2022年12月31日土曜日

三橋敏雄「待遠しき俳句は我や四季の国」(『三橋敏雄の百句』より)・・

 


  池田澄子『三橋敏雄の百句』(ふらんす堂)、巻末の「待遠しき俳句は我ー三橋敏雄」の中に、


 敏雄の俳句との関わり方は、よい趣味、というものではなかった。よい趣味として程よい俳句に出会っていたなら深入りはしなかった筈。戦場の先輩から誘われて出会ったそれは、芸術の神の采配によってか、風流韻事には遠かった。それは俳句の中心にあるめでたいものではなかった。

 後日、敏雄は、僕は少数派というところに思いがゆく人間、と言っていらした。まさに少数派との出会い、そして共感であった。(中略)

 話が大きく逸れるが、その高屋窓秋が句集『花の悲歌』纏める折、窓秋は、句稿を持って、国立から遠路、小田原の敏雄を訪ね、意見をも求められたのだった。敏雄は大先輩の信頼に応えるべく、一句一句丁寧に感想を述べたという。意見の異なる場合も、お互い率直に思いを述べ合われたそうだ。

  雪月花美神の罪は深かりき    窓秋

は、その段階では「美神の罪は重かりき」だったのだそうだ。「罪深い」という言葉もあって、「重い」よりも「深い」がよいのではにないかと敏雄は言ったのだそうだ。窓秋は、でもここには「折笠美秋」の「美」と、高柳重信の「重」が入っているのですよと、かなり主張なさったけれど、敏雄は譲らなかったそうだ。(中略)窓秋と、かなりの時間をかけて感想を述べ合い、話が終わって小田原駅の改札口までお見送りした。

 深くお辞儀をして、ほぼ放心状態で顔を上げ。扨て帰ろうと体の向きを変えながら、いつものように帽子を被ろうとした。ない!

 鞄の中にも、ズボンの後ポケットにも無い。 (中略)

 脱線ついでに記せば『花の悲歌』カバーの装幀、小さな芥子の花の絵は、糸大八、出版の労は大井恒行だった。


 とあった。その挿画の打ち合わせのための場所に、渋谷区松濤美術館を指定されたのは高屋窓秋。糸大八が渋谷駅近くにお住まいだったこともあるが、当時の松濤美術館2Fは、絵画を見ながら、お茶が飲めるソファーが置かれていた。窓秋お気に入りの美術館であった。その窓秋最後の単独句集となった『花の悲歌』(弘栄堂書店・1993年5月)の刊行は、ひとえに三橋敏雄の慫慂による。「窓秋さんは句を持っておられる。大井君が出したいと言えば、きっと出すと思うよ」と言われたのである。装幀は、先般、本年5月19日、77歳で亡くなられた亜鈴、こと書肆山田の大泉史世。遅れること約3ヵ月後の8月10日、愚生の妻・救仁郷由美子、享年72。思えば。俳号の救仁郷由美子の誕生は、池田澄子のひと言による。救仁郷の前は大井ゆみこの名で「琴座」同人。永田耕衣死去によって終刊した「琴座」から、「豈」への加入を勧めていただいたのも池田澄子。愚生も妻も同じ同人誌に居ることには躊躇があった。「名前を変えれば分からないわよ、『豈』に入れば・・」と言っていただいたのだ。さまざまな俳縁のお蔭で、愚生の成り行き人生もここまでくることが出来た、と言ってもいい。本書の結び近く、池田澄子は、


 新興俳句に始まり、戦火想望俳句を書き極め、昭和十五年の、新興俳句無季俳句弾圧事件を近く見て、最も近く親しく学ぶ対象であった俳人たちが、投獄され或いは執筆禁止を受け迫害を受ける様を傍で見た。

 俳句の上での反対勢力からではなく、軍国主義の国家によって成功に至らないまま前途を閉ざされた無季新興俳句と、その作者たち、そして戦争という理不尽なものに殺された人間の無念を、敏雄は忘れない。愚直に謙虚に一生そのことに拘り続けた。(中略)

 一途な少年は、そのまま一生を一途に生きた。常に新しく、しかし、過去に出会った人、過去に観たモノ、コトを忘れずに生きて、書いた。

 更には、各句集は、全く方法を異にしている。『まぼろしの鱶』が現代俳句協会賞を受けた時、敏雄は満足していなかった。僕の俳句はこれだけではない、と思ったのだそうだ。自身の作品が何かに到達してそれを纏めたら、敏雄はもはや其処に居ない。その方法で書きさえすれば、心配なく一応の評価は得られる書き方に到達したとき、その翌日、其処に敏雄は居ない。


 と記している。ここで澄子鑑賞句の一例を挙げておこう。


    むささびや大きくなりし夜の山   『靑の中』

 (前略)高尾山薬王院への参道に敏雄の句碑が建立されている。その句碑開眼除幕式の日には、六曲一双、十二句染筆の披露もあった。その句碑がこれ。昭和二十一年二十六歳のこの句。

 高尾山にはムササビが生息していて「ムササビの木」という大木があり句碑はそのすぐ近くにある。建立は大山隆玄貫主である。「大」「山」、そして「むささび」が詠み込まれているという見事な挨拶の句を敏雄は選んだ。(後略)


 ともあれ、以下に、本書中より、句のみなるがいくつかを挙げておきたい(あまりに、人口に膾炙した句ははずしたかも・・・)。


  鉄条網これの前後に血ながれたり  

  月夜から生まれし影を愛しけり

  新聞紙すっくと立ちて飛ぶ場末

  はつなつのひとさしゆびをもちゐんか

  一日(いちにち)の日負けのひふを抱き合ふ

  桃採の梯子を誰も降りて来ず

  高ぞらの誰もさはらぬ春の枝

  死に消えてひろごる君や夏の空

  あけたての戸道の減りや秋の風   

  木練柿滴滴たり矣(い)われも亦

  大年の黄の夕焼を窓の幸(さち)

  信ずれば平時の空や去年今年

  土は土に隠れて深し冬日向

  われ思はざるときも我あり籠枕


三橋敏雄(みつはし・としお)1930・11・8~2001・12・1、東京八王子生れ。

池田澄子(いけだ・すみこ)1936年、鎌倉生まれ、新潟育ち。



     芽夢野うのき「ゆきずりの山茶花にくる白き夕暮れ」↑

2022年12月30日金曜日

佐孝石画「冬木という眩しい肺が立っている」(『青草』)・・


 佐孝石画第一句集『青草』(俳句同人誌「狼」編集室)、「序に代えて」は金子兜太、跋文は、松本勇二「眩しい肺」、石川青狼「佐孝石画句集『青草』」。金子兜太はその中で、


   この道は夕焼けに毀されている

 これは夏の焼けるような夕焼け。しかも他の何ものもなくて、道が一本ぐっとあるという。「赤々と日はつれなくも秋の風」(芭蕉)、佐孝はこの句と同じ受け止め方ここに書いたと思う。

 映像としては、道が毀れるくらい激しい夕焼け、それだけなんだ。しかしその激しさだな、それを「毀されている」と書けたというのは、佐孝の若さだ。激しい孤独もあるわけで、これから人生の境目の第二段階に踏み込もうとしている感じがある。


 と記している。また、松本勇二は、


 (前略)俳句には言い切ること。断定が必要だ。ここに挙げた句群にはきっぱり断定されている切れ味がある。


と言い、石川青狼は、


(前略)佐孝の青臭さが好きと言ったが、青臭い意の、未熟であるということではなく、青草のような芳しいにおいがする青春性が根底にあるのだ。(中略)

 この句集の最大のテーマは自己の生き方で自問自答の中で、もがき苦しみ叫んでいる直情を臆することなく叩きつけている青臭さと、何よりもそれを支えている家族への並々ならぬ愛である。


 と述べる。また、著者「あとがき」には、


 初句集です。一句一句を恋文のように金子先生の元へ投句していた日々は、いつしか遠くへ過ぎ去ってしまいました。これまでの句をまとめてみると、あらためて、いかに不自然なテンションで作っていたのだろうと、赤面する思いもします。しかし、これから終生、俳句という文学形式を愛し続けるために、これまでの俳句をまとめ、Reスタートしたいと考えました。(中略)

 句集名『青草』は息子二人の名から取りました。彼らもまだ青い草であり、この青さを胸に抱く仲間として、季節を経て次のステージへ歩みを進めていけたらと思っております。


 とあった。佐孝石画のことで思い出すのは、、記憶に間違いがなければ、以前、愚生が現俳協の新人賞の選考委員をしていた時、彼の作品を授賞作に推し(もちろん、作品は無記名)、その場で、それが決まったことを知らせた顕彰部長からの電話で、彼が既発表作が一句混じっていたということで、辞退されたことである(当時、未発表作の規定あり)。じつに無念に思ったこと。その余のことは、記憶に無い。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておこう。


  少年期白梅というか歯軋りというか      石画

  春星はおそらく与え合う距離だ

  わたくしも言問いの粒春の雨

  冬野という閉め忘れた窓があります

  息継ぎの足りぬ雲から雪になる

  白鳥来るいろんな沼を縫い合わせ

  音階の高みに枝の枯れゆくや

  雪が降る嗚咽のように啞のように

  夜のポストつぎつぎ谺が投函される

  鴉去る私が鴉になったあと


佐孝石画(さこう・せっかく) 1970年、福井県生まれ。



  

★閑話休題・・松林尚志「虎ふぐでジュゴンでありし兜太逝く」(「海原」NO,45より)・・


 佐孝石画つながりで「海原」no、45。安西篤の石画『青草 seiso』書評「庄倒する青春性」には、 


 (前略)佐孝は一句を成そうとする時、かなりの力技でもがき苦しむはずだが、その果ての天与のように、体からほとばしる言葉が授かるのではないか。その力感が、松本のいう「断定」に結びつくのかもしれない。(中略)

   冬木という圧倒的な居留守かな

 冬木の疎林を、圧倒的な居留守とは、作者ならではの若々しい不信の抗議。「居留守」を「圧倒的」とまで詠むのは、作者の内面の燃えあればこそといえよう。


 とあった。本紙本誌本号には、別に、「追悼 松林尚志」のページが組まれ、彼の『現代秀句 昭和二十年代以降の精鋭たち』より「金子兜太の俳句ー鑑賞と批評」が特集されている。山中葛子による彼の最後の句集『山法師』20句抄もある。

 愚生は縁あって、「俳句」(2023年2月号・1月25日発売)誌に、松林尚志追悼「静謐にして熱く」を寄稿させていただいた。改めて生前のご厚誼に感謝し、ご冥福をお祈りする。

 松林尚志(まつばやし・しょうし)、1930年、長野県生まれ、本年10月16日、胆管癌のため死去。享年92。

 


       撮影・中西ひろ美「空想の帆を張れ冬の男たち」↑

2022年12月29日木曜日

渡邉樹音「色褪せて聖樹は眠る月の昼」(第44回・メール×郵便切手「ことごと句会」)・・


  第44回・(メール×郵便切手)「ことごと句会」(12月17日付け)、兼題は「戻」+雑詠3句。以下に一人一句と、寸評を紹介しておこう。


  我が母の戦後の日々や冬菜なり      武藤 幹

  停車位置を百粍戻す冬の電車       金田一剛

  羊水に戻ってしまう日向ぼこ       江良純雄

  冬夕焼巻き戻しても違う色        渡邉樹音

  枇杷の花こんがらがって寂しくて    らふ亜沙弥

  警笛掠れ冬の工夫等立ち上がる      渡辺信子

  寒茜富士の裾野に隠れけり        照井三余

  大雪の二日三晩の街あかり        杦森松一

  ここよりは行けない冬の戻り橋      大井恒行


★寸評・・・

・「色褪せて聖樹は眠る月の昼」ー頼りない昼の月に観る聖樹を色褪せと詠む俳ならでは(三余)。ウクライナの街々。停電の中のクリスマスツリー。それでも子供たちは明るく喜んでいた。「月の昼」が良い(幹)。褪せた緑、月影の白、そして辺りは無音。冬の水彩画を見るような(信子)。

・「我が母の・・」ー「冬菜」にもう少し、キチンとした名のものが斡旋されていたら、もっと良かったのに。「冬菜」ではどうしても、比喩的に読めてしまうのが惜しい(恒行)。

「停車位置を・・」ー「を」か「の」のどちらかを削るとリズムが整うような・・(信子)

・「羊水に・・」ーたしかに日向ぼこの温みはそうかもしれないが・・(恒行)

「冬夕焼・・」ー中句・下句の「巻き戻しても違う色」が良い。一瞬の、その場限りの美しさ・・(幹)。

「枇杷の花・・」ー亜沙弥さんの「花詠み句」はいつも素敵です。観察眼も鋭くアイロニーもある。「勝手に年度賞」なら一連の亜沙弥さんの花詠み句です(剛)。

「警笛掠れ・・」ー句における光景がよく描かれていて、他の作品がけっこう感懐的、空想的であったのに比して、リアリズムの良さがあった(恒行)。

・「寒茜・・」ー何気ない光景。そこを切り取って見せたところ、富士の大きさが見える(恒行)。

・「大雪の・・」ー下五「街あかり」は雪明かりに違いないとおもうのだが・・、強いて言えば二日、三晩に時間の経過がある(恒行)。

「ここよりは・・」ー戻り橋は京都の伝説の橋のことでしょうか。歴史を感じ、足が止まります(松一)。





★閑話休題・・「Nostlgia 岡田博追悼」(ワイズ出版)・・・


         


挟込まれた挨拶状の中に、


 昨年亡くなりました「株式会社ボアール」「ワイズ出版」創業者・岡田博を偲ぶ『ワイズ出版展”Nostlgia”』にご参加いただきましたこと、心より感謝申し上げます。(中略)

 尚、遅くなりましたが”Nostalgia”展の前後で、皆様からいただきました沢山のお言葉をお纏めした文集が完成いたしました。(中略)

                                令和四年十二月

                   有限会社ワイズ出版・株式会社ボアール一同


 とあった。写真もふんだんにあり、便りを寄せた方々、愚生のは、本ブログからの転載だが、総勢、70余名に及ぶ。年譜もあり、その亡くなる年、2021年3月「日本映画ペンクラブ賞 奨励賞」受賞とあり、また、同年10月11日「新文芸坐にて『追悼・岡田博 銀幕に刻まれた映画への想い開催される』(第一回制作作品『無頼平野』を上映)」とあったのには、すこし救われた気がした。じつは、この映画と、第二作「樹の上の草魚」(石川淳志監督)に、愚生はエキストラで出演させられている。ともあれ、ご冥福を祈る。

 岡田博(おかだ・ひろし)、小倉市(現・北九州市)生まれ。2020年8月27日死去、享年72。


    尽忠の映画の海に逝かしめき    恒行 



           芽夢野うのき「煤逃げの男は蒼き葱畑」↑

2022年12月27日火曜日

三橋敏雄「絶滅のかの狼を連れ歩く」(『秀句を生むテーマ』)・・


 坂口昌弘『秀句を生むテーマ』(文學の森)、その「あとがき」に、


 本書は月刊「俳句界」に五十一回連載した「秀句のテーマ」をまとめたものである。

 人が生きる上で大切なテーマを取り上げた。(中略)

 本書を書く発端は、今まで多くの俳人論、句集論を書いてきてテーマで俳句作品史を見直すことの必要性を痛感したからである。優れた俳人の優れた俳句作品が、一体何を主題に句を読んでいるのかという観点から十数年間評論を書いて来たので、作品のテーマ(モチーフ)といあった、秀句の秀句たるゆえんの根本は何かということに深い関心があった。(中略)

 仏教・キリスト教は、自然の四季と「命」の関係を語らない。荘子は石や瓦礫にも「道」があり「命」があるとし、その影響を受けた中国仏教は草木国土悉皆成仏の思想を作り、大乗仏教の「仏」は神と魂の一種に変貌した。「命」は大切であり、危機の時人は、「命」の健康・延命を願い、「神」や「仏」に「祈り」を捧げる。祈りはその効果がないときでも、人は切に祈らざるを得ない。詩歌俳句は祈りとなる。(中略)

 ものの存在を真剣に考える人は、命の根源を求めて「道」を求める。命の維持のため、宇宙の存在を理解するために人は「科学」の真理を求める。医学・薬学も科学の領域であり、病を無くし「死」を避け不老長寿のために存在する。科学を追究すると、この世の見えない「力」に気づく。宇宙空間の多くは「闇」であり、「光」が生まれた「闇」を意識する。この世の「命」は「光」のおかげで発生して目に見える存在となり、「色」がつく。

 真面目なことばかりでは人生が面白くないから「笑」を求める。俳句・俳諧のルーツに諧謔・滑稽があり、「笑」が元気を与える。人は真理・真実だけでは生きられず、時には「雪女」「他界」を空想し、「夢」を見る。現実の私とは別に「夢」の中の蝶と化し「「俳句」文学が存在する。


とあった。ここでは、「火ー火は禱り」の項から少しだが、紹介しておこう。


  いつせいに柱の燃ゆる都かな    敏雄

 三橋敏雄論といえば多くは戦争句を論じる。「柱の燃ゆる」とは、「神をも戦死者をも含む御霊の幾柱かが一斉に燃え上がる景」であるという言葉は、敏雄を師とした池田澄子のユニークな解釈である。神を柱と呼ぶのは古代中国の道教にルーツがあるが、神や霊が燃えるというのは異色な想像である。


 という。そう言えば、愚生は二十代の頃、「火は火のことをかの火祭の火のほこら」という句を作ったことがある。「渦」の二十代作家特集に、この句を含めて、赤尾兜子が取り上げ、たしか「いま、リフレインを研究している」と評されたことがあったことを思い出した。もう50年以上前のことだ。ともあれ、本書中より、アトランダムになるがいくつかの一題一句を挙げておこう。


  なほしばしこの世をめぐる花行脚     黒田杏子

  水の地球すこしはなれて春の月     正木ゆう子

  鳥の目に雪降るはひとつの奇跡     宇多喜代子

  凍蝶の魂離さざるごとし        稲畑廣太郎

  海流の濃きをしるべに鳥帰る       能村研三

  狼を山の神とし滴れる          加古宗也

  瀧壺に瀧活けてある眺めかな       中原道夫

  美しき被曝もありや桃花水       渡辺誠一郎

  詩神撒く枯れの光に立ち尽くす      仙田洋子

  星涼しもの書くときも病むときも    大木あまり

  法皇の好みし黄なり初蝶来        大石悦子

  億年のどこか繋がるしじみ蝶       花谷 清

  ひまわりの遠心力のなかに居り      奥坂まや

  蛍火の明滅脈を診るごとく        細谷喨々

  髪洗うたび流されていく純情       対馬康子    

  魂は色を持たざり紅椿          星野高士

  はくれんの祈りの天にとどきけり    日下野由季

  鉄線花我が転生に猫もよし        寺井谷子

  雪女あかごを抱いてゐたさうな      姜 琪東

  柱なき原子炉建国記念の日       恩田侑布子

  第三次世界大戦前走りつづける蟻の群れ  大井恒行

  人死ぬやこゑ萬緑に溺れつつ       高橋睦郎 



     撮影・中西ひろ美「数え美も柚子色めでる頃となり」↑

2022年12月26日月曜日

秋尾敏「永遠の夕映えいつか必ず手を組む舞踏」(『自句自解ベスト100 秋尾敏』)・・


 『自句自解ベスト100 秋尾敏』(ふらんす堂)、巻末の「俳句をつくる上でわたしが大切にしている三つのこと」に、


 1 世界観、あるいは状況認識

 詩歌は、ごく個人的な言葉によって、既存の状況認識をつきやぶり、新たな世界観を提示しようとする。

 つまり、世界は暗いと思っている人を明るさに導き、無力だと思っている人に可能性を与え、何でも許されると思っている人に、それは違うと囁きかける。(中略)

 それらが成功するかどうかは問題ではない。そういう言葉を発することが重要なのだ。(中略)

 詩人は、それらの世界観に働きかける。世界は、君が思っているのとはちょっと違った、もう少しまともで美しいものなのだ、と。

2 韻律とリアリズムの相克 (中略)

 俳句の〈音通〉は、五七五の句切れ目を、同じ母音、または子音でつなぐ手法である。

  古池や蛙飛びこむ水の音    芭蕉

 この句の場合、五七五の切れ目の「やか」がa音の母音で共通しており、七五の句切れの「むみ」がm音の子音で共通している。これが〈音通〉である。

 江戸時代には、比較的よく知られた技法だったはずだが、、大正時代以降は廃れた。(中略)〈音通〉は〈口伝〉となったために、〈秘伝〉のように考えられるようになり、神秘性を加えられ、数々の迷信を生んだと思われる。(中略)こうしたこともあって、近代になり、〈迷信〉として忘れられていったのだろう。

 しかし、〈音通〉の本質は〈調べ〉である。作品の韻律をなめらかに整えるための手法なのである。

3 ラングとパロール (中略)

 個人のパロールが、社会的ラングをどれほど変形させられるか。詩歌とは、そうした営みであろう。(中略)例えば季語には〈本意本情〉というものがあって、とりあえずそれは共通認識ということになっている。(中略)

 そうなのである。言葉の意味には、ほぼ客観的に共通認識が成立している部分と、主観的に一部の人どうしが了解し合っている部分があり、さらに、内面に生まれたばかりの新たな意味もある。これは季語にかぎったことではない。

 したがって、季語の〈本意本情〉を固定的なものと見ることはできない。(中略)

 個人の〈内面〉はデータ蓄積の偏倚の場であり、その偏倚が、パロールという個人的な〈突飛な〉言葉を生み出す。

 しかし、実はこのモデルこそが、原始の昔からの言語モデルではなかろうか。そもそも言語を〈内面〉という場に想定していたことが間違いなのであった。思考は常に外部のデータが投影されているのである。

 俳句は、連句ほどではないが、やはり言語が関係性の中で培われていくことを教えてくれる。それぞれの俳人には、俳句についての知識の〈情報〉の偏倚があり、その偏倚が、個人的な(突飛な〉俳句を生み出し、その個人的な(突飛な)表現が周囲に影響を与えていく。こんな面白いことはない。

 言い換えれば俳人たちはみな不完全なのであって、その不完全さの生み出す突飛さが、言葉をゆたかにしていくのである。


 とあった。自句自解の一例のみになるが挙げておきたい。


   ピーマンの輪切りの彼方まで夏野

 輪切りにしたピーマンをつまんで目の前にぶらさげてみた。いささか芝居じみているが、ルネ・マグリット風の世界観で遊んでみたかったのである。ピーマンも夏の季語になるが、作者の意識としては、この句の季語は夏野。高屋窓秋を想いながら詠んだ。あなたの夏野は、今も私の脳裏に広がっている、と。

 「の」「の」「野」というo音の脚韻は意識的。「輪」「彼」「夏」のaの頭韻は偶然のようなものだが、そこにoとaの対照性が生まれている。俳句の調べは重要だ。ほぼ感覚的なものだが、私の場合、意図的に作り出すこともある。    (『納まらぬ』平成十三年)


以下には、本書より、句のみなるが、愚生好みにいくつかの句を挙げておきたい。


  岬からはじまる戦後秋つばめ

  手に掬うべきものあまた寒の水

  冬木の芽なり憤怒にはあらず

  遠い約束ひまわりに火を貰う

  ヒロシマにブレンドされている何か

  忘却がみんな桜になっている

  幾万の蛍昭和という谷に

  原発に下萠ゆるとは怖ろしき

  忘れないための消しゴム原爆忌 

  母の掌幾度も咲いて毛糸玉

  陽炎の骨あるように立にけり

  雷兆す体よ僕に付いてこい


  窓秋忌声潜めれば紙乾く

   この句には、高屋窓秋の忌日は一月一日だから、それを詠む人は少ないが、高橋龍さんの〈終わりなき年の始の窓秋忌〉や大井恒行さんの〈歳旦の箸置きいくつ窓秋忌〉など味わい深い句もある。窓秋が元旦に没した年の七月二十九日に父が没した。平成十一年は忘れようのない年である。(中略)         (『ふりみだす』平成二十六年)


 と、龍さんともども、愚生句を紹介していただいている(ありがとう)


 秋尾敏(あきお・びん) 1950年、埼玉県北葛飾郡吉川町(現・吉川市)生まれ。



          芽夢野うのき「雲ひとつなき空や彼岸まで冬」↑

2022年12月25日日曜日

姜琪東「下駄はいて日本の正月しか知らず」(「俳句界」2023年1月号より)・・

          

 

「俳句界」2023年1月号(文學の森)、特集は「必読!俳人たちの名文」と「思わずうなる!上五・下五」である。が、本号の表紙には記されていないが、姜琪東の久々の登場は特筆すべきであろう。特別対談・姜琪東(文學の森顧問)とアドリアン・カルボネ(ルーヴェン大学准教授)「五七五のリズムを守りながら訳す」である。カルボネは高校時代池袋の城西大学附属高校に在学し、また北海道大学では客員教授を務めたことがあるらしい。現在は、ルーヴェン大学の韓国研究センターに居て、そこで姜琪東第二句集『身世打鈴(シンセタリョン)』(1997年刊・石風社)に出会ったという。その対談の中で、


カルボネ なぜそのタイトルに?

 姜   「身の上話」という意味だからね。

カルボネ あとがきには、「いわゆる〈句集〉ではない。俳句という表現形式による一人の在日韓国人による自叙伝」だとありましたね。(中略)ぜひ訳してみたいです。俳句ですから、できれば対訳(注・原文に並べて訳文をしめすこと)のような形がいいですね。フランス語にすることは、意味があると思います。(中略)

 下駄はいて日本の正月しか知らず

これを自分ならどう訳すかなと考えました。やはり俳句ですから形も決まっているし、それをどう訳せば良いのかを考えると、なるべくリズムもそのままにするのが望ましいですね。それで、〈Je ne connais que /le nouvel an japonais/ geta aux pieds〉と。

 姜   フランス語の語調がいいね。

カルボネ やはり、俳句は五七五ですから。このリズムを全く守らない訳者もいますが、私はフランス語でも五七五にしなきゃいけないとおもうんですよね。ですから、「じゅ・ぬ・こ・ね・く/る・ぬ・ゔぇ・らん・じゃ・ぽ・ね/げ・た・お・ぴ・え」になるんです。(中略)ですから、こういうふうに先生の句集を訳したい。


とあった。

 アドリアン・カルボネ(1985年フランス生まれ)。姜琪東(かん・きどん)1937年高知県生まれ)。愚生は、かつて、文學の森に数年、勤務していたが、入社する前に、偶然に属するが、姜琪東句集の『身世打鈴』は読んでいた。現在、85歳ほどになられていると思うが、ご健在のようである。慶賀。ブログ(2020年9月25日付「大井恒行の日日彼是」)にも書いたことがあるので、そこから他の姜琪東の句をいくつか紹介しておこう。


  水汲みに出て月拝むチマの母       琪東

  大山も姜(カン)もわが名よ賀状来る

  冬怒涛帰化は屈服父の言

  残る燕在日われをかすめ飛ぶ

  帰化せよと妻泣く夜の青葉木菟

  ビール酌むにつぽん人の貌をして

  鳳仙花はじけて遠き父母のくに

  父の意にそむき日本の注連飾る

  ひぐらしや嬰に添ひ寝して帰化迷ふ


ほかに、本誌本号には池田澄子「私の一冊」(『啄木寫眞帖』吉田子羊)と小澤實の特別作品21句があった。


  行く用のなき古里の雪予報      澄子

     田尻得次郎

  自首させる友情ありぬ秋のかぜ     實 



        撮影・中西ひろ美「凩や親戚の誰かれに似て」↑

2022年12月24日土曜日

斉藤志歩「水と茶を選べて水の漱石忌」(『水と茶』)・・・

           


 斉藤志歩第一句集『水と茶』(左右社)、企画協力に佐藤文香。2014年から2022年までの256句が収められている。解説は岸本尚毅、その中に、


 俳句を作るとき、あるいは読むとき、どんなところに拘るのか。この句集にこんな句があります。

   手の甲にカーテン支ふ冬の月

(中略)日常の事柄をさりげなく詠った作品です。作者の感じたことがそのまま伝わります。この作品がもたらす作用は、「伝達」というより、「再生」に近いかもしれません。作者が拘って選んだ言葉が読者の想像力に働きかけ、作者の体験が読者の頭の中で「再生」されるのです。(中略)

   まだ黒くなる芋虫の骸かな

 生きものの死にざまをリアルに詠んだこの作品にも、作者の好奇心に満ちた眼ざしが感じられます。(中略)

 この句集を読んで感じられるのは、とにかく、作者が楽しそうであり、俳句を通じて人生を面白そうに眺めている、ということです。われわれ読者もまた、この作者が遭遇する俳句現象を、面白がって眺めようではありませんか。


 とあった。ただ、愚生に不満があるとすれば、現代仮名遣いの方が、斎藤志歩の作品は、より活きるように思われたことであった。「俳句は現代詩である」とは堀田季何の言葉だが、こうした、若い人の作品を読むと、やはり、俳句の言葉もまた、時代を負っていると思うのだ。ともあれ、愚生好みに偏するが、集中よりいくつかの句を挙げておこう。


  バーの名の光れる路を提げゆく

  けふは肉あすは魚に年忘

  山眠るゆふぐれの鳥ふところに

  冬雲や焼肉を締めくくるガム

  東風吹くや鞄を出づる犬のかほ

  つくし野のつくしのまばらなるところ

  散る花に風の行く手のつまびらか

  秋風やきりんの首のよく見ゆる

  長き夜やひとり暮らしのトイレに鍵

  霜月や呼べばすぐ来る待合せ

  冬林檎歌へばちがふ声になる

  

 斉藤志歩(さいとう・しほ) 1992年生まれ。


★閑話休題・・斉藤志歩「木の実落つ今は手元にこの栞」(「むじな 2022」通巻6号より)・・


 斉藤志歩つながりで、「むじな 2022」通巻6号(むじな発行所)、特集は「斉藤志歩句集『水と茶』」。執筆陣は西村麒麟「薔薇」、千倉由穂「暮らすことの朗らかさ」、暮田真名「(酒量と同量の)水と茶」、榊原絋「私は斉藤。俳句をやっています」。一句鑑賞は板倉ケンタ・今泉礼奈・松本てふこ・西村結子・田口鬱金・浅川芳直。以下に、一人一句を挙げておこう。


  集落に人影蜘蛛の狩しづか        浅川芳直

  飛びのいている人がいる亀の鳴く     有川周志

  言霊のまず枯れそうな春の風邪     一関なつみ

  副賞の一本は温泉でありぬべし   うにがわえりも

  夏椿を記憶の蓋にして閉じる      及川真梨子

  段ボール箱に匿ひ竈馬          工藤 吹

  わづらひて八月の果つ九月また      斉藤志歩

  つま先の先つぽにつぼ春を待つ      漣波瑠斗

  曰く付きの橋夕焼沈む橋         佐藤 幸

  初めてのキャッチャー役や水温む     島貫 悟

  風船を母星に帰らせてあげる      菅原はなめ 

  良宵や隣家の「♪オ風呂ガ沸キマシタ」 鈴木あすみ 

  等比数列第n項に蜂           鈴木萌晏

  子鯨のうねりゆっくり胎動く       須藤 結

  梅酒瓶抱へし胸に実の泳ぐ        田口鬱金

  春風や骨美しきアーケード        武 元気

  卒業す『To LOVEる』全巻返却し    谷村行海

  島国に一島ほどの夏の雲         千倉由穂

  春風やメンバーカラーの緑着る      千田洋平

  みつ豆の今嚙んだのは豆のとこ      西野結子

  あざあざと傘差す音の祭かな       弓木あき

  シニヨンが電車の窓に触れて霧      吉沢美香

  地下通路浴衣にマスクきゃらきゃらと   米 七丸

  藪漕ぎの腕に刺さりし夏薊        若井未緒 



         撮影・鈴木純一「落葉ふむ

                 誰も死なない映画だった

                 ね」          ↑

2022年12月23日金曜日

小池正博「壊滅の序曲をかけて除幕式」(『海亀のテント』)・・



 小池正博第3句集『海亀のテント』(書肆侃侃房)、そのシンプルな「あとがき」を紹介する。 


 『水牛の余波』『転校生は蟻まみれ』に続き、『海亀のテント』をまとめた。二〇一六年から二〇二二年までの七年間の作品である。これで動物三部作が完結する。航海を終えて寄港した船底にはフジツボの類が付着していることだろう。

 ルサンチマンや事故模倣、川柳的技術などに混じって、やっかいなのは虚無感だ。句集を出すことで洗浄できれば嬉しい。


とある。集名に因む句は、


  海亀のテントめざして来てください    正博


であろう。ともあれ、門外漢ながら、愚生好みの句をいくつか挙げておきたい。


  酔うたびに街を消してもいられない

  入口に鳥 出口には鳥もどき

  褒められたときには顔を取り換える

  譲りあいながら音量が消えてゆく

  黄泉の河いっしょに遊んでくださるのよ

  逢いたいが虫の種類がわからない

  データには不慮の出会いも入れておく

  屋根に草生やしておけば暖かい

  空白を曳けば山鉾動き出す

  二人とも同じ匂いのする仮面

  この町の数えきれない避雷針

  肉食であれ草食であれぷよぷよ


小池正博(こいけ・まさひろ)1954年生まれ。



★閑話休題・・小池正博「身長を比べあう同姓同名のペンギン」(「川柳スパイラル」第16号より)・・


 小池正博つながりで「川柳スパイラル」第16号(編集発行人・小池正博)。特集は「『川柳スパイラル』創刊5周年の集い」。「編集後記」の中に、


 夏が過ぎ、秋から冬へと向かってゆくが、古いものは落ち、新しい表現が生まれてゆくことだろう。晩秋になるとリルケの「秋」という詩を思い出す。落葉のように私たちはみな落ちるのだが、その頽落を受け止めるやさしい掌があるというのだ。


ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


  編み上げた夜をあなたに渡そうか     清水かおり

  とりあえず泣く雨の日のやじろべえ     畑 美樹

  インターホンにて所感を述ぶるなかれ    湊 圭伍

  赤だしも白だしもいいおとしごろ      一戸涼子

  難問を解いた銀杏から落ちる        悠とし子

  不死身です丹下左膳もぼくちゃんも     石田柊馬

  ヒロヒトの煮る時雨煮に似た寛子      川合大祐

  プルタブを引く終わりの始まり       浪越靖政

  憲法」を保つ立派な「日本国        飯島章友

  あふれつづけるものこぼしつづけて今日   兵頭全郎



     撮影・芽夢野うのき「壊れるって最後の積木つんだから」↑

2022年12月22日木曜日

恩田侑布子「よく枯れてかがやく空となりにけり」(『はだかむし』)・・


 恩田侑布子第5句集『はだかむし』(角川書店)、その「あとがき」に、


 天空の書斎に恵まれた。冬は安倍川のほかほか日あたる石河原。春は木見色川の花の奥。野山に新茶のさみどりがはしれば、小瀧のそばの楓の下が涼しい。本書はその岩場を机と椅子に、水音を聞きつつ選句にはげんだ。透きとおる若楓はいつか青天井になり、木末のかなたの駿河湾は、すでに秋めく紺青の帯をながしている。(中略)

 ウイーンの古都を抜けて、ドナウ川に会いに行った。(中略)あのモスグリーンの静かな水が、きな臭い黒海、戦乱のウクライナのほとりに流れ入ることを思うと。「核」と地球温暖化は、季語の本意(ほい)さえ変えかねかねない。


 とあった。つい先日、澤好摩と数年ぶりに会い、歓談した。その折、本句集にも話が及び、「冨嶽三十六景」の章、冒頭の「初富士や大空に雪はらひつゝ」は、イイね、と愚生が言ったら、「そうだろ・・、句集にする前に見せてもらったとき、この句がいい、と僕も言ったんだ・・。納得してなかったようだけど・・」と返ってきた。集名に因む句は、


  うちよするするがのくにのはだかむし


 であろう。ともあれ、以下に、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


  身一つ容れゝば縊れ花の闇           侑布子

  つゞれさせゆめには夢をあたふべし

  足もとのどこも斜めよ野に遊ぶ

  なきひとは在りし人なり木の芽風

  形代へ吹く息けもの臭きかな

  春雷の涯(はたて)へひとを送りけり

  あをあをと水の惑星核の冬

    二〇一八年七月オウム死刑囚十三人処刑

  ハルマゲドン骨粉となる半夏生

  南冥へ波上げにゆく瀑布かな

  渦銀河敵も味方もサピエンス

  身一つを谷に漱ぐや銀やんま

  ほそ道やひかり長けたる花ふゞき

  雨あしにくぼむ春水ちゝとはゝ


 恩田侑布子(おんだ・ゆうこ) 1956年、静岡市生まれ。

  


    撮影・中西ひろ美「つやつやの汝に触れむとすれば落つ」↑

2022年12月21日水曜日

佐藤りえ「音なく雪 死にも跫音ないだらう」(『良い闇』)・・・


 
  同恵送されてきた「怪談牡丹灯籠双六(かいだんぼたんどうろうすごろく)」↑


  佐藤りえ幻想怪奇俳句集『良い闇や』(発行人・佐藤りえ)、豆本、黒い紙に文字は白であるが、愚生の眼では、豆本ゆえ、当然ながらルーペは必携。やっとの思いで、字を辿っている始末。同時刊行に「九重」3(発行人・佐藤りえ)、こちらは、りえの個人誌で、本号のゲストは小津夜景、夜景の句集『花と夜盗』をめぐるあれこれが書かれている「『花と夜盗』をめぐる12章」。その他の記事は、佐藤りえの誌上歌集と銘打たれた『森の中』120首余。その「九重」の編集後記の結びには、


 戦禍は過ぎました、War is  over. と、ここに書けないことが非常に残念です。同時に今この瞬間もそれぞれの持ち場を守る人々がいることに思いを馳せ続けています。


とあった。ともあれ、句集と歌集から、いくつかを以下に挙げておきたい。


    第五夜

  煉獄へ火の鳥馳せて火のをんな         りえ

    第十夜

  豚を撲ち撲つパナマ帽汗みだれ

    東海道四谷怪談

  裏に女房表に間夫(まぶ)を釘付けに

  麺または人撲つ音や二階より

    肺胞 肺胞 仕置きが好き

  七賢人血斧を負ふて帰り来る

  陽炎へ名前を云つてはいけないよ

  紫陽花の根方に黄泉の渦がある

  身体は次の停留所にて待つ

  歳月を言い換えるのに適当なものさしとして差し出す毬藻

  主よハイドロカルチャーの何たるかを教えたまえよ喧嘩中のわれらに

  あまりにも遠い二本の道のりを並走している、ことにしておく

  よくわからない、は言い訳にならないのかもしれない 飴を飲む夜

  擦り傷とやけどだらけの肌をもつ自分の背中が拭けない天使

  スケルトン・ボーイ スケルトン・ガール 肋の奥に宙吊りの心臓

  二本ある線のどちらか切る場合赤を切るって決めてる天使

  死に様はたくさんあって生き様はまだ埒もない向日葵畑

  動けなくなるその日まで みずからの身体という異国を生きる


佐藤りえ(さとう・りえ)、1973年生まれ。歌人・俳人・造本作家。



★閑話休題・・小津夜景「脈の迅(はや)さの雪はふりつむ」(『花と夜盗』)・・


「九重」3、つながりで小津夜景句集『花と夜盗』(書肆侃侃房)。「おぼえがき」に、


『花と夜盗』はこれまで書いた句からてきとうなものを選び、連作に編み直した句集です。季の配列については意識の流れに逆らわずおおまかに整え、漢字については原則として新字体で統一しました。(中略)

 たわむれに書き散らしたことばを一冊にまとめるのは根気のいる作業でした。どれを採って、どれを捨てるか。どんな香りや風合いとわたしは出会いたいのか。深さや硬さ。淡さや儚さ。悔いや憧れ。で、いろいろ試した結果このようになった次第です。


とあった。ともあれ、集中より、愚生好みにいくつかを挙げておこう。


  千の掌(て)のすゑひろがりの涼しさよ     夜景

  閨に賽投げられし夜の流れ弾

  末法を戯(ざ)れてマッポと花泥棒

  あんぐらあんぐらと月を煮る

    吾有剪刀磨未試

  切れ味をいまだ試さぬ鋏かな研ぎし日のまま胸に蔵(しま)ひて

  瑳翠寓 あいらしくわらふ/かはせみ/かりずまひ

  盈(み)ち 虧(か)けに花はおぼれよ殯(かうもがり)

  道しるべ野暮は夕べのひとめぼれ

  

 小津夜景(おづ・やけい) 1973年、北海道生まれ。



      芽夢野うのき「夜の銀杏どうしても行きたい海がある」↑

2022年12月20日火曜日

遠山陽子「冷まじや肉の中なる尾骨恥骨」(「俳句四季」2023年1月号より)・・


「俳句四季」2023年1月号(東京四季出版)、創刊40周年記念特集は、今月と来月号の2号連続「俳句の未来予測」、「十年後の俳句、俳壇はどうなっているか、また、どうなってほしいと願うのか」である。今号の執筆陣は、愚生の他に、秋尾敏・天野小石・大塚凱・奥坂まや・黒川悦子・坂口昌弘・塩見恵介・筑紫磐井・土肥あき子・仁平勝・野口る理・堀田季何・三村純也・宮本佳世乃・渡辺誠一郎。さすがに年齢によって考えることに差が出てくる。ただ、AI俳句に関する言及は多かったようである。興味ある読者諸兄姉は読まれたい。

 未来予測はともかく、「俳壇観測」連載240・筑紫磐井「堀田季何は何を考えているかー有季・無季、結社、協会」は面白い。


 堀田季何のものの考え方がよくわかったのは、二〇一八年十一月十七日金子兜太のシンポジウム(「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」)を開催したとき、何人かのパネラーにいくつかのテーマで基調講演を依頼した。(中略)

(具体的には兜太)がノーベル賞を取るための条件を語ってもらった。(中略)結論は①作品を選ぶこと、②優れた翻訳をすること。③そうした翻訳を大量に流通させること、④媒体を選ぶこと、⑤読者のレベルを上げること、などだ。面白かったのは①で、日本ではどんなに優れた俳句でも外国人に伝達不可能な俳句は紹介を断念した方がいいという、確かに考えればもっともだが、言われてみると実にドライで面白い。また、②では兜太の翻訳された俳句がいかにいい加減かを例を挙げて紹介していた。


そして磐井は、季何がこれまで上梓した句集についてそれぞれ評を加えている。さらに、


 最近の堀田の活動は更に枠をはみ出している。直近の例を見てみよう。二〇二一年春に、「楽園」という電子媒体の俳誌を創刊し、年一回はそれを紙の版としている。立派な主宰者となったのだ。しかし、これは(中略)、堀田に主宰者志向が在ると言っては誤解となろう、戦略の一環なのだ。また現代俳句協会幹事として、新法人の組織設計や定款作りをするなど、新法人発足の中心人物となっている。組織の起案者は、えてして次の時代を主導するものだ。(中略)

 かつてこのような戦略志向の作家がいたかと言えば、実は一人いたと言いたい。それは坪内稔典である。坪内以来の戦略作家を、我々は俳壇に迎えようとしているのである。


 と結んでいる。その意味では、かつて「過渡の詩」を標榜した坪内の「『船団』の散在」もまたその延長線上にある見事な結論だった、といえよう。ともあれ、同号より、愚生好みに、いくつかの作品を以下に挙げておこう。


  ゐのししの舌(タン)切り取りて供へけり   谷口智行

  あかあかと我が身ありける初湯かな      小澤 實

  鎮魂の日のめぐり来て寒風にジャノメエリカの葯黒く揺る(阪神淡路大震災)

                                栗木京子 

  北風にビッグイシューを掲げ立つ       天宮風牙

  秋晴やゆびてっぽうにかなり皺        岡村知昭

  跳ね橋の上がりきつたる白夜かな       岸本葉子

  万緑や永久の被曝のままなれど       高野ムツオ

  それぞれに生年月日原爆忌          川崎果連



★閑話休題・・金子兜太「河より掛け声さすらいの終るその日」(『語りたい兜太 伝えたい兜太ー13人の証言』より)・・


 聞き手・編者 董振華/監修 黒田杏子『語りたい兜太 伝えたい兜太ー13人の証言』(コールサック社)、その帯に、高山れおなが記している。


 我々の俳句は、これからも、なんどでもこの人から出発するだろう。「十三人の詩客」がそれぞれに見た永遠の、可能性としての、兜太ーー。

李杜の国からやってきた朋が、これらの胸さわがせる言葉をひきだした。


 13人の詩客は、井口時男・いとうせいこう・関悦史・橋本榮治・宇多喜代子・宮坂静生・横澤放川・筑紫磐井・中村和弘・高野ムツオ・神野紗希・酒井弘司・安西篤である。写真も多く掲載されているが、各人の各扉ページには董振華と各氏のインタビュー時のツーショットと末尾には各氏の略歴と兜太10句選が添えられている。


董振華(とう・しんか) 1972年、中国北京生まれ。



  撮影・中西ひろ美「外国(とつくに)の和韻に酔ふて柊は」↑

2022年12月19日月曜日

芭蕉「比良(ひら)みかみ雪指ㇱわたせ鷺の橋」(『京都・湖南の芭蕉』より)・・

          

  さとう野火著『京都・湖南の芭蕉』(京都新聞出版センター・2014年刊)、巻末に「さとう野火氏は平成二十四年七月二十六日、享年七十一歳で亡くなられました」とある。著者「あとがき」(平成二十二年二月)もあるので、生前に本稿は纏められていたものであろう。愚生は先日、京都は真如堂・法輪院の墓に初めて参ったが、墓碑には、娘の誕生の歓びを詠んだと思われる「白く生まれ/馬酔木花房/陽を散らす/野火」と刻んであった。その近くには、冷泉家の墓があり、また向井家(向井去来)の墓があった。

 書名は『京都・湖南の芭蕉』であるが、内容は、芭蕉の生涯を写真をふんだんに挿入しながら解説した読みやすいもの。書名にあるように、帯文惹句には、とりわけ、「京・湖南の句碑。ゆかりの場所を約180か所とともに紹介 その息づかいを身近に感じる一冊」のとおりである。とはいえ、京都新聞社勤務時代の取材者として、多くの無署名の文章を書かれたであろうが生かされた緻密さ、そして、今回は、文字通り、自らの俳号をもっての刊行書であれば、当然ながら、さとう野火の俳句観もいたるところで開陳されている。例えば、


 (前略』十二日、市振(いちぶり)・(石川県大聖寺町)に泊り、翌朝発っている。

    一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月

 艶な趣の濃いこの句は虚構中の虚構で大ウソ。学者の中には「遊女を萩に、月を自分に」見立てたものと解釈する人もある。詮索は自由。歌仙は必ず単調にならないよう艶のある句を入れるもので、芭蕉は恋句の名手であった。また、

「俳諧といふは別の事なし、上手に迂詐(うそ)をつく事なり」(俳諧十論)と。

俳文もまた同じで糞(くそ)リアリズムでは面白くもおかしくもない。


 とある。また、愚生が京都に居た3年間、さとう野火にはずいぶんお世話になった。その場面場面で、俳句論を色々聴かされたが、その片鱗をうかがわせることが、著者「あとがき」に記されてあった。


 現代の俳壇の不幸は、昭和後期に始まった生涯学習で、定年後のカルチャー教室ではないだろうか。六十歳の手習いで、余生が長いために伸びる人もいる。しかし、本格的な指導はされず、分かりやすい写生句が多く、面白くもおかしくもない類句が氾濫する。恐らく平成時代の俳人は典型の少ない空白の時代にいるのではないか。

 四十年ぶりに芭蕉を取材して足跡地の変貌ぶりに驚いた。風景が現代化するのはやむなしだが、その地にふさわしくない句碑が多いこと。また、定稿にない句が彫られていたりしていることなどである。このため、原句を示すにあたり『芭蕉発句集』(編者、乾裕幸・桜井武次郎・永野仁)を基にした。各地に好事家によって建てられた句碑にはその地で詠まれたものではないことが多い。誤解をさけるため、詠まれた地をあえて示した。

 挨拶句はあまり佳いとは思えないが、その地の風土が描かれているものは収録した。芭蕉の句がすべて佳作と決めている読者には大変失礼なことだが、芭蕉は俳諧師である。招待されて、持て成しを受け、餞別をもらえば亭主に一句をしたためるのは当然のことでもある。


 また、本書の結びには、以下のように述べられている。


 俳諧を「机上の言葉あそび」から「行動する文学へ」刷新した芭蕉の業績は文学史に不滅の光を放っている。


 ともあれ、本書より、句の幾つかを挙げておこう。


  命二ッの中に生(いき)たる桜哉  (芭蕉最古の句碑・滋賀県大岡寺)

  五月雨(さみだれ)に鳰(にほ)の浮巣を見に行(ゆか) (甲賀市・常明寺)

  木のもとに汁も鱠(なます)も桜かな    (膳所・戒琳庵)

  牛呵(しか)る声に鴫たつゆふへかな  獅子老人(支考のこと)(京都・永観堂)

  住倦(すみあ)いた世とはうそなり月と花  蘆元坊     (  〃 )

  百歳(ももとせ)の気色(けしき)を庭の落葉哉  (滋賀・明照寺)

  半日は神を友にや年忘ㇾ   (京都・上御霊神社)

  うき我をさびしがらせよかんこどり    (京都・金福寺)

  六月(ろくぐわつ)や峰に雲置(おく)あらし山 (京都・大悲閣近くの山中)

  清滝や波に散込(ちりこむ)青松葉 (京都・鳥居本亀屋町 落合橋東詰左)

     「清滝や・・」の句は、去来が枕元に呼ばれ、改作を指示された句で、時間的に はこの句が最後だったために、辞世の句と主張する研究者もいる。


 さとう野火(さとう・のび)本名・佐藤浩(ゆたか)、1940年8月11日~2012年7月26日) 大分県竹田市生まれ。



            撮影・鈴木純一「木守も

                    右も

                    左も

                    ほの暗し」↑

2022年12月18日日曜日

椎名果歩「冬の濤暗さつのりて崩れけり」(『まなこ』)・・


  椎名果歩第一句集『まなこ』(ふらんす堂)、装幀は和兎。序は小川軽舟、その中に、


 (前略)例えば最初に引いた「大暑なり溜池の水浮腫(むく)みたる」。うだるような暑さの盛りに、汗がしたたるのも忘れて溜池の水面を凝視している。俳人でなくして誰がそんなことを好んでするだろうか。そして凝視の末に果歩さんは、「浮腫みたる」という言葉の出口を見つけて俳句にできた。溜池の水が浮腫んでいるという感覚は異様といえば異様だが、言われてみればそこに発見の驚きがある。ここに挙げた十句には、いずれも果歩さんが目を凝らし、耳を澄まして、何かを掴み取ろうとした濃密な時間が背後にあり、そして俳句に到る言葉の出口を見出した喜びがある。


 とある。また、著者「あとがき」には、


 『まなこ』には「鷹」に入会した二〇一三年秋以降の二六七句を収録している。制作年によらず構成した。句を各章に振り分けることで、自分の現在と過去、心の表層と深淵に気が付いたり腑に落ちたりすることがあったのは得難い体験だった。(中略)

 句集名「まなこ」は〈眩しさに目玉引つ込む深雪晴〉の「目玉」の言い換えである。「本質や価値などを見通す力」という意味もあるそうだ。自分なりの見通す目を得られるように、物ごとの向こう側にまで目を凝らしてゆきたい。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


  田楽をひよつとこ口に熱がりぬ      果歩

  春夕焼火の見櫓に路地尽きる

  地球儀の海溝の紺秋はじめ

  終戦日洗ひたる手のすぐ乾き

  年用意一番星の上がりけり

  裸婦像の靡かぬ髪や小鳥来る

  残月や空気抱き抜く首枕

  遅き日のスワンボートに水重し

  紫陽花や雨戸の固き母の部屋

  月明りマリオネットは睫毛伏す

  螇蚸飛ぶたびに時間のずれてゆく

  春深しパタパタ時計パタッと1

  蓮の葉に白昼の風伸び縮み


 椎名果歩(しいな・かほ) 1977年、千葉県生まれ。



       芽夢野うのき「藍色の皿にとなりていつかの銀杏」↑

2022年12月17日土曜日

川崎果連「おやゆずりおっちょこちょいのちゃんちゃんこ」(第7回・現代俳句協会「金曜教室」)・・


  昨日、12月16日(金)は、現代俳句協会「金曜教室」の第8回目。宿題での持ち寄る句は「平仮名のみで句を作る」1句と「カタカナで句を作る(漢字入り可)」1句の合計2句であった。以下に一人一句を挙げておきたい。


  ゆけむりのさんかくしかくまるおでん    林ひとみ

  愛國ハ教育勅語ヨリ蹴鞠          川崎果連

  人ト云フ一瞬ノ夢冬ノ雷          石川夏山

  クリスマスミゾへナガレルダイヤ針     杦森松一

  水際二冬ノ気配ノ海岸線          高辻敦子

  さざんくわやひとひらごとのちるきおく   山﨑百花

  ふゆのきみうすむらさきのけしょうすい   武藤 幹 

  つらのかわするりとはがしゆずのふろ    鈴木砂紅

  砂二残ル足アト波ノ消ゴム         植木紀子

  よろこびもかなしみもだくかけぶとん    宮川 夏

  はねふとんささやきこゑのあふれをり    白石正人

  ひみのはまあつきぶりしゃぶたからかな   岩田残雪

  じゅうにがつくにうたつきるさんがかな   大井恒行


 次回、1月20日(金)は、雑詠2句持ち寄り。皆さん、よいお年をお迎えください。



★閑話休題・・夢枕獏「死しししし口にするなよやつが来るからな」(『仰天・俳句噺』より)・・


 夢枕獏『仰天・俳句噺』(文藝春秋)、そのエッセイの「最終回 幻句のことをようやく」の中に、


 またもや、入院してしまった。(中略)

 カテーテルを二本、心臓まで入れられて、心臓の細胞をとったり、あれこれされて、八日入院し、なんとか年内退院で、正月は家ですごすことができたのだが、八キロもどした体重があっという間に十キロ減って、前回よりもさらに二キロ減ってしまったのである。(中略)

 「あ、これは何に使う道具ですか」

 などと、わざと口にするとぼけた老人になりたいと考えて、「忘竿翁」としたのである。

この忘竿翁の名前で、一年近く投句を続けた。毎月五句。

投句された作品から、長嶋さん、夏井さんが、それぞれ特選三句、佳作十句、選外佳作十句を選ぶ。(中略)

 この一回目に応募した五句のうちに紛れ込ませていた一句が、このゴジラの句だったのである。

  ゴジラも踏みどころなし花の山  (中略)

 結局、一年近くかかって、ようやくぼくの句が掲載されたのは、二〇一九年十二月号の「小説野生時代」である。

 特選ではなく佳作であったが、この句を選んでくれたのは、やはり夏井さんであった。

  湯豆腐を虚数のような顔で喰う   


 このエッセイの「黒翁(くろおきな)の窓」と題された句の中から、いくつかを以下に紹介しておきたい。


  我が肉にからむチューブを遍路する

  春の蛇吐くなら胸の黒真珠

  点滴てんてんてん花冷えの夜

  咳ばかりのひと晩でしらしら

  新緑に凝っと見ているガンである

  おいガンよ蓮華を摘みにいかないか

 

 この最後の句「おいガンよ・・・」の句には、夏井いつきが「籠にワインとクラッカー入れ」と、七七の付け句を添えてくれたとあった。


 夢枕獏(ゆめまくら・ばく) 1951年、神奈川県生まれ。


       撮影・鈴木純一「霜の朝ハグする人と長生きを」↑

2022年12月15日木曜日

井上芳子「日記買う身を励まして五年もの」(第12回「きすげ句会」)・・

          


  本日、12月15日(木)は第12回「きすげ句会」(於:府中市生涯学習センター)だった。愚生の74歳の誕生日と重なり、サプライズでお花を頂戴した。兼題は「山茶花」+雑詠2句の計3句持ち寄りである。今回の句会は、特別に『安井浩司読本1 安井浩司による安井浩司』(金魚屋プレス日本版)を、愚生が選んだ天・地・人の句に一冊ずつ贈呈した。ともあれ、以下に一人一句を挙げ置ておこう。


  冬晴れの一筆書きの赤い雲        杦森松一

  オリオンの月押し上げて冬来たる     山川桂子

  冬晴の対馬の向う異国なり        井上芳子

  山茶花咲く隠れの島の天主堂       井上治男

  山茶花や初雪告げし母の声       久保田和代

  凍(しみ)る夜鍋つつきおり夜の宿    清水正之

  急ぎ足リュックにのぞく葱二本      高野芳一

  風冴えて梢にかかる昼の月        寺地千穂

  濡れ石を踏みて山茶花躙(にじ)り口   濱 筆治

  公園の清掃友の息白し         壬生みつ子 

  澄んだ空じっと見つめて流れ星     大庭久美子

  浮寝鳥ひかりのままに漂えり       大井恒行


 次回、1月19日(木)、第13回の句会の兼題は、正月らしく「初詣」である。



撮影・中西ひろ美「青空へ飛び去る鳥の群れを見つ片手で食べるパンに指あと」↑

2022年12月13日火曜日

安井浩司「節気候(せきぞろ)の来たれば猫の髭うごく」(『天獄書』)・・・


 遺句集にして新句集・第18句集『天獄書』(金魚屋プレス日本版・定価:税込1800円)、その帯に、


 安井浩司が生前最後にまとめた遺著で新句集(第18句集)。

 最後まで前衛を貫いた安井俳句の金字塔! 全651句を収録


 とある。他に同時に刊行された2著『安井浩司読本Ⅰ 安井浩司による安井浩司』、『安井浩司読本Ⅱ 諸氏百家による安井浩司論』(いずれも金魚屋プレス日本版・定価:税込各2000円)。本書内容については、九堂夜想がフェイスブックに挙げている画像を以下に添付しておこう。また読本Ⅰの帯、読本Ⅱの帯には以下の惹句がある。


 私は俳句については門外漢だが、秋田前衛俳人、安井浩司氏を敬愛している。

「渚で鳴る巻貝有機質は死して)は俳句史に残る名句だろう。 辻原登


生涯に渡って徹底して俳句を文学として捉え続けた最後の前衛俳人・安井浩司。

難解で知られる安井俳句を99人の俳句精鋭が完全読解!




                                             

 『天獄書』より、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  創世紀這い出で来たる蛇女        浩司
  艦隊は帰らず崖の月見草
  鷲巣忌の途(みち)無き天をひとすじに
  想うまま火の中に活け曼珠沙華
     ー女にー
  祈るべきか過ぎ去るべきか風信子(ヒヤシンス)
  浄土にも蛇を創りし古代びと
  庭に来て冬青(そよご)嫌いの日雀ども
     ー八十六歳女にー
  恋人よ少し歩める金蓮歩
  うぐいすに先ず散らしやる雪花菜(せっかさい)
  生命線掌に握られて鬼あざみ
  野良坊よ次の世紀にまた会わん
    ー追悼・秀女毬子にー
  逝く君の胸に供えん黒苺
  草むらに撫でやる真忌(まいみ)の烏へび
  天心はまた荒れはじむ月日貝
  在るままに真人死せり如意菫
  幾山河車輪自在の棺いずこ
  遠虹を吊りおる天女首出して
  母上が食えと命じる泥団子
  衰えの身の脇に置く飛人形
  有りや無し三草四木の野添小屋
  鳥占(とりうら)の小森に忍び入るわらべ
  野田べりの見えるふるさと餓死風(やませかぜ)
  千の日を此の身に籠る蕁麻神
  
 
 安井浩司(やすい・こうじ) 1936年~2022年1月14日、享年85.秋田県能代市生まれ。

            
             


★閑話休題・・「三上泉個展 小さな幻視ー2022ー」・・・


 先日、12月10日(土)に安井浩司句集刊行の慰労会を神田やぶそばで行った。金魚屋プレス日本版の鶴山裕司、酒巻英一郎、九堂夜想と愚生。その前段に、「三上泉個展 小さな幻視ー2022」(Gallery 美の舎・台東区谷中、12月6日~11日)で集合して、ガラス作品を堪能した。



         芽夢野うのき「一足先に姉は椿にそれも黒」↑