2016年3月31日木曜日

白濱一羊「三月の雪や日本に無人の地」(「俳句」4月号)・・・



久しぶりにメッセージ性のある句群に出合った。白濱一羊「戦争つくりかた」12句で、その意味では他の12句作品俳人諸氏を圧倒している。句の出来などという野暮なことは言わなくていい。何しろ、韜晦のきかない「万愚節伏せ字に代はる自主規制」(ここは新かなで「代わる」と書いて、柔らかくしないでほしかったが・・・)。「日本に無人の地」とは、今、読んでいる宮田毬栄『忘れられた詩人の伝記ー父・大木惇夫の軌跡』(中央公論新社)で「父が暮らした浪江町の白木屋旅館周辺や次に住んだ大堀村、そして神鳴の高瀬川河畔にある父の詩碑を見てきたいと思っている。『高瀬川愛吟』を刻んだこの詩碑を未見のまま父は亡くなった」という福島県双葉郡浪江町を思い起こさせる。宮田鞠栄はあるこだわりをもって、ついにその地に行っていないのだ。いかなくてはと思っているその思いを延ばしているときに大震災ばかりか放射能汚染のために立ち入り禁止区域になったのである。
あとひとり双葉郡双葉町には、「鬣」同人にして、愚生よりも若い友人である中里夏彦もまた家と墓を残したまま帰れずにいる。そうした「日本に無人の地」なのである。
白濱一羊の句をくつか挙げておこう。明日は万愚説・・・・。

   大根抜くようように首相を変へれぬか      一羊
   黙すれば戦は近し炬燵猫
   三月の雪や日本に無人の地
   原発へ繋がつてゐる春炬燵
   戦争のはじまつてゐる桜かな



   

2016年3月30日水曜日

久保田紺「着ぐるみの中では笑わなくていい」(「川柳カード」11号)・・




「川柳カード」・11号の編集後記を読むと「創刊号から『果樹園』の常連だった久保田紺さんがお亡くなりになった。句集『大阪のかたち』などを読み直しながら、五十句選を掲載した」とある。掲出句はその中から。他に数句を以下に・・・。

  眠れない夜は羊を丸刈りに          久保田紺
  陰毛が生える 私を見捨てずに
  おさかなをたべているのにおよげない
  ありがとうと言ったらさようならになる
  着払いえすが戻っていいですか
  いけませんそこに触ると泣きますよ
  
この号で強く印象に残ったのは小池正博「果樹園散歩 現代川柳を楽しむー日常語と川柳の言葉ー」の末尾、「きっとあなたも西太妃の舌が好き  松尾初夏」の句に記した最後の評言。

  時空を超えた権力機構の在り方と人間の心理を相手取ることも必要だ。川柳には政治やセックスをテーマとして、まだ書かなければならない領域が残されている。

他に、新連載・兵頭全郎「妄読注意!」も面白く読んだ。
以下に、各人一句を挙げたいが、紙数?も尽きるので、「豈」同人の二名に絞る。

   円柱はだからだからとつるつるに   樋口由紀子 
   後ろ手に縛られている名付親     小池正博



                                                    コバンソウ↑
    

2016年3月28日月曜日

夏木久「河骨や月の光を献杯す」(「We」創刊号)・・・



「We」創刊号(共同編集発行人、西田和平・加藤知子)、表紙には「短歌と俳句の文学誌」とある。九州在住者を中心とした同人誌である。創刊号の寄稿者に10名とあって、谷口慎也の名がある(愚生は歌人の方々には疎いので、この際は遠慮させていただく、ただ、全体としては、歌人の方の同人数の方が俳人の数を上回っている様子である)。
その谷口慎也は「「俳句とは何か」を寄稿していて、その結びは以下のように結語している。

  形式は無限の可能性を秘めて、間口を広げて私たちを待っています。そしてそれとの〈因縁〉の結び方は個々人、全くの自由です。あるひとつの様式を問い詰めることは大切ですが、、それと同じくらいの重さで形式の〈空〉であることを絶えず認識することはさらに大切なことであります。俳句における形式、あるいは芸能における型などというものは、実にいろんな可能性を飲み込むものですから。

参加者の一人、夏木久は「豈」同人でもある。
ともあれ、創刊を祝して一人一句を(発行人のみは一首を)・

    原子炉が点るこの世のひな祭り      谷口慎也
    日向の国の半分は晴れシロナガス鯨    宇田蓋男
    春雨の刻む疵痕遅刻坂           江良 修
    枯れはじめている野原聴く野原      柏原喜久恵
    百浦に百の秋ある対馬かな        島松 岳
    カメラで覗かれた胃で雑煮食う      瀬川泰之
    青年の胸やシャワーを拭き残し      瀬角龍平
    淋しさや団扇ひとつを楯として       千原蘇堂
    枯野まで回転木馬乗り継げり       夏木 久
    ふるさとの山みな低し稲の花       宮中康雄
    闘争の寒月百歳までマドンナで     桝田傜子
    炎にも水にもなりてまんじゅしゃげ    加藤知子
    浅田真央の「んー」の音程Gですか 自衛隊ヘリの音より高い  西田和平 



                                 
                                                 ハナモモ↑

2016年3月26日土曜日

早瀬恵子「五感よりおろしたてなる春の色」(「豈」129回東京句会)・・・

            

本日は、隔月の「豈」東京句会(第129回)だった。毎年三月の最終土曜日は、例年のことながら現代俳句協会の総会と重なり、出席者は少ないのが通例になってしまった。愚生も私事にて参加できなかったので、本ブログのために、当日句を早速メールで送稿してもらった次第。
人数は少なかったが、鈴木純一の司会のもと、全句に丁寧な批評が行われ、少人数の良さがでた、いつになく充実した句会で、学ぶことが多かったとのコメントも記されていた。桜の花は開花宣言以後の冷え込みでその後の開花が遅れているという。皆さま、風邪など召されませんようにご自愛祈念!
というわけで、参加者5名の一人一句を以下に・・・

    五感よりおろしたてなる春の色              早瀬恵子
    手に取るや髪解(ほつ)れいる姉の雛     福田葉子
    おぼろげに月漕ぎ出でて伊勢うどん          鈴木純一
    春野菜三温糖が抜きんでる                小湊こぎく
    時は逝く原節子さん鎌倉の波               岩波光大


           

閑話休題・・・

ところで、次号「豈」59号ことですが、58号奥付では3月末原稿締め切り、7月上旬発行予定と「◆あとがき◆」に記してありますが、諸般の事情で、今年はどうやら、今年中に一冊を出せるかな?・・といったペースになってしまっています。まずはお詫びを申し上げます。企画の大筋はすでに決まっているのですが、ひたすら進行が遅れにおくれているという次第です。というわけで、いつものように原稿依頼状が各同人・諸兄姉に届いてから、正式な原稿締め切りも告知になりますので、ご理解、ご協力を賜りますようお願いいたします(実は、二、三の同人の方から問い合わせ、または既定の作品+エッセイの原稿が届いています)。
「俳句新空間」では季刊による、「俳句空間ー豈」誌へのフォローの発行が予定通り進行すると思いますので、ご協力をお願いいたします(「攝津幸彦時代の「豈」には、3年間発行せず、というのもありましたが、さすがに、それは今回はないと思います)。


           

2016年3月24日木曜日

瀧春樹「老人と呼ぶな弱冠喜の字の春」(「樹」288号)・・・



「樹」(TACHIKI)には、瀧春樹の意気込みが詰まった俳誌である。長期にわたる企画連載に読み応えがある。まだまだ若い?愚生なんぞでも、年齢を少し重ねただけで、活字の小さいのを見ると読む気力を失うだらしなさがある。そんなことを言っていては叱り飛ばされそうだ。どうやら瀧春樹は喜寿のようで、にも関わらず十分に若く「老人と呼ぶな」と叱咤しているのだが、それはそこ、世間では立派に喜寿なのだこからこそ、作者はあえて言わずにはいられないのである。
本誌の長期連載の企画で注目に値するのは、「特集・東日本大震災を詠む(60)」。同人諸氏が詠み継いで60回になるのだ。ということは、大震災から5年、その直後から毎月詠まれ続けられたことになる。その持続する雑誌の意思、力に頭が下がる思いがする。
  
  リンゴですセシウム検査パスしてます       依田しず子(「樹」287号)
  仮の家に慣れることなし虎落笛           藤崎由希子
  鵙の贄乾く津波の沖睨み               瀧 春樹
  みちのくの闇より黒き寒さかな            中野忠清 

その他、連載ものでは、寄稿に伊丹三樹彦の作品が毎月60句も70句も発表されていることだ。病より復帰して、金子兜太に並ぶ長寿でかつ元気いっぱいだ。

  飛び撥ねてばかりの曾孫 わらべ唄    三樹彦

また、依田しず子「石橋秀野の句・おしず流気儘読み」も64回、鍬塚聡子の作品展望「悪のススメ」279回も活きがいい。


2016年3月22日火曜日

大牧広「被災地にこの世の花火揚がりけり」(第15回山本健吉賞)・・

              

「俳句界」(文學の森)4月号に第15回山本健吉賞授賞の記事が掲載されている。推薦の弁は金子兜太。

 俳句作品をまとめた句集『正眼』は、いかにもこの人らしい立ち姿を見せて、私たちの前に出現し、悠々と詩歌文学館賞を受賞したし、与謝蕪村賞、俳句四季特別賞も受賞したという。評論も充実し、ともに小手先の利いた、いわば術(わざ)の利いたものではなく、躰で受け止めた真剣且つ生真面目なものであって、選評の言を聞いてもそれが先ず語られていた。
 大牧広は小技(こわざ)の利いた創作者でないことは夙に知られているが、その充実の年に受賞を見たことは芯からの悦びとしたい。 

「俳句界」4月号には別に「現代俳句の社会性」を詠む特集もあって、それにも大牧広は「社会、政治を詠む」に「田植寒10句」を寄せ、以下のように詠んでいる。

   茎立ちやこの世格差のありすぎる      広
   報道のすでに萎えゐて田植寒
   戦争知らぬ議員ばかりや空襲忌

金子兜太の物言いのように、たしかに直接、実直な表現で、その意味では、石田波郷の句集『惜命』にふれる境涯句に通じるものがあろう。
本特集「現代俳句の社会性」には、他にも小説家の西村賢太などが句を寄せている。

  日雇いへ 出るに出られぬ 冬布団  西村賢太
  介護さえ 買うが易しの 悲しさよ  
  大寒を死ぬな死ぬなと夫看とる    木田千女
  すさまじや夫骨片となり給ひ
  母の胸むかし豊かに冬至風呂    後閑達雄 
  亀を飼ふ老人ホーム寒に入る
  亡き人がいまだ手を振る冬の沖   菅原鬨也
  福島に復興の名の冬花火
  まだ津波残れる廃墟夏の月     照井 翠
  滅亡の文明ほどに土盛らる 

今や「俳句界」は、俳句総合誌のなかではもっとも硬派?の雑誌になったような趣である。他があまりにもだらしないというべきか。

 
           

2016年3月19日土曜日

阿部鬼九男(喜久夫)しのぶ会・・・

                  

             

 本日は、昨年12月19日、85歳にて逝去した「阿部喜久夫(俳号 阿部鬼九男)先生をしのぶ会」がNHK青山荘で行われた。実弟で遺族の阿部幸夫氏の希望もあって、ごくごくざっくばらんな偲ぶ会となった。午前中から降り続いていた雨も会の始まるころには小雨模様、散会の時には雨もあがり暖かい日射しさえさした。
 約60余名の出席があったが、もっとも長く勤められたNHK学園関係、群馬県立伊勢崎高校の教え子の方々、そして俳句関係者。
 俳句関係では遠路名古屋方面から中根唯生、山口可久實、小南千賀子、また、阿部鬼九男出身県の群馬からは林桂、水野真由美が参加した。また、長く句会活動をして同人誌も出されていたTe'RRA(テラ)の会の秋田博子、西口美江、篠原妙子、松本富貴、山岡愛子など仲間の皆さんには初めてお会いした。
 「豈」のメンバーでは、福田葉子、川名つぎお、髙橋比呂子。「円錐」の澤好摩、今泉康弘、荒井みづえ、LOTUSからは若い表健太郎など・・・。
 会は最初に、黙祷で冥福を祈ったのち、即、料理を楽しみながら歓談に入った。挨拶ではNHK学園関係から高橋敏夫氏が半世紀前のことと断られながらも、英語科同期の阿部喜久夫先生のほぼ全容をお話しして下さった。もう一人、NHK学園から川崎晃氏。伊勢崎高校の教え子を代表して岡田洋氏、しのぶ会の終盤では地元教え子の深山(みやま)会、首都圏でのいこい会の参加者全員で伊勢崎高校校歌を合唱された。
 俳人からは、「俳句評論」でも一緒だった高橋龍氏と若い友人として阿部鬼九男論もある仁平勝氏がそれぞれエピソードを語った。
 最後に遺族代表として阿部幸夫氏が兄弟であってなお兄のよく知らなかった面を教えてもらったと謝辞を述べられた。
 思えば、昨年11月中旬、酒巻英一郎、救仁郷由美子と愚生が連絡の取れなくなった阿部鬼九男をアポイントもとれないまま、強引ともいえるような形で自宅を訪ねたおり、まさに偶然に近所住まいで鬼九男氏の病床の世話をされていた黒澤正一氏と駈けつけられた実弟の阿部幸夫氏に会わなければ(もっともそれが、永の別れになったのだが)、この偲ぶ会のお手伝いをすることもなかったに違いない。
 先に身罷られたパート―ナーだった北森和美氏の看取りのために阿部鬼九男は,多摩豊ヶ丘貝取に同居された。今日はまた阿部鬼九男を囲んだ人々に引き合わせてれくれたのも最期の阿部鬼九男の配慮だったと思えば有り難い。
 今は冥福を祈るのみである。有難うございました。

  北齋や襖倒せば赫河原          鬼九男
  世紀このしぎ焼きのノエシス・ノエマ
  キエフなる天門に聴く春の雨
  遺失物のごとき鴉を洗ひをる
  ねむる家ねむらぬ家と溶けてゆく
  晩節に少し余りて薬食ひ
  ここで黄な太陽を出すキグレサーカス


               

2016年3月18日金曜日

加藤耕子「寒青空桂信子のこゑのやう」(『空と海』)・・・

                 
            


加藤耕子第7句集『空と海』(本阿弥書店)。句集名にちなむ句は、

   汗の身とひとつひかりに空と海      耕子

昭和6年、京都市生まれ、とある。「雨滴会」草間時彦に師事したともあって、当然のこととはいえ、時彦忌を修した句が多く目を引く。草間時彦といえば、「冬薔薇賞与劣りし一詩人」などのサラリーマン俳句や、あるいは「甚平や一誌持たねば仰がれず」などの諧謔のきいた句が有名だが、愚生にとっては俳句文学館の設立に尽力し、館長就任の際には、結社「鶴」を辞して無所属になるという身の処し方に、草間時彦の信頼に足る生きざまを思ったりしたのだった。たしか最後の句集で蛇笏賞を受賞したのだが、授賞式直前に亡くなり、出席叶わなかったように記憶している。

   
      悼 草間時彦先生(平成十五年五月二十六日)
    魂離るこの世に瀧の音残し              耕子
    ゆつたりと召して居られし白上布
    忌を修すほたるぶくろを風に吊り
      時彦忌 鎌倉
    切り岸に楝の花のけぶりたつ
    海近き時彦の山新樹光  
    薔薇垣に薔薇の百花や時彦忌  
      時彦忌 逗子
    葉桜や雨のきらひな雨男    
    墓参かな楝の花に会ふことも
    鎌倉は雨またよけれ額の花
    
さらにHAIKUにも熱心に取り組んでいる加藤耕子は「あとがき」に以下のように記す。

 ウクライナの小学校の教科書には、シェイクスピア、ゲーテと並んで芭蕉が世界の三大詩人の一人に取上げられています。東洋の、日本の文化の奥深さと同時に世界の人々の指針ともなるべき俳句・HAIKUのもつ精神力、物の見方、詩型の確かさ、短い故の言葉の力を強く思った次第です。 

最後にいくつかの句を挙げておこう。   
    
    花合歓といふにはあはきうすみどり
    冬籠砦囲ひに物を積み
    老鶯やかつて隠田いま捨田
    雲を出し満月にして月の触
    長崎忌朝倉和江被爆の日
    枯葦に金の日雫雨あがる

                                  





2016年3月16日水曜日

森賀まり「こなごなに蜜柑を剥いてくれたりき」(「静かな場所」NO.16)・・・



「静かな場所」NO.16は田中裕明「ゆう」の終刊後に創刊、発行されるようになって10年の歳月を閲しているという。誌名の由来は、「小鳥来るここに静かな場所がある  裕明」の句からである。
青木亮人は、連載で「はるかな帰郷(10)-田中裕明の『詩情』についてー」を書いている。田中裕明の生きたであろう時代を吉本隆明、荒川洋治の著をひもといてたどろうとしているが、例えば、荒川洋治が確か、戦後詩に学んだものは修辞だけだった、というようなことを言っていたような気がするが(記憶力が悪いので、もし、大きく違っていたら、愚生の思い込みにすぎなかった、ということで勘弁願いたい)、詩集『水駅』の「世代の昂奮は去った。ランベルト方位図法のなかで私は感覚する」と言挙げした衝撃はむしろ愚生ら団塊の世代を撃っていたのではなかったろうか。そこに少し遅れてきた田中裕明は、いささか醒めた眼差しを有していたように思える。
ともあれ、青木亮人が「次回は蓮実重彦が一九七〇年代後半に刊行した『夏目漱石』も参照しつつ田中裕明の『自己』のありかと時代性を考えてみよう」と記していることに興味をつないでおきたい。
以下に同号の一人一句を・・・

    さむうなり老妓は外に出ずうなり      谷口智行
    臨海を超ゆる無音やねこじやらし      森賀まり
    病室の窓細く明け冬麗            和田 悠
    聖歌いま囁きめいてゐるところ       対中いずみ
    引率の先生休む花八ツ手          満田春日
    漕ぐ度に鳴る自転車や秋桜         木村定生
   


    

2016年3月15日火曜日

酒井弘司「冬満月裏山おうと歩きくる」(「朱夏」125号)・・・



今号の「朱夏」は「豈」同人の秦夕美「香と彩とー『朱夏』124号を読む」と筑紫磐井「十代少女のライバルは九十六歳翁」の両名が健筆を奮っている。特集は幼稚園から俳句を作ったという飯田香乃句集『魚座のしっぽ』。筑紫磐井の他には米山幸喜、内野修、八木忠栄などがあたたかい鑑賞を行い、新聞などからの採録は長谷川櫂、坪内稔典と好意のものばかりである。
その他では、愚生より、年齢はほんのわずかばかり若いと思える清水滋生のエッセイ「わたしの一句ー酒呑童子の夢」は、どこか切ない、失われた青春回顧の趣がある。

    音楽が途切れ酒呑童子の夢から醒め      滋生

因みに飯田香乃の今号の作品から、

   どの人の顔も明るい初日の出           香乃
   福袋あける楽しみ胸さわぐ
   通学路コートの衿をかきよせて

最後に秦夕美の一文を以下に少々引用する。

      八月の黙契海と火と飢えと        川嶋隆史

 八月は死者の月。ある年齢以上の人にとって、観念ではなく、細胞に刻み込まれている。
それが「黙契」なのだ。この言葉の重さをどれだけ受け止められるか。



2016年3月14日月曜日

島一木「明日は枯れる 無花果の木のしげりかな」(『探査機』)・・・



島一木が、昨年10月、句集『都市群像』(まろうど社)に続いて『探査機』(冨岡書房)を上梓した。挿画・山本(月森)桂子、装幀・上野かおる、兄妹本のような印象である。ただ前著は1999年から2005年の約7年間のもの、今著は1980年から2005年までの26年間に発表したものの中から選ばれている。内容も「エピグラム」と題したものやエッセイ、散文詩、短歌、俳句など多彩である。とりわけ「父との半年」の章は、父の癌宣告から始まって、受洗し、奇蹟の地・フランスのルルドを訪ねる旅の逸話、さらに1995年1月17日、午前5時46分には部屋で祈りを捧げている最中に阪神淡路大震災に遭遇する。父はその五日後に天に召されるが、死因は癌によるものではなく、地震のショックによる脳内出血だった、とあった。
そういえば、島一木から、大震災直後から、地震による片付けやボランティアで、朝、目覚めてから夜遅く、倒れ込むように寝て、「今は、俳句なんて全くできません」という葉書をもらったことがあった。

両著はいずれも2005年までの作品収録だから、つまり、ここ10年ほどは何も発表してこなかったのだろうか。
ともあれ島一木こと原正樹の健康と健筆を祈りたい。以下に少しばかり抜粋する。

  小学校五年の国語の授業中、「この中で神さまを信じている人、手を挙げて」という先生の質問に、手を挙げたのが私一人だったことがショックで、それ以後、無神論へ傾いた。いつも疎外感や得体の知れない不安に悩まされ、それに反発し挑戦するかのように読書に励み、行動した。(中略)
 三十九歳でキリスト教カトリックの洗礼を受けたときは、まるで帰ってきた放蕩息子(ルカ十五章)の気分だった。どんな世界が私の前に開けてくるのか、全く想像すらできなかった。

   大なまづ座標を変換して正義と言ふ       一木


   魂は 空虚であるほど
   多くの殻を
   被ろうとするのだ
   人に知られることを
   恐れて


   わが指にのりてレタスを食む鳥の吾より体温高きをかなしむ

   北山杉記憶の霧が過ぎてゆく
   竹に竹の子果ては子の下駄逃げた
   激震のなかに呑み込まれる手足
   刈り入れは多い 働き手がいない
   主よ 小犬もパン屑をいただきます
 

2016年3月11日金曜日

大木俊秀「一番好きな人から風邪をもらいけり」(『俳句の気持』)・・・



もし、俳句は川柳より高級であるとお考えの方がおられたら、その認識はぜひ、改めていただきたいと思います」(津髙里永子『俳句の気持』深夜叢書社)。
本著を紹介するのには手っ取り早く「はじめに」の冒頭を以下に引用するのが、もっともいい。

 本書は俳句の入門書、ではありません。「作りたいとき」「作れないとき」「作らないとき」の三章にわけて掲載しましたが、厳密に順を追っての内容にはなっていませんので、どこからでも、読みたいところだけでも読めるようになっています。

というわけで、愚生も、パラパラとめくったぺージに「川柳のような俳句?」に行き当たったのだ。また、「あとがき」によると、NHK学園俳句講座の機関誌「俳句」に平成8年4月、88号から平成26年12月、195号冬号まで107回連載した「俳句・はじめの一歩」をもとにしているという。仕事上で付き合った俳人たちのエピソードも多く、なかなかに楽しめる。例えば、最後に置かれた「同じ気持になれるとき」では鈴木六林男とその師・西東三鬼のことでは、

 鈴木六林男がその昔、西東三鬼と歩いていて電車に乗り遅れそうにになったので走ろうとしたら、三鬼さんに「急いだら何か、いいことあるのかね」と聞かれたそうです。「なんにもない」「それじゃあ、走るな」「それもそうやね」・・・。 

確かに、そう思える。かくいう鈴木六林男は、ビールを猪口で飲む癖があったような・・・まわりが早いでぇ~と言いながら。

大木俊秀(おおき・しゅんしゅう)に敬意を表して、以下の句を本著より孫引きさせてもらおう。

   満天の星が見ていた流れ星     大木俊秀『満天』
   ススキ対アワダチソウの関ケ原
   蛇穴を出ると取られる消費税
   盃に散る花びらも酒が好き
   貴女には何よりマスクが似合う

それにしても、いわゆる季語がキチンと入っているので、有季俳句じゃありませんか・・。川柳は言葉使いが俳句より自由だから、ちょっとうらやましい。


2016年3月10日木曜日

笹木弘「一本が火種となりし曼珠沙華」(「東京広軌」平成27年度作品)・・




かつて「広軌」(昭和44年創刊)という雑誌があった。同人誌で、その誌名が示すように、硬派の雑誌だったという印象のみが残っている。『現代俳句辞典 第二版』(「俳句研究」別冊)によると、「有季定型の伝統派から無季容認の前衛派に及ぶ幅広い同人構成は、第10号の成田千空に始まった『百句シリーズ』とともに本誌の特色といってよい。このシリーズには永田耕衣、三谷昭、平畑静塔、鈴木六林男、鷹羽狩行、森澄雄、金子兜太、横山白虹など五四作家が登場」とある。
詳しいことは愚生不明にして、よくは知らない。手元の誌はその名「東京広軌」(東京広軌俳句会)からして、その関連にある同人誌だ思われる。掲載されている作品とエッセイを読むと相当高齢の方も多くいらっしゃる。90歳を超えている方も数名、80歳代はまだまだ元気の様子である。ひたすら俳句の縁につらなり、俳句を作ることが生きがいという風なのである。
現在、代表者は佐藤晏行。埼玉越谷市から発行されている。以下に一人一句を挙げるが、佐藤晏行のみは、同送いただいた「『窓』作品集・第7集」からも加えて一句。
因みに、笹木弘は、愚生が、シルバー人材センターでの仕事でお世話になっている府中グリーン・プラザでよくお会いする府中市俳句連盟の代表者である。

    敬白のあとに団扇の句をひとつ      佐藤晏行・「窓」より
    竹夫人並ぶ藝大資料室
    花八ツ手朝は再びここにあり        住  落米 
    白桃を浮かせて水が若くなる        岡田淑子
    敗戦日ひと部屋にいててんでんこ     保坂末子
    菊坂のたがのはずれた暑さかな      松本秀紀 
    生きてゐる目覚のひとつ虫しぐれ      水本ひろと 
    波と来て腕のかたち夜光虫         山口紀子 
    秋天やキリン時には横座り          相沢幹代
    餡をほめ器をほめて柏餅           大川竜水
    戦前と気軽に言うな蛙喰う         金子未完
    しんがりになりたくなくて蟻に列       鍬守裕子
    ぷかりぷかり不老の予感冬至の日     坂上武夫
    一本が火種となりし曼珠沙華       笹木 弘
    狐火の点火装置が見つからぬ       栖村 舞
    手美人の母手造りのよもぎ餅       髙橋たん滴
    梅雨晴れやこの日を何につかいましょ   髙橋洋子
    病める国ありて世界の春浅し       直井芳枝
    神木のうしろはすでに枯れの音      星野一惠
    雨の日もよろしやろとて山笑う       金子みさ
    四月馬鹿八十八のクラス会        川西茜舟女
     




2016年3月9日水曜日

北川美美「来た道をそのまま戻る寒の空」(「俳句新空間」no.5)・・・



順調なペースで発行されている「俳句新空間」。第3回攝津幸彦賞各賞の発表。前号と前前号の作品を読むと題して多くの作品が鑑賞されている。そして、平成28年新春帖には、流派を超えて23名の方々が参加されている。一冊500円。発行所は北川美美方(367-0023 桐生市錦町2-7-18)。
詳細は手にとっていただきたい。
ともあれ、ここでは新春帖から1人1句を以下に・・・

   まだことをなさず元朝の火を囲む      青木百舌鳥
   父かつて甲種合格冬の菊         網野月を
   寒い朝吐く息がみな霊に似て       大本義幸
   どれもカラフルどれも百円春浅し      神谷 波
   冬蝶のダリの時計に触れるかな      坂間恒子
   部品屋に部品を売つて年暮るる     佐藤りえ
   ふらここの匂ひ左右の手に熱し      瀬越悠矢
   僕の骨から要るだけの弾は萌ゆ      竹岡一郎
   風花やレゴブロックの街に住み       田中葉月
   鳥帰るサーカス小屋の小さき窓      仲 寒蟬
   秋天に飛ぶ鳥を見ず被爆の地      中西夕紀
   荷兮また句を案じをり海女の笛      秦 夕美
   タクシーを相乗りふっと雪女        羽村美和子
   軒深く伯爵領や春の闇          福田葉子
   淡雪や椿油を手の窪に          ふけとしこ
    東京白金にヒュースケンの墓を探した
   サルノコシカケ異人の碑銘半ば消え   堀本 吟
   初旅やいくつ入江に別れては       前北かおる
   行き逝きて神軍兵士冬の闇       真矢ひろみ
   歌麿のあれはぽつぺんあれは貝     もてきまり
   矢印の最後は空へ冬桜         渡邉美保
    〈遅き日のつもりて遠きむかしかな〉
   美しき病に伏せりすする白湯       夏木 久 
   母が死ぬ春の芝居の極彩色       筑紫磐井
   来た道をそのまま戻る寒の空       北川美美



                    ジンチョウゲ↑

2016年3月7日月曜日

小林一村「冬うらら手足はこの世離れたる」(「点」42号)・・




「点」は『海程 福井支部年刊合同句集』である。「海程」という結社は、外からみていると「海程多摩」も先般合同句集を出していたし、それぞれの地で、俳句活動を実に積極的に行っている印象がある。それが、各地域、支部での合同句集として結実しているのだろう。編集者は中内亮玄で、若くなかなか活きのいい青年の様子である。
本号は、各人の作品に加えて、海程福井支部のために尽力されたのであろう二人の先輩の追悼エッセイが寄せられている。亡くなられたのは永井幸、小林一村(前福井支部長)の両名。両名とも俳句への志とともに仲間の皆さんによく慕われていた雰囲気である。
以下に同号から一人一句を・・・。

   折鶴の触れるところは未だこの世       小林一村
   直角にきてあとは自由な春一番        永井 幸

   (よし)葦(あし)と牛蛙鳴く刈られゆく  金子兜太
   色褪せぬ日本の空凧             石田秋桜
   励ましの何時か消えゆく実南天      岩堀喜代子
   初山河いま欲しきもの原始の火       小山紫門
   一灯を残し夜長の息を吐く        久保ふみ子
   身のどこか減速している晩夏かな      齋藤一湖
   とうめいな鳥来て夜を泳いで行った     佐孝石画
   剥き出しの心臓である冬の汽車       中内亮玄
   雪原の起伏は神の鞍だろう         西又利子
   菜種梅雨田の面の水を唄わせる       春木美智子
   水涸るるところに来たり狐道         水上啓治
   ものの芽の庭中を夢見始める        森内定子
   ときもきも多少あります花水木        山田冨裕
   思い出の作り話や酔芙蓉          吉田透思朗 



                 コブシ↑

2016年3月6日日曜日

高原耕治「爪うすびかるのみ//玄虎(ウルトラ)/玄虎(ウルトラ)」(「未定」100号)・・・



「未定」は1978(昭和53)年に創刊されてから37年を経た。「未定」創刊後2年の1980年には、攝津幸彦・大本義幸らの「豈」が創刊されて、表面的には「未定」から「豈」は分派したように見られているが、「未定」創刊時(20歳代限定の同人誌だった)にすでに、攝津幸彦は「黄金海岸」以後の雑誌を構想していたのでいずれ新誌を持つことは、「未定」創刊時の澤好摩とも話はできていた。というわけで、愚生も含めて、「豈」創刊時には「未定」と「豈」の両方の同人だった、という人も多い。
とはいえ、当時、愚生らの年代は坪内稔典「日時計」が俳句のシーンの先頭を走っており、それが、攝津幸彦・大本義幸・坪内稔典らの「黄金海岸」と澤好摩・横山康夫らの「天敵」に別れ、その後を模索していたときに、野合と言われながらも、既成の俳句界に対峙して、若い20歳代を中心にその活躍を期待された多くの俳人を結集したのが澤好摩発行人・夏石番矢編集人の「未定」(いまだ定まらず)だった。一方で、坪内稔典は「現代俳句」(ぬ書房→南方社)を創刊する。
とはいえ、「未定」創刊時のメンバーは現在誰も残ってはいない。しかしながら、その志を一人残って孤塁を死守しているのが高原耕治である。百号を慶賀する次第・・・。
今号の特集は高原耕治句集『四獣門』の評に、外部から江田浩司「俳句の《存在学》のアポリア」、関悦史「不到達性の詩学」などだが、何といっても高原耕治への田沼泰彦によるインタビュー「『四獣門』と多行形式」は高原耕治の来し方が窺える興味あるものだ。数号前から「未定」に参加した田沼泰彦の位置取りも、現在の「未定」にとって欠かせない重要さがあるように思える。
また、「巻頭言」には、「未定」は90号より多行形式による俳句・短詩の実験誌に特化したと述べ、以下のように結語する。

 そして、「未定」の運命に困惑、逡巡しながらも、私達同人は、ますます鋏状に乖離して行くこの鬱蓼たる巨大な無関係の尖端に、たった一つの奇蹟の出現をひたすら渇仰する。現俳句界の大勢に順応せぬ、この渇仰こそが、「未定」の自立的拠点となり、多行形式に蘇生を齎すであろう。

自選20句より一人一句を紹介しておこう。

  ロボットの
  我が身
  なげくや
  虎落笛              天瀬裕康

  この旅
  恐ろし
  うみは うみ噛み
  そらは そら噛み         高原耕治

  重力霊(ぢうりょくれい)
  中有(ちうう)
  旅(たび)する
  千年白日(せんねんはくじつ)  田辺泰臣

  形代をながし
  ひとりのかくれんぼ        田沼泰彦

  塩も汚れて
  母なる海が
  滅びる
  あした               玉川 満
  
  素面になりて
  雪が雪視る

  洞舞う風よ            村田由美子

  愛は青
  富士は真っ赤に

  死に日和            山口可久實          



                  サンシュユ↑

2016年3月3日木曜日

田中いすず「九十や浮力のような風邪をひく」(「歯車」367号)・・・



田中いすずは大正14年6月、長野県生まれ。
ブログのタイトルに掲出した「九十や浮力のような風邪をひく」は「歯車」368号の「歯車感銘句十句(367号より)と題した浦川聡子(「晨」同人)の選出句からのもの。従って「歯車」前号に掲載された句である。田中いすずには年齢を超えるあるかろやかさのようなものがある。みずみずしい感性の作家というイメージなのだ。どうやら九十歳を超えた感懐の句ということになろうが、「浮力のような風邪」は悪くない。今号にも「短日をたのしさが身についてくる」「あによめが兎を抱いている生家」などの句、愚生にはとうていできそうにもない句ばかりで、羨ましい。
「歯車」は元をたどると故・鈴木石夫が代表つとめ、編集には大久保文彦が創刊時から担当している。前身は昭和30年創刊の「風」(代表・吉田好風)、31年「歯車」と改題し、若者、新人主体の雑誌として出発した。歴史の古い俳誌だ。現在は前田弘が代表をつとめている。少年のような若い時から林桂、青木啓泰、田口武、柿畑文生、松田正徳、藤みどり、佐藤弘明などが同人でいる。愚生が「歯車」誌を恵まれるようになったのは、愚生20歳代、ともに「未定」同人であった佐藤弘明の手配によるものだ。
現在、同誌のなかでは「豈」同人の、杉本青三郎がなかなかの活躍をしている。
今号「歯車」368号より、以下に、いくつか挙げておこう。巻頭の特別作品は、岩手県北上市に住む松田正徳「東日本大震災以後」50句。

   二月尽 除染は終わった事にする      松田正徳
   哀しみの色で抽けば 芒原
   死後に読む埋め草青々と枯れ        前田 弘
   初暴力とは気付いていないらし        阿武 桂
   結界の中 冬眠の蛇の鼓動         梅木俊平
   日が射すと白鳥ははばたく姿勢       大坪重治
   木枯しや山の下から暮れて行く       佐藤弘明
   はるかなる枯野の白になりにゆく      杉本青三郎
   一対の骨よりさくら吹雪けり         藤 みどり
   まぐわいの声を殺して暖かし         藤田守啓


                ミモザ↑