2022年9月28日水曜日

土方公二「銀杏(ギンナン)降ル如件(クダンノゴトシ)ギョクサイ碑」(『帰燕抄』)・・


  土方公二第一句集『帰燕抄』(角川書店)、ブログタイトルにした句「銀杏(ギンナン)降ル如件(クダンノゴトシ)ギョクサイ碑」には、「靖国」の前書が付されている。集名に因む句は、


    少年に帰燕の空のうすづけり     公二


 であろうか。序文は井上弘美。その中に、


    箱眼鏡外せば父も母もなし

 最終章に収められた句で、父母を詠んで比類が無い。「箱眼鏡」の比喩は絶妙だが、だからこそ喪失感も深い。しかし、人としての哀しみが深いことで、俳句としての純度は増す。土方さんの「家郷」俳句が、句集の最終章でこのような結実を見せていることに深い感動を覚える。(中略)

 次の一句は追悼句で、奥村さんの代表作〈明滅の潮流信号雪しまく〉を踏まえている。

    春の雪潮流信号とざしけり

 奥村さんが「雪しまく」中で見た「潮流信号」を、土方さんは「春の雪」の中で見ている。明るい春の雪が降り続いて、「潮流信号」とともに奥村さんの姿を消してしまったのだ。俳句は存問の詩だが、とりわけ挽歌を詠むとき、その本領を発揮する。この句は、亡き人に手向ける心からの哀悼の一句である。


 とある。また、著者「あとがき」には、


(前略)自然に溢れた農村に育ちながら、高度成長という時代の波に流されるままに私は故郷を捨て、都会や海外に飛び出しました。企業戦士としての充足の日々の一方、今思えば心底にやや違和感がつきまとっていたようにも思います。

 病を得て仕事を離れた後、芭蕉や石田波郷の俳句は、私を心和む美しい季語に満ちた日本、帰るべき心の故郷へと連れ戻してくれました。


 とあった。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するがいくつかの句を挙げておきたい。


   十薬の白光まとひつつ濡るる     公二

   盆供みな片し生者の家となる

   息災をたまはる軽さ鉾粽

   贄の羽散る一瞬の鷹の空

   知覧緑風弾倉に鉄崩ゆる

   サクラサク命惜しめと言はざりき

   母いまさず底紅一枝ごと一花

   白地着て遠国に星流るるか

   鳥渡る国の数だけ国境

   その上に風の生まるる秋の水

   目に享けて詩片のごとし能登の雪

   まなうらの飛雪東北震災忌

   蟷螂に枯るる日向をたまはれり

   綿虫とゐる残照の消ゆるまで


  土方公二(ひじかた・こうじ) 1948年、兵庫県宍栗市生まれ。



★閑話休題・・土方公二「累々と形代さびしさに水漬く」(『俳句劇的添削術』より)・・


 井上弘美著『俳句劇的添削術』(株・KADOKAWA)、帯の惹句には、


名句に変わる!/プロの発想力/一音一語を無駄にしないー/「ことばの力」を最大限に発揮する/驚きの技術を添削から学ぶ!


とある。そして「はじめに」では、


 (前略)添削は、ある一つの型の中に作品を押し込む危険性があることは重々承知していますが、作者とともに、よりよい作品を模索する手段として、これほど有効な方法はないと思っています。(中略)

 ここに収めたのは私の主宰する俳誌「汀」に連載中の「推敲のエチュード」です。作者自身が一句を成立させるまでの推敲過程をたどることで、客観的に作品を眺め、それに対して私がコメントを書くという形式で、毎月一回、約八年間続いています。


 とあった。愚生が注目したのは「原句」があり「成句」があり、井上弘美の「添削」作品が記されていたり、また「添削1」「添削2」があったり、また、「別案1」「別案2」があったりすることである。ちなみに、土方公二の例では、原句は「形代(かたしろ)のくつがへりゆく夜の小川」からの推敲過程は「形代のゆき寂しさをつのらせる」→「累々(るいるい)と形代沈みゆく淋しさ」であり、成句は「累々と形代さびしさに水漬く」である。しかし、ここで、最後に示されたのは、井上弘美の「別案」として、「『淋しさ』を外し、『夜』を復活させた『累々と水漬く形代夜の雨』」。そして、土方公二句集に収めれた句は、「別案」ではなかった。井上弘美が「別案」というときは、読者によっては、評価が分かれるであろう、と思われる場合のようだ。愚生も「別案」の方が、句の型が整うようにおもわれるが、ここでは、土方公二のこだわりのさびしさの表現に、共感する。「別案」には、主宰としての強制は働いていないのだ。いいことだと思う。



    撮影・中西ひろ美「こんにちはさよなら一回だけの幸」↑

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