2022年9月29日木曜日

亀井千代志「鵙啼いてをりぬそれでも負けは負け」(『スマッシュ』)・・・

 

  亀井千代志第一句集『スマッシュ』(ふらんす堂)、序句は石田郷子、


    スマッシュに文月の鷹を見し思ひ     郷子


 また、集名に因む句は、


    追羽子のスマッシュそれを返しけり    千代志


であろう。また、著者「あとがき」には、


 本書は、椋俳句会に入会した平成十八年から、平成三十一年(令和元年)までの、十四年間の句から、ニ九一句を収録したものです。(中略)

 収載句の多くは、国立市の矢川緑地、谷保・城山公園、そして飯能市の名栗を吟行し、句会で切磋琢磨して成ったものです。繰り返し同じ場所に立つことによって、季節の移り変わりとそれに伴う小さな変化や人の営みを感じとることができるのは、何より幸せなことです。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


   はばたけるもののかたちに氷かな

   白がやや多きとおもふ梅林

     父、介護有料老人ホーム入所 二句

   春日よく入りけふより父の部屋

   窓の辺に母の遺影やうららけし

   石なのか亀なのかいま鳴きたるは

   くちびるに春の焦げたる匂ひかな

   竹皮を脱ぐお手伝ひしませうか

   夏の日に褪せて学校かはら版

   秋草のばいばう鳥居のみ真つ赤

   贋物をつかまされさう年の果


 亀井千代志(かめい・ちよし) 1983(昭和38)年生まれ。

 

     

     撮影・鈴木純一「いいひとで終ってみるか猫じゃらし」↑

2022年9月28日水曜日

土方公二「銀杏(ギンナン)降ル如件(クダンノゴトシ)ギョクサイ碑」(『帰燕抄』)・・


  土方公二第一句集『帰燕抄』(角川書店)、ブログタイトルにした句「銀杏(ギンナン)降ル如件(クダンノゴトシ)ギョクサイ碑」には、「靖国」の前書が付されている。集名に因む句は、


    少年に帰燕の空のうすづけり     公二


 であろうか。序文は井上弘美。その中に、


    箱眼鏡外せば父も母もなし

 最終章に収められた句で、父母を詠んで比類が無い。「箱眼鏡」の比喩は絶妙だが、だからこそ喪失感も深い。しかし、人としての哀しみが深いことで、俳句としての純度は増す。土方さんの「家郷」俳句が、句集の最終章でこのような結実を見せていることに深い感動を覚える。(中略)

 次の一句は追悼句で、奥村さんの代表作〈明滅の潮流信号雪しまく〉を踏まえている。

    春の雪潮流信号とざしけり

 奥村さんが「雪しまく」中で見た「潮流信号」を、土方さんは「春の雪」の中で見ている。明るい春の雪が降り続いて、「潮流信号」とともに奥村さんの姿を消してしまったのだ。俳句は存問の詩だが、とりわけ挽歌を詠むとき、その本領を発揮する。この句は、亡き人に手向ける心からの哀悼の一句である。


 とある。また、著者「あとがき」には、


(前略)自然に溢れた農村に育ちながら、高度成長という時代の波に流されるままに私は故郷を捨て、都会や海外に飛び出しました。企業戦士としての充足の日々の一方、今思えば心底にやや違和感がつきまとっていたようにも思います。

 病を得て仕事を離れた後、芭蕉や石田波郷の俳句は、私を心和む美しい季語に満ちた日本、帰るべき心の故郷へと連れ戻してくれました。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


   十薬の白光まとひつつ濡るる     公二

   盆供みな片し生者の家となる

   息災をたまはる軽さ鉾粽

   贄の羽散る一瞬の鷹の空

   知覧緑風弾倉に鉄崩ゆる

   サクラサク命惜しめと言はざりき

   母いまさず底紅一枝ごと一花

   白地着て遠国に星流るるか

   鳥渡る国の数だけ国境

   その上に風の生まるる秋の水

   目に享けて詩片のごとし能登の雪

   まなうらの飛雪東北震災忌

   蟷螂に枯るる日向をたまはれり

   綿虫とゐる残照の消ゆるまで


  土方公二(ひじかた・こうじ) 1948年、兵庫県宍栗市生まれ。



★閑話休題・・土方公二「累々と形代さびしさに水漬く」(『俳句劇的添削術』より)・・


 井上弘美著『俳句劇的添削術』(株・KADOKAWA)、帯の惹句には、


名句に変わる!/プロの発想力/一音一語を無駄にしないー/「ことばの力」を最大限に発揮する/驚きの技術を添削から学ぶ!


とある。そして「はじめに」では、


 (前略)添削は、ある一つの型の中に作品を押し込む危険性があることは重々承知していますが、作者とともに、よりよい作品を模索する手段として、これほど有効な方法はないと思っています。(中略)

 ここに収めたのは私の主宰する俳誌「汀」に連載中の「推敲のエチュード」です。作者自身が一句を成立させるまでの推敲過程をたどることで、客観的に作品を眺め、それに対して私がコメントを書くという形式で、毎月一回、約八年間続いています。


 とあった。愚生が注目したのは「原句」があり「成句」があり、井上弘美の「添削」作品が記されていたり、また「添削1」「添削2」があったり、また、「別案1」「別案2」があったりすることである。ちなみに、土方公二の例では、原句は「形代(かたしろ)のくつがへりゆく夜の小川」からの推敲過程は「形代のゆき寂しさをつのらせる」→「累々(るいるい)と形代沈みゆく淋しさ」であり、成句は「累々と形代さびしさに水漬く」である。しかし、ここで、最後に示されたのは、井上弘美の「別案」として、「『淋しさ』を外し、『夜』を復活させた『累々と水漬く形代夜の雨』」。そして、土方公二句集に収めれた句は、「別案」ではなかった。井上弘美が「別案」というときは、読者によっては、評価が分かれるであろう、と思われる場合のようだ。愚生も「別案」の方が、句の型が整うようにおもわれるが、ここでは、土方公二のこだわりのさびしさの表現に、共感する。「別案」には、主宰としての強制は働いていないのだ。いいことだと思う。



    撮影・中西ひろ美「こんにちはさよなら一回だけの幸」↑

2022年9月26日月曜日

高山れおな「秋簾撥(かか)げ見るべし降るあめりか」(「俳句界」9月号より)・・ 


 「俳句界」9月号(文學の森)、特別企画は「安原葉インタビュー」、あと特集の一つは「私の俳句大原則」。自作句1句と論を、総勢19名が執筆している。ブログタイトルにした高山れおな「秋簾撥(かか)げ見るべし降るあめりか」には、「私の大原則『深・擬・麗・痴・新』」の題のもとに、


 「仁義礼智信」と地口になっている。儒教の五徳ならぬ(私の)俳句の五徳だ。深普通はシンだが、古くは深秘(しんび)をジンヒ、甚深(じんしん)をジンジンとも言ったので、やや無理やりながらジンということにさせてもらう。(中略)

 私は初期には本歌取りを盛んにやっていた。左に掲げた九・一一事件を詠んだ旧作もその種のものだ。長らく離れていたその技法に再帰したい気分もあるし、地口によって俳句大原則を示したのもそれゆえのこと。語呂合わせこそ本歌取りの基底にあるものだからだ。五つの価値の実現はおのおの異なる。自分の俳句に最も欠けているのは何か。それは深であろうと今は思っている。


 と記されていた。他に、興味を惹かれたのは、タイトルでいうと、池田澄子「既成の評価基準に阿(おもね)らない」、鳥居真里子「俳句は詩であり、体質が生む言葉である」、津川絵理子「原則を持たない」、堀田季何「俳諧自由」、福田若之「自身の手になじむものを書くこと」あたりであろうか。その福田若之は、


(前略)「口語」の書き手と思われている節もあるけれど、僕自身としては、あくまで書き言葉の「言文一致体」というほうがしっくり来る。連用形の「ず」など、口語的でなくとも言文一致体にふつうにみられる言葉は、僕もしばしば句に置く。(中略)

 そうやって、なじんだものが手元に残る。いわゆる国語とは別に、僕自身にとっての母語が、こうしてかたちづくられていく。


 と述べている。また堀田季何は、


 (前略)二十一世紀において、「俳諧」は、近現代の狭い範囲に捉われてはならないことや俳諧の精神を忘れてはならないことも示す。また「自由」も大事で、何から自由なのかを常に念頭に置いておかなくてはならない。


 と記している。ともあれ、以下に、執筆陣の句を挙げておこう。


  産土はいつも痣色夕焼雲         安西 篤

  葉桜の隙間隙間や光は愛         池田澄子

  神小さきものに宿れば吾亦紅       岩岡中正

  椿一輪からだからああ、出てゆかぬ   鳥居真里子

  いつもかすかな鳥のかたちをして氷る   対馬康子

  雷鳴に大江戸の空縮みゆく       稲畑廣太郎

  水鱧やふたりつきりの祝賀会       小林貴子

  見えさうな金木犀の香なりけり     津川絵理子

  立小便も虹となりけりマルキーズ   マブソン青眼

  消しゴムに小暗い栗鼠をからめとる    鴇田智哉

  抽象となるまでパセリ刻みけり      田中亜美

  霧越えて霧乗り出してくる霧は      堀本裕樹 

  血のあぢは塩と電気とすこし秋      堀田季何

  子にほほゑむ母にすべては涼しき無     髙柳克弘

  母の目へ耳へ雷来てをりぬ        中山奈々

  てざわりがあじさいをばらばらに知る   福田若之

  人白くほたるの森へ溶けきれず      浅川芳直

  金蝿や夜どほし濤の崩れ去る       安里琉太 



         撮影・芽夢野うのき「金秋の記憶の扉ひらく無患子」↑

2022年9月25日日曜日

種田山頭火「どうしようもないわたしが歩いてゐる」(「新・黎明俳壇」第6号より)・・

 

 「新・黎明俳壇」第6号(黎明書房)、特集は「尾崎放哉VS種田山頭火」、「本特集では、気鋭の俳人8人に、伝記によらず俳句の言葉に即して鑑賞をしていただきました。二人の俳句は武馬久仁裕が選び、組み合わせました」とあった。その気鋭の執筆陣は、赤野四羽・山本真也・川島由紀子・千葉みずほ・山科誠・川端建治・なつはづき・横山香代子。ここは「豈」同人のなつはづきの鑑賞文の一部を紹介させていただこう。放哉VS山頭火の句について、


 雑踏のなかでなんにも用の無い自分であつた   尾崎放哉

 一読「大衆の中の孤独を思った。こんなに人がいるのに自分はそこに用はない。(中略)

 「ない」という否定形が「孤独感」を演出しているが、実はこういう雑踏には特に何のかかわりあう理由もない、関わりたくない、という意思表示なのかもしれない。それでも句の中に雑踏(他人)を詠み、どこかで繋がっていたいという複雑な心持を、「自分であつた」と客観視するような視線で眺めている。


どうしようもないわたしが歩いてゐる      種田山頭火

 情報量の少なさで言うと、山頭火のこの句の方が勝っている。何せ「わたしのことし書いていない」のだ。「どうしようもない」は誰の判断なのか。(中略)

 わたしが「ゐる」ではなく「歩いてゐる」と動きを与えることで、逃れたいものの存在を読者に彷彿させる。そう思うと逃げるのも何処かへ向かうのも大差はないのだ。


 と述べている。以下に「黎明俳壇」の特選句とユーモア賞の句を紹介して、挙げておきたい。


 アクリル板で仕切られている雪催   安城市  笘原敏郎(第31回)

 う~寒むと帰れば母の熱いお茶    京都市 梨地ことこ

 春の湖外輪船の動き出す       大津市  近江菫花(第32回)

 岸辺まで五千歩ウオーク鳥帰る    豊田市 甲斐由美子 

 丘ひとつ消え炎天の住宅地     名古屋市   真美子(第33回)

 天の川今宵こそはと手を重ね     岐阜県  中島和也



★閑話休題・・鈴木しづ子「好きなものは玻璃薔薇雨驛指春雷」(「なごや出版情報」第6号より)・・


 表紙に、「おっとどっこい/東海でがんばる出版社あつまれ!」「東海の出版社12社が集結!(愛知・岐阜・三重)とある。このフリーペーパーの黎明書房の見開き2ページの片側一頁に、武馬久仁裕のエッセイ「鈴木しづ子拾遺③」がある。その中に、

 

 鈴木しづ子の有名な句の一つ「好きなものは玻璃薔薇雨驛指春雷(はりばらえきゆびしゅんらい)」を情景から読んでみました。いかがでしたでしょうか。

 現在、九月末刊行を目指し、松永みよこさんとの共著『鈴木しづ子の100句』を制作中です。


とあった。乞うご期待!!


 ここで、『鈴木しづ子100句』に入っていない句を、紹介しましょう。

 実は、彼女は、昭和二十七年に失踪するのですが、確認できる最後の住まいは、名鉄各務原(かがみはら)線の新那珂(しんなか)駅(岐阜県各務原市)へ歩いて行ける距離にありました。

 また、そこは、米軍基地があった各務原飛行場の近くでもありました。

  新涼の新那珂町や兵過ぐる     しづ子

 


       撮影・鈴木純一「おおぜいの神や仏や露むすぶ」↑

2022年9月24日土曜日

川名つぎお「ひたすらに緑うねるや捨て故郷」(第155回「豈・東京句会」)・・



 本日は、隔月開催の「豈」第155回東京句会だった。愚生は、ほぼ三年ぶりの「豈」句会で、皆さんと、久しぶりの対面になった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。

  夜ごと掘る核シェルターや虫時雨       川崎果連
  長月やぼくは吹雪の峠だった        川名つぎお
  虫の音や火影の漏れに紛れ込む       小湊こぎく
  遺影からバッハハ短調の記憶         早瀬恵子
  いぼむしりひねもすシャドーボクシング   杉本青三郎
  月の舟西へようそろ独り言(ご)つ      金田一剛 
  曇天の芒野叫ぶ気にもなる         伊藤佐知子
  死に憑ける秋意とならん桂の樹        大井恒行



         

★閑話休題・・成沢洋子「稲田へと迸る潅水まぶし」(府中・中央俳句会ー府中市中央文化センター地域文化祭)・・


 9月24日(土)、25日(日)は、府中市中央文化センター地域文化祭だった。その中に「府中・中央俳句会」という自主グループの短冊が飾られたコーナーがあった。愚生がコロナ前に、句座をともにした成沢洋子の句をみつけた。それぞれの短冊は名のみがしたたためられていたが、「ひろし」という名は、かつて議員だった常松ひろしであろう。以下に、数人のみになるが、句を挙げておこう。

  秋めくやこれ程までに草の丈      洋子
  はつかなる色を咲かせて草の花    由志美
  コロナ禍や秋の孤独と向き合いて   とみこ 
  団十郎朝顔に在る物語        ひろし
  おしろいの漲る路地に夕明り     けい子
  空蟬の睡る葉裏として緑        康利
  海鳴りに朝顔の紺波立てり       知子       

  

     撮影・中西ひろ美「いそがずに青を究めているらしき」↑

2022年9月23日金曜日

関根道豊「猫じゃらし風をからかふ奴のゐて」(『三年』)・・・


 関根道豊第二句集『三年』(牛歩書屋・こんちえると叢書2)、著者「あとがき」に、


 大牧先生の最後の序文をいただいた第一句集『地球の花』上梓(2019年8月15日』から3年を数えようとしている。この3年は、『地球の花』のあとがきに記した三つのテーマ詠「東日本大震災と福島第一原発事故」「九条俳句不掲載事件」「辺野古の闘いの支援」の内、最初の年明け(2019年)に「九条俳句」が公民館だよりの2月号に掲載され、解決した。しかし、残す二つは引き続き詠むべき重い課題(第二句集)として残された。(中略)

 2017年11月から紙上勉強会の通信紙「こんちえると」を始めていた私は2019年7月、終刊後の全国の仲間を繋ぐ俳句通信紙として「こんちえると」に雑詠蘭(一句)を設けて再出発した。そうして3年が経った。


 とある。その結びには、「私の『日々の生活の中で出合う感動や疑問を五七五の韻文に記録し己と時代を見つめる』俳句への、大牧広先生の『地球上に何がおきているか、しなやかな詩精神で詠む』指導は、この3年の、この先も叱咤激励し放さない」としてあり、、本集名に因む句、


  三年の吾をはげます晩夏光               道豊


 が置かれている。ともあれ、集中より愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  太文字の核廃絶のいかのぼり

    大牧広逝く

  釋広慧発つ日の穀雨降り止まず

  母といふ全き師あり衣被

  公文書シュレッダーに消ゆ帰り花

  ジェンダーを雪女にも問うてみる

  除染なき浪江の蔦の茂りかな

    悼鮫島恵利子

  待つてゐし兄と娘や吾亦紅

  肌色の消えしクレヨン文化の日

  軟禁のスー・チー梅雨の誕生日

  九月一日虐殺といふ震度

  行けど行けど棄民の色の芒原

  白鳥の見せぬ一つに足の色

  三月三日百年の水平社

  被爆国「核共有」の四月馬鹿

    祝『大牧広全句集』上梓

  すててこの十四句ある全句集


 関根道豊(せきね・どうほう)1949年、埼玉県生まれ。



★閑話休題・・月刊 俳句通信紙「こんちえると」第58号・・

 「こんちえると」第58号(牛歩書屋主人)、副題に「私と時代を視つめ 生きている証しを詠む/詠みと読みの協奏/いのちの一句募集」とある。本号のトップ記事は転載で小西昭夫「大牧広の滑稽俳句(一)」。愚生として、興味深かったのは池田和人「終刊前後のこと」で、「港」終刊からの現在、大牧広系の俳誌の誕生について、詳細に記されていることであった。  



    撮影・芽夢野うのき「いつよりの晴れ女らしさびしかり」↑

2022年9月22日木曜日

岡井隆「死について語り合ふこと多し。死は生の完結なりやそれとも?」(『あばな/阿婆世』)・・

 

 岡井隆遺歌集『あばな(阿婆世)』(砂子屋書房)、本書「あとがきにかえて」は未来短歌会。その中に、


 この歌集は岡井隆の三十五番目の遺歌集となります。

 岡井隆が亡くなったのは二〇二〇年七月十日、九十二歳の夏でした。

 二〇一七年十二月に胃癌による胃切除の手術を受け、それ以降は総合誌などからの依頼はほとんど断っていたそうです。(中略)

 中断ののち再開された「未来」への作品は、再録や改作などの掲載が多くなっていきましたが、ニ〇年二月号から同六月号までは新作を発表。奇しくも五月号と六月号のタイトルは「死について」。絶筆となった六月号の最後は、

  ああこんなことつてあるか死はこちらをむいててほしい阿婆世(あばな)といへど

という歌でした。歌集のタイトルはこの歌から「阿婆世」をいただきました。ルビにある「あばな」は、岐阜あたりの方言で「さようなら」の意味のようです。岡井が幼年期を過ごした名古屋でもつかわれていたのでしょうか。真偽はわかりませんが、「あばな」という語感は、最後まで韻律にこだわり続けていた岡井隆の遺歌集にふさわしいと思われます。


 とあった。愚生は若き日、実行委員の一人で東京での開催の現代俳句シンポジウムに、岡井隆と三橋敏雄の対談が実現したとき、岡井隆が「日野草城はもっと見直されていい俳人である」と語っていたことを思い出す。それから、何十年後か、夜遅い総武線の三鷹終点の電車で偶然に対面の席に座られていた。本書のエッセイ「未来編集後記」によると、三鷹の陽和会病院に通われていたことが出ていた。実は愚生も14,5年前に尿路結石の手術を受け、もろもろの持病で、現在も定期的に通っている(泌尿器科では名医らしい。というのも、愚生の手術は、もともと武蔵野赤十字病院で行われたが、上手くいかず、そこからの紹介状で、あらためてのやり直し手術を陽和会病院現院長にしてもらった。病院には、当時の天皇皇后両陛下の訪問の写真が飾られていた)。ともあれ本集より、愚生好みに偏するが、いくつかの歌を挙げておきたい。


 背後には軍の動きがあるやうだどの石もどの石も蒼白

 明日癒(あすいや)されるなどと思ふな虹色(にじいろ)の渇きを疑ふがよい

 境涯(きやうがい)つて石があるのを忘れるな夜明けとそして 朝のあひだに

 死といふはあんな翼を持つのかも知れぬ蒼ざめて空を飛んでる

 そして今日胃カメラを待つ肉体は卒寿にちかくおびえ止まざる

 花たちが唱つてるなんて残酷な嘘だかれらは暗い、ぼくより

 母校つて アンビバレンツな存在だ さういへば母(はは)つて常にさうだが

 流れてるのは見えるけどその水は僕のところまで来ることはない

 しかし、なあ、門は正午にひらくつて安うけあひはあぶないよ、君

 門はゆつくり開(あ)きつつ門番の君は見送るだけだとしても

 室内のフロア歩きのノルマでは「箱根の山は」を唄ひつつ行く

  

 岡井隆(おかい・たかし) 1928年1月5日~2020年7月10日、愛知県名古屋生まれ。



★閑話休題・・江田浩司著『前衛短歌論新攷』・・・

 江田浩司『前衛短歌新攷』(現代短歌社)、副題に「言葉のリアリティーを求めて」とある。本書第一章は「岡井隆論」である。第二章「山中智恵子論」、第三章「浜田到論」、第四章「塚本邦雄論」、第五章「玉城徹論」、第六章「言葉のリアリティーの探求」。600ページを超す大著である。その岡井隆論には「蒼白の馬との遭遇ー哀悼 岡井隆」が収められている。その中に、


  〈あゆみ寄る余地〉眼前にみえながら蒼白の馬そこに充ち来(こ)

この歌に出会うことがなければ、私は短歌を創作していない。当時、俳句の結社に所属していた私は、現代短歌にまったく興味がなかった。(中略)

 岡井さんがお亡くなりになったのは、私が「現代短歌」九月号の掲載稿「岡井隆はなぜ詩を書くのか」(本章Ⅱ節)の最終チェックをした日である。私は拙稿によって、密かにお見送りをしていたのだと思った。


とあった。また、本書の「追いがき」の結びに、


 私が拙著によって思考したものは、第一に、「言葉のリアリティー」である。短歌詩型による言葉自身のリアリティーの実現ー私はそこに、詩としての短歌の究極の姿を見ている。それこそが、真の前衛短歌の姿だと思っているのである。その真の姿は、レトリックを通して、レトリックを超克するところに拓かれる。表現や意味の整合性の解体や脱臼が、言葉の現われとイデアとの関係性の下で、いかなる現象を表象するのか。詩としての短歌と真の前衛短歌は、この問題を抜きにしては成立し得ない。


と記されていた。



    撮影・鈴木純一「はつあらし抱きとめられて横にされ」↑

2022年9月21日水曜日

黒田杏子「長命無欲無名往生白銀河」(『黒田杏子の俳句』より)・・


  髙田正子著『黒田杏子の俳句』(深夜叢書社)、帯文は黒田杏子、それには、


 俳句に夢中になり/ひたすら打ち込み/この国を駆け巡った頃から

 今日に至るまでの/黒田杏子の俳句作品に/再見が叶いました

 髙田正子さんの友情と/力業に感謝を捧げます


 とある。また、惹句には、


 杏子のエッセイや先達の名句を自在に描きながら、テーマ別に杏子俳句の背景を探索し、

 作品の魅力を緻密に、そしてスリリングに読み解く。


 とあった。本年1月号の「藍生」には、髙田正子「テーマ別黒田杏子作品分類/『先生の〇〇』の連載を終えて」が掲載されているが、本書の「あとがき」に、ほぼ同じ内容でしるされている。「藍生」誌には、最後に「ブログには三年分の分類を掲載している(URL=https://bunrui2019.exblog.jp/)」とある。

 ブログタイトルにした句「長命無欲無名往生白銀河」は、「ちちはは」と題された項目中にあり、髙田正子は以下のように記している。


  (前略)中でもこの句は絶唱である。

        九月十九日・二十六日放送「BS俳句王国」にて発表

        亡き母

    長命無欲無名往生白銀河           平成二十三年『銀河山河』


この句を掲げ「長命無欲無名の母の導き」と題するエッセイがある。


  父は88歳、母は95歳で文字通り大往生。(略)母が私を産んだのは31歳のとき。明治   40年生まれにして母はめったに居ない女性であったと思います。

  若い時から短歌に打ち込み、戦時疎開で東京から父の郷里・栃木県で暮らすようになってから俳句に打ち込み、亡くなる間際まで句を作り、句集も2冊だしております。謙虚で人に尽くす人でした。(略)常に私を前へ前へと導いてくれる存在でした。

                 (「母のひろば」六六五号、ニ〇一九年十月発行)


このエッセイは主に母に献じられているが、句は「父母のこと」であると明確に記されている。「藍生」二〇二〇年一月号の主宰詠「柚子湯して」に、

   柚子湯して父に傳(かしづ)く母若し

   柚子湯して父兄弟の順に

   母若し勁し柚子湯をさつと浴び

とある。(以下略)


 「藍生」誌に2018年10月から、4年間に渡って連載された本書は500ぺージを越す大冊である。黒田杏子のほぼ全容をうかがい知ることができよう。ともあれ、以下には本書中より、いくつかの句を挙げておこう。


  白葱のひかりの棒をいま刻む

  この冬の名残の葱をきざみけり

  きのふよりあしたが恋し青螢

  一の橋二の橋ほたるふぶきけり

  ほたる呼ぶ間も老いてゆくたちまちに

    母 齊藤節 満齢九十五

  なつかしき広き額の冷えゆける       

  ちちはもうははを叱らぬ噴井かな

  暗室の男のために秋刀魚焼く

  子をもたぬ四十のをんな地蔵盆

  一人より二人はさびし虫しぐれ

  母とならねど母ありし日の母の日や

  花を待つずつとふたりで生きてきて

  生くること死ぬことはなを待つことも

  身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな

  暗闇の大地の揺れを糸櫻

  ひるがほに暾(あさひ)おとうとの忌が近し

    仁平勝さんサントリー学芸賞

  俳句が文学になるとき十三夜

  原発忌福島忌この世のちの世

  あたたかにいつかひとりになるふたり

  

 髙田正子(たかだ・まさこ) 1959年、岐阜県岐阜市生まれ。



    撮影・中西ひろ美「国境やだれもさわらないでください」↑

2022年9月20日火曜日

加藤郁乎「とりめのぶうめらんこりい子供屋のコリドン」(『俳句再考』より)・・


 

 林誠司著『俳句再考~芭蕉から現代俳句まで~』(俳句アトラス)、その「あとがき」に、


 「俳句再考」というタイトルを付けたのは、芭蕉の時代から三百年以上、正岡子規から百年以上経っているが、現代俳句がより大きな文芸になtれいるかと考えると心許ないと考えたからだ。

 何より気になるのは芭蕉が言ってもいないこと、子規や虚子が言ってもいないことが勝手に伝統化、ルール化されていることだ。芭蕉も子規も俳句をもっと大きく考えていた。我々も俳句を大きな文学として考えたい。その為にもう一度俳句の素朴な疑問を考えてみる必要がある。


 とあった。また、帯文は、ふけとしこ、


 林誠司は歩く人である。

 即ち考える人でもある。

 揺るぎない芭蕉への思い、

 俳句への思い。

 緩急の効いた文章は時に

 辛辣であるが心地よくもある。


 と惹句されている。第一章「俳句とは何か」、第二章「俳句の諸問題」、第三章「自己流俳句観、俳句史観」、第四章「近現代俳句考察」、第五章「俳句の鑑賞について」、第六章「俳句と人生」と章立てしてあるが、読者は、どこから読んでも良い。林誠司は、俳句総合誌の編集を長年手掛けてきて、愚生とは、一緒に仕事をした時期があるが、随分と視野が広くなった印象である。ともあれ、一か所のみであるが、第一章「俳句とは何か」の「俳句は創造力~芭蕉に以下に見る作句の方法」の部分を、以下に、引用して紹介しておこう。


 芭蕉の俳句は「想像力」「創造力」から生まれている。「芭蕉は景色なんか見ちゃいない」と言ったのは作家・嵐山光三郎さんだが、それはだいたい当たっている。正確に言えば「現実の風景」を窓口とし「̪詩風景」へと想像力をはばたかせる。それが芭蕉の作り方だ。

   夏草や兵どもが夢の跡

「夏草」という現実風景から源義経、弁慶、奥州藤原氏の興亡へと想像力を羽ばたかせている。夏草の騒めきの中に、つわもどものおらび声や馬の蹄の音等を創造したのである。 


 この一章の結びには、


 要するに俳句は「言葉のオブジェ」なのである。言葉の彫刻と言ってもいい。ルールやセオリーも大事だが、詩である以上感覚、感性は尊重されるべきだ。多少の変則はあっていい。言葉、表記も詩を作る為に重要なのである。


 とある。興味ある方は、直接、本書にあたられたい。最後に文中に引用されている、いくつかの句を、アトランダムになるが挙げておこう。


  旅に病で夢は枯野をかけ廻る     松尾芭蕉

  しんしんと肺碧きまで海のたび    篠原鳳作

  林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき 寺山修司

  菜の花や月は東に日は西に      与謝蕪村

  紫陽花に秋冷いたる信濃かな     杉田久女

  ひとたびの虹のあとより虎が雨   阿波野青畝

  降る雪や明治は遠くなりにけり   中村草田男

  梅雨近き用や葛西にわたりけり    石田波郷

  たんぽぽのぽぽと絮毛のたちにけり  加藤楸邨

  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典

  裏がへる亀思ふべし鳴けるなり    石川桂郎


林誠司(はやし・せいじ)196年、東京都荒川区生まれ。


             アトリエグレープフルーツ3人展↑

                 小島顕一展↑

★閑話休題・・アトリエグレープフルーツ3人展「吉田廸子・小島顕一・井坂奈津子」2022.10.2(土)~16日(日) 12時~19時(木曜休廊・最終日は17時まで)、於:ぎゃらりー由芽&由芽のつづき(三鷹市下連雀4-15-2-101、TEL0422-47-5241・三鷹駅南口より徒歩6分)・・


 小島顕一「アトリエグレープフルーツと武蔵野葦ペンクラブの事」には、


今から14年前、吉祥寺の吉田廸子の家に友人たちが集まっていた。その頃は吉田廸子も元気だった。あと20年、90歳までできると定年後のライフワークの構想を力強く私たちに語っていた。その集まりをアトリエグレープフルーツと名付け活動が始まった。

地域に開かれた「文化活動の場」を創る、それが彼女の夢だった。(中略)

そして私たちは週末ごとに近所の公民館で葦ペンの画のデッサン会を公開でやる事になった。彼女が会長となり武蔵野葦ペンクラブと名付け、何度続けたか記憶は薄れてしまったが、時たま公民館に遊びに来ていた小さい女の子が飛び入りで参加して道端に咲いていた花の絵などを一緒に描いたことを思い出す。


  とあった。愚生も少しは出歩ける状況になったので、ボツボツ足を運びたいと思っているところである。



      芽夢野うのき「一重八重木槿のまわりを遠くいる」↑

2022年9月19日月曜日

豊里友行「蓮の実が飛ぶピストル社会は嫌よ」(『母よ』)・・


        右側は、讀賣新聞・6月10日夕刊ー本集所収「命どぅ宝」5句↑


 豊里友行句集『母よ』(沖縄書房)、装幀と句の英訳は松本太郎。その「あとがき」に、


  (とー)ぬ世(ゆー)から 大和(やまとぅ)ぬ世(ゆー) アメリカ世(ゆー) ひるまさ変(か)わたる 此(く)ぬ沖縄(うちなー)

                       「時代の流れ」(嘉手苅林昌)より 

 ちょうど沖縄戦のときに私の母は赤子だった。記憶にはないが、戦争に巻き込まれていたことになる。私の母が祖母から聞いた話によると祖父の父がヤンバル船をもっていたこともあり、沖縄県北部へ避難していったのではないかと推測される。(中略)私の祖父は、この戦争が終わったらどんな良い時代が来るかもしれないからと赤子だった母を生かしておきなさいと逃げ回って生き延びた。私が、こうして生きているのも赤子だった母の命が生きながらえたことで紡がれていることを考えさせられた話だ。(中略)

 現在の沖縄は、太平洋の要石で捨石でもあった軍事要塞化していった島の沖縄戦前の歴史をくり返しように再び戦争の道を歩み始めているようだ。戦火を逃れ逃れていた赤子のように昼寝をしている母をみつめている。


 とある。ともあれ、愚性好みに偏するが、集中より、いくつかの句を挙げておこう。


  じぶんで決めることの喜び花きりん      友行

  若夏が沁みる埋立だらけの島

  この虹も国境線の鞭ですか

 

  荒星も

      織る蝶の風

  海原も

 

  みんな巻き込む十・十空襲の蜻蛉

  団栗の独楽は宇宙の音符なり

  竹節虫が出会えば兄弟(いちゃえばちょーでぇ)の輪を描く

  

  戦争は嫌っ

  これでも食らえ


  春だ


  要塞と化す琉球弧の針千本(アバサー)

  核の世を泳ぐ鯉のぼりの目玉

  骨の代わりの石を拾うよ夏至南風(カーチーベー) 

  遺影が並ぶ中を眼が泳ぐ

     喜怒哀楽も刻んで苦瓜(ごーやー)ちゃんぷるー


 豊里友行(とよざと・ともゆき)1976年、沖縄県生まれ。




★閑話休題・・・豊里友行写真集『沖縄にどう向き合うか』(新日本出版社)・・


 豊里友行写真集『沖縄にどう向き合うか』(新日本出版社)、チラシに「沖縄復帰50周年/苦悩と祈り、記憶と継承、悲しみと決意ー米軍基地の重圧にあえぐ故郷を記録し続けてきた気鋭の写真家が、今の沖縄と沖縄戦の時代に共通するものを見据えた写真集。109点のモノクロ写真が現在の沖縄の空気と人々の願い、思いを伝える。戦時下に起きた強制集団死に注目、戦争と軍隊の本質をすべての日本人に問いかける。復帰後の沖縄で生まれ育った写真家の思い」とある。

 ◎定価:2400円プラス税/A4変型/128頁 好評発売中。(愚生は、図書館にリクエストした)



       撮影・鈴木純一「重力は甘い不可説不可説転」↑

2022年9月17日土曜日

遠藤由樹子「冬の薔薇牛乳よりも静かなる」(「オルガン」29号より)・・

 


 「オルガン」29号(編集 宮本佳世乃・発行 鴇田智哉)、その座談会は「遠藤由樹子句集『寝息と鳥』(朔出版)を読んでみた」。その中に、


(前略)鴇田 何かになぞらえるみたいなものは、感覚として特異というか。〈冬の薔薇牛乳よりも静かなる〉は、静かさというものを牛乳で表現している。冬の薔薇と牛乳って、この人ならではの思いつき、結びつけだから。こういうものが結構あったね。

福田 いわゆるこう隠喩的な発想というか、比喩的な発想が結構多くて。そこは多分鍵和田秞子さんから繋がっている文脈の中でそうなってきたかなっていう印象を受けますね。鍵和田さんは隠喩的なモチーフでやってる句が多い気がしますね。

宮本 〈冬の薔薇牛乳よりも静かなる〉などは、かなわないなって感じがしますね。

鴇田 もしかしたら、たまたまそこに牛乳があってできたのかもしれないんだけど、こういうふうに結びつける、ひとつのレトリック。

福田 この句は人によって刺さるか刺さらないか随分違うんじゃないかな。僕、実はそこまで刺さらない。いや、悪い句じゃないと思うんだけどね。

宮本 薔薇と牛乳が一緒の空間にあったのかなと思ったんだけど、句になるととても面白い。

福田 目を惹く句ですよね。どうしても「よりも」が出てくると、富澤赤黄男の〈ペリカンは秋晴れよりもうつくしい〉が頭をよぎるんですよ。違う句なんですけどね。あれに比べると、薔薇と牛乳の対比は、僕にはそこまで魅力的に思えなくて。


 とあった。あと、「オルガン」では、初めての両吟だという、浅沼璞と鴇田智哉の「オン座六句」がある。表六句のみになるが、以下に紹介しておきたい。福田若之の「留書」の最後には、「巻末の花の短句から挙句までの三句の運びは、蕪村『此のほとり一夜四歌仙』の其のニの巻を敬してのこと。蕪村の一巻と合わせて読むと、花橘の袖のことなども遠く思われて、反物のしおりがまたひとしお深まると思います」と結んでいる。


   オルガン連句 両吟バージョン

   脇起オン座六句「頭の中で」の巻

 頭の中で白い夏野となつてゐる    高屋窓秋

  奥へつらぬく蜘蛛のひとすぢ    鴇田智哉

 倍音のギターはてんてんと参じ    浅沼 璞

  オーディエンスが騒ぎはじめる     智哉

 月蝕に興味がなくて飲める酒        璞

  木賊をはかる為のものさし       智哉 


同誌同号より、同人の一人二句を挙げておきたい(二句目はテーマ詠(「人物」)。


  音楽がひゅるるる木耳になった     田島健一

  水に手を入れ噴水を直す人         〃

  袋角またはふたつの手のかたち     鴇田智哉

  かほ洗ふときドローンの来てゐたる     〃

  うつむけばずっと昼顔くじけそうだ   福田若之

  声はとらつぐみあの灯もきっとひと    〃

  家族の写真遠雷の一度きり      宮本佳世乃 

  いうれいがお腹を見せて立つてをり    〃



撮影・中西ひろ美「世の中が少しつらいと思うとき五七五と七七がある」↑

2022年9月16日金曜日

川崎果連「少年はプラトニックに桃を剥く」(現代俳句協会「金曜教室」第4回)・・


  本日、9月16日(金)は、現代俳句協会「金曜教室」第4回だった。当季雑詠2句持ち寄り。句会開始前に、白石正人句集『泉番』からの俳句絶叫(朗読)の録音盤を皆さんに披露していただいた。先般、福島泰樹の短歌絶叫コンサートにゲスト出演したときのものだ。好評だった。さらに、朗読についての感想も多く寄せられて、話は活字メデアとは違う、句の有り様まで及んだ。

 一方、句会の方は、愚生の句はいずれも無点で、もともと、句会においての点盛りは気にしていないとは言うものの、一点も開かないのは、よほど愚生の句が、共感にほど遠いか、全く理解できないほど句がダメなのか。できれば、格のある味わい深い句をめざしたいのだが・・・。いやいや、愚生の句に比して皆さんの句の出来がはるかに良かったということであろうと思う。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。


   新涼や水平線を上手く引く          村上直樹

   身に沁むや詐病の人を棄てられず       白石正人

   気化をする風の切れ目の赤とんぼ       森須 蘭

   空高し足の舵取る漁師かな          杦森松一

   鬼の子に見張られている秘密基地       宮川 夏

   野分あと二級河川のダダイスム        川崎果連 

   シベリアの青空美しと雁のこゑ        山﨑百花

   白まんじゅしゃげ赤組に紛れ込む       鈴木砂紅

   舌骨をゆるめ二百十日の聲          林ひとみ

   秋に棲むアンニュイ辿り日和下駄       多田一正

   鷹渡る胸筋耐える夜の嵐           赤崎冬生

   幾つまで生きても答え五里霧中        武藤 幹 

   北病舎担送車ゆく秋灯火           高辻敦子

   蜉蝣(かげろう)はは無駄に生きない口がない 岩田残雪

   欲望のバスにも乗れず秋夕焼         石川夏山

         竜田姫ふうっと吹きかけ山染める       植木紀子

   花野ゆく行方不明に鳥たちは         大井恒行 


次回、第5回金曜教室は、10月21日(金)午後1時半~4時、当日席題即数題数句の予定。



★閑話休題・・橋本照嵩「瞽女 7点展示」(日本橋高島屋本館6階美術画廊)9月14日(水)~19日(月)。・・・

 橋本照嵩の「瞽女 11×14 7点展示」が日本橋高島屋本館6階美術画廊で、日本橋高高島屋美術部秋の巡回展として開催される。お近くにお出かけの際は、是非立ち寄って見られたい。 



      撮影・芽夢野うのき「あらあらとおしろい畑に沈む鳥」↑

2022年9月15日木曜日

広野草雄「盆花に恰好 俺の育成アキノキリン草」(「主流」650号より)・・


 「主流」650号(主流社)、その編集後記に、田中陽は記している。


 安倍元首相の争議を「国葬」とすると政権が発表したとき、咄嗟に僕は少年時代の山本五十六元帥の国葬を想起した。あの時は戦争中で、国家権力が国民の総て(・・)を戦争のために強制した時代で、僕ら少年までもそれに同調したものだったが、今は民主憲法の下の国民主権の時代、負の要素を抱え込む元首相を国葬(全費用を国民の税金で賄う)にしてよいか否かは小学生でもわかる筈です。


 と・・。特集は「広野草雄追悼」である「令和四年三月六日、老衰のため死去された。九三歳」とあった。追悼文は藤田踏青「土に根ざした作品群/広野草雄句集『雪柳』、川名つぎお「広野草雄が屹立ー句集『雪柳』を謝すー」、田旗光「親しみの山形、そして農」、伊藤眞一「生活者への讃歌」、荒木みゆき「広野草雄さねお悼む」である。その藤田踏青は、


   もっこの土が重すぎてからすの言葉わからない

 作句当時(昭和三〇年代)は社会性論議が盛んであり、そう言った意味でも「土」とは農民の血であり、「からすの言葉」とは高い処からの空虚な言葉と解しても良いのでは。つまりは身体から発せられた呻きのような句と考えられます。(中略)

   仕舞の籾袋かつぎ 夕日の拍手

   転作失敗 雉は一目散に逃げればいい

   米作りやめたこと知らず機械ら眠っている


 と記している。ともあれ、本誌より、一人一句を挙げておこう。


  争いのない国はないか社会科教室の地球儀   金澤ひろあき

  三日月が見えるそれだけのそれだけで       鈴木瑞穂

  こすもすの揺れ休耕の田を埋める         神谷司郎

  新藁濡らすまい にお積む父子の日暮れ      広野草雄

  詮索するな鏡の俺に言い聞かす          田旗 光

  余生とはまだいかぬ朝の味噌汁          植田次男

  戦車を避けて避けて南瓜の蔓           鈴木和枝

  そう言えば上皇様の誕生日           大須賀芳宏

  夏空はじまる水の息               野谷真治

  フェティシズム赤いポッチを押したがる     とくぐいち

  生きた日日翅に閉じてる秋の蝶         榎本有嵯微

  マスクで口封じ戦争がやってくる         坂部秀樹

  蔦兵士鉄条網を乗り越える            伊藤眞一

  嬉しくも淋しくも咲く花を摘む          鈴木喜夫

  空気ぬくとい エアコン付けても切っても     伊藤浩済

  炎天へ波間を駆けるうさぎ達           萩山栄一

  国葬や三輪明宏のヨイトマケ           田中 陽



       撮影・中西ひろ美「姫の行く先に野葡萄蛇葡萄」↑

2022年9月13日火曜日

柴田奈美「りんりんと蘂絶唱の曼珠沙華」(『イニシャル』)・・

            


  柴田奈美第3句集『イニシャル』(本阿弥書店)、帯の惹句に、


 まっすぐな眼差しーー

 それは「生」を希求することに宿るのだろうか。

 恵方を一直線に目指す滑走路、吉方を指さす落ち手套。

 先の見えない人生を切り拓く物象に導かれ、しなやかに、

 言葉を繰り出す著者、15年ぶりの最新成果。


 とある。また、著者「あとがき」には、


(前略)第三句集の出版は最近まで考えておりませんでしたが、姪や姪の子どもを詠んだ句、父の死を詠んだ句や、体調回復のために始めた社交ダンスの句も作れましたので、記念に出版することに致しました。

 装幀は、大好きなミュシャ風の薔薇の花をお願い致しました。薔薇は私の誕生花で、好きな季語の一つだからです。句集名は社交ダンスのイメージでカタカナ語にしたいと思い、句に使用した『イニシャル』と致しました。


 とあった。集名に因む句は、


   イニシャルのKにときめく古日記      奈美


 であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておこう。


   青嵐炎のごとく白馬佇つ

   コルク栓脆く砕けて夏猛る

   弁柄の褪せし明るさ初燕

   我が影の胸のあたりにダリア植う

   紅絹(もみ)擦りの音なり雪の降り出せり

   窓という窓を叩きて雪女

   じゃんけんのあいこ続いて蝶の昼

   秋の蝶紋のほころびかけてゐる

   天寿といふ言葉戴き冬銀河

   自画像の苦悩の皺や万愚節

   先行くは考の背広か囀りぬ

   種痘痕あらはに母のあつぱつぱ

   白鳥の首は哲学的に垂れ

   

 柴田奈美(しばた・なみ) 1958年、岡山県生まれ。



     撮影・芽夢野うのき「小さな美女も眠れ眠る月夜の森」↑

2022年9月12日月曜日

水原秋桜子「啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々」(「『夏潮』別冊/虚子研究号VolⅫ 2022」より)・・


 「『夏潮』別冊/虚子研究号 Vol.Ⅻ 2022」(夏潮会)、本誌は、当然のことながら、全編虚子にかかわる記事で構成されている。井上泰至「山本健吉の虚子評価」、岸本尚毅「川端茅舎『花鳥巡礼』について」、小林祐代「西山泊雲と虚子」、中本真人「戦時中の虚子の新作能について」、本井英「大正四年冬の虚子」などのなかから、ここでは、筑紫磐井「虚子と秋櫻子ー①秋櫻子の絶頂まで」に触れておきたい。 その論証のために、大正11(1922)年1月から昭和6(1931)年12月にかけての「ホトトギス」誌上における秋桜子と虚子の年表を17ページに渡って作成している。そして、「(2)雑誌のホトトギスにおける作品活動以外の評価」の項では、


 (前略』結論から言えば、大正11年から昭和6年において、ホトトギスは秋櫻子の重要性が高まり、特に後半期において秋櫻子がいなくてはホトトギスという雑誌が運営しえなかったであろうということである。他の有力な俳句作家はいても、雑誌運営の構成員としては秋櫻子は余人をもって代えがたい存在であった。これは一方的な関係ではなく、秋櫻子もこの時期のホトトギスに在籍したことで後の秋櫻子を確立するためにも不可欠であった。


 と述べている。詳細な論証なので、興味ある人は、直接、本誌に当たられたい。愚生としては、「漫談會」の部分で、短歌と俳句の写生論争(昭和4年7月・8月)における斎藤茂吉の虚子批判の部分を引用しておきたい。


 「原稿が届いてそのはじめの方を読んで見て、先づ和歌に対する鑑賞眼の低級なのに驚いてしまつたのである。特に俳人側の主役をつとめるべき位置にある虚子氏の、赤彦の歌に対する無理解、人麿歌集出の「あしびきの山がはの瀬の」歌に対する態度の幼稚さに至つては、僕はもはや多言する必要は見ないのである。」

 と以下具体的例を挙げて、長大な批判を進めている。ホトトギス誌上でこれほど激しい虚子に関する非難が載ったことはなかったようである。

 この茂吉との座談は、虚子の直接依頼により実現したらしい。(中略)

 これを以て以後の「満談會」は無難な話題(芝居、将棋、釣、青龍社〈美術〉、歌舞伎、山會〈文章會〉等に切り替えられ、15回をもって終了した。


 とある。ここで、話題をこの緻密な「【表】ホトトギス誌上記事:秋桜子・虚子年表」の制作過程についてだが、この年表作成にあたって、筑紫磐井は「国会図書館新システムを利用するー虚子と秋櫻子研究の例を踏まえて」(「俳句」9月号)を執筆している。それには、


(前略)国会図書館で五月十九日から「個人向けデジタル化資料送信サービス(個人送信)が開始されることにより、近代俳句研究に強力なツールが生まれることとなった。具体的には国会図書館の膨大な蔵書が自宅において手軽に読むことが出来るというものである。(中略)

 国会図書館のシステムが出来た経緯について少しふれておきたい。国会図書館の新システムが生まれるに当たっては書物の画像データが必要だ。その作成には膨大な手間と資金を必要とすることは当然である。(中略)本システムの当初の画像は、このマイクロフィルムが活用されていたと思う。

 実は明治初期の歳時記研究をしているとき、日本最初の太陽暦歳時記を発見し、それが国会図書館に所蔵されていることを発見した。能勢香夢著『俳諧貝合』(福井・酒井文栄堂 明治七年八月刊)である。論文執筆のため複写を依頼したが、古い本であるため複写はできないということで示された条件が、私の負担でマイクロフィルムを作成し、そこから複写するという提案であった。研究のためには必須の資料であるため了承したのだった。それを使って平成六年十二月「俳句アルファ」第9号「明治以降の季語と歳時記」、平成七年二月「俳句文学館268号「太陽暦と季語」、平成八年十月「俳句文学館紀要」第9号「明治七年・太陽暦歳時記の誕生」と立て続けに論文を発表した。その意味では近代俳句史に多少貢献できたと思う(尾形仂先生から評価していただいた)。しかし、『俳諧貝合』の複写を受け取るとき、国会図書館から一つの提案を受けた。私の負担で作成したマイクロフィルムを国会図書館に寄贈してもらえないかということであった。今後マイクロフィルムとして利用者に提供するためだという。此学の発展のためには拒む必要もないから快諾した。現在この資料はインターネットで見ることが出来るが、大昔のそんなやり取りを懐かしく思い出している。



 と記されていた。この国会図書館の「個人向けデジタル化通信サービス」については、「俳句」(発行 角川文化振興財団/発売 株式会社KADOKAWA)9月号に、「俳書の大海に乗り出そう『デジタル化資料』探し方ガイド」として①「国会図書館デジタルコレクション」へのアクセス、②「『詳細検索』の使い方」③「読みたい資料をクリック」などの案内が掲載されているが,いずれにしても、活用するには「利用者登録」が必要であるとのこと。登録は自宅のパソコンからできる。利用者登録が済めば24時間利用できるらしい。

 ともあれ、以下に、アトランダムに、「夏潮」別冊「虚子研究号」から、いくつかの句を引用紹介しておこう。

   

   大寒の埃のごとく人死ぬる        高浜虚子

   わが山に我木の実植う他を不知(しらず) 西山泊雲 

   方丈の大庇より春の蝶          高野素十 

 


  撮影・中西ひろ美「この世にまるい柔らかいもの秋一日」↑

2022年9月11日日曜日

伊丹啓子「鳴き砂を踏めばキキョ欷歔(ききょ) 浜夕焼」(『あきる野』)・・


 伊丹啓子第3句集『あきる野』(沖積舎)、その「あとがき」に、


 第一句集『ドッグウッド』をニ〇〇四年に、第二句集『神保町発』をニ〇一三年に沖積舎から上梓した。『あきる野』は私の第三句集である。九年間で第三句集に至った。(中略)

 第二句集以降は私にとっての大事が重なった。母がニ〇一四年に満八十九歳で逝き、父がニ〇一九年に満九十九歳で逝った。頼りとする沖積舎主が難病を発症した。私が発行していた「青玄」終刊後の後継誌「青群」の編集は発行人を同誌にバトンタッチした。

 若い頃から現在に至るまで、街中の職住を往復して齢を重ねてきた。結果、近頃は山川草木の残る地に憧れるようになった。句集名の所以である。


 とあった。 因みに集名に因む句は、


   向日葵めく深山蒲公英 あきる野に     啓子


であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


  林住といえども人中 豆の蔓

  ハクビシン 祭化粧で訪い来たる

    父を冨士霊園文学碑公苑に納骨

  父母なおも骨壺で添う 花菜冷え 

  岩魚喰う 珍(うづ)の苦みも半夏生

  身の内の鬼も欲しがる 年齢(とし)の豆

    (シャン=戦前の学生語で美人の意)

  香香(シャンシャン)はシャンでお利口 こどもの日

    珊瑚忌に(珊瑚忌=伊丹公子忌)

  珊瑚忌の遺影 珊瑚のレイ掛けて

  凩や 死者は生者の意のままに

  魂(たま)までは切れぬ断捨離 虫すだく

  堕天使の降臨 実石榴のまっ二つ

  曲り屋に 藁この匂い 炉の匂い


 伊丹啓子(いたみ・けいこ) 1948年、兵庫県伊丹市生まれ。



    芽夢野うのき「すべてが夢の続きではない柘榴の実」↑

2022年9月10日土曜日

干場達矢「ことごとくクラウドに在り虫すだく」(「トイ」Vol.08)・・


 「トイ」Vol.08(編集発行人:干場達矢)、今号から仁平勝を新同人に迎えたとあった。誌面には、作品12句と1ページのエッセイが各同人に配されている。その仁平勝「八月十五日の御昼」に、


  〈八月十五日あのとき御昼食べたつけ  桑原三郎〉

(前略)八月十五日とはつまり、いわゆる玉音放送によって、長かった戦争の終りを国民が知った日である。そこに「終戦記念日」というフィクションが成立している。(中略)初めて天皇陛下の声を聴いた。言葉が難しくてまるで理解できず、そのあとアナウンサーの解説で、どうやら戦争に負けたらしいと分かったという。たしかに「米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言雄ヲ受諾スル旨通告セシメタリ」では、庶民には何のことか分からない。

 桑原三郎は十二歳だった。放送は正午の時報に続いて始まり、「玉音」それ自体は四分三十七秒だが、その前に君が代が流れ、前後の解説を含めると四十分ほどかかっている。ちょうど昼飯どきで、まして放送を聴いたあとは「御昼」どころではなかったろう。

 一句は「あのとき」を回想しながら、「御昼食べたつけ」という素朴な疑問にたどりつく。そこには、「終戦記念日」に付随する後知恵が入ってこない。玉音放送を聴いた少年の体験が、まさにリアルな像として伝わってくる。「八月十五日」を詠んだ屈指の傑作だと思う。


 とあった。ともあれ、本誌より、一人一句を挙げておこう。


  寝返りをうつ風鈴の鳴る方へ       仁平 勝

  溽暑の夜のテレビニュースを嘆き合う   池田澄子

  そういえばさっきやかんが飛んでいた  樋口由紀子

  涙腺につつがなき日の姫女苑       干場達矢

  盆花のゆふべひらいてきたりけり     青木空知


 ところで、ブログタイトルにした干場達矢の「ことごとくクラウドに在り虫すだく」は、一読、田中裕明「悉く全集にあり衣被」を思い起こさせたが、たぶん、これを本句としたパロディ―だろう。



    撮影・・中西ひろ美「先輩やいくら摘んでもいい野菊」↑

2022年9月9日金曜日

中西ひろ美「なほ深くならむと雪は降りにけり」(「垂人(たると)」42)・・

 


「垂人」42(編集・発行 広瀬ちえみ/中西ひろ美)、作品と句会レポートが主、それぞれ、様々な試みがなされているが、ここでは、鈴木純一「江戸越道中双六(とごしのみちをすたすたあるく)」の吟行記の選句方法について記された部分を紹介しておきたい。


 (前略)垂人の句会には四種類の選句(選考基準)がある。

 ①並選 ②特選 ③後出し ④逆選

の四つ。

①並選は とくに選句数を決めない。

「一人七句ぐらい」 「好きなだけ」で、自由。

②特選、③後出し、④逆選の三つは、パスしてもいい。義務でなく権利だから、行使してもしなくてもいい。②特選を一番多くとった句には「特選賞」が出るかもしれない。今回は出た(「湯葉の詰合」だったようだ)。

③「後出し」は、ほかの人の評を聞いた後で、しかも作者が分かった後で、「じゃ、私も」と点を入れる。ほかの句会ではこんなことは許されない。

④「逆選」はふつうダメで、下手で、失礼な句を選ぶ。作者にとっては不名誉なことだ。ところが垂人では逆選が入ると作者は喜ぶ。理由はやはり賞品だろう。今回は(特選賞よりいい?)巨峰の詰合」のようだ。特選を獲るより、技術的にも気持的にも楽かも。

      ▼

もちろん俳句は勝ち負けじゃない。内容だ。


 愚生も、この選句方法を採用してためしてみようかしらん。ともあれ、本誌本号より、一人一句を挙げておこう。


  出口雪、出口雨、風どれにする      高橋かづき

  棚田の中の台(うてな)より呼ぶ榮市忌   渡辺信明

  一丁目一番地一戸建て空梅雨        中内火星

  道ばたのマリーゴールド的あした     広瀬ちえみ

  靴音の群集心理春の泥          ますだかも

  茅の輪潜りそのまま己れに抜けてゆく    川村研治

  一生は祭のごとしといつ言はむ      中西ひろ美

  聞き慣れぬ男の音が来て黙る        野口 裕



★閑話休題・・森澤程・津髙里永子「~ちょっと立ちどまって~」2022.8・・

    以下に一人一句を挙げておこう。


    雲の峰ひとりになればくもる癖     森澤 程

    浮世の身浮かす虫籠吊しけり     津髙里永子 



       芽夢野うのき「白曼珠沙華白く生れて幸せか」↑

2022年9月8日木曜日

山川桂子「背伸びして野草(くさ)の実探す秋雀」(第9回「きすげ句会」)・・


 本日は、第9回きすげ句会(於:府中市生涯学習センター)、兼題は「野草」+2句、計3句持ち寄り。一人一句を以下に挙げておきたい。


  蓑虫や糸を解(ほど)きて聞く夜かな      井上治男

  くもの巣の吹かるるままに夏果つる       山川桂子

  日暮れかかり胡弓の音いろ風の盆        井上芳子

  野草をひたすら掻き分けどこへ行く      大庭久美子

  ロシアにもウクライナにも星月夜        高野芳一

  百日紅の残像くづす秋の風          久保田和代

  下校の子狗尾草(えのころぐさ)を振りながら 壬生みつ子 

  連らなりて咲く杜鵑草(ほととぎす)一枝剪る  濱 筆治

  野草にも名のあることを皇(きみ)教え     清水正之

  草の穂に遊び遊ばれ泣きだす子         寺地千穂

  寝袋の静けさに酔う虫の声           杦森松一

  野の草にあれば野男草の香す          大井恒行


 その他、愚生のみが選んだ句を挙げておこう


  あの根のね這い出た根にね黄のキノコ生え    濱 筆治

  小高い丘野草のマットで深呼吸        大庭久美子


次回の兼題は、「紅葉」を含む雑詠計3句持ち寄り。


             


 ★閑話休題・・第58回府中市民芸術文化祭俳句大会 10月30日(日)午後0時30分受付~16時半・当日、席題2句1000円(於:市民活動センター「プラッツ」第5会議室)・・


●第58回府中市民芸術祭文化祭俳句大会投句案内●

・兼題投句 当季雑詠1組3句(自作未発表作品に限る)

       一人2組まで

・投句方法 200字詰原稿用紙に記載、封筒に投句と朱記し、下記へ(名前にふりがなをつけ、電話番号を書いて下さい)

〒183-0031 府中市西府町2-10-3-802 笹木弘 宛 TEL042-364-3508 

・投句料 1組につき1000円

・締切 来る9月15日(木)

・選者 今回は諸事情により,主選者を設けず、委嘱特別選者 約15名の先生が選句。

・・〈大会当日について〉・・・・・・・・・・・・・・・

・日時 10月30日〈日〉午後0時30分受付開始 昼食は済ませてきてください。

・場所 市民活動センター「プラッツ」第5会議室(6階)

   府中市宮町1-100 電話042-319-9793

・交通 京王線府中駅南口徒歩3分(陸橋連絡)

・席題 (季題は当日会場で発表)出席者総互選

・参加費 1000円 出席者に参加賞あり。

・賞位等 兼題及び席題それぞれ15位まで授賞

・主催 府中市。府中市芸術文化協会

・共催 公益財団法人府中文化振興財団

・主管 府中市俳句連盟(会長 笹木弘)

  *コロナ禍の状況により、変更することがあります。



     撮影・中西ひろ美「鶏頭の子の上をゆく零余子の子」↑