2015年12月30日水曜日

高橋比呂子「蘭奢待ゆきもかえりも吹雪かな」(『つがるからつゆいり』)・・・



高橋比呂子「豈」同人にして「LOTUS」同人。青森市生まれで攝津幸彦と同年。『つがるからつゆいり』(文學の森)は第四句集になる。
最新の「豈」(邑書林発売)58号には、創刊35周年を記念して各同人の代表句10句が掲載されているが、その冒頭の句は、

    夏岬 原体験は球である        比呂子

本句集からも自選句として、代表句にかなり入集されている。2,3句挙げてみよう。

   一日と、三日七日と飛花落花
   ぽすとからとぽすまでの冬銀河
   蘭奢待ゆきもかえりも吹雪かな

愚生の不明にして「蘭奢待」のことはよく知らなかった。広辞苑によると「聖武天皇の時代、中国から渡来したという名香。東大寺正倉院宝物目録には黄熟香とある。『蘭奢待』の字には「東大寺」の3字が隠されているという。別名東大寺」とあった。読みは「らんじゃたい」。
著者「あとがき」には、本句集の表現意図が記されている。

 言葉同士の絡み合い、関係性、言葉のリズム、音韻の響き、意味性、それらとの衝撃。『つがるからつゆいり』は、これまでよりも、言葉の関係性にシフトしてみた。別にこれが新しい方法なわけではなく、これまでもつちかわれてきた方法である。私なりの世界が出はしまいかと願っている。

ともあれ、旺盛な創作欲に敬意を表して、以下にいくつか挙げておこう。

   無数ならもっとながれる芒種かな
   降雪や平均律とはほど遠く
   陸奥湾に風花産卵しつつ消ゆ
   虚空から紐垂れてくるはるの海
   みちのくは釦ならべてかぞえて遠し
   と、ゆすり蚊とゆりうすと
   羅や闇よりも濃くあいにゆく
   紀の国のきぬたかんたんいささかいささか
   
因みに、表紙装画も著者、瀟洒な装丁は三宅政吉。




                 クロガネモチ↑

2015年12月28日月曜日

豊里友行「海も陸も座り込む日々のさざ波」(『地球の音符』)・・・



豊里友行第二句集の句集名『地球の音符』(沖縄書房)は、次の句からのものだろう。

   鯨舞うみんな地球の音符なり       友行

沖縄在住の写真家にして俳人。俳句では若い世代(1976年生まれ)を代表するうちの一人である。
不案内ながら報道写真家として、愚生の記憶にあるのは、原発問題では90歳を超えてなお現役だった福島菊次郎とともに、樋口健二の名を留めている。その樋口健二に師事したというから、豊里友行もきっと筋金入りに違いない。従って、句集には脱原発、非戦、沖縄の現在の在り様についての句も多い。
愚生も、ひと昔前、沖縄平和行進に参加した折りに、辺野古にたった数時間にしか過ぎなかったが、座り込んで、地元の人たちの話を聞かせてもらったことがある。キャンプシュワブの鉄条網は刺さると抜けない構造になっているとも聞いた、ように思う(愚生は今や活動からすっかり足を洗ってしまったが・・、民意の中には沖縄独立?という声もあったような・・・)。
オスプレイが配備される直前の頃だったように思う。その配備に反対する闘争が現地沖縄ではすでに行われていたのだった。
いくつか句を挙げておきたい。


   虹を弾くアメンボのブレイクダンス
   どれもみな歌声になるうりずん南風(ベー)
   せんそうのもうもどれない蝉の穴
   鯉幟雑魚寝親子の爆心地
   すいつくかげもしずくもない炎天
   末端を先端にして針千本(アバサー)です
   
   踊れ(モーレ)
   踊れ(モーレ) 苦瓜(ゴーヤー)が風掴む
   踊れ(モーレ)
 



                                           フユザクラ↑


2015年12月25日金曜日

金原まさ子「速報でで虫の大量誕生日が昇る」(「豈」58号)・・・



「豈」58号(発売元・邑書林)が出来上がってきた。
というわけで、愛読者の皆さま方にも数日以内に届くと思います。
いま、しばらくお待ちいただければ幸甚です。
ご協力いただきました諸兄姉の皆さま、有難うございました。
感謝申し上げます。
良いお年をお迎え下さい。
以下に目次を掲げておきます。

‐俳句空間‐「豈」 58号)  目次                        表紙絵・風倉
                                   表紙デザイン・長山真
◆速報・第3回攝津幸彦記念賞決定 

◆招待作家・30句 金原まさ子                               

新鋭招待作家 竹岡一郎   冨田拓也  堀田季何  前北かおる    

「豈」57号招待作家作品を読む   言の葉パラパラ    池田澄子  

作品Ⅰ  秋元 倫  飯田冬眞 池田澄子  伊東宇宙卵  伊東裕起 
丑丸敬史   大井恒行  大本義幸  岡村知昭  恩田侑布子 
鹿又英一   神谷 波   神山姫余  川名つぎお  

特集 安井浩司評論特集
    安井浩司著「さまよう鬼、西東三鬼ノート」を読む   網野月を   
    「俳句形式のアポリア」 江田浩司   私感『聲前一句』小論 表健太郎   
    愛奴 九堂夜想      『安井浩司俳句評林全集』読後随想 曾根 毅  
    形式というトラウマ 田沼泰彦     神の臼から零れる俳句 鶴山裕司 
    なぜ俳句なのか 救仁郷由美子     私的もどき観察    筑紫磐井 

作品Ⅱ   北川美美   北野元生   北村 虻曳  救仁郷由美子  倉阪鬼一郎
 小池正博   小湊こぎく   小山森生  五島高資  堺谷真人 
坂間恒子  杉本青三郎  鈴木純一 

連載  私の履歴書⑦ 逃亡とや千の鈴鳴る千鳥かな     大本義幸 
    大本義幸インタビュー・「豈」創刊のころ() 聞き手 関 悦史 

◆作品Ⅲ  関 悦史  関根かな  妹尾 健  高橋修宏  高橋比呂子
 田中葉月  筑紫磐井  津のだとも子 照井三余  中戸川奈津実  
  中村冬美  中村安伸  夏木 久  新山美津代  萩山栄一 

書評  秦夕美句集『五情』評  夏木 久

作品Ⅳ 秦 夕美   羽村美和子  早瀬恵子   樋口由紀子   福田葉子 
  藤田踏青   堀本 吟 真矢ひろみ   森須  山上康子
  山﨑十生   山村 嚝   山本敏倖  わたなべ柊   余世夫 

「豈」銘鑑-WHO‘S WHO  
  ・旧同人招待作品 岸本マチ子   富岡和秀  鳴戸奈菜  
仁平 勝  福永法弘 
  ・中烏健二追悼  永井江美子    
物故同人の思い出  川名つぎお 
・旧同人句集評 島一木句集『都市群像』を読む  大本義幸 
「豈」創刊号を眺める   筑紫磐井編  
・「ひたすら書く、黙って書く」ためのブログ運営記  北川美美 
・冊子「俳句新空間」の誕生    筑紫磐井 
・WHO‘S WHO  各同人代表10句  
・「豈」同人在籍一覧   








2015年12月23日水曜日

表健太郎「火へ歩む鹿を最後の秋とせよ」(「LOTUS」32号)・・・



「LOTUS」32号は、曾根毅句集『花修』評と表健太郎『天地論抄」評の特集である。句集『花修』は今年の俳壇の評価もよく、多くの好意的な批評に接してきているので、ここは、愚生も執筆させていただいた表健太郎「天地論抄」評の方を紹介しておこう。流ひさしの玉評は以下のように結んである。

   火へ歩む鹿を最後の秋とせよ
 人間以外の動物は火を本能的に恐れる。それゆえ「火へ歩む鹿」は尋常の「鹿」ではない。これは「機械」と化した表の懇願的命令である。自分をこれ以上追い詰めるな、もし追い詰めた場合は自分も滅びるが諸君も滅びることになるぞというわけである。
 これが表の本領であり、覚悟である。果たして我々にこの覚悟ありや。

他の「天地論抄」評の執筆者は菊井崇史、三枝桂子(三枝は天地に「あめつち」とルビを付している」)である。いずれも力評である。その三枝は、

 彼が『天地論』という世界で追求しようとしているものは、俳句形式やその起源ともなるものが生まれるよりももっともっと遥かな遠い過去の「物と言葉」の始原性に関わることなのだろう。

と述べる。菊井崇史は、

 業火になる必要はなく「見える」の一回性の明滅として、さやさやと「怪物」であることは矛盾しないのだ。しかし「引火」を途絶えさせてはならない。一度、一度、「夢」の出現を句作の都度に見出さねばならない。

ともいう。ともあれ「LOTUS」にあって、表健太郎は九堂夜想とともに、その創刊号から期待されている若手の2枚看板であった。
以下は母屋の「LOTUS」に間借りしている幾人かの「豈」同人の作品を以下に上げさせていただく。

      
   天病みて蝶をさしだす眞葛原        丑丸敬史
   こがらしや疾く疾く二号も歩み来よ     鈴木純一
   白桔梗ありわが家のむこうあり       高橋比呂子
   
   かやつりぐさへ
   なんばんぎせる
   よるとみせ               酒巻英一郎

   プロソディー1掛け2掛け3掛けて      北野元生
   





2015年12月21日月曜日

大井恒行「霜の墓立ちいたるかに鬼九男の訃」(阿部鬼九男、19日死去)・・・


                さても発端プロトプテルスの乾眠 鬼九男↑

先月19日、このブログの閑話休題に阿部鬼九男宅に酒巻英一郎と救仁郷由美子とで見舞い、来春の宴を約束したと記したが、その翌日、入院をし、面会かなわぬまま、12月19日(土)午前4時に悪性リンパ腫のために死去したとの訃をもたらされた。享年85。本日、近親者のみによる密葬が行われ、約束は違ってしまったが、来春しかるべき時期に偲ぶ会をするつもりであるとのことだった。喪主は実弟の阿部幸夫,つい先日、電話でお話ししたときに、阿部鬼九男の第一句集『環』(新書館)は彼のデザインだった(ネームは阿部佐知男)とうかがった。 
阿部鬼九男(あべ・きくお)、本名・喜久夫。西東三鬼最晩年の弟子、加藤かけいに師事した。若き日には、三鬼にすすめられて「天狼」に山口誓子論を連載したこともある。「俳句評論」終刊の後は、折笠美秋、寺田澄史、坂戸淳夫、志摩聰、大岡頌司、岩片仁次,安井浩司、佐藤輝明、川名大と「騎」を創刊。句集に『環』『櫻襲』『天秤宮』『夏至殺法』、他に『黄山房日乗』などがある。住まいの地名をとっては、「烏森つうしん」「豊ヶ丘つうしん」「かいどりつうしん」などのハガキつうしんを出し続けて、そこに書かれている、古今東西の音楽、詩歌、文学、オペラなどの博覧にはいつも敬服していた。
また、仁平勝や宗田安正、酒巻英一郎、愚生などは、阿部鬼九男の手料理をコースで何度がごちそうになったことがある。部屋はいつも見事なほどに綺麗に整理されていたのを覚えている。数年前から、蔵書などを次々に処分されていることはうかがっていた。
今はひたすら冥福を祈る。


  病葉は巣の形「骨まで」唄ふとよ      『環』
  石投げてわが墓穴へ映りゆく        『櫻襲』
  渤海や青鴆(ちん)と言ひ張り言ひおほせ 『天秤宮』
  すひかづら出してするすみ鏡の間      『夏至殺法』
  キエフなる天門に聴く春の雨         『黄山房日乗』



  
  



 

2015年12月20日日曜日

金子兜太「朝蟬よ若者逝きて何の国ぞ」(「WEP俳句通信」89号)・・・



兜太ばかりがなぜもてる!というわけでもないが、今年の話題は「安倍政治を許さない!」をはじめ、インタビュー記事など、さまざまに目にしているのだが、俳句総合誌が、金子兜太に関する、これといった特集を組んでいないのは、およそ批評的態度の喪失したものと思われても仕方のないところだったろう。
そうした中で「WEP俳句通信」89号は特集「金子兜太という表現者」を組んでいて、いわゆる重鎮から中堅、若手俳人の執筆陣を含めてずいぶんと読み応えのある企画となっている。
特集の巻頭には、当然といえば当然なのだが「金子兜太最近作20句・旧作50句」も挙げられ、簡明な句業を知ることもできる。
金子兜太側近として安西篤は「金子兜太の歩みを辿る」と題して丁寧である。他には、池田澄子、今井聖、岸本尚毅、田中亜美、筑紫磐井、対馬康子、冨田拓也、西池冬扇、坊城俊樹、柳生正名が、いずれも怪物・金子兜太に渾身を賭しての批評を試みて、気持ちがいい。いわば、金子兜太の俳句の現在的な位置を知るにはいい特集である。中でも20ページを費やした筑紫磐井「新しい詩学のはじまり(一)-兜太造型論の未来」は圧巻である。それは「創る自分」という兜太のかつてのキーファクターを再評価して浮びあがらせていることと「注9」にさらりと流し込んでいる以下の視点に凝縮されていよう。

【注9】 この俳句史の図式については堀切実氏の『現代俳句に生きる芭蕉』(二七年十月ペリカン社)が言及している。堀切論文は元々芭蕉の近・現代俳句への影響を論じたもので、兜太論の中では伝統と反伝統、子規の位置づけを論じている。ここで子規は反伝統だと言う私に、子規は季題と伝統を守って芭蕉につながる伝統派であると反論する。私は、兜太の〈創る自分〉の原点だという意味で子規を反伝統としただけである。ただ、実践的意味で、二一世紀の新しい俳句は芭蕉から生まれるのは難しく、子規~兜太の系譜からこそ生まれるだろうと予測する。

そういえば、かつて愚生が金子兜太と話した折りに、戦後もっとも影響を受けたのはサルトルの実存主義だな・・と言っていたのを思い出す。その時、確かにそうかも知れないと思った。愚生らは壮大なゼロと言われた70年安保闘争に向かっていたが、その時代にもまだまだ実存主義は流行していた。
兜太の最近作からもいくつかあげておこう。

   青春の十五年戦争の狐火          兜太
   わが海市古き佳き友のちらほら
   白曼珠沙華白猫も居るぞ
   緑渓に己が愚とあり死なぬ
   朝蟬よ若者逝きて何の国ぞ
   暑し鴉よ被曝フクシマの山野

*番外編・・・因みに「豈」同人・北川美美の連載・三橋敏雄論「『真神』考ー昭和・戦争・鉄からのはじまり」は2回目、期待大。





  


 

2015年12月16日水曜日

田中千恵子「したいしたい戦争がしたい浮いてこい」(『天の棺』)・・・



田中千恵子は、いまどき珍しい骨太の句を書く人である。
掲出した「したいしたい戦争がしたい・・」の句も逆接表現、反語だ。
田中千恵子第四句集『天の棺』(新俳句人連盟)の序文は石川貞夫、解説は中村花木。いずれも田中千恵子の魅力をあますところなく伝えていると思われる。しかし、愚生らの、いわゆる社会運動からはすこし縁遠い人たちが読んでも、田中千恵子の句の持っている言葉の力は肯うことができるものだ。単にスローガン、イデオロギーの表出のみが眼目ではなく、誰もが抱えているだろう人の口惜しみを湛えている句である。
「あとがき」にその姿勢は明確に語られている。

  私は人を殺し、殺される戦争など大嫌いだが、その戦争のために、人間の思想の自由、表現の自由、行動の自由を束縛されることが何より許せない。
 私は私の書く自由を誰にも犯させない。
 私は表現のための立ち位置を一歩たりとも退かない。 
 これは表現者としての私のゆずることの出来ない意志であり姿勢である。

田中千恵子は1945年12月19日中国山西省生まれ。日本の戦後七十年は、何よりも田中千恵子の人生と重なっている。

以下にいくつか感銘句を挙げておこう。

    どどどどど
     沖縄
     どどど
    どどどどど

   太陽に見せたい涙だってある
   ルージュ最後の紅は今日逝く人に塗る
   もぐりこむコンビニエンスの灯が羊水
   特攻像建てて「円」呼ぶ島起こし
   戦争が吹雪いている水木しげるの片腕に
   しける海から孵化するにおい戦争が
   したいしたい戦争がしたい浮いてこい
   全身新樹の九条筋(きん)です終戦っ子




                   モミジバスズカケ↑

2015年12月13日日曜日

「現代川柳の可能性」柳本々々×小池正博(「川柳カード」10号)・・・



「川柳カード」10号の発行人・樋口由紀子、編集人・小池正博は「豈」の同人である。だからというわけでもないが、愚生が現代川柳をすこしばかりでも覗きみることができるのは、、いわばこの二人の川柳人のお蔭というわけである。勝手に言わせてもらうと現代川柳の、現在、今、何が問題となっているのか、という真摯な問いかけに答えてくれているのも彼らとその仲間であるに違いない、と思われる。
「川柳カード」10号には、興味を引く記事が詰まっている。なかでも「第三回川柳カード大会」での柳本々々と三十歳年長の小池正博(小池だって愚生よりかなり若い)の対談「現代川柳の可能性」は、示唆に富んでいた。
そこには現代俳人が忘れて久しい問いが新たな表現をもって存在しているようにさえ思えた。例えば、柳本々々(やなぎもと・もともと、と読むらしい)の以下のような発言、

  別に川柳によって救われる必要もないと思うのですが、川柳というのは勇気をくれると思うのですよ。それはなぜかというと、川柳はすごく不健全で「健やかな不健全さ」「不健全な強さ」を持っていると思います。私は寺山修司の俳句が好きだったんですよ。寺山修司もけっこう不健全な内容だと思いますが、おもしろさを感じます。そういう不健全さが自分を救ってくれました。幾つになっても不健全でいられる文芸ってあまりないと思うんです。それは定型が救ってくれていると思うんです。定型が饒舌を許さない。不健全は小説だと不健全すぎることになりますが、定型だと健やかさがありながら不健全でいられる。

本号他の記事でも、【合評会】「川柳の読みを探る」で若い俳人の松本てふこ・西村麒麟・久留島元の「『川柳カード』9号を読む」の座談会も、興味深かった。なかでも松本てふこのボーイズ・ラブ、略してBLの世界観を前提にして句を読む試みには頷かせるものがあった。「階級の再生産」というキーワードにもさもありなんという次第。例句は、次の2句だった。

    おつぱい×n乗(セカイ系)       柳本々々
    おつぱいを三百並べ卒業式     松本てふこ

あるいは、「果樹園散歩」と題して同人作品を読む小池正博の批評文、「現代川柳を楽しむー読みの入り口はどこにあるかー」においても、実に真摯に一句の読みを句に即して展開してくれていて、門外漢の愚生には、よい手掛かりを与えてくれる。以下は、おもむくままに本誌よりいくつか。

   リンス・イン・魂(洗い流せない)       柳本々々
   たてがみを失ってからまた逢おう      小池正博
   三十六色のクレヨンで描く棺の中     樋口由紀子
   男女不問三食パワーハラスメント付き  岡村知昭
   妊娠線ではない方のシャンデリア     蟹口和枝
   ゲスト席までグーグルマップして      松本てふこ
   ぱかぱかとホタテが泳ぐだけの夢     西村麒麟
   学校新聞怪談係宛密書           久留島元



2015年12月12日土曜日

前北かおる「凩や塀また塀の城下町」(『虹の島』)・・・



掲句には、「一二月二一日 祖母を訪ねる旅 萩」の詞書がある。句集全句には詠まれた場所、詠まれた月日が記されている。
本日12月12日に近い日の句を引用しようとおもったのと、愚生が山口県生なので、18歳で故郷を捨てて以来、遠く離れたがゆえの、生地へのナショナリズムだけは育っているようで、同じ山口県の萩の地名があっただけで、心が動いたのだ。
句集名『虹の島』(ふらんす堂)は、夫婦の結婚十周年、両親の結婚三十五周年を祝ったハワイ旅行に因んでいるという。

       八月三〇日 ハワイ    
     虹の島年に何度も合歓の咲く       かおる
                九月一日詠

前北かおるには、もうすぐ刊行される「豈」58号(12月25日刊行予定)に、新鋭招待作品を寄稿していただている(感謝)。
句集「あとがき」を読むと、

 毎月十回を超える句会に参加している。当然その日その日ムラはあるが、「俳諧師」落第だけは免れているのではないかと思う。

と記している。愚生は隔月の「豈」の句会にやっと出席しているくらいで(それも雑詠3句)、中には愚生を「俳句を作らない俳人」と揶揄する人もいるくらいだから、どうやら、彼の尺度でいくと、ハナから俳諧師落第、俳諧師失格であることは間違いないだろう。お許しをいただくほかはない。
以下にいくつか、本日近く詠まれた句を挙げさせていただく(本日12月12日詠がなかったもので・・・)。

       二〇一〇年
     一二月一〇日 ミクシィ句会
    リモコンを並べ置きたる炬燵かな
    一二月一一日 八千代句会
  柊の花弁を反らし香るかな
  水の上の冬日をひたと見据ゑたる
    一二月一一日 三田吟行会
  瞼にのしかかりくる冬日かな
    一二月二三日 同前 津和野~太田市仁摩町二万
  冬帝を讃へ発電風車群
               一二月二四日詠

前北かおるは昭和53年生まれ。  



                  カリンの実↑

2015年12月11日金曜日

石﨑多寿子「『槌』終刊惜しみて仰ぐ天の川』(「槌」終刊号)・・・



「槌俳句会」、代表は小檜山繁子。1931年旧樺太生まれ。同地にて敗戦を迎える。
終刊の辞に記してある。

 小誌「槌」は句会報を継承し、平成七年五月「春夏号」より会員の皆様と共に二十余年の歩みを確かめつつ今日に至りました。(中略)
本号をもって終刊といたします。(中略)
なお「槌」原点の土曜句会は、可能な限り続行といたします。

小檜山繁子は、加藤楸邨の弟子、師の楸邨には先日の日米開戦にちなんだ句、

  十二月八日の霜の屋根幾万       楸邨

がある。今年の十二月八日の早朝、愚生の出勤途中にも、幾重もの屋根、屋根は霜で覆われていた。
以下は終刊号より、

    天の川落ちて目覚めり生きてゐし       小檜山繁子
    トンネルの出口切り取るように霧        佐藤ゆき子
    月天心赤子は見られゐて眠る                   石﨑多寿子
    もののふと言ふか屍を敗戦日         神田ひろみ 



2015年12月8日火曜日

柴田雅子選『やさしい芭蕉さんかるた』・・・



 『やさしい芭蕉さんかるた』(岩波ブックセンター信山社,3500円)の選者・柴田雅子にはお会いしたことはないが、夫君の柴田信には、かつて愚生が本屋勤めをしていた頃に、大変お世話になった(信山社ブックセンター時代)。
娘が学生時代には、そのお店でアルバイトをさせてもらったこともある。聞くところによると柴田信は80歳半ばに達していると思うが、いまだ現役で神保町古書店街の復活へのさまざまな活動をされているらしい。その奥様が俳句をされており、、かつ教師として俳句の授業も積極的にされていることは聞いていた。
選者・柴田雅子紹介文によると。昭和29年~平成9年は武蔵野女子学院中学・高等学校で教鞭をとられていたようである。惹句には「芭蕉さんの人柄が思い描ける句を晩年十年の句から選びました。成人の方達の集いには勿論ですが、中・高生のかるた大会など楽しみながら日本語遊びができそうです」とある。
選ばれた句は百句。取り札は中七から現代仮名遣い。絵は、イメージを押し付けるので入れない、という。
かるたのなかに入れられていた一覧表には「たのしい問題提起」が出されている。句の読みを巡って諸説ある「田一枚植えて立ち去る柳かな」の句について「植え」か「植え」かに触れて、以下のように記されている。

 芭蕉の自筆本「おくのほそ道」には「此所の群守故戸部某の此柳みせはやな」とあり、「田一枚植で立去ル柳かな」と続く。「植で」と濁点もあるが、これは濁点ではなく「汚れ」とされている。
 自筆本には「故戸部某」となっており、従ってこの執筆は彼の没後(元禄五年六月以後)で、この句もこのこの頃作られた句とも考えられる。ここにあった句に貼り紙をしてこの句に訂正されている。芭蕉にとっては想い入れの強い句のはずだ。
    芭蕉さんの気持ちは?


観光地などでも、「芭蕉俳聖かるた」などと称して、様々に売ってはいるが、さすがに、柴田雅子選のかるたは、教育者が選び、子どもたちから大人までが遊びながら、何かを学べる契機になるようにという感触がある。



2015年12月7日月曜日

宇田川寛之『六花書林 十周年記念』(六花書林)・・・



六花書林(りっかしょりん)社主・宇田川寛之は詩歌出版物を手掛けるたった一人の出版社である。そして、彼は、かつて若き俳人として「俳句空間」でデビューした。『燿ー「俳句空間」新鋭作家集Ⅱ』(弘栄堂書店)に収載されたときは、すでに俳句休業中、「短歌人」所属だった。正木ゆう子がその解説で述べているように、もっとも若い23歳だった。その後の彼は出版社勤務を経て、たった一人の出版社を起こして十年が経ったのだ。その間の刊行物は巻末の目録によると、短歌関係の本ばかりだ。中にたった3点のみ宮崎斗士『翌朝回路』、『そんな青』と武藤雅治『かみうさぎ』の句集がある。
それと、彼には「子規新報」の130回以上に及ぶ連載「となりの芝生ー短歌の現在」があり、今なお続けられている。
本冊子に寄せられた多くの稿には、丁寧な本づくりに対する敬意が表されている。そして、刊行されたすべての本の装丁は真田幸治(書籍装本設計 真田幸文堂)によるもの、というのも珍しいことだろう。なかでも俳人の宮崎斗士は、次のように記している。

 宇田川氏の本分はその編集スキルもさることながら、やはり本作りに対するひとかたならぬ熱意と誠意であろう。熱意と誠意―この二つ、私は俳句をやる上でも最も大切な要素だと思っている。

最後に22年前、の『燿ー「俳句空間新鋭作家集Ⅱ』に収載されている宇田川寛之・宮崎斗士の句を挙げておこう(思えば、この集には、佐藤清美・五島高資・高山れおな・平田栄一・萩山栄一・正岡豊・水野真由美・守谷茂泰などが収載されていた)。

    スクイズのやうな告白試みる       宇田川寛之
    追想に本音のやうな天気雨
  
    万年鬱と書いて読み方を考える    宮崎斗士   
    解り切って解り切っいて雪景色




                ユズリハの実↑


2015年12月5日土曜日

山川蟬夫「友よ我は片腕すでに鬼となりぬ」(『高柳重信の100句を読む』)・・・



澤好摩『高柳重信の100句を読む』(飯塚書店)は、高柳重信の作品の解釈・鑑賞のみではなく、自ずから高柳重信の評伝ともなっている。高柳重信編集長時代の「俳句研究」を同編集部において高柳重信を支え、とともに歩んだ澤好摩ならではの、精緻な一本である。
澤好摩は27歳の折に48歳の高柳重信に出会い、高柳重信が60歳でなくなるまで13年間の日日を共にした。
掲句の山川蟬夫は、「俳句評論」句会の折に使用した高柳重信の別号で、一行書きの俳句を書くときの名であった。蟬翁とも言っていたような気もする。その高柳重信の第一句集『蕗子』(昭和25年、東京太陽系社)の、

   身をそらす虹の
   絶巓
        処刑台                 重信

句について、澤好摩は以下のように結んでいる。

 ここで、重信が試みたものは、現実の報告などではなく、書くことで初めて顕れる世界そのもの―虚構としての言語空間の構築と切れにより生ずる運動性を意識することで、重信は多行表記の可能性を必死に探っていたのである。
 
『伯爵領』の次の句は、「歌人の泰樹だったか、六〇年安保闘争華やかなりし頃、大学をバリケードで封鎖した学生活動家たちが、この句を口づさみ、また、節をつけて歌ったりもしたというような話を、どこかで読んだか聞いたかしたことがある。いかにもと思わせる話である」と記されているが、今年の安保法制反対の安倍倒せコールとともに、国会前を取り巻いた者のなかに渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」がプラカードに掲げられていた光景に似ているともいえる。ただ、福島泰樹の話は、彼が早稲田大学の闘争に関わったことなどを思いあわせると、たぶん、60年安保闘争ではなく、70年安保闘争に向かう時期の学費値上げ反対闘争から日韓闘争時以後のことだと思われるが、愚生の思い違いか・・・。その句とは、

   明日は
   胸に咲く
   血の華の
   よひどれし
   蕾かな

愚生がもっとも好きな重信の句は、

  しづかに
   しづかに
  耳朶色の
  怒りの花よ

である。澤好摩も指摘しているが、この句は明らかに大手拓次の薔薇連禱に影響されていると思う。
また、この度、本著によって初めて知ったことだが、重信学生時代、「だが、それでも重信は恋をした」の件の句、

     成田幸子に
  すすき波是非話したき人立てり
     多賀よし子に
  風たつや紫苑倒れんばかりなり
     山本恵美子結婚
  君嫁きし此の春金色夜叉読みぬ

の二句目の多賀よし子(芳子)には、愚生は面識がある。愚生があった頃は、渋谷の鬼婆と親しみを込めて言われていたが・・・。そういえば、多賀芳子から直接聞いたことがある。「重信は私のところによく来てたのよ。体調が悪いので、座ることもできずに、いつも横になって句会をしていた」と・・

   人恋ひてかなしきときを昼寝かな          重信『前略十年』



2015年11月29日日曜日

福田葉子「十七字みな伏せ字なれ三橋忌」(第127回「豈」句会)・・・



昨日28日(土)は「豈」恒例の忘年句会、筑紫磐井、池田澄子、関西からは堀本吟など、隔月ごとの句会には出られないが、この日だけは、出席する。
最高点は、上掲の句だが、投句短冊には前書きが三橋敏雄忌とあったが、清記のときには、断って前書きを外した。
たぶん、作者は上五・中七が三橋敏雄の句「十七字みな伏せ字なれ暮の春」からの本歌取りなので、前書きを付して盗作に近いと言われないように、挨拶されたのだろう。
句会に出席されなかったが懇親会(白金高輪・インドール)には池田澄子、群馬から北川美美など、また、外部からは西村麒麟夫妻、太田うさぎ各氏に参加いただいた。
三橋忌は12月1日。以下は句会の一人一句。

    十七字みな伏せ字なれ三橋忌        福田葉子
    咳の語尾ひとそれぞれの切字かな      照井三余    
    みのむしの蓑のとりどりパレコレ      羽村美和子
    鷹となり一天の碧ほしいまゝ        堺谷真人
    三の酉写楽の顔が世にあふれ        筑紫磐井
    階段の糸抜いている閒石忌         堀本 吟
    蜉蝣と向うのボクに会いにゆく       山本敏倖
    難民はボートから見る三つ星        無時空 映
    葱の世の香味俳味や豈の会         早瀬恵子
     
    解かなくも
    来たる寒暮の
    解けずあり                 酒巻英一郎

    ひるの陽に白山茶花の女人哉        多仁 竝
    容疑を掛けられどおし狂い花        小湊こぎく
    ぼうっとしていても夜なべの母とポチ    川名つぎお
    原セツ子死ぬ俳句をかまえ鎌倉へ      岩波光大
    雪便りありて夜ながき三島忌や       大井恒行  


                                         農工大より↑

*閑話休題・・・
もう少しで第三回攝津幸彦記念賞が公表されるだろう。順調にいけば「豈」58号(本年下旬発行予定)で速報にて告知され、ブログ「俳句新空間」などでも発表される。詳細は「豈」次号59号(来夏発行予定)になるが・・・




2015年11月22日日曜日

高橋龍「かの日夏白木の箱の中は紙」(『人形舎雜纂』)・・・



高橋龍『人形舎雜纂』(高橋人形舎)は、遠山陽子個人誌「弦」にほぼ十年に渉って掲載された論文に書下ろしを加えて、まとめられた一本である。「あとがき」にその由来を記している。

 昨年の秋から読み返してきて、執筆当時には思い至らずまた資料の見落としの多々あることに気付き、それらをそれぞれの追記として書き加えることを思いたった。だがなかなかに筆がすすまず、書きはじめたのは七月半ば、それから猛暑の八月一ぱいかけてようやく完了した。その間に、「後備役」以下の三篇を書いた。すでに脳内は老化甚だしく八十六歳の衰齢であれば文の粗放乱雑はお許し願いたい。

いずれの論も高橋龍らしく詳細を極め、よく事実を調べ上げている。例えば、その「後備役」の章では、以下のように指摘している。

富澤赤黄男『天の狼』所収の戦場詠「蒼い弾痕」(六十六句)については、これまでに数々の論考があるが、その軍歴に大きな誤りがある。そのいずれもが彼の階級を工兵少尉としている(昭和十五年中尉に進級)が、その誤りは『定本・富澤赤黄男句集』および『富澤赤黄男全句集』の年譜を見落としていることから生じるのである。

として資料を駆使し精緻を極めた筆致で、その正しい軍歴を追及していくのである。また赤黄男の転戦の跡をも探っている。

本著の巻尾には「句控 擬檀林(又は戸袋文庫)と題して自らの最近の句を収めている。
その中からいくつかを以下に挙げておこう。

     赤茄子の腐れてゐたるところよりー茂吉に倣ひて
  自転車のたふれてゐたるところ百合
  桃の実を無意味の海へどんぶらこ
  秘密保護法卵食ふときマスク取る
  マラルメも定家も持参する歳暮




★閑話休題・・・
高橋龍の友人でもある阿部鬼九男を、つい先日、酒巻英一郎と救仁郷由美子、愚生で訪問した。その折、めずらしく、彼の師であった加藤かけい、また村上鬼城、そして彼自身の短冊を持って行けと言われ、一度は断ったものの、それではといただくことにした。(鬼九男さんの短冊は本日のだれも所蔵していないし・・・)。来年、桜の季節には是非とも宴をしましょう、と約して鬼九男宅をあとにした。



                火鼠を追ひ込むふきげんな日常へ  鬼九男↑
                十二夜に蟹のカノンの不肖の火事



2015年11月20日金曜日

藺草慶子「雲よりも水に茜やかいつぶり」(『櫻翳』)・・・



『櫻翳(おうえい)』(ふらんす堂)の書名「櫻翳」は、藺草慶子の母がつけたという。いい言葉だ。愚生は不明にして「櫻翳」を知らない。造語かとも思ったが、桜にまつわる言葉は無限にありそうだから、何かの謂いがあるのだろう。むしろ、なにも知らないままの「櫻翳」という言葉のありようを見つめていればそれでいいような気がする。
集中に桜模様の句も多くあったが、隠れ恋、恋隠れのような趣もないではない。
陰翳ふかいといえば、そうにちがいないが、作者はあくまで前向きである。「あとがき」には以下のようにあった。
 
 言葉はどこまで届くのだろう。私に何ができるのだろう。日々、自分の無力さを痛感するばかりだが、今という時代に生き合わせた一人として、少しでも前にすすんでいきたい。これからも、俳句によって、世界につらなっていけたらいい。

愚生の好みの句を含めていくつかあげておこう。

   一対のものみないとし冬籠
      昭和十九年六月一日、マリアナ諸島にて祖父小川衛戦没 享年三十四
   敗戦日なほ海底に艦と祖父
   向日葵や人老いてゆく家の中
   百年も一日も淡しさるすべり
   寒紅梅晩年に恋のこしおく
   香水や時計すこしづつ狂ふ
   

藺草慶子(いぐさ・けいこ) 昭和34年東京生まれ。『櫻翳』は第4句集。


                                          
                                                    桜木に↑
  

2015年11月18日水曜日

山田耕司「下萌えの逃げどころなくこれが老い」(「円錐」67号)・・・



「円錐」67号の特集「昭和が遠くなりません」が三回目で、これが最終。なかでは、宮崎莉々香(19歳)の「なぜ、今『新興俳句』なのかーこれからに向かって」が真摯でかつ初々しく好感がもてた。まだまだ俳句の世界も捨てたものではない、と思わせる。愚生にも少し気力がわく。一部分を以下に引用する。

 「新興俳句の何が新しかったのか。あれから約八十年を経た現在の地点から、俳句の表現史の青春を振り返り、私たちの新たな時代を生きる糧としたい。」とある(現代俳句協会青年部ホームページより抜粋)。しかし、なぜ、今なのか。私たちが今、新興俳句期の作品を見ても「新しい」とは感じないだろう。
 しかし、それでも私は藤木清子の句にドキドキするし、富澤赤黄男を読むと体に電流が走る。鴇田智哉の第二句集『凧と円柱』(平成二十六年・ふらんす堂』は構成等、高屋窓秋の『白い夏野』(昭和十一年・龍星閣)を研究して編まれたものである。

作品では、「円錐」の編集部の比較的若い二人の句を以下に挙げておきたい。今泉康弘は詞書き付きである。

    八月二十五日、丸木美術館にて「原爆の図」を見る。痛ましく傷ついた人々の群像。
    その中に、エロチックな裸体があり、見とれてしまう。
  原爆図にちちははの裸かな          今泉康弘

    八月三十日 国会前デモに行く。小雨の中、合羽を着て、議事堂や日比谷公園等を歩き回る。
    シュプレヒコールを唱和するのは、どこか照れくさい。直接行動は苦手なのだが・・・
  ポケットに檸檬国会議事堂前

  目の玉の羽化せぬことを遠花火       山田耕司
  ヒノマルとおぼしき布と軒時雨 




                      
                     永青文庫↑
★閑話休題・・・


とある日、都内に出た日に、少し足を延ばして永青文庫「春画展」を観た。待つことなく入館できたが、噂通り、老若男女で混んでいて、ゆっくり見るというわけにはいかなかった。むしろ美術館の中のところどころに置かれた調度品やフランスの皮装本の典籍の方に目が奪われた。永青文庫所蔵の春画は作品目録によると、「欠題十二ヶ月」(狩野派・江戸時代17世紀)と「艶紫娯拾余帖」(歌川国貞・天保6年1835年)の二点である。

 




  

2015年11月16日月曜日

四ッ谷龍「津波後三年門扉を門へ縛る綱」(「むしめがね」第20号)・・・



「むしめがね」20号の四ッ谷龍俳句作品は「いわきへ第6回~第8回」と題された被災地を詠んだ百数十句、第6回には2014年6月の但し書きがある。ちなみに第8回は2015年8月。
特集は『冬野虹作品集成』。特集の執筆者は、冬野虹の俳句・短歌・詩作品のそれぞれに、津川絵理子、鴇田智哉、杉本徹、井辻朱美と四名の寄稿者が配されている。各執筆者とも冬野虹作品に寄り添って、それぞれ執筆者の特質がうかがえるもので、愚生をよく頷かせてくれる。冬野虹の作品にそうしたものを引き出す資質がそなわっているのだ。
しかし、なんといっても、さすがに冬野虹の夫君だった四ッ谷龍の生活を共にしてきた強みで、その現実生活につながるリアルさにはかなわない。虹作品に引用された織物の在処を、余すところなく開陳していることには驚かされる。そのことを述べた「あけぼののために」は「一、君あらあらし」「二、穴川家の三姉妹」「三、野生の少年」「四、精神の空を飛び交う外国語」「五、デジタル」「六、コメディアン」「七、音韻は回転する」「八、クロスモーダルは創作の沃野」として35ページを費やしている。その中の一節には、

 虹が求めるのは、そうしたことばとはまったく対照的なものだ。ヘレンケラーが味わったような、はじめて飛び出してくることば、目覚めの喜びをうながすことばなのだ。金勘定や権力の保持のために使われる言語ではなく、夢を知るための想像力、つまり美を理解する力を与えてくれる言語なのだ。

また「クロスモダール」については、以下のように、注釈を加えている。

 通常、クロスモダールという語は、たとえば映画の画面にどのような音響や音楽を合わせると観客は興奮するかというように、復数の感覚刺激を並列的に与えることを指すのに使われる。しかし、私の場合はもっと突っ込んで、ひとつの事物を感覚をまたがって表現するという意味で用いており、一種の造語である。形容詞なので、名詞として用いるときは「クロスモーダル俳句」「クロスモーダル表現」などと書くのが本来正しいだろう。

この表現の特徴の端緒を芭蕉に見、冬野虹に見、最近の若い俳人の鴇田智哉、関悦史、斉木直哉などにみているのである。

さらに、それら虹作品の創作の契機をもたらしたさまざまなものを、論とは別に「冬野虹詩歌作品引喩集成」として巻尾にまとめている。労を讃えたい。

最後に、四ッ谷龍作品からいくつか挙げる(前書きは略す)。

   
   津波後三年門扉門へ縛る綱
   ゆきのした傘さすほどは降らざりき
   仮の家また仮の家また躑躅
   鹿踊(ししおどり)まるで兎が飛ぶように   
   ワイパーが人無き巷搔いて居り




2015年11月15日日曜日

「多田徳治の仕事展」(府中市グリーン・プラザ分館ギャラリー)・・・





今日は一日、冬の雨にさらされた。
愚生は、グリーン・プラザでの朝からの一日勤務。
府中グリーン・プラザ名作映画会は3日間の最終日だった。
「稲妻」(1952年、監督・成瀬巳喜男、原作・林芙美子)出演・高峰秀子三浦光子ほか、と「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年、監督・佐藤純彌、原作・西村寿行)出演・高倉健、原田芳雄、中野良子ほか、である。
昼休みに時間つぶしといっては悪いが分館ギャラリーで開催(明日、15日まで・無料)されている「多田徳治の仕事ー神々の相貌を追って/原形へのまなざしー」展を観た。彫刻作品や木版画、あるいは古書の修復本など、また能面作品などが展示されていて、けっこう楽しませてもらった。曼荼羅の木版画には手彩色された作品もあった。軸も手作りとのことである。
名刺には、俳諧ならぬ「徘徊呆人・老楽倶楽部総支配人」多田徳治/綜芸工房弥右衛門主催・葵水会エイト漕手とあった。これだけでもちょっと面白い。おまけに「媚びない。めげない。頑張らない」と書かれていた。

帰宅したら、夕刊の新聞はパリ同時多発テロによる120人死亡の記事で埋められていた(なんということだ!)。


2015年11月12日木曜日

安井浩司「蓮折れば夕がらすのみ微笑して」(「詩あきんど」第20号評より)・・・



興味ある記事を目にしたので紹介する。
「HAIKAI其角研究『詩あきんど』第20号」(オフィスふとまにあ・編集発行 二上貴夫)の巻末【受贈書より】の、安井浩司『宇宙開』の紹介記事に(編集部とあるが二上貴夫であろう)、句集より70句が選句掲載されているが、それよりも、愚生が興味を持ったのは、以下の引用文の終わりに、引用された句が90余句にも及んでいることだ。それには、以下のように書かれている。

 ところで、わたくし共「詩あきんど」は非懐紙連句の実作に志しているのだが、「連句」の「第三」と似通う文体を安井氏が実作されているのに驚いた。「第三」の文体とは、連歌の式目に五七五の下五を「て」「に」「にて」「らん」「もなし」の五つで止めよとあるもので、俳句の文体に採り入れたものとしては、
  白桃を夢見てをりぬ病み呆けて     真鍋呉夫
  寒茜われもけものの影曳きて      『定本雪女』より
  竜骨となりし破船に月冴えて
等があったが、この様に多用した句集は珍しい。と言って連句の「第三」や「平句」の模倣ではなく、「発句」の必要条件である「切レ」についての、即ち「切=開」といった「手爾波留め」の実験と思われ、参考に次に書き出してみた。
  蓮折れば夕がらすのみ微笑して
  天地玄黄筆に濁酒をふくませて
  春のやみ御伽這子(ぼこ)らが跋扈して
  真日めざす後ろ開きの服を被て

と続き、90余句の引用となるのである。そして、また先の70句の選出には以下のように評してもいる。

選をして永田耕衣の言う、通俗的なるものを以って自己の通俗性を克服せよという「通俗性の荘厳」を思い出した。『宇宙開』の文体を想像世界と現実世界の組み合わせと取る批評もあろうが、そうではなく現実世界の通俗的なるものこそ超通俗性の宇宙的なる荘厳を得る道だと解したい。

見逃せない卓見だと思った次第・・・。



2015年11月11日水曜日

マリー・ローランサン(府中市美術館)・・・




昨日は一日雨に降り込められていた。ただ、昼過ぎに病院まで、山の神の付き添いとあいなった。
病院の場所が東府中だったので、待ち時間をつぶしに、歩けば近くにある府中の森・府中市美術館についでとばかりにマリー・ローランサン展(~12月20日まで)を観た。府中市政60周年の記念行事のひとつでもあるらしい。
府中の森美術館はそれほど大規模というほどではないが、愚生には程よい大きさでそれなりに気に入っている。散歩がてらにはちょうどいい。
牛島憲之記念館が併設されている。そして、常設には、高橋由一、青木繁、村山槐多、三岸好太郎、長谷川利行、国吉康雄、梅原龍三郎、岡本太郎、難波田龍起、松本俊介などがあって、悪くない。
けっこう気に入っている。
次回展示は、府中市美術館の玄関前庭に埋まっている「地下のデイジー」の作者・若林奮「飛葉と振動」(2016年1月9日~2月28日)。若林奮は没後13年らしいが、生前64,5歳頃、愚生の新陰流兵法の師ともいうべき前田英樹が50歳頃に出版された対談集『対論 彫刻空間』(書肆山田2001年刊)がある。その最後に収められた「あとがきにかえて」で前田英樹は以下のように記している。

 若林さんの作品には、何か人間種の重荷を渾身で支えるような想像を超えた誠実がある。「歴史よりも人間が初めて絵を描いた事実に現在の私を直接結び付けてみよう」、この言葉は、たぶんそういう人にだけ許された眼を語る言葉なのでしょう・・・・



2015年11月10日火曜日

三橋敏雄「春や永き沖積層と星の舎」(『沖積舎の43年』)・・・

                     扉題字・西脇順三郎↑
口絵句・三橋敏雄↑


沖山隆久が新宿中落合のアパートの一室から沖積舎を起こして43年になるのだ。
『沖積舎の43年』(沖積舎)の小冊子は、「感謝と反省を込めて関係各位に敬呈するものである。平成二十七年春 沖山隆久」(あとがき)とあった。「その間詩歌句集、評論、画集、全集など約一五〇〇点あまり出版した」ともある。冊子は3章で構成されているが「1は先輩の玉文、2は紹介記事、そして3は小生の駄文です。それぞれ再録させていただきました」という。ざっと眺めただけだが、その1に掲載された方々はこれまで、沖山隆久が敬愛し、頼りにした人物ばかりだが、鬼籍に入られた方も多い。例えば西岡武良、和田徹三、壽岳文章、鶴岡善久などの名がある。その3にある「子供のころからの夢だった時間をかけた文芸書づくり」「美しい造本の句集『白い夏野』」などの文章に触れると、沖山隆久の初志がうかがえる。
思えば、創立が昭和49年、彼が24歳の時だというから、その頃だろう。愚生が働いていた吉祥寺・駅ビルの弘栄堂書店に風呂敷に本を包んで、置いてくださいと訪ねてこられたのは・・・。その頃はまだ、書店と直接取引を出版社ができた時代だった。ちょうど詩歌の担当だった愚生は、その直接取引のお蔭で、まだ若かった幾人かの版元、自費出版をした詩人や歌人、俳人とも知り合うことができた。
その沖積舎の最初期の頃、坪内稔典や久保純夫が沖積舎から句集を出した。また、愚生の句集もすすめられたことがあったが、ついに愚生の怠惰で実現しなっかたことなど、思えば懐かしい。
沖山隆久の43年は、愚生にとっても、二十歳代から数えて、それだけの年月が経っているということでもある。
現在の沖積舎は、夫人となられた俳人・伊丹啓子がよく支えているとも記されていた。慶祝。