2016年12月31日土曜日

藤川游子「何もかも夢魂(むこん)きさらぎ色の空」(『藤川游子句文集』)・・



『藤川游子句文集』(朔出版)は句集『游庵』と文集『敬天』二冊が箱に入れられている。句集・文集いずれも久保純夫の個人誌「儒艮」に発表されたものを一本にまとめたもの。文集については「儒艮」創刊号~15号に掲載した文章に加筆訂正をしたとある。それは、

ひとつは和田悟朗氏が忘れかけておられることを想い出して下さればと念じつつ、書き続けてきた。
平成二十七年二月二十三日、和田悟朗氏出立。その十日前のことになる。病室で『和田悟朗全句集』の函の装丁カラーを確認していただいた時、これでもう遺句集にはならないねー、と安堵されて弱々しくもハイタッチをしてこられた。こんなに希望に満ちたお別れができたのは本当に素晴らしいと思えた。(「あとがき」)
 
と記されている。中では「窓秋さんの色紙と短冊」を興味深く読んだ。高屋窓秋が薬を誤飲して入院手術したという話は、ちょうど愚生が最後の句集となった『花の悲歌』(弘栄堂書店)を作らせてもらっていた頃の話で、中の蛇笏のパロディ句、窓秋「くろがねの秋の軍隊沈みけり」は、じつは「艦隊沈みけり」が正しく誤植の句だった。優しい高屋さんは、僕も耄碌したな、視たはずなんだけど。再販の時に訂正しましょう」と言って下さった。著者校正はお願いしたが、当然ながら愚生のミスである。それにしても、游子女史、重信、悟朗、窓秋など、さまざま羨ましいお付き合いをされている。
ともあれ、句集から以下にいくつかの句を挙げておこう。

   満月や四照花の実はあかあかと       游子
   もう好いかい上空に春の雲
   敗北の喜怒哀楽にサポーター
   奥出雲吉丁虫の虫の息
   銀屏風めがね外してかけて寒ぶ
   目出度さを包む風呂敷大と小
   炎天のアーチをくぐり逝き給う
   岐阜蝶に似せたる翅を閉じひらく
   秋霖のなか敗北の碑を建てる



2016年12月30日金曜日

望月至高「宝船兵器兵隊満載し」(『俳句のアジール』)・・・



望月至高句文集『俳句のアジール』(現代企画室)、句集としては第二句集、句の一部と散文「吉本隆明の訃に接して」と「擦過のひとりー唐牛健太郎」「七〇年目の追跡ー叔父望月重夫の戦死」が書下ろしである。既発表のなかの大道寺将司一句鑑賞(「月刊「俳句界」2012年8月号、愚生が文學の森に在籍していたときに執筆者の一人として推薦したので、よく覚えている)で「額衝(ぬかづ)くや氷雨たばしる胸のうち」を評して以下のように結んでいる。

 日本の近代詩歌が苦闘の末に口語体を獲得したが、擬古体が噴出する時期があった。戦間期、新興俳句を除いては戦争翼賛歌のほとんどに擬古体が使われた。その詩歌人たちは現実的な環境世界を見ようとせず、自己意識が自己幻想としてのみ関わるところに作品を作った。(中略)
戦争翼賛詩歌人たちは意図的にそれを見なかったが、大道寺は見ることを禁じられた。見ているのは残影ばかりだ。鬱屈した情念は俳句作品として昇華していくのであるが、内面と形式は分裂して平衡を保とうとする。口語体は環境世界喪失ゆえに実在を欠いた虚しい指示性としてのみ意識され、自己価値の表出とはなりえない。擬古体こそが自己価値を担保し、自己承認の自己表出として意識的な特権化が図られるいるとみてよいだろう。

望月至高は鈴木六林男の最晩年の弟子である。

      鈴木六林男「憲法を変えるたくらみ歌留多でない」を踏まえて
    憲法の成りをたくらむ将棋でない           至高

かつて六林男は、確か「俳句は上手く作ろうと思えばいくらでもできる。しかし、それはあえてしないのだ」と、また「俳句を作るときは30%くらいは新しいものを、すべてが新しいと理解されない。」と自らの俳句作法っを語っていたことがあったように思う。

望月至高の句の方法はその六林男を承けついでいよう。ともあれいくつかの句を以下に挙げておこう。

   冬銀河非対称的時空間
   征けば死にきり末枯れし戦没碑
   一錠に今日を委ねて青き踏む
   オンとオフ同じボタンに春暮るる
   冬の霧方位不明のそこに入る
   明らかに道は尽きたり鳥雲に
      第二回尹東柱追悼詩祭献句・同志社大学今出川キャンパスにて
   自主自立紫紺の旗の幾星霜
      亡き父母を偲ぶ
   三寒の墓碑と四温の父母の恩
   八月の海や亡者の澎湃と

望月至高(もちづき・しこう) 1948年、静岡県生まれ。




2016年12月29日木曜日

攝津幸彦「さやうなら笑窪荻窪とろゝそば」(「塵風」100号より)・・



「塵風」100号(塵風編集局)。「塵も積って百号なり!」と表紙にある。そのエッセイに長谷川裕「東京百句」があり、連載の37回が攝津幸彦の掲出句「さようなら笑窪荻窪とろゝそば」。その攝津幸彦の句を評して長谷川裕は、

 愚鈍な言い方がお好みの人ならば、攝津だけがうっとりしている。他人に通じぬひとりよがり、独り言ということになるやもしれぬ。しかし、なんとも魅力的なひとりよがり、独り言ではないか。

と言い、

「さやうなら」も「笑窪」も「荻窪」も、「とろろそば」も、たがいにまったくなんの含むところもない。当初はまったく無関係のはずだ。ところが、こうし並べられると、さようなら性、笑窪性、荻窪性、とろろそば性がそれぞれきわだってきて、最終的に荻窪駅中心のあるイメージが浮かんでくるから不思議だ。

と上手い事をいう。ともあれ祝意の「第百回塵風句会」(於・西念寺)の一人一句を以下に挙げておきたい。

    霧雨のそこまで届かない梯子     烏鷺坊
    曼珠沙華おんな並んでやってくる    吾郎
    釘箱にどんぐり一つ紛れ込む        仁
    ひがんばな一本入れて焼いてしまえ   裕
    颱風のとろりとろりと蒸かし芋       栞
    すこし野蛮とても優雅な夜の鹿     月犬
    葡萄ひそひそ昼に熟しきる      十四郎  
    しらたきに煮汁しみゆくちちろ虫     槙 
    はるばるや胡桃は胡桃老いは老い  亞子
    赤い赤いよほほづき玉は悲しみは   赤土 
    幾つもの傷もつ梨と女です       貞華
    きぬかつぎ上手くむけたら話すから  たりえ
    秋雨や十年振りの駅静か        子育
    虚栗ばかりが落ちゐる広場       苑を
    親方の他ヘルメット松手入        風牙
    ジャズ止んでおちょこに菊をちょっと入れ 啞々砂
    秋暑し褪めし女の青き爪        由紀子
    声ひとつ挙げて花野に消ゆるかな  まにょん
    姉ちゃんのズロース干され天の川  かまちん  




    
    



2016年12月28日水曜日

特集「エズラ・パウンド―俳句への遡行」(「未定」101号)・・・



「未定」VOL.101での特集「エズラ・パウンドー俳句への遡行」で安井浩司へのインタビュー「詩篇と句篇を巡る沿岸航海」が掲載されている。聞き手は田沼泰彦。田沼は他にも「パウンドは影響する」という論考、さらに「パウンド詩鈔」として自ら訳出している。加えて高原耕治との対話(連載第一回)の「よみの はて をよむ」を展開する。本号より「未定」は装幀も一新、レイアウトも一新、たぶん編集人となった田沼泰彦の行き届いた本作りであろう。内容も随分と濃い。
ただ、愚生の如き老人には活字が小さすぎて、正直、目が泳いでしまう(もっとも、これは愚生の怠惰にしか過ぎないだろうが・・)。とはいえ、安井浩司へのインタビューは、よくもここまで聞き出したものだと思わせるものだ。例えば句集『宇宙開』を「句篇・全」とし、一句集一作品という試みをパウンド「詩篇」にアナロジーさせての質問なかで、以下のように安井浩司は述べている。

 もちろん俳句は一句だということを否定しません。あなたがおっしゃるとおり、俳句は一句独立だということに間違いはない。でもひとつの俳句は、その隣にあるもうひとつの俳句を呼ぶんだよ。それは連句のことじゃない。連句じゃなくて、俳句の一句は次の一句を呼ぶ。そしてそのまた次の一句を呼ぶ。こういう友を呼ぶがごとき不思議な力が、俳句にはあるんですよ。一句の独立性と相反するんじゃないかと思う。がしかし、定型詩でありながら一句が一句を呼ぶ。だから俳人は、いつまでも俳句を作り続けられるんです。どうすればこの力を、もっと積極的に使うことができるのか。安井浩司の俳句には、そうした願望があるんです。

また、パウンドの詩篇については、

パウンドという詩人を一言で申し上げれば、「万生樹(ばんせいじゅ)」という言葉がふさわしいと思います。これは私の造語ですが、パウンドは『詩篇(キャントーズ)』を書くことで、あらゆるものを生み出す一本の樹を創りあげたと思うんです。そして、私を始めとして世界中の様々な詩人が、『詩篇(キャントーズ)』という「万生樹(ばんせいじゅ)に接続することで、次なる「万生樹」を新たに生み出して育んでいきたいと願っているはずです。
 
興味のある向きは本誌に直接当たられよ。「未定・1000円」発行人は高原耕治。

ともあれ、同人作品一人一句(といってもすべて多行形式)を以下に・・、

   元旦われて
   森羅
   中止(エポケ―)
   みな鏡                高原耕治

   ぬいぐるみの
   しん・ごじら
    
     海の用意ができました    山口可久實 

  (とり)の巣(す)
  奈落(ならく)の彼方(かなた)
  浮世憚(うきよはばか)
  侏儒(しゅじゅ)の翳(かげ)    田辺泰臣

  ガブリエル
  トナリ
  銀盤ノ亀
  トナル                 玉川 満

  没落至極
  生死一如の
  無限旋律              村田由美子

  Big Bang
  暗黒星の
  あひ
  照らす               天瀬裕康

    十月三日 くもり

  唾棄しても
  實は禁色の
  錆浅葱              大岡頌司×田沼泰彦




  
  

  

2016年12月26日月曜日

高橋龍「年惜しむ阿部鬼九男忌の多摩の山」(『名都借』)・・・



高橋龍句控『名都借』(高橋人形舎・不及齋叢書・拾壹)、「あとがき」に、

名都借は(なづかり)と読む。都合、都度などの都の濁音である。わたしの生地千葉県流山市の字名なのだが、元々は流山市に合併する前の隣村八木村の小字であった。語義をたどると、夏刈りの訛りに名都借と宛字したものと思う。夏刈りとは夏草を刈ることで、飼育する牛馬の飼料として干草ににし、冬に備えた。(中略)
 当初、俳句も(・)詩であると思い、その後、俳句は(・)詩であると思ってきたが、最近は、詩であるにしても随分とひねくれた詩であると思うようになった。(中略)
そして徐々にわたしを諧謔に近付けてくれたのは西脇順三郎先生である。

とある。文庫本サイズながらその大扉に阿部鬼九男からの葉書が写真で掲げられている。その最後に、

       記(一句)
¨大岡頌司図誌(ランド)¨に遊んで日が暮れて   阿部鬼九男

とあった。阿部鬼九男は昨年12月19日に85歳で没した。阿部鬼九男が生前、高橋龍は友達だと言っていたが、その高橋龍は、たぶんだが、今年87歳だと思う。本句控えのいくつかの句を以下に挙げておこう。

  日の丸は根来塗なり明の春       龍
  雨女晴男ゐる重信忌
  敗けた日も晩飯を食ひ湯に入りぬ
  照りくもる千住大橋紫黄の忌
  鶺鴒に超絶技巧(ハイテク二ック)をそはりぬ
  襖絵をじはり真似する秋の月
  風景を景色に変へる秋の暮
  起ちあがる影におくれて立ちあがる
  善知鳥善知鳥(うとうと)と陸奥(みちのく)を行き九度(くたび)れた
  民主主義欺瞞主義(ダマクシラー デモクラシー)にルビを替へ
  霊柩車地下駐車場(よみのくに)より現はるる



2016年12月25日日曜日

岡田恵子「猿が書く『平和』の文字や初山河」(『緑の時間』)・・・



岡田恵子の第四句集『緑の時間』(山河叢書27)、懇切な跋「蜜柑味の清少納言」は安西篤。

 岡田作品を筆者なりに一言で評するならば、〈蜜柑味の清少納言〉とでも言おうか。知的できびきびした感性は清少納言そのものだが、決してクールな固さではなく、すこし日向くさい親しみも感じられる。レモン型というより蜜柑型の感性なのだ。(中略)
 「蜜柑味の清少納言」と評したのは、『枕草子』のような日常の断片が、意外に他者との相対関係の中で触発され、自身の社会意識の中にも位置づけられているようにも思えたからだ。

著者はある頃から五年に一度句をまとめてみようと思うようになったという。その計画性が第四句集として結実しているのだ。その「あとがき」に、

 振り返れば第三句集は東日本大震災の年に発行した。後書に私は、日本は持続可能な社会に舵を切ったと書いた。あれから五年、事故を起こした原発の処理は遅々として進まない中、いくつかの原発は再稼働を始めた。加えてさまざまな国の思惑と行動はテロに怯える社会に導いた。来る五年後は希望の持てる社会になっていてほしいと祈るばかりである。
 
と記されている。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げておこう。

  水音の半音上がる初明り    恵子
  山のように生きる空海苔の花
  憲法に生死の道や田草取る
  南吹くどこか戦車の匂いして
  目覚めれば武器を売る国紀元節
  国境をつなぐ大河や若葉風
  触れ合うは傷の始まり紅椿 
  晩夏光死ねない原発立ち尽くす
  名月や鳥居半分消えており 

岡田恵子(おかだ・けいこ)、」1954年香川県生まれ。



  

2016年12月24日土曜日

佐藤榮市「いま冷えて明日も冷えて鼻である」(「夢座」174号)・・・



「夢座」174号(発行人・渡邉樹音)は、かつて常連の執筆者であった齋藤愼爾「天皇陛下の闘い」(時への眼差しⅪ)と江里昭彦「俳人の『生きるじたばた』二〇一六年版」(昭彦の直球・曲球・危険球㊺)の復活でぐっと厚みが増し、読み応えが増した。とりわけ、齋藤愼爾は、

 「いま、もっともラジカルなのは天皇じゃないかな」、さきほど別れたばかりのTは大量にあおっていた酒に寸分も酩酊することなく口走った。私は頷いた。三・一一以後、同じようなことを考えていたからだ。

と述べている。天皇制の制約のぎりぎりのなかでの今生陛下の志について言っているのだ。現在の思考のラジカルさでいえば、辺見庸がすぐにも思い浮かべられるが、その存在自体から発せられる言葉の影響力を思えば、比べようがない。そして、齋藤愼爾は添田馨の論考に触れながら、以下のように結んでいる。

添田氏は天皇が無法政権に対し、自ら立ちあがった姿を透視する。訥々と「お言葉」を読み上げるその表情は、まことに穏やかながら、まさに闘う者の姿。象徴天皇制の堅持、九条をも含めた現行憲法の堅持ー自らの主張を、生前退位の問題へと変形して、広く国民に問いかける。実にラジカルな天皇の、現在取りうるぎりぎりの非政治的=政治行動だった。と結論する。

愚生もおよばずながら同意しようと思う。一方、江里昭彦は、高野ムツオ句集『片翅』の句「煩悩具足五欲も完備雪の底」に触れて、

 雪の底に目を凝らし、東北人の再生の可能性を見る。煩悩も五欲も、きっとそのエネルギーになるとみなすーかかる肺活量の大きな詩人を得たことを、私は現代俳句のために喜びたい。
 
と言挙げしている。ともあれ、以下に今号の一人一句を挙げておきたい。

   夏の海波いくつまで数へたか       太田 薫
   初鶏や若冲トサカ動ゐてる        城名景琳
   ねずみもち煙り静脈さざなみす      渡邉樹音
   胸の木枯らし斟酌たもれ          鴨川らーら
   零落をともなう蝉に釈迦坐像        照井三余
   走り蕎麦蕎麦猪口に汁ごく少量      金田 冽
   めきめきと老いてゆくなり夏の雲     佐藤榮市
   島にゐて島を見てゐる秋暑かな     鹿又英一
   ポピュリズムネットの火事の此処彼処  江良純雄 
   八百屋おや花屋となりぬ菊の花      銀 畑二



2016年12月23日金曜日

中村安伸「俳句思へば卵生まれる野分かな」(『虎の夜食』)・・



中村安伸『虎の夜食』(邑書林)は、およそ1995年から20年に渡って作られた句作品と前書きとは違う独立した短いエッセイが併載されている。これらの趣向はすべて、同行者の青嶋ひろのによるもだという。「あとがき」冒頭には、

 この句集におさめられた俳句と短文はすべてフィクションですが、実在の世界と無関係というわけでもありません。たとえば「卒業やバカはサリンで皆殺し」という句がありますが、もちろん事実ではありません。しかし、一九九五年の春、初めて参加した句会で「サリン」という席題を与えられたときに、作った、と言うよりは、出来てしまったこの句を目にして、私は、私のなかにひろがっている闇を生々しく実感したのでした。

とある。愚生がブログタイトルにした「俳句思へば卵生まれる野分かな」の句を目にしたとき、たぶん、だれでもそうであろうし、また、彼がすでに見知っていただろう先行作品、赤尾兜子の、

  俳句思へば泪(なみだ)わき出づ朝の李花     兜子

とっさに思い浮かべると思われる。パロディに違いない、と。「聖五月」の章には、他にも、

  鎖とははばたくものぞ夏の河   安伸    
  夏来る乳房は光りそれとも色  
  少女みな写真のなかへ夕桜
  
  
の句があるが、それらも、

  夏の河赤き鉄鎖のはし浸る     山口誓子
  おそるべき君等の乳房夏来る    西東三鬼
  少女みな紺の水着を絞りけり    佐藤文香

の句が想起されるだろう。これらもパロディなのか。それはそれで読む者をそれなりに楽しませてくれる。ただ、「俳句思へば」の句については、兜子と安伸の句の余りの落差に少し悲しくなるのだ。
もちろん、高柳重信は、

   目醒(めざ)
   がちなる
   わが盡忠(じんちゅう)
   俳句(はいく)かな

と書いた。そのとき中村安伸は、たぶん俳句に倦んでいたのだろう。

 思えばこの二十年間に私の野心や自負心は衰え、一方で俳句に馴れたり、飽きたりもしました。(「あとがき」)

ともあれ句集名由来の句は、

   よきパズル解くかに虎の夜食かな

以下に幾つかの句を挙げておこう。

  草若く女の馬鹿をからかへり
  春風や模様のちがふ妻二人 
  とくつくにのひとのあくびとなるなだれ
   



2016年12月21日水曜日

小川軽舟「解熱剤効きたる汗や夜の秋」(『俳句と暮らす』)・・



小川軽舟『俳句と暮らす』(中公新書)、例えば目次「飯を作る、会社で働く、妻に会う、散歩をする、酒を飲む、病気で死ぬ、芭蕉も暮らす」をみるだけでも、小川軽舟の俳句に向き合う、その姿勢と暮らしようが、見えるようである。加えて一気に読ませる勢いがある。
それらの中でも、記憶力のかなり鈍い愚生でも記憶を蘇らせてくれたところがある。
第6章の「病気で死ぬ」の折笠美秋、田中裕明の部分だ。

 微笑(ほほえみ)が妻の慟哭(どうこく) 雪しんしん  美秋

ALS患者にとって自分の意思を伝える最後の手段は眼球である。あらゆる筋肉が言うことを聞かなくなっても、眼球だけは動く。(しかし、やがてはそれもだめになる)。美秋は眼球の動きで意思を表し、妻がそれを文字にした。妻がいなければもはや自分の存在を書き記すこともできなかった。
 自分にはいつも穏やかに微笑む妻だが、その微笑こそが慟哭なのだ。窓の外でしんしんと雪が降る日に美秋はしみじみそう思う。

美秋が亡くなったのは1990年3月17日。告別の日には、春にも関わらず寒く,雪まじりに霙が降った。その七年前の愚生は、高柳重信の葬儀に、訃報に接しながら出席しなかった。だからいつまでも重信は愚生の中で生き続けていた。それは当時、いささかの悔恨をまたらした。送るべき時はきちんと送るけじめをつけなければいけないのだ、と。だからというけでもなかったろうが、折笠美秋(享年55)の葬儀には出掛けた。柩の中の美秋にもお別れをつげた。

田中裕明については、小川軽舟が記すように、亡くなったのは十二月三十日、元旦には、あろうことか、妻との連名で大伴家持の「新(あたら)しき年の始(はじめ)の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」の挨拶状とともに句集『夜の客人』が届けられた。その時愚生は、とっさにかつて攝津幸彦(享年49)を失い、今また田中裕明(享年45)を失ったと思ったのだった。

  死ぬときは箸置くように草の花    軽舟

以下、各章の扉に置かれた小川軽舟の句を挙げる。

  レタス買へば毎朝レタスわが四月   (飯を作る)
  サラリーマンあと十年か更衣      (会社で働く)
  妻来たる一泊二日石蕗の花      (妻に会う)
  渡り鳥近所の鳩に気負なし       (散歩する)
  青桐や妻のつきあふ昼の酒      (酒を飲む)
  解熱剤効きたる汗や夜の秋      (病気で死ぬ)
  家に居る芭蕉したしき野分かな    (芭蕉も暮らす)




2016年12月19日月曜日

中村光声「澄みきつて我が蒼茫の空にこゑ」(『声』)・・・



たしかに、中村光声句集『声』(ふらんす堂)にはさまざまの声が発せられている。また、聞こえてくる。ブログタイトルにした句の蒼茫には、つい野村秋介の『銀河蒼茫』を思ったりした。銀河の句もある。

   たましひとなつて銀河の駅にゐる   光声

もっとも、これは宮澤賢治・銀河鉄道がふさわしいかも知れない。

  ひよんの実の穴より無灯艦隊来(く)

は、「銀河系つうしん」の西川徹郎の句集「『無灯艦隊』あれば」の前書もある。
跋文は真情あふれる角川春樹、魂の一行詩に連なっている。その見事な跋を読めばいい。
ただ、ここでは、以下に愚生好みの句をいくつか挙げさてもらおう。

   ヒロシマや折鶴何羽翔つたらう
   けふもまた誰かの忌日蚯蚓鳴く
   たましひの似た人とゐて秋淋し
   しぐるゝや電気ブランに琥珀(こはく)の灯
   霙るるや石の記憶に火の記憶
   きのふよりけふはるかなり花の沖
   水の上(え)に水のこゑある立夏かな
   デラシネのひとりに余る粥柱
   虚空より父在りし日の花のこゑ




2016年12月18日日曜日

後藤昌治「美しき人うつくしく在る水澄めり」(「韻」第23号)・・・



「韻」は元「地表」のメンバーが多く、今号の特集「-季語を考える」にも小川双々子健在の頃の「地表」(VOL6.NO4)から「季語のことなど」が再掲載されている。
また、愚生などが只今現在聞いておきたいことなどを、記憶を蘇らせて、後藤昌治が連載「長い時の流れの中(五)」で書いている。俳句史における戦後の時代の交友、俳壇的な事項など興味は尽きない。加藤かけい「環礁」にいた頃の阿部鬼九男にも触れて書かれている。 
ほかに今号には「豈」同人でもある妹尾健の薬籠中の俳人、「大谷句仏上人覚書」の寄稿が掲載されている。
ともあれ、実質不定期刊「豈」とは違って年三回刊がきちんとまもられていて、毎号充実した内容である。以下に一人一句を挙げておきたい。

   曼珠沙華巫女行列についてゆく     片山洋子
   雁来紅じりじりと焼く鉄の骨        金子ユリ
   秋茜むかしはわれにまつはりし     後藤昌治
   澄み水を汲み純粋になりにけり     佐佐木敏
   曼荼羅のところどころにさるすべり   谷口智子
   踊る輪を仄暗くして死の座る       千葉みずほ
   ゆく先はくろはらいそへ独活の花    寺島たかえ
   もみぢするからだの芯をさしだしぬ   永井江美子
   深海魚おほきな貌の十三夜       前野砥水
   千羽鶴吊るす長さの秋日和       水谷泰隆
   白桔梗青桔梗風が止んでゐる     森千恵子
   塗椀の内の闇なる黄落期        山本左門
   少女らの青春の私語こぼれ萩     依田美代子
   雨はげし曼珠沙華蕊ふるへをり    米山久美子
   風になる友来ておりぬ吊し柿      渡邊淳子
   入口は添水や黄泉の水あかり     千田 敏
   からすうり大国病んでゆくものを    小笠原靖和



 

2016年12月17日土曜日

大牧広「やがて雪されど俳句は地平持つ」(『俳句・その地平』)・・・



大牧広『俳句・その地平ーその地平の夕映は美しい』(文學の森)は、雑誌「俳句界」(平成23年~平成27年12月)の約4年間に渡って連載されたものを一本にまとめたエッセイである。第1回が「3.11の俳句から」というのもいかにも大牧広らしい在り方であろう。本著の帯に宇多喜代子が以下のようにしたためている。

少年時代に戦禍をくぐった大牧広は、戦争のない戦後七十年をわが事として考え行動している。それゆえに抱え持つ反骨の視力でこの世の「いま」を見据えたのが『俳句・その地平』。
これに同伴するのが折々の俳人である。戦中派ならではの正眼の構えで立ちながら、時代と俳句の抱える問題を「わたしはこう思う。あなたは如何」と呼びかける。

また、第19回「甘いかもしれない」の結びを例に挙げると、

 「港」の同人句会で筆者は、

   花咲きし頃や夜毎のB29

という句を出したが殆どはすでに「B29」が不明であることを知った。うすうすとかつて戦争の相手国であったアメリカの飛行機であることは知っているが、そのB29のもたらした大惨禍はわかっていなかった。
 この点を現代史教育の云々と責めることより戦争の惨禍を体験した高齢者が「語り部」のような気持で発言していかなければならぬと痛感した。言わなくてもわかるであろう、やはり甘いのではないかと思っている。

と記されている。それが「わたしはこう思う。あなたは如何」の内容だ。他に、B29関連、戦争体験の句では、

   夏景色とはB29を仰ぎし景         広
   昭和二十年九月ひたすら雨ばかり
   「なにもかも焼けた」と母の灼けし髪
   夏旬日ゲートル巻いて眠りたる
   三月やわれらを焼きし焼夷弾

また、第36回「行くと思いますか」には、

 戦争を思わすような法律が「一強」の政党によって強引に成立されてゆく。
  この危うい現状を、いわば、感性で生きている俳人であれば、仮にどうおもわれようとも表白する勇気を讃えたい気持ちでいる(以下数句は略)

 ごまめ噛みこころもとなき国の末     原雅子
 書斎とて戦場春の砂袋         宮坂静生
 生身魂銃後の虹を語り出す       秋尾 敏
 見残しの 後の昭和よ 火打石      大井恒行
 権力の心地よき風君にも吹く      筑紫磐井
  
これらの俳句は、少しも生硬に詠んでいない。やわらかい感性で包み込むように詠んでいる。

と述べられていた。

大牧広、昭和6(1931)年、東京生まれ。 


   

2016年12月16日金曜日

攝津幸彦「夢である小島は父で舌である」(『詩(うた)の旅』より)・・・



鳴戸奈菜『詩(うた)の旅』(現代俳句協会)は、文集で、教鞭をとっていた共立女子大学芸術研究所発行の『文學芸術』や共立大学『研究叢書』に執筆されたものと、「東京新聞」夕刊に発表した「俳句月評」、また、彼女の師・永田耕衣主宰誌「琴座(りらざ)」に連載された「詩(うた)の旅」が収録されている。
勤務先の紀要ともいうべき研究誌に発表されたものについては、愚生は、今回初めて接することができた。いわば、研究論文的で俳句に事寄せて、いわば、俳句を知らない普通の人に読んでもらえるようにという配慮からか、丁寧に書かれたものばかりだった(大学の先生だから当然なのかもしれないが)。本書名の由来につては、

 この文集の表題を「詩(うた)の旅」としたが、俳句は散文ではなく韻文であるということを強調したく、敢えて「詩の旅」とした。俳句は広義な意味合いで詩である。

と「あろがき」に述べられており、かつ、最初の扉には俳句は詩であるが詩ではないー」と掲げられている。
その第一章「俳句における間(マ)」(『文學芸術』第11号、昭和63年2月)の「二 切れについて」のなかで、攝津幸彦「夢である小島は父で舌である」と増田まさみ「さようなら松の気管をゆく旅人」の句について、

 などという現代の若い世代の句になると、一句の切れが何処にあるのかも定かではなくなり、またそれぞれのフレーズ間に、少なくとも日常の論理でつながる関係を認め難くなる。(中略)
 ただ切れによって句の、言葉の間がどんどん広がっていっても、詩性という磁場での極めて細かい目に見えないつながりが、その間に架かっているとき、私は作品として成功するのだと考えるが、さてそのつながりの一般法則はなかなか見出し得ない。

と述べ、

遂には、読み手と作り手の共同作業でその作品の俳句世界が形成されるという事態になる。俳句ではよい読者に恵まれるということが重要であるといわれる所以はここにある。

と言う。むべなるかな。その意味では、愚生はあまりよい読者になれそうもない。攝津幸彦は、この文章が書かれたころ、まだ元気で、40歳を出たばかりの頃であった。
鳴戸奈菜、昭和18年、旧朝鮮・京城生まれ。祖父・鳴門聲舟、父・鳴戸四風も俳人であったらしい.
鳴戸奈菜で三代続いた俳人一家、俳諧の血統というべきか。



2016年12月14日水曜日

田尻睦子「倶利迦羅の夜は火をはこぶ ゆりでいよ」(「頂点」242号)・・



新生「頂点」というべきか、発行人・川名つぎお、編集人・森須蘭にほぼ執行部の総入れ替えという感じだったので、いずれ、重鎮の高齢化で行く末を少し案じていたのだが。「頂点」は元をたどれば1959(昭和34)年、杉本雷造、日原大彦らが鈴木六林男を迎え、大阪で創刊された、当時の言葉でいえば、俳句における批評精神の涵養と新しい抒情を標榜した関西前衛派の雑誌であり、小宮山遠、熊谷愛子、白井房雄、八村廣ら、そして多賀芳子、吉田透思朗、岸本マチ子、渋川京子などを擁していた。編集後記によると、代表なき10年を編集実務などのすべてを遂行した日原輝子を、「頂点」名誉会員として遇したとのことである。
ともあれ、以下に一人一句をあげておこう。

  原爆忌が雑踏を歩いている       川名つぎお
  乾杯の声高々と遠花火          尾家國昭
  波音を聴き佇ち尽くし砂になる     石川日出子
  銀寄せに会えず利兵衛で間に合わす 辻本東発
  忘我という部屋月光の燦々と      水口圭子
  人寰に秋の深まる千枚田        岡 典子
  満月へ跳ぶものの影地を這えり    塩谷美津子
  心中の片割れなりし葱坊主       杉田 桂
  曼珠沙華夕べさびしくしたりけり    髙橋保博
  コスモスやモラトリアムの朝が来て  廣田善保
  木枯や都心に眠る古戦場       廣田健司
  利す/のりす/すりるたのしき/しぐれ傘  田尻睦子
  野分晴れ柩のなかは混み合えり   渋川京子
  答えのない問が続き蜜柑むく     成宮 颯
  小春日へダリの時計が流れ出る   森須 蘭
  駅前に捨てられた傘はわたり鳥    楠見 惠
  囀りや窓際に置くマトリョーシカ    渡邉樹音 



2016年12月13日火曜日

草深昌子「金剛をいまし日は落つ花衣」(『金剛』)・・・



草深昌子第三句集『金剛』(ふらんす堂)の集名については、

「金剛」こと金剛山は、吉野のある奈良県と、私が生まれ育った大阪府の境に立つ主峰です。なつかしさが重なり、句集名としました。 

と「あとがき」にあった。 略歴に「雲母」「鹿火屋」「晨」「ににん」を経て、「青草」主宰とある。
句はいずれも端整。いくつか句を以下に挙げておこう。

  富士山にそむきまむきや寒鴉      昌子
  赤子はやべっぴんさんや山桜
  冴返る鯉の鯰に似てゐたる
  廃校の時計の生きてさくら草
  水馬かまひにまたも水馬
  どこにでも日輪一つあたたかし
  壁蝨出るぞ山蛭出るぞ鉄砲打

草深昌子(くさふか・まさこ)1943年、大阪市生まれ。



2016年12月11日日曜日

虚子「美しき御国の空に敵寄せじ」(『日本レジスタンス俳句撰』より)・・



マブソン青眼選句・フランス語訳『日本レジスタンス俳句撰(1929-1945)』(パリ・ピッパ社・2000円)には、戦前の新興俳句弾圧事件に連座した俳人を中心に18人の略歴と一人4句ずつ、各人の似顔絵(ないものは特徴のある版画・池田充)が、作品は日本語とローマ字で読み、三行のフランス語訳が付いて、各人見開き2ページで収められている(残念なのは本文中の三谷昭が三谷明と誤植されている)。
マブソン青眼の序文において指摘されていて、出色であるのは、戦前の俳句史に即しながら、高濱虚子の果たした役割について、句を挙げて言及しているところだろう。その虚子の句は、

  戦ひに勝ちていよいよ冬日和 (1941年12月17日真珠湾攻撃直後) 虚子
  勝鬨はリオ群島に谺して    (1942年2月12日シンガポール戦最中)
  美しき御国の空に敵寄せじ   (1944年2月15日)
 
そして、序文は以下のように閉じられている。

 軍国主義が再び勢いを見せてるこの頃こそ、1940年代に弾圧された俳人の名誉回復と弾圧に協力した俳人の責任追及を果たすべきだろう。二度とあのような大戦の道を歩むことがないように。「昭和俳句弾圧事件記念之碑」を建てる必要もあるだろう。本撰集をその前の紙の碑(いしぶみ)としたい。 

*本著は日本の書店では販売されていないので、申し込みは直接、マブソン青眼まで、
    mabesoon@avis.ne.jp  電話FAXは、026-234-3909
    郵便振替口座は 「参月庵 00560-1-75876」
    
因みに収録されている俳人は、秋元不死男、新木瑞夫、藤木清子、古家榧夫、波止影夫、橋本夢道、平畑静塔、細谷源二、井上白文地、石橋辰之助、栗林一石路、三谷昭、中村三山、仁智栄坊、西東三鬼、嶋田青峰、杉村聖林子、渡辺白泉。

   憲兵の怒気らんらんと廓は夏     新木瑞夫
   戦死せり三十二枚の歯をそろへ   藤木清子
   血も見えず敵飛行士の亡せゐたり  波止影夫
   我講義軍靴の音にたゝかれたり   井上白文地
   血も草も夕日に沈み兵黙す      三谷 昭
   特高が退屈で句を考えてゐる    中村三山




*閑話休題
(藤田嗣治展)

戦争つながりと言うわけでもないが、愚生は今日、府中市美術館の「藤田嗣治展ー東と西を結ぶ絵画」を観に行った。自転車で5,6分も漕げば行ける近いところに住んでいるのだが、なかなかチャンスがなく、ともかく今日は最終日だったので、何が何でもというわけで行ったのだ。戦争画の最高傑作といわれた「アッツ島玉砕」も悲惨だったが、一つ置いた隣の「サイパン島同胞臣節を全うす」によりひかれた。
たぶん、高柳重信がわずか一週間ばかりのラジオ放送で以後ついに歌われることがなく、国民から忘れ去られた歌「サイパン玉砕の唄」を病床の折笠美秋を見舞うためのテープに吹き込んで歌っていたのを繰り返し聞いたことがあったからだ(それは、赤尾兜子の遺句集の出版記念の会に関西にカセットテープを持っていき、参加者に見舞いの声を録音したものである。鈴木六林男、和田悟朗、三橋敏雄、高屋窓秋などの声もあった)。



2016年12月10日土曜日

林亮「かたちあるものから消ゆる冬の霧」(『高遠』)・・・



林亮(はやし・まこと)昭和28年高知県生まれ。高知市在住。
『高遠』(私家版)の「あとがき」に、

前句集「高知」(平成二十六年十二月刊)以降の約二年間の作品の中から、六百四十句を選んでみました。今回も句集の名には迷いましたが、好きな二つの字、「高」と「遠」とにより「高遠」としました。

とある。選んだというからには、収録された句を超える句がはるかに多く在るということだろう。多作ぶりには敬意を表したいが、愚生のような年寄りには、読み通すのが少ししんどい。
昔と言ってもそう遠くない時代の俳人の句集に収録される句数は現在のように多くなかったように思う(全句集は別にしてせいぜい200句程度だったような)。確かに今は300句や400句は当たりまえになっているようだ。
例えば、同じ季語の句は、どちらかを選んで、あとは捨てるということをしていたように思う(作者自身にとっては捨てがたいだろうけれども・・・)。
ともあれ、いくつかの句を挙げておこう。

   表裏消えかけてゐる薄氷      
   形代が先流水がその後を
   今がその五十年後の冬銀河
   壁に掛かれり外套もその影も
   流れねば水といへども冬ざるる
   一本の棒が養ふ焚火の火
   南部鉄瓶湯気よりも音を立つ
   火の中に厄の薪の燃えつづく
  


2016年12月8日木曜日

藤田踏青「眼をアルバムにして入る木造校舎」(『現代自由律100人句集・第三集』)・・



『現代自由律100人集・第三集・平成28年度版』(自由律句のひろば・1000円)が出た。
「自由律句のひろば」のマニュフェストが巻末にに掲げられている。

 この句集は自由律を多くの人々の身近な文学にするために発行しました。「自由律句のひろば」は新しい会員を求めています。賛同いただけるかたの参加を歓迎いたします。

また、今号の序には、

 自分が何を思い、何を感じたかが自由律の真意であり、面白さもそこにあります。世の中に自由律をもっと広げて行きたい希望はこの一冊によって叶えられるでしょう。

                          自由律句のひろば 代表
                                    那須田 康之

とあった。一読、気付くことは、「自由律俳句」とは、一言もいっていないことだ。あくまで「自由律句」である。ここに、一般的に流布している「自由律俳句」という呼称ではなく「自由律句」。ここにこの句誌のこだわりがあるように思うが、現代ではほぼ片隅に追いやられてしまっている現状に対する、いわば定型の俳句に対するいわゆる自由律俳句の普及への志が伺われる。
俳句史的には、戦前の改造社版「俳句研究」をながめただけでも、あるいは、ホトトギス全盛と思われている大正時代の俳句についても、じつのところ、明治の新傾向俳句から自由律俳句が俳壇を大きく席巻していた事実が理解されるだろう。
と言えば、「自由律句」というあえてする呼称は、いわゆる俳句ではなく句・・、彼等の自由律?復権にかけた思いにちがいない。
ここでは100人一句をすべて挙げるわけにはいかないので、愚生と同じ「豈」同人の藤田踏青と愚生が山口県生まれだから、山口県人のみを一人一句掲げることにする。

  誤作動をくり返す二人の小骨        藤田踏青
  喜寿つれて土筆               阿部美惠子
  トラの身代わりか子猫がやってきた   石竹和歌子
  夕焼けが海からはみ出している      植田鬼灯
  暑い暑いと言ってもつくつくぼうし     内田麻里
  ひっそり不自由を抱いている       小野芳野
  風が転がる                  佐伯初枝
  孤独が肩を叩いて目覚めた夏の午後  佐々木研信
  もう母でない母と座っている        島田茶々
  影と歩く影があるく倖せな影といる    清水八重子
  青空の広さに廻り道             下瀬美保子
  流れる涙ぬぐっている訳もなく       竹内朋子
  空っぽにして始める             田中里美
  茶碗に残った一つぶも箸にする      富永鳩山
  ボタン取れかけたことも直ったことも   富永順子
  まだ昇る段がある登るしかない      橋村美智子
  呑み込んだ言葉どこを漂う         原田智美
  一匹残った蚊のさびしさがたたけない  久光良一
  不機嫌という棘を抜いて眠る       部屋慈音
  金魚ちょうちん戻れない日々ぶらさげる 増田壽恵子
  雨音でいっぱいの部屋にいる       松尾 貴
  山桃とってくれる前髪を風         松永眞弓
  にぎやかに鳴いていたセミの数だけ死があって  森永友世志
  この雪道は二人のふるさとへつづく   山本説子
  里芋の葉に朝露の鬼ごっこ       和崎治人 



2016年12月6日火曜日

須田優子「誰も彼もやさし生きたし露滂沱」(『白炎』)・・・



須田優子は、昭和32年10月、享年28で夭折した俳人である。句集『白炎』(鬣の会・風の花冠文庫、本体800円・400部限定)は、没後出版された、

 昭和26年から早すぎる晩年までの作品を編年体で収めた『須田優子句集 白炎』が昭和33年「やまびこ叢書 第三輯」として「やまびこ発行所」より刊行された。
            (解説・水野真由美「須田優子ー俳句にいのちを光らせて」より)

ものの復刻版である。風の花冠文庫刊行のいきさつについては、林桂が以下のように記している。

群馬文学全集』(伊藤信吉監修・群馬県立土屋文明記念文学館)の第十三巻で、「群馬の俳句」を編集担当することとなり、関係の句集を読み進める中で、県内の俳壇史を記述する著作に殆ど取り上げられていない、優れた句集とその俳人に出会うこととなった。すなわち、浅香甲陽『白夢』、竹内雲人『療園断片』、須田優子『白炎』である。(中略)
 三人共に夭折の俳人で、その資料も十全でないことが、世に知られない要因の一つであろう。その存在を知ってしまった以上このままの状況のもとに置いておくのは、自身の怠惰の上に怠惰を重ねるようなものであろう。

こうして、上記に記された三冊の句集の復刻版が、2002年に『白夢』、2003年に『療園断片』、そして、さらに13年ののち、須田優子句集『白炎』の刊行に漕ぎつけたのだ。林桂の持続する意思、粘り強さに対しては敬意の言葉のほか見つからない。
これら風の花冠文庫復刻の三冊の句集は、いずれも、自らのいのちを俳句に刻み付けた歴程を杖にして書かれたものばかりである。
昭和5年、群馬県渋川市生まれ、須田優子の「俳人としての活動期間は七年ほどで、さらにそのうちのの六年間は闘病生活のなかにいた」(同前解説)

という。幾つかの句を以下に挙げておこう。

 もうやせる余地なしセルの胸あわす
 聖夜ひとり壁のイエスは振り向かず
 母の日の母をカメラに束縛す
 紫陽花や妬心もたねば愛薄し
 原爆忌傷なき裸身湯に浸す
 秋霜や病めば疎まれ哀れまれ
    弟、伊豆みやげとて貝殻呉れる
 貝殻掌に春の潮騒聞こうとする
 長梅雨や癒ゆる希望(のぞみ)は何時捨てし
 夜霧の試歩我よりちびし母従え
 鰯雲きしきし胸に脈しぶる



                                
                       ビワ↑

   

2016年12月4日日曜日

和場ゆすら「落蟬のまなこに空の遠くあり」(第18回HIA俳句大会)・・・


               講演するグエン・ヴー・クィン・ニュー氏↑

本日は午前中、市ヶ谷アルカディアで行われた国際俳句交流協会の「第18回HIA俳句大会」のグエン・ヴ―・クィン・ニュー氏の講演「ベトナムにおける俳句」聴きに出掛けた。現在のベトナムにおける俳句事情について歴史的な経過を含めて分かりやすい、日本語での講演であった。575を基本とする俳句に近い音節を選んで、ベトナム語の音節で作ると6音+8音の形式の短詩形が生まれ、日本の俳句より短い、世界で極小の詩形が誕生するかも・・・など、興味深い内容の講演だった(ベトナム語での俳句の募集は、基本は3行の短詩形で、各行の文字は5・7・5を超えず、季語の有無は問わない)。
それにしても、日越の交流と俳句普及についてのさまざまな文化的、または政治的な困難があることをうかがわせ、その困難にもめげず、いわばベトナムにおける俳句開拓者とでもいうべき活動には敬意を禁じえないものがあった(ベトナムでの俳句コンクールでは日本語、ベトナム語の両方で募集を行っていることも)。

とはいえ、俳句は五七五を基本として、雨季と乾季しかない値域もあり、季語を入れることの難しさも述べておられた。
講演に先立つ有馬朗人会長の挨拶には、具体的に俳句をユネスコの無形文化遺産に登録する運動に邁進し、後世に遺るような、世界遺産に相応しい俳句を作ろう、との檄が飛んでいた。



ともあれ、以下に俳句大会の賞に輝いた作品を以下に挙げておこう。

・国際俳句交流協会賞
  落蟬のまなこに空の遠くあり     和場ゆすら
  里山の小さくなりし踊りの輪      藤井敏子

・俳人協会賞
  踊る輪を抜けて授乳をしてをりぬ  和田 仁 

・現代俳句協会賞
  道化師の笑ふ白夜の船着場    中武純子

・日本伝統俳句協会賞
  囀りをきく白書院黒書院       中川 素子

・日本経済新聞社賞
  平成の天皇の声終戦忌       清水京子

・ジャパンタイムズ社賞
  広島や海の際まで夜涼の灯    境 幹生

他に、国際部門では木内徹、木村聡雄選で各二編の特選(言語・英語)があった。




   

2016年12月3日土曜日

池谷洋美「鋼鉄の残響海馬をくぐる冬」(「豈」忘年句会)・・・



 第三回攝津幸彦賞・副賞(能村登四郎色紙)を筑紫磐井(右)から中央・生駒大祐に↑

恒例になった白金高輪の「インドール」での第133回「豈」忘年句会は、第三回攝津幸彦賞受賞者の生駒大祐など若手を迎えての活気ある句会となった。遠方の方を含め感謝申し上げる。
記念すべき句会の最高点は新同人で静岡から参加された池谷洋美、ブログタイトルに挙げた句である。
 夕刻5時時からの懇親会には、次号から「豈」へ参加する佐藤りえ、また、川柳の柳本々々、池田澄子、多仁竝改め安男亭翰村、桐生から新事務局の北川美美も駆け付けた。
以下は句会より一人一句を、

  薄く切る生ハム冬が見えるくらゐ        内村恭子
  潰す空缶より生温き疲れ             照井三余
  
  荒れ暮らす
  わが英に
  散る美曾禮                     酒巻英一郎  

  湯たんぽは鯨の夢に濡れにけり        渕上信子
  指先の焔かすかに秋の暮            池谷洋美
  枯れし楡の枝に未だ夜の絡みある       生駒大祐
  天の狼 すえずの女 みな美し         筑紫磐井
  戦前の枯野へ交信する芒            福田葉子
  蝶堕ち鹿鳴き猪鍋(ししなべ)(くら)ふ トランプ 堀本 吟
  冬天の雲は琳派の裔(すえ)なるか      早瀬恵子
  うさぎ追いたちまち終わる夢の国        七風姿
  崖ッぷちの刑の途中をななかまど       もてきまり
  杜鵑草三人はいる模倣犯            羽村美和子
  やがて日はあまねくかげる冬の旅       大井恒行



2016年12月1日木曜日

駒木根淳子「悠久を旅してゐたり蝸牛」(『夜の森』)・・・



駒木根淳子第二句集『夜の森』(角川書店)は、愛情あふれ、かつ懇切を極めた山下知津子の跋に以下のように記されている。

 二〇〇五年五月一月から、駒木根さんと私たちはささやかな同人誌「麟」を刊行しているが、皆で考えた「創刊の辞」に次のような一節がある。
「痛切に自分の生活実感に即し骨太に、自分に引きつけて、自分の熱い息とともに吐き出される言葉で、五七五という冴えた器を満たしたい」(中略)
「麟」はもう一つの大きな柱として、共同研究という形での「女性俳句研究」を続けている。(中略)
 この「女性俳句研究」における駒木根さんの研究ぶり、執筆ぶりに、私はいつも敬服している。まず、一次資料や初出の文献に可能な限り徹底的に詳細に当たり、丹念に調べ上げる。(中略)
彼女の調べ上げる情熱とたくましい行動力、そして調べるスキルと能力の高さに、私はずっと尊敬の念を抱き続けているのである。

彼女が、こうした地道な努力を惜しまず、真面目に取り組む姿は、「豈」同人だったこともある故渡部伸一郎からも聞かされていた。
ところで句集名『夜(よる)の森』の由来は、駒木根淳子の故郷・福島の原発から7キロメートルにある桜の名所「夜(よ)の森公園」に由来する地名で、現在は帰還困難区域にあるのだという。句は、

  見る人もなき夜の森のさくらかな      淳子

ともあれ、以下に愚生好みの句をいくつか挙げておこう。

  水餅の闇より母の手がもどる
  天上に父の豆撒く声あらむ
  傾がざる電柱はどれ夏つばめ
  ぼた山のいつか草山葛嵐
  読初となす白泉の戦時詠
  風船爆弾作りし母よ八月よ
  秋夕焼次の戦争まで平和
  涅槃図やうねりて波の崩れざる

駒木根淳子(こまきね・じゅんこ)、1952年、いわき市生まれ。
  



                        カラスウリ↑


2016年11月28日月曜日

生駒大祐「水の中に道あり歩きつつ枯れぬ」(「豈」59号)・・・



「豈」59号が出来てきた。ほぼ一年ぶりの刊行である。
皆さんの手元には明後日あたりにはお届け出来るだろう。
特集はふたつ、一つは第三回攝津幸彦記念賞(表2には、第4回攝津幸彦記念賞応募要項が広告されている)。
二つは「不安の時代(震災・戦争・老後・鬱)-新しい社会性」。以下に目次を掲載しておく、注文は発売元・邑書林(書店経由)にお願いします(1000円+税)。


‐俳句空間‐「豈」 59号)  目次                        表紙絵・風倉
                                      表紙デザイン・長山真

◆招待作家・20句 金原まさ子 2  川嶋健佑 4  冨田拓也 6  堀下 翔                               
第三回攝津幸彦記念賞 正賞・筑紫磐井奨励賞 生駒大祐  10
             同 大井恒行奨励賞 夏木 久 12  
   同 佳作 赤野四羽 17  打田峨者ん 18  北川美美 19  佐藤成之 20
        嵯峨根鈴子 22  曾根 毅 23  小鳥遊栄樹 24 山本敏倖 25   
同 選評 関 悦史 26  筑紫磐井 28  大井恒行 30
第二回攝津幸彦記念賞受賞者作品 花尻万博 32 
第三回攝津幸彦記念賞奨励賞受賞第一作 夏木 久 34
第三回攝津幸彦記念賞受賞作家・作品論 
「俳句の剥き身」柳本々々 36   「辞退するなかれ、西村麒麟賞」西村麒麟 38

作品Ⅰ  池谷洋美 41 青山茂根 42 秋元 倫 43 飯田冬眞 44 池田澄子 45
 丑丸敬史 46  大井恒行 47  大本義幸 48 岡村知昭 49 恩田侑布子 50
 鹿又英一 51  神谷 波 52  神山姫余 53

  特集 不安の時代(震災・戦争・老後・鬱)-新しい社会性
   青畝俳諧の社会性 浅沼 璞 54     言葉が立つとき 五十嵐進 56
   詠まれたことも読まれたこともない膨大な俳句に向き合う不安 小野裕三 58
   不安と虚実 曾根 毅 60         破地獄の文学 竹岡一郎 62
   俳句、新しい不安の時代 柳生正名 64  〈流離〉する現在 髙橋修宏 66
   不安になるのがあたりまえ 堀本 吟 68  俳句と社会性 妹尾 健 71

作品Ⅱ  川名つぎお  71  北川美美 72  北村 虻曳 73  倉阪鬼一郎 74 小池正博 75
  小湊こぎく 76  小山森生 77 五島高資 78 堺谷真人  79 坂間恒子 80
酒巻英一郎 81  杉本青三郎 82 鈴木純一 83

特別寄稿 大本義幸を肴にした極私的回顧談 仁平 勝 84

◆大本義幸インタビュー・「豈」創刊のころ()  聞き手 関 悦史 86

連載  私の履歴書⑧ まだ女鹿である朝のバタートースト 大本義幸 88

◆作品Ⅲ  関 悦史 89 妹尾 健 90 高橋修宏  91 高橋比呂子92 田中葉月 93
筑紫磐井 94 照井三余 95 夏木 久 96 新山美津代 97 萩山栄一 98
秦 夕美  99
「豈」58号読後評 褻の旅人 川名つぎお 100   (さまよ)えばハイク 秦 夕美 102

作品Ⅳ 羽村美和子 104 早瀬恵子 105 樋口由紀子 106  福田葉子 107  藤田踏青 108
 藤原龍一郎 109 堀本 吟 110 真矢ひろみ 111

書評 髙橋比呂子句集『つがるからつゆいり』評 松下カロ 112
  小池正博句集『転校生は蟻まみれ』評 柳本々々 114
 夏木久句集『神器に薔薇を』『笠東クロニクル』評 秦 夕美 116

作品Ⅴ  森須 118 山上康子119  山﨑十生  120 山村 嚝 121  山本敏倖 122

  わたなべ柊 123   亘 余世夫 124

招待作家作品より一人一句を以下に挙げる。

儀式ですセロリの裸洗うのは          金原まさ子
月光を浴び向日葵は青く照る          川嶋健佑
「見えない戦争」「見える戦争」水中花     冨田拓也
どの夏となく来て淡し一枚田           堀下 翔