2019年10月31日木曜日

山﨑十生「枯れてまでそよぎたくないけどそよぐ」(『未知の国』)・・



 山崎十生句集『未知の国』(文學の森)、著者「あとがき」には、

 本句集は、番外句集を除いて第十句集となります。処女句集は十九歳の時に出しました『上映中』ですから、俳句生活五十六年間に於いて番外句集を含めて第十四番の一書となります。番外句集には『原発忌』もあります。

 とあり、

  本句集の題名『未知の国』は、「みちのく」と「未知の句」に出会えることを念じて。次の句集は『未知の国』と決めていたものです。

 とあった。さらに、

 大震災以後は、私は軽度の手術を幾つか受け、心臓の手術や腎臓癌に依る左腎臓の全摘と健康の面では不安だらけでした。その後、妹や母の逝去と思いもかけない出来事に遭遇しました。

 とも記されていた。山﨑十生は、関口比良男の「紫」を継承し、その主宰でもあり、「豈」の最古参の同人でもあるが、俳句関係の協会や文化活動の面、その他の役職などで多忙を極めているようだ。身体を労わってもらいたい。




 届いた「紫」11月号によると、本句集は東日本大震災以後の、災害や社会性を中心に編集したので、それ以外の作品は、第11句集『銀幕』として来年刊行の予定だそうである。 また「紫」11月号の「紫」外の執筆者は、作品鑑賞ページの松下カロ「螺旋階段ー『不可知と不可視』」と小野あらた「焦点深度ー『詩情』」であった。ともあれ、本句集よりいくつかの句を挙げておきたい。

  ダージリンティー毎日が原発忌     十生
  未知の苦の角組む葦が生む水輪
  鍵のない空につぎつぎ桜の芽
  人間の剥製原爆記念の日
  日本忌近し最中のなかに餡
  風入れの空き家もういない筈の父
  長き夜や三尸(し)の虫をとどめおく
  鳩を吹くことに長けたることかなし
  まだ力不足の初日でも拝む
  霜柱滅する力蓄へる
  原発の恩恵何だったのか煮凝

 山﨑十生(やまざき・じゅっせい) 昭和22年、埼玉県生まれ。

2019年10月29日火曜日

葛城綾呂「切株はいま月光に爆發せり」(「未定」創刊号)・・


                                            「未定」創刊・1978年・・・

 葛城綾呂が亡くなった。昨日、28日22時6分と娘さんからのメールにあった。体調が急変し、救急車での搬送だったという。詳しいことは、分からないが、エンディングノートに名があったので、知らせてくれたのだという。たぶん愚生と同じ歳だから享年71だと思う。いつの頃からか、草花などの写真をメールで送ってきてくれていたので、それを愚生のブログにアップしていたのだ。愚生は、一時期、多い時にはほぼ毎日、最近では、二、三日に一度のペースでブログを書いていて、たまさか忙しすぎて10日間くらいのアップをしなかった時など、愚生が倒れているのじゃないかと心配してメールをくれていた。お互いこの歳になるとそういうこともありえるのだが、骨折をしたり、病中とはいえ、まさか急逝するとは、つゆ思わなかった。
 葛城綾呂は愚生と同じ山口県生まれ、彼は徳山高校だったらしいから、昨年の俳句甲子園で母校が優勝したときはけっこう素直に喜んでいた。彼は大中青塔子(祥生)「草炎」のもとで、高校生のころから俳句を作っていたらしい。そして嘱望されていた。愚生や攝津幸彦、澤好摩、夏石番矢、小林恭二、林桂、藤原月彦(龍一郎)、武馬久仁裕、横山康夫などと同じく「未定」の創刊同人22名の一人だった(1978年12月)。
 娘さんのメールによって、長い間、本名、とりわけ名は知らず、葛城綾呂の本名・石原隆を初めて認識したのであった。そういえば、若き日、腰痛持ちで和室での句会では横になっていたこともあった。
 それにしても無念の極みである。ひたすら冥福を祈るのみである。

   霜月の綾呂あやなす葛城は    恒行

 ともあれ、今手元にある数冊の「未定」より、若書き、20歳代の作をいくつか以下に挙げておこう。

   金曜の日なたに赤き貝の舌     綾呂
   花々も藁人形も添ひ寝せり
   ぬばたまの蝶の鱗を著て告らさね
   蛇の肉かの蛇となりて往ねり
   姉似なる座敷わらしを折檻せよ
   夜間飛行の電気くらげは自転せり
   朧夜や銃砲店の鳩時計  


★閑話休題・・・葛城綾呂は、「宇宙葬」と言い残したという。よって、「11月2日は火葬のみの家族葬にし、1日までは遺体を葬儀社に安置して皆さんにご自由にご焼香していただく、という形にしました」との知らせをいただいた。

場所は、地下鉄南北線・王子神谷駅近くの鈴木葬儀社(北区王子5-18-13、電話03-3911ー0234)。24時間自由に焼香が可能だのことである。    


2019年10月28日月曜日

井越芳子「しらかばの木の間あかるき花鶏かな」(『雪降る音』)・・・



 井越芳子『雪降る音』(ふらんす堂)、井越芳子にとっては、『木の匙』『鳥の重さ』続く第3句集、平成19年暮れから平成30年4月までの372句を収載。帯文の惹句は、髙橋睦郎。それには、

 井越芳子さんは耳の人。
 もののほんらい持つ内なる音につねに聴覚を澄ましつづける。目の欲望の過剰がその句にはみじんも無い。この寡欲から生まれる豊穣は潔いばかり。

 とある。また、著者「あとがき」の中には、

 (前略)雪降る音の向こうに母がいるような気がした。私が希求する何かがあるような気がした。認識をもので捉えてゆくことが大きな課題だ。どう表現してゆくかが大きな課題だ。ここでたまった言葉をすべて空っぽにして、また一から出発したい。

 と現在の思いを述べている。本集における井越芳子は、水の作家である。夥しい水にかかわる句がある。それはどれも、たぶん彼女の投影であろう。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておきたい。

  白南風や水より上がりくる一騎       芳子
  秋の暮水のやうなる街見えて
  冬晴れの水の上を水流れけり
  水中の音に隔たり雪降りだす
  戸口より真昼の見ゆる落花かな
  蜻蛉のときどき水をさはりけり
  銀杏散る水中半ばより昏く
  水の面に降り込んでゆく花の影
  母の音どこにもあらず月の家
  日輪を貼りつけにしてふぶきけり
  国のはじめのきさらぎの水の音
  水見えて水の音なき桜かな
  天魚ふふめば夜はもう一度やつてくる
  生まれてこなかつた子供花の中
  すかんぽや日の中心は草の上  
  
井越芳子(いごし・よしこ) 1958年、東京生まれ。


2019年10月25日金曜日

鍵和田秞子「日なたから木々は痩せゆく黄落期」(『火は禱り』])・・




 鍵和田秞子第10句集『火は禱り』(角川書店)、著者「あとがき」に、

 戦中、防空壕で読んだ『方丈記』が私の心に無常観を育てた。やがて西行から芭蕉、さらに近現代俳句へと流れる文芸の本質を考えるにつれて、根本を貫くものは「風雅の誠」であることに思い至った。
 草田男先生は、文芸の「絶対」を生涯かけて求め続けた。私はとても先生のようにはいかないが、俳諧の真実を大事にして一筋の「風雅の誠」の道を歩み続けたいと思う。老いの身にとって、まことに心許ない歩みであるが、俳句の新しみを探り、文芸の世界の無限の天空を見つめてゆきたい。

 とある。集名に因む句は、
 
  火は禱り阿蘇の末黒野はるけしや    秞子

 である。鍵和田秞子はかつて大磯の鴫立庵の庵主だった。愚生が月刊「俳句界」のグラビア撮影で、そちらに伺ったおり、「髙柳(重信)さんには、『俳句研究』に随分書かせていただいたのよ」と仰っていた。また、確か、成蹊大学の構内に草田男の句碑が建立された折りもお邪魔させていただいた。現在、愚生がシルバーの委託仕事で働いている府中市中央文化センターでは、「未来図」の句会も開かれているが、今は句会指導には来られていないとのことだった。本復を祈っている。ともあれ、以下に、いくつかの句を挙げておきたい。

  西行忌歩けぬ木々は葉を鳴らす
  藤揺れてみ空に汚れなかりけり
   大淀三千風は鴫立庵第一世庵主
  三千風の避寒の庵や磯晴るる
  梟も老いたり鬼を追ふ日なり
   楸邨に「鰯雲人に告ぐべきことならず」あり
  鰯雲なかば崩れて何を告ぐ
   回想
  敗戦の焼け跡の野も灼けてゐし 
  月光の瓦礫の景は胸に納む
  どんど立ち太平洋は紺を張り
  開戦日雲なき空をふと恐る
    虚子の「帚木に影といふものありにけり」に和し
  帚木にたましひの紅ありにけり
  いのちとは水を欲るもの原爆忌

 鍵和田秞子(かぎわだ・ゆうこ) 昭和7年、神奈川県生まれ。
  


  

2019年10月24日木曜日

八木幹夫「簪(かんざし)や遊女がねむる春座敷」(『郵便局まで』より)・・



 八木幹夫詩集『郵便局まで』(ミッドナイト・プレス)、ブログタイトルにした句は、詩編「かんざしの時間ー金沢にて」に挿入されている末尾に置かれた句である。巻頭に置かれた句は、「阿弥陀仏となえ坂ゆく宝泉寺」。著者の号は山羊という。その号での詩篇に挿入された短歌もある。

 ますぐなる杉の神木ゆがみたるわが生涯と並び立つるも             山羊
 糾(ただ)す声ききて寂しき黒白(こくびゃく)をつけたるものに眞(まこと)なきゆえ

 収められた詩篇は40編、初出一覧を見ると2002年から2019年。この間に詩友を多く亡くされている。愚生の知っている人もいる。その人たちに捧げられた詩もある。長田弘、辻井喬、井上輝夫、辻征夫、清水昶など。 たまたま、眼にした書評、久保隆「詩語を重層化させて不思議な物語を生起とつひとつに」(「図書新聞」10月16日・第3420号)には、



 八木幹夫の詩編に接するといつも、いいようのない心地いい感慨に浸ってしまうことになる。(中略)
 詩は一篇一篇がひとつの作品だ。だが、詩集に纏められた時、一篇一篇は、長編小説の一章のように長い物語性を胚胎していく、八木幹夫の詩集は、わたしにとって、特にそのことを強く感受させてくれる。それはたぶん、八木幹夫の優しさや淋しさといった感性が詩語ひとつひとつに潜在しているからだといいたい気がする。

  と記されている。ともあれ、もっとも短い詩を一篇以下に挙げておこう。

      西瓜のひるね

 こどもを抱いた
 こぶりのスイカのような重さだ
 まるい眠りに錘(おもり)がついている
 落としてはいけない不安の重さだ
 みずみずしいスイカの香りと
 ミルクの匂いが
 部屋いっぱいに広がる
 笑顔のしらが頭が
 スイカを抱いている
 (いま ここには 
 どんな夢が渦巻いているのだろう)

 今日は暑すぎるので
 夢について考えるのはおしまい
 発熱する
 子供のあたまよ 
 団扇(うちわ)の風に
 冷やされて
 ねむれ スイカよ
 いっしょに わたしも
 

 八木幹夫(やぎ・みきお) 1947年、神奈川県生まれ。



2019年10月22日火曜日

中谷みさを「ゆき止まりのないこの道息深く吸う」(「句抄覚え書き/自由律俳句 周防一夜会」)・・



「句抄覚え書き抄 その三十六」(令和元年 2019秋 自由律俳句 周防一夜会)、巻頭の辞は、T.Sエリオット「伝統と個人の才能」が久光良一よって引用されている。それには、

 (前略)詩人の仕事は、新しい情緒を見出すことではなく。普通の情緒を用いながら、それを詩に作りあげてゆく際に、現実の情緒にはけっして存在しないような感触を表現することなのである。

 と、ある。本集は毎年発行され、自由律俳句の灯を絶やすことない志を堅持している。各人の作品とエッセイでシンプルにまとめられている冊子である。ともあれ、一人一句を挙げておこう。

  年とったとも思わず新しい年重ねてゆく   中谷みさを
  夕焼のベンチに終った恋がすわっている    久光良一
  幼き声も聞こえる嬉しいお正月        甲斐信子
  ご自由に耳あててくださいとあり貝の中の海  加治紀子
  梅雨入り ポツポツと雨粒かわいた葉を滑る 村上ミチヱ
  赤陽に煩悩投げうち燃えよと叫ぶ       吉川窓心
  風吹いて田布施川下る花いかだ        久光時子
  風につまづく老いの足            山口綾子
  心許した人の無言の別れ 山茶花散る     小藤淳子
  水たまり飛ぶのをやめて遠回りする      石田帝児
  裸木の枝先に光が春を結んでいく      藤井千恵子
  あの角を曲がってあなたは来ない烈日     吉村勝義
  うわのそらで聞き流した後悔        小村みつ枝
  目標なき目的自分を動かす御朱印が      山本哲正
  竹と潅木 切っては焼き切っては焼く    國本英智郎


2019年10月21日月曜日

寺田京子「日の鷹が飛ぶ骨片となるまで飛ぶ」(『寺田京子全句集』より)・・



 寺田京子『寺田京子全句集』(現代俳句協会)、「後記」をしたためた宇多喜代子は、

  手を尽して寺田京子のご遺族や関係者などを探したがいずれも不明、生前、寺田京子と親しかった平井さち子も先年なくなった。したがってしかるべく手続きを経て、『寺田京子全句集』刊行委員会の責任においての出版となった。

 と、経緯がしるされている。刊行委員は、小檜山繁子・加藤瑠璃子・九鬼あきゑ・神田ひろみ・江中真弓・宇多喜代子である。栞文は林桂「雪の精」。その中に、

 (前略)全句集の京子は、圧倒的な言葉の強さを持つ作家である。『冬の匙』の京子は境涯性の高い作家だが、『日の鷹』の京子は社会性の強い作家だ。その二つが融合するように『鷺の巣』『雛の晴』の世界へ向かって行く。次第に穏やかになるものの、言葉のごつごつ感がある硬派の作家である。同時代にこのような言葉の質を持つ女性作家は稀有だろう。その存在感を改めて知る思いでいる。

 と、記している。いくつかの句を以下に挙げておきたい。

  少女期より病みし顏映え冬の匙 
  霧の夜へ一顏あげて血喀くなり
  ものいつてをらねば不安火蛾の闇
  水打つや生きる父より亡母恋し
  鵙に血を売る女の数より荒男のかず
  煖炉照り赤児抱きたし抱かれねば
  零下の汽笛今日生き通す声あげて
  待つのみの生涯冬菜はげしきいろ
  水張りつめ洗面器の冬生きのこる
  死後は無の凧わらわらとのぼりゆく
  氷橋人の渡りを犬が見る
  雪だるま泣きぬにわかの月あかり
  一生の嘘とまことと雪ふる木 

  寺田京子(てらだ・きょうこ) 大正11年、札幌生まれ。昭和51年没。享年54。




★閑話休題・・・九鬼あきゑ「生も死も花菜明りの中にあり」(『海へ』)・・・


『寺田京子全句集』刊行委員の一人であった九鬼あきゑ、その急逝により『海へ』は遺句集となってしまった。原百合子(「椎」同人)が「あとがきに代えて」で、

『海』は、九鬼あきゑ先生の第四句集です。
先生は、本年一月来、この句集の刊行に向けて準備を進めておりましたが、体調が急変し、二月十九日に逝去されました。

 と記している。享年76。まだまだこれからの時に、と思うと無念はいかばかりか。現代俳句協会の年度作品賞選考委員になられて、愚生はただ一度しか同席できなかった。加藤楸邨、原田喬の弟子であり、選考についての柔軟な姿勢といい、いい句はいいとする態度には、好感をもっていた。ご冥福を祈るばかりである。本句集の『海へ』の特質は、何と言っても畳語を駆使された句が圧倒的に多いということだろう。その中の一部になるが、以下にいくつかあげておきたい。

                  氷る氷ると天燈鬼龍燈鬼             あきゑ
ゆれるゆれると鳥の巣の木が二本
つばめつばめ空に漣あるごとし
生國はここぞここぞと船虫は
蟬しぐれ戦だんだん近づくか
にこにこと虎魚の鰭の話かな
つるるつるると初声は目白かな
カンカンと竹鳴ってをり午祭
雨二日二日うれしき水馬
ぞくぞくと真赤な蟹楸邨忌
もぞもぞとゐるくれなゐの大海鼠
春の鵜のせつせつと羽根撃ちてゐる
蛍の夜ひとりひとりになつてゐる
天狼の真下あかあかひよんどり
やんぞうこんぞうその先は春の灘
ゐるはゐるは海索麵の花のやう
若潮汲むひとりひとりの背中かな
窯五日がうがうと鳴り月明に
濡れるだけ濡れて九月の兜虫
わが俳諧をかえりみて
春潮に打たれ打たれて五十年
あをあをと綿虫二つ浮遊せり
大漁旗鳴りに鳴りたる二日かな

九鬼あきゑ(くき・あきえ)昭和17年、静岡県生まれ。

2019年10月20日日曜日

銀畑二「蓑虫のちちよちちよははよはは」(第9回「ことごと句会」)・・

 


 昨日、19日(土)は、第9回ことごと句会(於:ルノアール新宿区役所横店)だった。以下に一人一句挙げておこう。兼題一句は(青・蒼・碧・藍)。

  大佐渡と小佐渡山間(やまあい)子守柿       銀 畑二
  ちんまり風見鶏潮風に錆し             照井三余
  ピアニスト見えぬ手で抱く赤い薔薇       たなべきよみ
  黙劇や「おかしみ」「怖さ」里神楽         武藤 幹
  街角より白泉の猫丘を見る             大井恒行




★閑話休題・・・山頭女「ドサ回り戦後生まれの敗戦日」(藤田三保子俳句絵展)・・・


 愚生は、昔に比べると、都内に出ることもめっきり少なくなってきたが、この日は、ことごと句会を終えて、その足を延ばして日暮里の藤田三保子俳句絵展〈於:スタジオムジカ・~23日(水)〉に顏を出した久しぶりで藤田三保子に会った。会場のスタジオムジカは、「丘のうえ工房ムジカ」内にある。詩人の葛原りょう、またの名を髙坂明良(歌人・俳人)の経営する工房・スタジオであり、スナックでもある。当然ながら句会・歌会のためのスペースもとれる。本棚には攝津幸彦の『鹿々集』(サイン本)や出たばかりの藤原月彦全句集もあった。中でも懐かしかったのは福島泰樹「月光」の巻揃いだった。愚生も創刊号も含め幾度か寄稿した記憶がある。装幀の間村俊一、当時は飯田橋に事務所があり、何度かお邪魔もした。もう、20年以上前のことである。


  しやぼん玉 空割れないやうに割れた    髙坂明良
  箱がある薔薇で溢れさせたい        
          
                (「ムジカ」2号より) 

  

2019年10月19日土曜日

川島紘一「婆(ばば)独(ひと)り男仕事や冬構」(第196回「遊句会」)・・



 一昨日は、第196回遊句会(於:たい乃家)だった。句会の連衆は、先師・坂東孫太郎師匠の命日にちなみ墓参を済まされて来られたので、愚生が会場に着いたときには、すでに皆さんは勢揃いされていた。以下に一人一句を挙げておこう。今月の兼題は、冬構え・凩・こんにゃく。

  凩をびんに閉じこめもっている    原島なほみ
  木枯し諍(いさか)ふ木々の声高し    山田浩明
  冬構え鉢植えふたつ処分せり       村上直樹
  凩に言葉飛ばされ二人連れ         石川耕治
  四本のウオッカ買ひて冬構え      武藤 幹
  遺言を書き直しての冬構え       渡辺 保
  蒟蒻や人の見難(にく)き裏表      石原友夫
  ユニクロの今日のチラシの冬構え   植松隆一郎
  ネコになろ床暖房の冬構え     たなべきよみ
  凩の風によろける酒看板        前田勝己 
  蒟蒻や脇(ワキ)の主役(シテ)なり鍋料理  石飛公也
  木枯や被災住宅吹き抜ける       川島紘一
  冬構え祖父の頃から来る庭師      天畠良光
  父はこんにゃく母もこんにゃく遊べとよ 大井恒行
 
☆欠席投句・・ベスト1チョイス・・・

  木枯しや明治通りの女子社員    春風亭昇吉
  凩や風は螺旋の束となる       林 桂子
  板塀の補修は確冬構         加藤智也

次回は、11月21日(木)、兼題は、蒲団・顔見世・山茶花。


  

2019年10月17日木曜日

佐藤文子「草の罠ほどきて月を通しけり」(『火炎樹』)・・・



 佐藤文子第三句集『火炎樹』(東京四季出版)、集名に因む句は、

  火炎樹や愛されぬまま髪を梳く    文子

だろう、とあたりをつけたのだが、著者「あとがき」には、

 平成から令和になる五月一日、私はカンボジアのアンコールワットに、そしてベトナムのハノイへ旅をつづけていました。その途中、とある公園でまっ赤な花をつけた「火炎樹」に出会いました。大樹でありながら、人知れず、目立たず佇む木。私はその木に心ひかれました。丁度句集の出版を考えていたところだったので、迷わず句集名を「火炎樹」としました。

 とあった。ブログタイトルにした句「草の罠ほどきて月を通しけり」には、佐藤文子が穴井太の弟子であったことを思って、すぐさま、穴井太「ゆうやけこやけだれもかからぬ草の罠」への返句かもしれないと思ったりした。もう何十年も前のことになるが、佐藤文子は現代俳句協会青年部創立時の信州地方における重要な役を担っていた。随分とお世話になった。
 ところで、本集の装幀は宇野亜喜良。凝った作りである。カバーをとると、表紙には、カバーとは別のイラストが描かれている(上掲写真)。また本扉には珍しい箔押しの文字・罫・イラストである。苦言を一つ。許されよ。「湯冷めして骨の髄まで棒になり」(148ページ)と「湯ざめして身体の芯まで棒になり」(180ページ)は同曲の句と思われる。「あとがき」に、二千句からの選とあったので、もったいない。別の一句が欲しかった、というのが愚生の欲張った願いである。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  楤の芽や棘のあるのも誇りなり
  今日は毒忘れて来たり熊ん蜂
  空っぽの涙袋へ春の水
  始めから出口の見ゆる花トンネル
  金魚にはなれぬ銀魚や大都会 
  洋梨や摩耗劣化の平和論
  ファックスを出てくる百万枚の枯葉
  冬初め鬼の出て来ぬかくれんぼ
  雪女後ろ姿は赤き影
  天辺に陽を片寄せて細雪
  白鳥の瞳の濡れて飛び立てり
  火遊びに飽きて焚火を踏み躙る
  

佐藤文子(さとう・ふみこ) 昭和20年、三重県生まれ。

  

2019年10月15日火曜日

高柳重信「『月光』旅館/開けても開けてもドアがある」(『人それを俳句と呼ぶ』より)・・・



 今泉康弘評論集『人それを俳句と呼ぶー新興俳句から高柳重信へ』(沖積舎)、帯の惹句は小林恭二。それには、


 新興俳句運動を可視的な時代性と対比検証することで文学史上の位置測定を試みた。野心的かつ緻密で詩的な評論集だ。

 とある。愚生よりも約20歳若く、文字通り俳句批評の次代を担う俳人の一人であろう。本書に収録された論の多くを、初出誌の「円錐」「夢幻航海」「俳句界」「しんぶん赤旗」などで眼にしているので、本書をまだ隅から隅まで読んではいないが大よその想像はつく(加筆があるとはいえ、巻末に「初出一覧」でも掲載していただければ、もっと良かった)。待望された一書である。今泉康弘はこれまでも多くの批評文を書いて来ているので、第二弾、第三弾が出てもおかしくはない。小林恭二が「野心的かつ緻密で詩的」と述べているように、読者を引き込んでいく筆力がある。確か、愚生が文學の森「俳句界」に入社して、すぐの第12回山本健吉評論賞を「ドノゴオトンカ考ー高柳重信の出発」で受賞した。その時の選者評も、読ませる力、読者をぐいぐい引き込んでいく筆の力がある、という、他の応募者を圧してのものだったように記憶している。本書名の由来については、著者「後記」に、

  本書の書名は『人それを俳句と呼ぶ』とした。しかし、一般の俳句観、即ち、俳句は必ず季語を使い、花鳥諷詠を内容とする、ということからすると、この書名に疑問を抱く人は多いだろう。というのも、本書の「青い街」では白泉の無季俳句を主題にしているし、巻末で扱った「伯爵領」も花鳥諷詠とかけ離れた世界であるからだ。それを俳句と呼ぶのか、と訝しむ人も多いだろう。だが、ぼくは言う。これが俳句だと。
 俳句とは何か、という定義は時代によって変わる。定義は人間が作るものだからだ。だからこそ、この書名にした。これがぼくの俳句観である。そのことを前提としながら、俳句について考え続けていきたいと思っている。

 と、言挙げしている。一読を勧めるにやぶさかではない。




 ところで、彼の略歴に、「1989年、第2回『俳句空間』新人賞受賞」とあるのは、「俳句空間」新鋭作品(10句一組)を応募して決める登竜門で、対象の2名の一年間の選者は、小檜山繁子と夏石番矢だった。彼がまだ21歳の時である。30年以上は以前のことになる。以下は若書きながら、受賞第一作30句から、

  風の日は大草原に来て坐る    康弘
  渡るべき河あり風の中にあり
  喪の手紙真白き街へ出て開く
  卒業や机を海に対峙する
  桐の花池の暗さに手を入れる

今泉康弘(いまいずみ・やすひろ) 1967年、桐生市生まれ。

中西ひろ美「駅を出て直ぐピーを出すをとこへし」(第8回「ひらく会」)・・



 昨日、10月14日(月)は第8回ひらく会(於:府中市市民活動センタープラッツ)だった。台風一過の青空も一日で雨模様の空に逆戻り。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  星月夜うっすら不機嫌に帰る      中西ひろ美
  ひも状のものとすみなす良夜かな     鈴木純一
  小さき蝶飛び立つ萩の一眼や     救仁郷由美子
  三世草木照らして十五夜のぼりくる    成沢洋子
  破れ蓮に猫ゆまりして来て見つむ     渡辺信明
  灯に映えて影龍となる菊人形       大熊秀夫
  街に三叉路三島忌を思えらく       大井恒行




★閑話休題・・中西ひろ美「貝のなかの貝なので口をあかない」(「垂人」第36号より)・・


 中西ひろ美つながりで「垂人」第36号(編集・発行 中西ひろ美、広瀬ちえみ)を紹介する。俳句、短歌、歌仙、エッセイなど内容は盛りだくさん。鈴木純一は「垂句摸魚」「垂句摸月」「垂句摸華」と題して、各人同号の発表の句評を入れている。ここでは歌仙「長春歌」の初表と裏の初句を挙げておこう。  

  長春花アバンギャルドな赤い爪    ダークシー美紀
    穀雨にまつげぬらす人形        佛渕雀羅
  踊り手は朧おぼろの中を来て        小池 舞
    屋台の灯遠ざかるまま        中西ひろ美
  竜宮の月を知らない魚とゐる        鈴木純一
    霧たちそめし沼のほとりに       渡辺信明
 ゥ 小鳥くる機嫌よろしき次の家      佐々木笑女  

 以下には、同号より一人一句を挙げよう。

  時の日やAはすでにAでない        野口 裕
  昼顔のにりんは姉妹乳房向け        坂間恒子
  のほほんとめるくまーるや春ともし    ますだかも
  振りかえるたびに沼あり光るなり     髙橋かづき 
  瓦礫から楽譜ママに会えたような     広瀬ちえみ
  待つときの顔のちぐはぐ花蘇枋       河村研治
  見る人も変はりて崖の櫻かな       中西ひろ美 
  のらぼう菜あらふ厨の渚にて        渡辺信明


    

2019年10月14日月曜日

後藤秀治「日を置いて痛みは来たり蓼の花」(『国東から』)・・



 後藤秀治第一句集『国東から』(書肆麒麟)、装画は河口聖。帯には、

  行く秋のひたすら笑ふ神事かな  
国東は、奈良から平安時代にかけて、仏教(天台宗)に宇佐八幡の八幡信仰(神道)を取り入れた〈六郷満山〉と呼ばれる神仏習合発祥の地で、寺院や旧跡も多い。その地に生を得、かつ、育まれた著者によって発信される渾身の第一句集。

 とある。また、著者「あろがき」には、

 本句集は俳句を始めた五十代半ばから平成三十一年までの約十五年間の二百余を収めた。(中略)
 独学で通していたら私の意欲はとうに潰えていただろう。俳句表現の新しい可能性を真摯に求め続ける「円錐」でこれからも学びながら、俳句に携わる以上はどこかでかすかなりとも芭蕉や子規につながっていたいと思う。(中略)
 国東から周防灘へ句集という瓶を流す。どこで誰に拾われるのだろう。いつか誰かに拾われて、中の一句だけでも面白いと思ってくれたらうれしい。「国東から」という書名にはそんな思いをこめている。投瓶通信のゆくえを思うことは私の希望である。
 
 と記されている。ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。

   澄むほどに青き地球や鳥渡る     秀治
   冬麗の石を起こせば仏居り
   鳴きまねで笑うて鶴を送りけり
   自然薯の食ふには惜しき捻ぢれやう
   天網にちよんと触れたる凧
   したたかに酔はせ桜が鳥を吐く
   八月や黙禱ばかりしてをれぬ
   故郷は老いを赦さずつくつくし
   郭公や床上げの母連れ出しぬ
   箱庭に亡き弟を泣かせたり

 後藤秀治(ごとう・しゅうじ) 1951年、大分県生まれ。



撮影・葛城綾呂 ども~ ↑

2019年10月13日日曜日

金子兜太「妻よまだ生きます武蔵野に稲妻」(『百年』)・・



 金子兜太第15句集『百年』(朔出版)、2008~2018年(88~98歳)の兜太最後の作品736句を収める遺句集である。後記に安西篤。句集掉尾の句は、

  河より掛け声さすらいの終るその日   兜太
  陽の柔わら歩ききれない遠い家  

 である。愚生は、兜太は長生きの血筋だから、わけもなく100歳までは絶対生きると思っていた。それでも大往生というべきだろう。兜太は、毎日立禅をすると言っていた。亡くなった友の名を日々唱えるのだが、いつも100人くらいまでは・・と言っていた。長生きの代償のように、本句集にも追悼句で溢れている。なかには、愚生のよく知っている人もいる。本集には、金子兜太の「慶應病院入院に一か月入院 十句」の前書付の中の句に、

  いのち問われて十六夜を過ごす

 があるが、皮膚病で入院されていたのだ。愚生が病院に見舞ったときに、「さっき鈴木忍が帰って行ったよ」と言われ、少し世間話をした。当時、鈴木忍は「俳句」の編集長をしていて、愚生は、名ばかりだが、「俳句界」の顧問だった。ふらんす堂の山岡喜美子の話も、池田澄子の話も出た。9年前の事だ。兜太はまだ元気だった。ともあれ、追悼の句を、以下にできるだけ挙げて置きたい。

 2009年 阿部完市 二月十九日他界
  完市よ菜の花も河津桜も雨 
     川崎展宏 他界
  冬樫の青しよ展宏の笑顔
 2010年 井上ひさし 他界
  白鳥去りの道とぼとぼわが一茶
     橋本圭好子 他界
  疳高い電話の声よ遠桜  
     立岩利夫 他界
  蟬時雨真面目真顔のまま老いて
     林 唯夫 他界
  湖国に病みて長かりき直(ちょく)なりき
     小林とよ 他界
  亡妻と同学の親(しん)蟬しぐれ
     森澄雄 他界
  堪えて堪えて澄む水に澄雄
     上林 裕 他界
  残暑酷し他界の友よ木蔭を行け
     松澤 昭 他界
  引っぱって震わせて山の男の月の唄
 2011年 髙橋たねを 他界
  流氷の軋み最短定型人(じん)
     峠 素子 他界
  冴えて優しく河原の石に峠素子
 2012年 山田緑光 他界
  激しくて草餅の味緑光は
     大木石子 他界
  (な)が生家五月草の香にありき
     中島意偉夫 他界
  人のためにこの人あり春怒濤
     蓮田双川 他界
  野に泉味わえば渋し鋭し
     加地桂策 他界
  夏潮を素裸かで泳ぎ来し塩味
     林 杜俊 他界
  笑うとき夏の桜島ありき
     渡辺草丘 他界
  館林にこの人の声山法師     
     小堀 葵 他界
  楊梅(やまもも)の小堀葵と思いきし
     辺見じゅんさん 昨秋九月二十一日他界
  じゅんさんのいのち玉虫色にあり
 2013年 小沢昭一氏 他界
  正月の昭一さんの無表情
    西澤 實 他界
  句と詩のといまも南凕に立つや
    村上 護 他界
  青葉の奥明るく確と漂泊す
2014年 村越化石 他界
  生きることの見事さ郭公の山河
2016年 弟千侍(せんじ) 他界
  青空に茫茫と茫茫とわが枯木
    妹稚木(みずき) 他界
  紅梅えお埋めし白雪無心かな
2017年 日野原重明さん百五歳で大往生
  日野原大老ゆっくり真面目そして真面目
               
     
                                 
         撮影・葛城綾呂 寝そべっても毛づくろい ↑

2019年10月12日土曜日

渡邊白泉「折るふねは白い大きな紙のふね」(「俳壇」9月号より)・・



 「俳壇」9月号(本阿弥書店)の巻頭エッセイは水野真由美「白泉の猫について行く」だ。水野真由美は、三十数年前に渡辺白泉の「猫しろく秋の真ん中からそれる」という句に出会い、ブログタイトルに挙げた「折るふねは白い大きな紙のふね」の句を見つけた。そして「夏の海水兵ひとり紛失す」の句には、

(前略)死が日常となる非日常を普通の言葉で詩につかまえる。こんな表現が出来る方法を俳句は持っているのかと驚いた。気が付けば猫はずいぶん遠くまで連れて来てくれたのだ。〈俘虜若し海色の瞳に海を見つ〉〈日の丸のはたを一枚海にやる〉もある。
 
 と記している。今年は白泉没後五十年だという。本誌本号には、他に、「俳壇時評」で現在、もっとも辛らつに批評の筆を振るっていると思われる松下カロ「俳句における♯MeToo/ミートゥハッシュタグ」が目についた。一句一句の読みが引き出す評ではないが、俳句(俳句に限らず)が現在もなお、根強く抱え込んでいる句の鑑賞のありように及んでいる。

 作品は性別によって分かたれるべきではない。これは鑑賞の機微に女らしさや男らしさの魅力が加味されること以前の問題である。
 性差やテーマばかりではない。俳句に留まらず、様々な創作行為は作家の所属組織によって、師によって、国籍、人種、キャリアによって区別されてはならない。鑑賞者は「そんな意識はない」と言いつつ、それを犯している。
 あらゆる一句は等価である。これが侵犯される時、わたしたちは女性男性を問わず〈MeToo〉と声を挙げねばならないのだ。

 と、するどく指摘している。また「俳壇」10月号では、先般亡くなった、愚生と同じ歳の加藤典洋(享年71)について「俳句ゴジラ論ー加藤典洋の批評世界」と題して書いている。その結びには、

 ゴジラと俳句の自己転換の巧みさは、滅びないことを至上命題とする強固な存続志向においても共通している。
  ゴジラの意味は単一ではない。
      (加藤典洋『さよううなら、ゴジラたち』)
 晩年、加藤は新しいゴジラ像を模索した。愛されるキャラとして定着していたゴジラだが、東日本大震災と原子力発電所の爆発事故を契機に再び変わり始める。映画『シン・ゴジラ』(二〇一六)など近年のゴジラは核の脅威に加えて紛争やテロの恐怖を体現し、その被害者、敗者の絶望や怒りとも同義であるという。気掛かりな変化だが、時代と共棲する限り事物は一つの状態に留まることができない。ゴジラも、俳句もまたそうである。

 と述べている。愚生は、久しぶりに思い出した。かつて、攝津幸彦がまだ健在だったころ、「豈」の同人の幾人かで集まったときに、誰かが「時代とは寝ない」とつぶやいたことを。滅びるものは滅びるしかない。愚生も、他の同人も若かった頃のことだ。今や、思うまでもなく確実に滅びつつある。
 もう一つ同号の特別寄稿・川名大「富澤赤黄男戦中日記(三)」より。孫引きだが、赤黄男の句を二・三挙げておきたい。

  切株は じいんじいんと ひびくなり   赤黄男
  流木よ せめて南をむいて流れよ     



撮影・葛城綾呂 渾身の毛づくろい ↑

2019年10月9日水曜日

島雅子「苦手なものに暗譜演奏赤い羽根」(『もりあをがへる』)・・

  
表紙絵は、島女史・孫の吹雪 ↑ 


 島雅子第二句集『もりあをがへる』(朔出版)、栞文は鳥居真里子「ピアノに眠る羊たち」、岩淵喜代子「沙漠の星」、谷口智行「遥かなる尋めゆき」の三名。集名に因む句は、

   あをもりのもりあをがへるあをがへる      雅子

 である。その経緯について著者「あとがき」に、

 (前略)深山の夕方、ぼんやりと池を見つめている私に、「森青ガエルです」と静かな声で教えてくれた少年がいた。チェコで生まれたというその少年との透明な時間を句集名にして記憶にとどめておきたかったからである。

 と記されている。そしてまた、

 日常にいま在ることの尊さ、不思議さ。ふとした出来事はいつかどこかで繋がっていたりもする。毎日が即興で新しい。日常を詠み、時空を超える表現が出来た時、どんな喜びに出会えるか、俳句形式を信じて詠み続けたい。

 とも述べている。 その出発の先師は鈴木鷹夫。集中に偲ぶ句がある。

  鷹夫忌のけふこれほどの花吹雪
  大掃除『カチカチ山』に中断す
  
 変奏に、

  女ふらりカチカチ山の蕨喰ひ

 の句も・・・。ともあれ、集中より、愚生の好みに偏するが、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  夕顔の襞に微風のとどまりぬ
  天の川座棺に終の正座かな
  えいぷりるふーるけふだけは死ぬな
  父の墓濡らす瞬間シュンといふ
  この春は飯こぼしをり淋しさよ
  逢ひたくば死ぬほかなくて春の風
  黒揚羽たちまちわれも翳りけり
  おもふさま日に焼けておもふさま笑ふ
  死亡者に夫も加はる広島忌
  つくつくし被爆認定死後届く
  亡き母をおもへばうすらひあかりかな
  凍鶴の脚を上ぐるはさびしいか  
  小豆粥ひがひがしきをなされるな

 島雅子(しま・まさこ)1940年、神戸市御影生まれ。



          撮影・葛城綾呂 キミは西へ・・・↑ 

2019年10月6日日曜日

酒井弘司「緑夜なり水平に睡て水の星」(「朱夏」146号)・・


酒井弘司主宰 ↑



 本日は「朱夏25周年記念朱夏祭」(於:ホテル町田ヴィラ)だった。ごく内輪の会ということで、愚生は記念講演をさせていただいた。演題は、昨年亡くなった「豈」同人・大本義幸のことを思い、「大本義幸ー現代俳句に寄り添った男ー」にした。思えば、有り難いことに「朱夏」の節目の記念会には、幾度か招かれる栄に浴している。
 その朱夏祭の午前中には、第13回「朱夏賞」に村上司、第16回「朱夏新人賞」に後藤田鶴・藤井洋子、第8回「功労賞」に辻升人がそれぞれ表彰されている。

  きのふよりけふてのひらの白露かな    村上 司
  庇より初蝶入り来木々に雨        後藤田鶴
  もう泣いてくれるなと云う春にじむ    藤井洋子
  黄泉の道欄干の無い橋渡る        辻 升人(146号より)
  戦後遠しどくだみの線路跨ぐとき     酒井弘司( 〃 )
  鳥になれず少年歩く夏の朝         

 また、「朱夏」の創刊号が復刻されて皆さんに配布されたのだが、その「朱夏」創刊号は平成6年8月1日発行、同人は、池田ひかり、白井久雄、椎名ラビに、主宰の酒井弘司、4人での出発であったことに感銘する。他に清水哲男の寄稿エッセイ「砂糖水」。そして酒井弘司の「母を訪わむー寺山修司の俳句」(見開き8ページ)であるのみであるが、現在と誌の基本の構成は変わっていない。その最後は、

 わたしが、寺山に会った最後は、昭和五十四年三月であった。小田急線町田駅前の喫茶店で話したが、寺山は、いつもの踵の高いサンダルを履いていた。今にして思うと、この年は「レミング」の公演、カリフォルニア大学で映画作品を上演し解説した年でもあった。
 「こどもはいるの」
と、唐突に聞かれたのを、今でも鮮明に覚えている。素顔の寺山は、柔和で、作品で見せるような、かまえた顔ではなかった。

 記されている。創刊号の一人一句を以下に挙げておこう。

   かくれんぼの鬼もかくれて夏の暮    酒井弘司
   児が話す虹のはじめは回天木馬    池田ひかり
   白桃を啜れり花鳥とどまらず      白井久雄
   水底の銀河は動く豆腐かな       椎名ラビ



撮影・葛城綾呂 ホトトギス↑

2019年10月5日土曜日

打田峨者ん「やり過ごす永遠 雪の無蓋貨車」(「豈」62号、第5回攝津幸彦記念賞より)・・



 「豈」62号が出来上がってきた。数日後には、皆さんの手元にも届くと思う。ほぼ一年に一度の刊行ペースになっているが、まさに周回遅れで、恐縮だが、第5回攝津幸彦記念賞の発表である。次号と言っても、一年後?になるだろう63号で、詳細を報告する。そして「豈」は創刊40周年を迎える。



5回攝津幸彦記念賞決定のお知らせ



 第5回攝津幸彦記念賞にご応募いただきまことに有り難うございました。

 お知らせが遅れ大変恐縮に存じますが、以下のように第5回攝津幸彦記念賞を決定いたしました。慎んでご報告申し上げます。(副賞も些少ですが出せることになりました)。


★第5回攝津幸彦記念賞 正賞

(副賞3万円・葛城綾呂氏寄贈による攝津幸彦句集『鳥子』『與野情話』)  
                                打田峨者ん
                                                                                                           (東京都在住・69歳)

                ☆  凖賞(副賞1万円)    佐藤 りえ

                 ☆  (   〃 )    なつはづき

           

 *正賞、凖賞については「豈」62号(106日発行)に応募作全作を掲載させていただきます。

 参考までに、62号の特集その他目次を以下に挙げておこう。発売元・邑書林。
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‐俳句空間‐「豈」 62号)  目次                     表紙絵・風倉

                                   表紙デザイン・長山真



◆第5回攝津幸彦記念賞 正賞 「我が命名罪」打田峨者ん  

   同        準賞 「リクビダートル」佐藤りえ 4 
               「ぴったりの箱」なつはづき 6



◆新鋭招待作家作品   「蕗を煮る」大西 朋  8  「渚」福田若之 

                             

  特集 現代俳句の古い問題「切字と切れは大問題か」

        切字とは何か、何だったのか 川本皓嗣 10  
            「切れ」よ、さらば 仁平 勝 16

         自句自解切字之弁 高山れおな 18 
「切字・切れ」よさようなら、「文体」よ今日は 筑紫磐井 22 


◆作品Ⅰ 井口時男 27  妹尾健太郎 28  仙川桃生 29  冨岡和秀 30  
     干場達矢 31  飯田冬眞 32  池谷洋美 33  池田澄子 34  
     丑丸敬史 35   大井恒行 36  大橋愛由等 37

 
特集 現代俳句の古い問題「新しい視点から」 

    「西洋流俳句」を現代アートに拡げる  小野裕三 38

     絵画と言葉―その幸福と不幸の凡例抄 松下カロ 40

     俳句の考古学―〈縄文〉をめぐる断章 髙橋修宏 42


作品 岡村知昭 45 加藤知子 46 鹿又英一 47   神谷 波  48   神山姫余 49  

     川名つぎお  50  北川美美 51  北村虻曳 52  倉阪鬼一郎  53  小池正博  54

      小湊こぎく 55 五島高資 56  堺谷真人 57  坂間恒子  58  酒巻英一郎 59


特集 大本義幸追悼〈「黄金海岸の日々」〉

    となりの町のお嬢さん  小西昭夫 60   
    大本義幸 カオスの原質 丸山 巧 62 

    冷えない、声。     岡村知昭 64  
「仮の世界」への志向と或る断念 冨岡和秀 66

      大本義幸さんのこと 妹尾 健 68 
  大本さんの手紙と最後の声 樋口由紀子 69

 大本義幸の「我」と「われわれ」-夢の底の村を出て それから― 堀本 吟 70
 

◆作品Ⅲ 佐藤りえ 74 杉本青三郎 75  関根かな 76   妹尾 健 77 高橋修宏  78

  髙橋比呂子79 高山れおな 80 田中葉月 81
 

◆特別寄稿 父祖の地のいろは坂にもヤマツツジ―我がルーツと俳句― わたなべ柊 82
 

◆作品Ⅳ 筑紫磐井 84 椿屋実椰 85  照井三余 86  中村安伸 87 
     夏木 久 88 萩山栄一 89 橋本 直 90  秦 夕美  91 
      羽村美和子 92  早瀬恵子 93


◆書評  佐藤りえ句集『景色』評        今泉康弘 94 

  夏木久『風典』評           黒川智子 96

樋口由紀子『めるくまーる』評      高柳蕗子 98
倉阪鬼一郎『怖い短歌』・『俳句ねこ』評 大井恒行 100


 ◆作品Ⅴ 樋口由紀子 102 福田葉子 103 藤田踏青 104  渕上信子 105  
      堀本 吟 106 真矢ひろみ 107 森須  108 山﨑十生  109 
      山村 嚝 110   山本敏倖 111  わたなべ柊 112   亘 余世夫 113


「豈」61号読後評 ソドムの灰燼  椿屋実椰 114  
          浅い照射   妹尾健太郎 116  



撮影・葛城綾呂 小とら・片想ひ クロさん~↑