホテルでの参集になるのかもしれないが、また元気で会いたいな、という挨拶になる。
ともあれ、以下に本日の句会の一人一句を挙げておこう。

  いたちぐさチェロを少々悪戯す      杉本青三郎
  転ばぬはこよなき自愛花は春       福田葉子
  ヒヤシンスす・さす・しむとは使役    羽村美和子
  もう一度抽斗探す鳥曇          小湊こぎく
  花一重八重九重のうれひかな       早瀬恵子
  梅残る日向ぽこぽこ歩みけり       佐藤榮市
  水を出て翳なきことも鳥ぐもり       大井恒行




                         現俳総会の行われた東天紅よりスカイツリーを望む↑




2017年3月22日水曜日

鍵和田秞子「スイートピー戦火くぐりし妣(はは)の花」(「未来図」3月号)・・



「未来図」3月号の特集は未来図32周年記念大会。記念吟行や写真がふんだんにあって記念号らしく明るい。通常号の連載ものに、「豈」同人でもある飯田冬眞「現代俳句逍遥」、そして角谷昌子「時代を担った俳人たち㉗ー平成に逝った星々」の興味ある記事がある。その角谷昌子の星々の一つの古沢太穂論が、今号の連載三度目でひとくぎり、次号からはまた別の星を訪ねるのだろう。古沢太穂というと、いわゆる社会性の濃いリアリズムの作品、闘争の過程で多くの佳句、秀句を残した俳人として記憶されているが、角谷昌子の論はそれらに加えてロシア文学による影響を読み解いてみせる。
折しも、古沢太穂生誕100年を記念した大冊の『古沢太穂全集』(新俳句人連盟)と一昨年、戦後70年を期すように『古沢太穂全集補遺ー戦後俳句の社会史』(新俳句人連盟刊)も刊行され、古沢太穂の全貌を知るには格好のテキストが揃ったところだった。その成果を糧に、角谷昌子は以下のように述べている。
  
 五木寛之はドストエフスキーとゴーリキイを対比させ、前者は「ゆるす」人であり、後者は「責める」人だと言う。(中略)それこそがロシア文学が日本人を惹きつける秘密だとも述べる。
 そうすると太穂は、「ゆるし」と「責め」の人であり、「恐ろしさ」と「優しさ」という両極が備わっていた俳人だと思えてくる。

そして角谷昌子が挙げた句の中から以下にいくつかを挙げておこう。

   かかる八月熱いもの食べ空を鞭      『火雲』
   蜂飼のアカシアいま花日本海    『撒かるる鷗』
   怒濤まで四五枚の田が冬の旅      
   霜の土昭和無辜(むこ)の死詰めて逝く 『うしろ手』  
   

ところで、愚生は一度だけ古沢太穂に会ったことがある。それは「俳句空間」8号(1989年)で「さらば昭和俳句」の特集を組んだとき、谷山花猿に「古沢太穂に聞くープロレタリア俳句」についてのインタビュアーをお願いした時だ。確か「道標」の事務所で愚生が立ち合い、その後、近くの呑み屋に一緒に連れて行ってもらったのだ(諸角せつ子も一緒だったように思う)。谷山花猿は現代俳句協会の事務所にもよく顔を出されていて、愚生もよくお会いし、多賀芳子宅での句会でも一緒になったことがある。その谷山花猿が体調を突如崩したと聞いてから幾年もたつ、以来消息不明のままだ。




                                         ワスレナグサ↑

2017年3月21日火曜日

望月至高「父を焼き父を畏れて雲に鳥」(『俳句のアジール』)・・


昨日は、望月至高句集『俳句のアジール』(現代企画室)の出版を祝う会が、三宮・スペイン料理店カルメンで行われた。カルメン二代目オーナーである大橋愛由等(あゆひと)は詩人であり、俳人でもあり、様々な詩祭や企画もやり、まろうど社という出版社もやるマルチな人だ(写真下は月刊同人詩誌「M’elange」120号)。「豈」「吟遊」の同人でもある。



 愚生も実に久しぶりで外の空気にふれるべく日帰り旅で神戸まで出かけたのだ。
会そのものは内輪の会ということで、俳人はごく少数で、本人の望月至高を入れても4人。したがって,そのほかの方々には、初めてお会いする方ばかりだった。
 とはいえ、会は俳人ではない出席者にも(事前に強制なしとされながら)、各人が句集から5句ほど選び送り、それがプリントされていた。選句は重なる句が少なく(けっこう珍しいことだ)、各人の人生上の言語体験を反映して、逆に望月至高の句の幅の広さを示すことになり、各人が選んだ理由もそれぞれで興味深いものだった。
 愚生の選んだ5句は、愚生の好みに偏しすぎたものだったので、以下には、他の人の選句のなかからいくつかを挙げておこう。

   いつからのフランスパンの梅雨湿気    至高
   三寒の墓碑と四温の父母の恩
   薔薇をもて死美と散華の抒情打つ
   サクマドロップもて黄泉へ銀河をローアンドロー
   ふるさとの死者をふやせり吾亦紅
   国家より花の吹雪くを愛でており
   汚染土をはがして大地の油照
   梟の飛び立つ闇を愛(かな)しめり
   春嵐流民貧民避難民
   パンドラの匣の底より”Let it Be”

望月至高(もちづき・しこう)1948年、静岡県生まれ。鈴木六林男最晩年の弟子である。『俳句のアジール』は『辺縁』に続く著者第二句集。現在「六曜」同人。



2017年3月19日日曜日

高澤晶子「母記す平成十年梅漬ける」(「花林花」2017)・・



「花林花」2017(花林花俳句会・代表 高澤晶子)、鈴木六林男の弟子だった高澤晶子を中心とする年刊俳句誌。「編集後記」によると月刊「花林花百十九号」から「花林花」百三十号までを一冊に集成したものだという。旧「花曜」のメンバーと推測する。同人名簿によると13名、他に物故会員6名の名も記されてあった。月例句会の他に現代俳人研究で加藤郁乎、「花林花の作家 その五 榎並潤子自選百句2008~2015年」、くわえて鈴木六林男「オイデプスの眼玉がここに煮こぼれる」の一句についてなど、当該年度の会の活動が伺える。
ともあれ、一人一句を以下に、

  聞こえるは父のしわぶき母の歌    高澤晶子
  白守宮ジュラ紀の匂うこともあり   廣澤一枝
  走梅雨またあらわれる既視の街    石田恭介
  その笑みは僕を溶かして春の水    北山 星
  朝顔の門扉に迫る泥の川       榎並潤子
  大病院裏の静謐水仙花        金井銀井
  古里をかく恋ふと啼く閑古鳥    木津川珠枝
  「次、終点金木犀が薫ります」    狩野敏也
  春愁にゐて王国の真昼かな      原詩夏至
  幽霊にしては日傘をさしてをる    鈴木光影
  螢狩亡き兄も居る柳瀬川       島袋時子
  秋雨に飽きて「たなばた」くちづさむ 福田淑女
  風走り崖(はけ)にキツネノカミソリ来(く) 宮﨑 裕


                                              

*閑話休題

都心に出る用事があり、この機会を逃してはチャンスが無いと思い、「桜 モノクロームで愛でる」展(リコーイメージングスクエア銀座 ギャラリーA.W.P 三愛ドリームセンター ~3月26日(日)まで。500円)を観た。愚生の友人の志鎌猛をふくむ4名(他は榎本敏雄、織作峰子、テラウチマサト)のプラチナプリントでの写真展だ。志鎌猛の便りには、日本では4年ぶりの展覧会で、この「展覧会には、私が生まれ育った武蔵野吉祥寺の井の頭公園と、目下の仕事場からほど近い山梨県身延山で出合った桜の、プラチナプリント6点を出展いたします」とあった。
いつも思うのだが、静謐ななかにも生命の蠢きが感じられる作品ばかりだ。



2017年3月18日土曜日

高野ムツオ「煩悩具足五欲も完備雪の底」(「駱駝の瘤」通信13より)・・



「『駱駝の瘤』通信13、2017年春 3.11 6周年号」(ゆきのした文庫)。同人誌には珍しい大型A4判の雑誌である。その冒頭「《扉の言葉》 フクシマ核災事件」で福島市在住の磐瀬清雄は、

 〈3.11〉から八ヶ月が過ぎた二〇一一年一一月一三日、水俣・白河展の講演会のことである。(中略)
 緒方氏は語った「この原発事故は『事故』でいいんでしょうか?・・・そんなら水俣病は事故か?事件か? 事故と言えば、そこに不可抗力の響きがある。責任が問われなくなる。しかし、水俣病とは、間違いなく工場廃液の垂れ流し不法投棄事件です。海の異変と病気はその結果です・・・」。(中略)
 私は東電と国家の責任を追及する際には、福島原発事故を「フクシマ核災事件」と呼ぶことにする。事件は六年目に入る。避難指示は次々と解除され、何かあるたびに復興復旧が様ざまに演出されるが、事件は深く広く進行中である。

と記している。この磐瀬清雄は別稿でも評論「服部躬治について」を書いている。躬治(もとはる)は明治の歌人にして国文学者。不明にして愚生は初めて知った。
じつは、愚生が紹介したかったのは(俳人つながりで)、同誌掲載の五十嵐進「評論 農を続けながら2017冬」である。それは、江里昭彦が「夢座」174号に書いた「俳人の『生きるじたばた』二〇一六年版」の高野ムツオ『片翅』評に関して、江里昭彦の述べた部分に彼が批評を加えたものである。誤解なきよう全文引用したいところだが、愚生のブログはひと息しか続かない(長くは書けない)。以下に結論のみを抄録する(興味がある向きは誌の購読を申し込まれよ)。

 江里は上の十三句について「蛇足を承知で」二句について評釈している。一句は「蛙声もて楚歌となすべし原子炉よ」。「過疎地」で「抗議の人波で包囲することが望めない」「せめて蛙よ、おまえらの騒がしい声で原子炉を包囲しておくれ」「批判精神と諧謔を俳句形式のうちにうまく畳みこんだ秀作である」とは絶賛であるが、「原子炉よ」の「よ」は呼びかけではないか。原子炉は項羽であり、蛙の声を楚歌とみて、もう味方も敵にまわり、自分は孤立無援の状況なのだ、悟れ、というのがことばに即した読みなのではないか。(中略)「包囲しておくれ」ではないのだ。「批判精神」は読みとれるが、作者はどこにいるのか。静観して句をなす作者がいる。「東北の現状に対峙」とはこういうことか。はたして俳句とはこういうものなのか。もう一句は「煩悩具足五欲も完備雪の底」。「思わず唸った」「煩悩といい五欲といい、腥く、浅ましく、身勝手で、執拗なものだ。でも高野はおおらかに肯定する」「再生のエネルギーとみなす」「かかる肺活量の大きな詩人」と、これも絶賛する。「東北の現状」を核発電所爆発、終わりなき放射能汚染にみれば、これをもたらしたのは「煩悩具足五欲を完備」した人々であり、その価値観なのだ。視野を広げれば、ここに帰結する戦後社会を推し進めたのがこれだ、といえよう。ここでこれを「おおらかに肯定」する姿勢は、必ずや二度三度同じ轍を踏むであろう。原発再稼働はもちろん人を人とも思わない労働社会、沖縄の現状、軍事問題、核武装・・・、根は同じであろう。「現実への感度」が依然として問われている。「大御所様」。

と指弾している(「」内の言葉は江里昭彦の文中のもの)。


            撮影・葛城綾呂 シロバナタンポポ↑

2017年3月17日金曜日

五島瑛巳「母呼ぶ声か父呼ぶ羽根か朝涼に」(『車座同人句集』)・・

                                                          表紙絵・五島瑛巳↑

『車座同人句集』(静岡俳句研究会2017・主宰 五島瑛巳)、目次をみると冒頭に「山頭火の詩」の英訳作品が五島はるか・五島瑛巳共訳で掲載され、五島瑛巳「Only Oneを生きて連衆」、五島はるか「英訳俳句『芭蕉・Ai ison Wooipert」、五島瑛巳「百句」、五島はるか「風光 七十句」、そして各同人三十句の掲載と続く。が、何と言っても五島瑛巳の主要と思われる評論・エッセイも収録されており、また、瑛巳・はるかの略年譜までそろっているので、五島瑛巳の俳句における主要な歩みは一望できる冊子である。
巻尾近くのエッセイ、五島はるか「グローバル俳句への挑戦」には、訳出する際の考え方が以下のように記されていた。

 四ッ谷龍氏はある俳誌でこのようにお書きなられていた。
「西洋人に理解されなくても仕方がないからコンパクトに訳すのかそれとも伝達する事を第一に考えて言葉を補いつつ訳すのか・・・」
私は疑う余地もなく、伝達する事を第一に考えて努力しなければならないと強く思っている。西洋人には理解できないのではなく我々日本人がこの戦後七十年の間に己の国の文明文化を尊ばず、見捨ててきた。我々自身がよく説明できないのである。(中略)
 私はこれから自身の血肉となった世界観を皆様によって活かさせて頂き、グローバル俳句の言葉の壁、見えない人種差別の壁へと挑んでゆきたいと思っている。

五島はるか、1977年静岡県生まれ。ともあれ、各一人一句を以下に挙げておこう。

  死化粧の母美しき月光下      五島瑛巳
  春燈を孤島に吊るす母の魂(たま) 五島はるか
  亡き夫とふらここ漕ぐや花の昼  小谷野三千世
  鋼鉄の残響海馬をすりぬける    池谷洋美
  我が裡にファシズムの蟲霾(むしつちふ)れり  山本幸風
  夕焼けが父に戦火を言はしむる   服部椿山
  雪降らぬ町に生まれて雪の歌   小野田風馬
  林立の鉄砲百合や名の哀(あわ) 村田明王
  松手入れ触れなむとして夕三日月  竹下風魚
  夏入日ブナンバナンに石の熱    井上花風
  香花をいくつ供(く)すれば亡夫(つま)に会ふ  小坂恵如
  亡父(ちち)の瞳(め)に海光こぼるる敗戦忌   荻須稔男
  手を離す姉妹に茅の輪くぐりかな  鈴木徳子
  群衆の口中が見え大花火      渡辺幸枝
  白富士に喪の闇もあり歌もあり   小坂由起乃
  

   
  
  


2017年3月12日日曜日

増田まさみ「天涯をはみだす橇と人馬かな」(『遊絲』)・・



増田まさみ句集『遊絲』(霧工房)は、著者第三句集、「あとがき」に「収録した作品二五〇句は、すべて詩歌文藝誌『ガニメテ』に掲載(2010~2016)されたものである」という。

帯文に、「《穴》は再生のシノニムである。」とあり、それに添うように各章題はⅠ「水の穴」、Ⅱ「蟬の穴」、Ⅲ「風の穴」とある。

  蟬穴に星流れゐるこひびとよ     まさみ
  蟬穴も火口もさみし歯を磨く
  密葬のあとの眩しき蝉の穴
  見失う蟬穴ひとつ御魂ふたつ
  
再生とは死をはらむものなのか。『遊絲』の集名は、

  かげろうや太古を奔るわが屍

に拠っているのだろうか。
余談だが、かつて増田まさみが「日曜日」という同人誌を出していた頃、攝津幸彦が「豈」と合併して「豈の日曜日」を出さないか、ともちかけたとか(冗談だとおもうが・・)。その後「日曜日」が廃刊して冨岡和秀、亘余世夫などが「豈」同人になってくれたのもそうした縁があったからかも知れない。

追悼句が2句、

    悼・たかぎたかよし
  慟哭の蚯蚓を見たり路傍の死
    悼・流ひさし
  一月の真空をいく羽音あり

たかぎたかよしの詩の「蜻蛉」の一行に、

 ここに落とされた命の慟哭

があり、それを踏まえている。あるいはまた、


  鷗忌や荒海ばかり抱くまくら

「鷗忌」は三好達治の忌日、その詩「鷗」は、「ついに自由は彼らのものだ」に始まり、同じ一行で終る。

ともあれ、久しぶりに読む増田まさみ調の句、愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。
  
  人間は戦争がスキほたるが好き
  春霖や遥か人馬を濡らしたか
  虚貝(うつせがい)ごまんの春を死に代わり
  天上も溺るる海にすぎざらむ
  くちびるの水位は寒し天の川

ちなみに発行所の霧工房は自身の工房、最近は句集の装幀者としての増田まさみをよく目撃した。本集の表紙画は、川柳作家の墨作次郎。
  





2017年3月11日土曜日

石牟礼道子「祈るべき天とおもえど天の病む」(『俳誌要覧ー2017年版』より)・・



『俳誌要覧・2017版』(東京四季出版)の生駒大祐「受賞作を読もう『俳句が俳句であったために』」に以下の記述がある。石牟礼道子句集『泣きなが原』について論じられたものだ。

 僕にとっての「その言葉が俳句であるかどうか」の必要条件は「継承性があること」である。継承性とは、その作品が過去の俳句作品から何かを引き継いで一句を成立させているということだ。そう考える理由には積極的な理由と消極的な理由がある。(中略)
 これらの理由において、残念ながら僕は本句集に収められた言葉たちを俳句とは呼べない、ということになる。これらの言葉は詩としての象徴性や含意を色濃く保持しているものの、過去の俳句からの継承性に極めて欠けている。これは優劣の問題では全くない。これらの言葉は優れた詩ではあっても、俳句であると胸を張って呼べないということだ。 

他の賞の受賞句集を評した分量よりもはるかに突出した分量を費やしての自説の開陳である。かたくなにではなく、俳句の言葉とは何か、という問題に触れようとしている。それは同時に俳句とは何かという問いでもあろう。
あるいはまた、上田信治は「『中心が見えない』で、

 二〇一六年の俳句界は、この二十余年変わらない求心性の低下の過程上にあり、ジャーナリズムは序列的秩序の追認においてのみ機能し、同時代俳句の可能性・方向性を示すことに成功していない。

と、あらためて指摘している。
ともあれ、ここでは、紹介しきれないが、本年『俳句総覧ー2017版』の批評の水準といい、現在の俳句界を展望する執筆陣、多くは若手の起用だが、各執筆陣がそれらによく応えていよう。その論評の分析力において、他の俳句総合誌の年鑑類を間違いなく凌駕していると思われる。
以下に、その執筆者とタイトル(のみだが)を紹介しておこう。
岸本尚毅「書き手と読み手の『共進化』」(【平成二十八年の俳句界】)。青木亮人「目利きと、承認とー俳誌の『評論』、そのいくつか」、外山一機「しずかで、たしかな仕事たち」(以上【評論回顧】)。〈川柳〉柳本々々「現代川柳を遠く離れてー任意のnとしての二〇一六年」、〈連句〉小池正博「顕在化する連句精神」、〈研究〉安保博史「蕪村研究最前線の動向(以上【俳文学の現在】。黒岩徳将「新たな地平が見えた」(【甲子園をふりかえる】)。堀下翔「見通しが変わった年」、鴇田智哉「私性を巡って」(以上、【いま、短歌が気になる】)など。



2017年3月9日木曜日

永田耕衣「夢の世に葱を作りて寂しさよ」(「汀」3月号より)・・



 「汀」3月号には堀切実「永田耕衣の俳句観(一)」が掲載されいる。(一)とあるからには連載になるのだろう。副題は「-イロニーとアレゴリー -」である。論の枕に石田波郷と永田耕衣の交友に触れて、いわば「汀」の師系に対する挨拶から書き起こされている。そして、

 耕衣にとって「イロニイ精神」とはそのまま「批評精神」であったり、また「俳句の思想」でもあったのである。そして当時の現代俳句に要求された「批評精神」はまさに「批評精神のイロニイ化」によってしかなし得ないものだろうとみる。

と述べる。愚生は永田耕衣というと、その弟子ぶりに、師・耕衣を仰ぎ続けた安井浩司を思いうかべるのだが、その安井浩司は「夢の世の」耕衣句に、

 耕衣がこの句で述べた〈夢の世〉とは何なのか、というとであった。夢の世が作者耕衣が心中に展いた夢の世と、読者の私が率直に心中に展いた夢の世と、どこか違っていたのではないかということであった。私が、この不思議なぼかし(傍点あり・・・)に思いを高ぶらせた夢の世とは、いわゆる夢の世界であって、これは此岸と隔絶した夢幻絶対の世界であり、そこにきわめて卑俗な葱を発見した永田耕衣の恐るべきイロニーを看取していたのである。(「歳月の方法」昭和48年「俳句評論」142・143合併号)

 といい。「闇の思想」(昭和45年「俳句評論」101・102・103合併号)では、その俳句のイロニーについて、

 俳句はすでに最小の形式であり、その中での革命は、共喰ひに終わるーーと揶揄したのは吉田一穂である(「桃花村」)。私が、この言葉に多少とも感ずるところがあるのは、形式の残酷さ、ということだけではない。いや、まさしく形式の残酷さそのことなのだが、形が形へ反転するイロニーの残酷さとして感受する。俳句は、イロニーの形式ではない、形式そのものがすでにイロニーなのだ。

 と述べた。いずれも半世紀近く以前、確かに現代俳句が熱かった頃の、或る意味では現在でもなお掛け替えのない言説であろう。そして、晩年の人であり、恩師であった永田耕衣は97歳をもって帰天(1997・8・25)したのだった。

  近海に鯛睦み居る涅槃像       耕衣
  踏切りのスベリヒユまで歩かれへん
  枯草の大孤独居士ここに居る
  枯草や住居無くんば命熱し




2017年3月8日水曜日

武藤紀子「純白の薔薇は翼をはづしけり」(『冬干潟』)・・



 武藤紀子『冬干潟』(角川書店)。掲出の句「純白の薔薇」もそうだが、武藤紀子は白の作家である。付会と言われそうであるが、集名「冬干潟」にも白の印象が匂う。白といえば、愚生には高屋窓秋「頭の中で白い夏野のなつてゐる」を思い浮かべ、また。金子兜太の「人体冷えて東北白い花盛り」なのである。が、『冬干潟』にも白の佳句が眼に入る(多にも多くの白、印象の白があるが・・)。

   蝋燭五箱線香五箱雪残る           紀子
   青空の定家かづらを幣かとも
   薬師・観音・地蔵・烏帽子に残る雪
   雪解や白樺に触れ白き脂
   凍りたる白たぐひなき忘れ潮
   白息をもてさやうならさやうなら

中田剛の友愛あふれる跋「干潟からー武藤紀子論」には、ある句会の場面が描かれている。

(前略)武藤さんは〈御手にのる柑子蜜柑のごときもの〉〈際載金のひかりをかへす薄氷〉などを出されていた。とくに〈截金のひかりをかへす薄氷〉は、取ろうかどうしようか随分迷った。結局〈ひかりをかへす〉も箇所に隙がなさすぎて、かえって慎重になった。  

よく言い留めた評だと思った。この評は本句集の句群についても言えることだ。もちろん隙がないのは悪いことではない。よい意味でいえば完璧な句姿なのであろう。ともあれ、さらに以下に愚生好みで、いくつかの句を挙げておこう。

  踏青や我に焦土の記憶なし
  かぎろへるものの一つに漏刻も
   「円座」創刊号に載せた句を再びここに掲げる。そは、清水喜久彦
   への追悼句であると共に、私の辞世の句でもあるからである。
  我に円座君にかたみの髫髪松(うなゐまつ)
  古き世の貌して神の小鳥来る
  をがたまの花咲く真昼死の匂ひ
  鬱王の忌の花蕊に手を汚し




 
  
   

2017年3月6日月曜日

所 山花「ここよりは冒険の旅老の春」(『山こそ思へ』)・・・



所 山花『山こそ思へ』(文學の森)の集名となった句は、

  兎追ひし山こそ思へ葛の花     山花

高野辰之作詞の唱歌「ふるさと」を踏まえた句である。著者自身の故郷・岐阜県揖斐郡(旧)長瀬村を二十年ぶりに訪ねた折り、2009年の作品だという。著者は本年90歳を迎える。ブログタイトルにした句「ここよりは冒険の旅老の春」には、たとえ高齢であってもなお志を失わない潔い姿勢が伺える。句歴もながく,「鶴」に拠り、師は石田波郷である。したがって石田波郷を詠んだ句は枚挙にいとまがない。

  水仙やすべて遺書めく波郷の書
    岸田稚魚氏を悼む
  波郷忌に続く稚魚忌となりにけり
  春三日月永久にやさしき波郷の眼
  酒中花は波郷の椿ひとつ咲く
  師の忌まで残す一顆の富有柿
  青柿や風鶴忌には遠かれど
                    風鶴忌は波郷忌のこと

波郷忌は11月21日、稚魚忌は11月24日である。著者はまた地域でさまざまな活動もされているらしく「岐阜藍川九条の会」の呼びかけ人にもなられているという。便りには「私にとって、平和を考える原点は『沖縄』だと考えておりますが、平和憲法が作り出してきたこの70年間と憲法九条を孫子の時代に伝えるべく、今後も句作を通して精進しいたす所存です」とあった。
 というわけで沖縄の句も多い。

   歩き歩きて沖縄戦の汗噴けり
   異国基地撤退をこそ揚雲雀
   被弾して落花無尽の特攻機
   波花は海のまぼろし沖縄忌
   葱坊主より玉砕の兵のこゑ
   アダンの実抱きてこそ恋へ不帰の子ら
   ペン持ちてゐるだけのこと原爆忌
   凧揚げて戦に遠き国の子ら

他にも愚生好みの佳句、秀句を以下にいくつか挙げておきたい。

  消え花の谷来れば春雪の国 
    「消え花」は長野県北部山村の方言。
     春の暖気のため田の雪の白色が消えて青灰色半透明
     になること。「消え花がきた」ともいふ。
  噴水や忘れられゐる被爆死者
  海のしわ陸(くが)のしわ梅雨の千枚田
    学校のオルガンを弾いて出陣せし学徒兵あり
  冬紅葉オルガン永久に音を絶つ
  晩年の母に柚子の香この世の香
  陽炎(かげろう)や兵の墓より兵のこゑ

所山花(ところ・さんか)1927年、岐阜県生まれ。





  
  
  

2017年3月5日日曜日

瀬山由里子「星月夜腐食銅板進行す」(『織と布そして猫とヴェネツィア』)・・



瀬山由里子著『織と布そして猫とヴェネチツィア』(風の冠文庫)。著者は昨年3月に膵臓がんにて死去。享年70.略歴によると、「2001年「鬣」創刊に参加、同誌にエッセイ、書評を発表。自宅では児童文庫『山猫文庫』を開いた。元群馬県立図書館嘱託司書。大学時代に詩を書き始め、詩集に『撃たれることを夢見ていた鳥』(自費出版 1969)」とあった。巻末に「鬣」同人を主軸とする追悼句、追悼文、そして跋文にかえて瀬山士郎「さよなら」が収載されている。それらを読むと、「鬣」のなかでは特別に慕われ、かつ優しさに満ちた人柄だったことが知れる。
瀬山さんには袋物作家としての顔がある」(林桂)という。そしてまた、永井江美子は「存在の優しさ」で以下のように記している。

 十二月にお邪魔すると、みんなびっくりするような素的なバッグをたくさん制作していた。手仕事ができることがとても幸せだと、せっせと手を動かしながら話してくれた。由里子さんの触れるもの話すもの全てに光が宿っていくような、優しくて美しい時間の中にいた。私は死に対する概念が変わっていった。自分らしさを大切に生きた由里子さんは本当にかっこいい。こんな人に出会うことはもうないだろう。由里子さんありがとう。これからもずっと大好きだよ。

瀬山由里子は書評のなかで「『白夢』浅香甲陽 『療園断片』竹内雲人ー知られぬ句業・俳人たち」において、

”風の花冠を捧げる・・・世俗の栄誉を表す冠の対極にある、詩人の名誉を讃える意味である。花は自分の美しさで輝く。風はその美しさを讃え磨く”俳人として生きる彼自身の覚悟がこの言葉にあらわれている。われわれは復刻されたおかげで簡単にこれらの句集を手にすることが可能になった
。(中略)

   喉管を白き狐が夜夜覆ふ       甲陽
   東風吹くや朝の玻璃戸に曇りなき  雲人

と書き記している。いま、その「風の冠文庫」で自らの遺稿が出版されることになるだろうとは、たぶん予想だにしていなかっただろう。ご冥福を祈る。



2017年3月1日水曜日

関悦史「テロの中に汝が肉と魂冬の雨」(『花咲く機械状独身者たちの活造り』)・・



 関悦史第二句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』(港の人・2000円+税)。関悦史の生れは1969年㋈、茨城県土浦市。第一句集『六十億本の回転する曲つた棒』(邑書林)も確か800句を超える句が収載されていたように思うが、本句集は、それにも増して「二〇一一年末から二〇一六年冬までの既発表句(および未発表句の数句から)一四〇二句を内容。傾向により大別して収めた」(「あとがき」)とあった。
というわけで、といささか言い訳めいてはいるが、一句一句息を留めて時間をかけて読むという仕方ではなく、散文、それも物語か小説でも読むように行を読み進めた(1ページ8句立て)。それにしても、さまざまな試みと同時に、関悦史の想いの在り様をなぞるように言葉が追いかけてくる気配が感じられるものだった。誰だったか、無意識は機械である、と言ったのは・・・。ただ「花咲く機械状」には、無意識的な不分明さは余り感じられない(愚生には分からない言葉が多々あるが)。それは作者と作品の距離が意外と近いとこころにあって、ほぼ等身大に表出されているからだろう(生身なのである)。活造りのゆえであろう。
 読者諸兄姉には、是非、本句集を手にしていただき、この句集の醍醐味を愚生とはまた別の感受で読んでもらいたい。ともあれ、いくつかの句を紹介しておこう。

   土浦の日先(ひのさき)神社社殿には、千羽鶴とともに獣の尾の如きが幾つも垂れ
 兵の妻らの髪束凍る社かな           悦史
 ここに不意に線量計付き精米機建つ片蔭
 口と陰唇かろくひらきてドールの秋  
   二〇一一年一二月一〇日 皆既月食、中井英夫忌、『虚無への供物』幕開けの日が重なり
 皆既月蝕見上げわれらも供物なる
 安全富裕地帯(ぐりーんぞーん)に危険貧困地帯(レッドゾーン)接す旱かな
    またやるんですか
 白息の祖母竹槍を手に整列
 報道自由六十一位目借時
    翌年さらに七二位に下落
 すべりひゆ耕衣歩むを面白がる
 無愛(むあい)これソメイヨシノは皆クローン
 ポテトチップ挿せば翼や「ひよ子」の春
 流氷と流れ来(く)つかみあふ兵の凍死体 
 蟬氷痼(せみごおりひさしくなほらないもの)