2017年3月8日水曜日

武藤紀子「純白の薔薇は翼をはづしけり」(『冬干潟』)・・



 武藤紀子『冬干潟』(角川書店)。掲出の句「純白の薔薇」もそうだが、武藤紀子は白の作家である。付会と言われそうであるが、集名「冬干潟」にも白の印象が匂う。白といえば、愚生には高屋窓秋「頭の中で白い夏野のなつてゐる」を思い浮かべ、また。金子兜太の「人体冷えて東北白い花盛り」なのである。が、『冬干潟』にも白の佳句が眼に入る(多にも多くの白、印象の白があるが・・)。

   蝋燭五箱線香五箱雪残る           紀子
   青空の定家かづらを幣かとも
   薬師・観音・地蔵・烏帽子に残る雪
   雪解や白樺に触れ白き脂
   凍りたる白たぐひなき忘れ潮
   白息をもてさやうならさやうなら

中田剛の友愛あふれる跋「干潟からー武藤紀子論」には、ある句会の場面が描かれている。

(前略)武藤さんは〈御手にのる柑子蜜柑のごときもの〉〈際載金のひかりをかへす薄氷〉などを出されていた。とくに〈截金のひかりをかへす薄氷〉は、取ろうかどうしようか随分迷った。結局〈ひかりをかへす〉も箇所に隙がなさすぎて、かえって慎重になった。  

よく言い留めた評だと思った。この評は本句集の句群についても言えることだ。もちろん隙がないのは悪いことではない。よい意味でいえば完璧な句姿なのであろう。ともあれ、さらに以下に愚生好みで、いくつかの句を挙げておこう。

  踏青や我に焦土の記憶なし
  かぎろへるものの一つに漏刻も
   「円座」創刊号に載せた句を再びここに掲げる。そは、清水喜久彦
   への追悼句であると共に、私の辞世の句でもあるからである。
  我に円座君にかたみの髫髪松(うなゐまつ)
  古き世の貌して神の小鳥来る
  をがたまの花咲く真昼死の匂ひ
  鬱王の忌の花蕊に手を汚し




 
  
   

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