2015年12月21日月曜日

大井恒行「霜の墓立ちいたるかに鬼九男の訃」(阿部鬼九男、19日死去)・・・


                さても発端プロトプテルスの乾眠 鬼九男↑

先月19日、このブログの閑話休題に阿部鬼九男宅に酒巻英一郎と救仁郷由美子とで見舞い、来春の宴を約束したと記したが、その翌日、入院をし、面会かなわぬまま、12月19日(土)午前4時に悪性リンパ腫のために死去したとの訃をもたらされた。享年85。本日、近親者のみによる密葬が行われ、約束は違ってしまったが、来春しかるべき時期に偲ぶ会をするつもりであるとのことだった。喪主は実弟の阿部幸夫,つい先日、電話でお話ししたときに、阿部鬼九男の第一句集『環』(新書館)は彼のデザインだった(ネームは阿部佐知男)とうかがった。 
阿部鬼九男(あべ・きくお)、本名・喜久夫。西東三鬼最晩年の弟子、加藤かけいに師事した。若き日には、三鬼にすすめられて「天狼」に山口誓子論を連載したこともある。「俳句評論」終刊の後は、折笠美秋、寺田澄史、坂戸淳夫、志摩聰、大岡頌司、岩片仁次,安井浩司、佐藤輝明、川名大と「騎」を創刊。句集に『環』『櫻襲』『天秤宮』『夏至殺法』、他に『黄山房日乗』などがある。住まいの地名をとっては、「烏森つうしん」「豊ヶ丘つうしん」「かいどりつうしん」などのハガキつうしんを出し続けて、そこに書かれている、古今東西の音楽、詩歌、文学、オペラなどの博覧にはいつも敬服していた。
また、仁平勝や宗田安正、酒巻英一郎、愚生などは、阿部鬼九男の手料理をコースで何度がごちそうになったことがある。部屋はいつも見事なほどに綺麗に整理されていたのを覚えている。数年前から、蔵書などを次々に処分されていることはうかがっていた。
今はひたすら冥福を祈る。


  病葉は巣の形「骨まで」唄ふとよ      『環』
  石投げてわが墓穴へ映りゆく        『櫻襲』
  渤海や青鴆(ちん)と言ひ張り言ひおほせ 『天秤宮』
  すひかづら出してするすみ鏡の間      『夏至殺法』
  キエフなる天門に聴く春の雨         『黄山房日乗』



  
  



 

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