2017年10月31日火曜日

大牧広「秋風や征きたる駅は無人駅」(『シリーズ自句自解Ⅱ ベスト100大牧広』)・・



 『シリーズ自句自解Ⅱベスト100 大牧広』(ふらんす堂)、必読入門書と銘打たれているが、著者の作句信条や作句姿勢については巻尾の「あとがき」めいた「大切にしたい山河・自分」に詳しい。そこには、

 (前略)そうした地球上で俳人は俳句を詠もうとする。するとどうにも理解しがたい現実に出会うことになる。
 現実的に述べると、たとえば、六人に一人は貧困のために満足に食べられぬ児童がいるという日本。仕事のために母親の深夜の帰りをバナナ一本で待っている子供、そうした不公平な世の中に目がゆく。
 こうし現実を、俳人は詠むべきではなのか。丁寧に詩的にやさしく。

と述べられているが、本書では、俳句に向かう姿勢を詠んだ句も多い。例えば、

   社会性俳句はいづこ巣箱朽ち     広
   極道と句道と似たるはるがすみ
   初句会たたかふ俳句欲しかりき
   難解句であればよいのか蜘蛛に聞く
   水貝や朦朧体の句は詠めず
 
中の「初句会」の句についての自解は、

  「たたかふ」と書いても、暴力的な「たたかい」ではない。
 この世の不当、不条理を詩情を込めて詠み上げた俳句を待っているのだが、毎日送られてくる俳誌の作品を読んでも、まことにのどかな俳句が載せられている。
 よい意味での「たたかい」「毒気」が欲しい。江戸時代の月並み俳句では、余りにも現代的ではない。    (『地平』平成27年)

とある。86歳、大牧広の意気軒高に、愚生も含めて、なお若い世代の多くの俳人がお及ばない。ともあれ、本書よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

  もう母擲たなくなりし父の夏
  老人に前歩かれし日の盛り
  やや長き外套着ればダダになる
  すててこや鉄が国家でありし頃
  錐落ちてわが足を刺す涅槃の日
  冬霧や東京が吐く深吐息  

大牧広(おおまき・ひろし)昭和6年東京生まれ。



2017年10月30日月曜日

青木一夫「魚焼く煙の中の敗戦日」(第53回府中市民芸術文化祭俳句大会)・・

 

 昨日は台風22号が通過する豪雨のなか、川崎兵右衛門没後250年記念事業・第53回府中市民芸術祭俳句大会(府中市俳句連盟・会長笹木弘)、於:府中グリーンプラザが開催された。悪天候にも関わらず当日席題句会「秋の雨」「秋刀魚」に、熱心に投句が行われた。
 愚生はといえば数日前から風邪熱によりダウン、従って、本俳句大会当日までのプライベートな予定はすべてキャンセルして、この日だけはと薬石の世話になりながら、少しの講評も出来るくらいに喉も回復して、何とか体調も戻すことが出来て、ホッとした。
 ブログタイトルに挙げたのは事前投句の愚生の特選句である。特選3句を選んだのだが、あと一句は、先週に行われた第55回日野市市民文化祭俳句大会の入賞作品とダブリ、取り消しとなったため、残る愚生の特選句は、

  ビルの窓ビルに映して風秋意      田中朋子

である。また、当日の句で特選に選んだ句は、

  揚げ舟に音を滑らす秋の雨      松川洋酔

他に、二句を選んだのだが、作者の姓は記録したものの、名を入れず、フルネームを記すの怠ったので、このブログでは失礼させていただく。
 また、愚生は、当日席題の一つ「秋の雨」で、

   秋の雨 欅心もその中に     大井恒行

 の挨拶句を作ったが、参加者互選で虚しく無点、涙の雨となった。
 ともあれ、悪天候にも関わらず会場は盛り上がった。しかも、愚生が府中市民になって約8年、地域の皆さんとこのたびようやく俳句の縁ができて感謝している。
 ちなみに当日発表された大会事前投句の成績を以下に記しておきたい。

 市内の部
  1位   新涼や寝たりて軽き膝頭      村田のぼる
  2位   ゆで玉子つるんとむけて夏果てる  島﨑栄子 
  3位   千枚を一つながりに青田風     渡辺喬子
 市外の部
  1位   どの水に入れもなじむ水中花    青木一夫
  2位   小児病棟鶴の羽音の銀漢へ     林冨美子
  3位   圧手入れ脚立の下に父の声     飯田康酔

  7位   秋高し歩いて帰る競走馬      森羽久衣
  8位   遊ぶ風けふも来てゐる秋桜     酒井 努
  9位   たましいの青ざめるまで水を打つ  佐々木克子
 10位   蛇穴に入る後ろ手に戸を閉めて   住 落米
 11位   敬老日妻の好みのタイ締めて    橋山紫幹
 12位   湧き水のあふれる桶の新豆腐    中田愛子
 13位   霧深き街燈の黙木々の黙      日吉怜子
 14位   開かれし海図一枚涼新た      鍬守裕子
 15位   山門に雨やり過ごす秋彼岸     江橋恒男  



   

2017年10月23日月曜日

林桂「泳ぐ船長/沖に/月影/陸(くが)を風」(『動詞』)・・



 林桂第8句集『動詞』(現代俳句協会)、集名となったテーマについて「後記」で以下のように記している(ちなみにブログタイトルの句は総ルビ)。

 動詞をテーマにしたのは、以前の名詞(体言)をテーマにした作品創作の転換を試みようとしたからであった。名詞をテーマに掲げることで、一つの方向性が見えてくるのであるが、それはまた世界を収斂させる力としても働く。それを解放して、様々な方向を獲得する可能性を求めて、動詞をテーマにした作品創作を行おうとしたのであった。

 というように、その試みは目次にも現れている。例えば冒頭から、「笑ふ」「走る」「遊ぶ」・・・と続いて行く。句の二例をあげると、

   星笑(ほしわら)
   秘蔵(ひざう) 
   茫々(ばうばう)
   ササ菩薩(ぼさつ)
 
   風走(かぜはし)
   百合(ゆり)
   彼方(かなた)
   (たき)の前(まへ)

 たしかに上句の出だしは動詞なのだが、結句は多く体言(名詞)で書き終えている句が多い。たぶんそれは俳句の句法が要請する、もっとも安定して読者に光景を見せることができるという表現上の宿命のようなものから来ているのではなかろうか。
 それをあえて、さらに開き、解放するには、結句に動詞を配する冒険を試みなければならないのだが、実に難しい、と思われる。作者が動詞の試みと述べているからには、当然ながら結句が動詞の句もある。

  雪匂(ゆきにほ)
  雪虫匂(ゆきむしにほ)

  風匂(かぜにほ)

句の創り方といい、句集の作り方といい、林桂は、句作において極めて意識的な作家である。
 ともあれ、愚生の好みの句をいくつか以下に挙げておきたい。

  風遊(かぜあそ)
  瑞穂(みずほ)
  (みづ)
  (くぼ)ませて

  踏(ふ)んでゐる
  父母(ふぼ)
  (めぐ)みの
  影法師(かげぼふし)

  朋(とも)も眠(ねむ)れり
  さればさ
  (ねむ)
  (うで)の鬼(おに)

  (ただよ)ふと
  (き)めて
  (き)めかねてから
  水母(くらげ)
  
  終(を)はれ
  (を)はれ
  東北冷(とうほくひ)えて
  夜明(よあ)けかな

林桂(はやし・けい)1953年、群馬県みなかみ町(旧新治村)生まれ。



  





  

2017年10月22日日曜日

武藤幹「ゑのころをセンターラインの田舎道」(「第172回遊句会」)・・

 

         石飛公也「長屋門」(府中郷土の森)、写真・武藤幹↑

 先日、10月19日(木)は第172回遊句会(於・八重洲地下街 たい乃屋)だったが、愚生は、一年前からの先約で「吟遊」20周年レユニオンに出掛けた。従って、今回は欠席投句。いつも、句会報にまとめて送って下さっている山田浩明氏が、そのコメントに「本日は選挙投票日。あいにくの天気ですが、もうお済ませですか?私は期日前投票の常習者で、本日はユトリ(?)で句報の発送をしています。それにしても、落選する立候補者の気持ちを句会の度に味わう私・・・猫じゃらしと遊んで、癒やしてもらいたい気分です」としたためられていた。
 因みに上掲の絵画は、過日開催された展覧会(於、国分寺・本多公民館)の石飛公也氏の水彩画。
 以下に句会の一人一句を高点句順に(最高点句はブログタイトル)・・・、

  甦る三波春夫の体育の日           植松隆一郎
  体育の日父子は右投げ左打ち         たなべきよみ
  風の歌ゆらり指揮するゑのこ草        橋本 明
  秋の蚊が済まなさそうに飛んでいる      村上直樹
  彷彿(ほうふつ)す一九六四(いちきゅうろくよん)体育の日 川島紘一
  腑に落ちぬ世を撫(な)でているねこじゃらし 春風亭昇吉
  鍛えたい心があるの体育の日         原島なほみ
  体育の日やグローブを嗅いでみる       武藤 幹
  平日も体育日(たいいくび)も休み毎日が   天畠良光
  秋の蚊の哀れ装い刺しに寄る         山田浩明
  秋の蚊の羽音の弱さにだまされて       石飛公也
  老いてなほ秋の蚊叩き「いのち惜し」     渡辺 保

以下は欠席投句より、

  通販器体育の日の置き土産          林 桂子
  夕刊といっしょに居間へ秋の蚊が       加藤智也
  残る蚊の額(ぬか)に止まりて打たれたり   大井恒行
  



 
                    

2017年10月21日土曜日

九条道子「始発車を見送る青女無人駅」(『薔薇とミシン』)・・



 九条道子第一句集『薔薇とミシン』(雙峰書房)、薔薇とミシン、この集名からは、たぶん、多くの人は、かのシュルレアリスムのロートレアモンの詩句「解剖台の上でのミシンとこうもり傘の不意の出会いのように美しい」を思い出すかもしれない。愚生もミシンとこうもり傘ならぬ「薔薇とミシン」に妄想を働かせたのだが、本集はリアリズムの「薔薇とミシン」である。懇切を極める戸恒東人の序文には、

 句集名の『薔薇とミシン』は、集中の
  薔薇香る窓開けは放ちミシン踏む  「吾亦紅」
から採ったものである。愛情を掛けて育てた薔薇たちが香る庭園。その薔薇の香りを窓から引き込みながら生業としてのミシンを踏む。もう何十年も続けてきた日常であるが、何事もなく過ぎ去ることも大事だ。そして夕暮れになると、
  ミシン止め薔薇と語らふ薄暑かな  「文字摺草」
と、ふたたび薔薇園に下りたって、てきぱきと手入れする。庭のバラは亡夫の形見であるが故になおさら愛おしい。

 これも心情あふれる跋の原田紫野は、最後に以下のように締めくっている。

 ミシンは確固とした実の世界、大震災の被害に遭った家を建て直し守り続ける堅固な意志と力を、そして薔薇はそれを支える詩情と美意識の謂と言えよう。その二本の柱の微妙なバランスのとれた生き方を九条さんは今後も強く美しく句に刻まれることであろう。

ともあれ、集中よりいくつかの句を以下に挙げておこう。

   霧立ちてたちまち湖面失へり     道子
     平成二十年十二月十七日 夫克行死去。享年六十五。
   微笑みの遺影に冬の薔薇香る
   咲き初めの薔薇一輪は亡夫のため
   三山を引き寄せ寒の月静か
   聖夜かな一つ蒲団に母と寝て
   文字摺草節(たかし)と夜雨(やう)の里に住み
   昨日呑みし日輪を吐き冬の梅
   
九条道子(くじょう・みちこ)、1945年茨城県下妻市生まれ。表紙、扉の装画は父の鯨井康嗣、写真は亡夫の育てた薔薇。



2017年10月20日金曜日

夏石番矢「未来より滝を吹き割る風来たる」(「吟遊」20周年記念レユニオンより)・・


           左・梅若猶彦+右・夏石番矢↑
   
 昨夜は、「吟遊」創刊20周年記念レユニオンが、東京神田・学士会館で行われた。前半は梅若猶彦(能楽師)と夏石番矢の対談「伝統と現代と世界」、対話は、世阿弥以来の伝統、前衛の在り様ように及んだが、その途中に梅若猶彦が、説明するよりも実際に謡ってみせた方が理解しやすいと思ったのだろう。番矢「未来より滝を吹き割る風来る」の句を即興で謡い、その吟じ方のバリエーションの多彩な迫力に聴衆のみならず、夏石番矢自身も驚き感動した(その時に番矢が数えたのは6通り)。対談が終わって、芳賀徹は、夏石番矢の句が一段と良くみえる、と挨拶まじりに語った。
 また、別に会場近くの東京堂書店6階ホールでは、「吟遊同人自筆50句選展」が開催されており(10月17日~22日、午前11時~午後6時・最終日は午後5時まで)、愚生は『吟遊」レユニオンに行く直前に行ったので、ゆっくり見るというわけにはいかなかったが、出品者の色紙の多くに赤丸シールが貼ってあって売れ行きも好調のようだった。
 以下に、「吟遊」同人の色紙出品者リストを案内チラシから挙げておこう。




 夏石番矢・鎌倉佐弓・麻田有代・阿部吉友・川口信行・木村聡雄・金城けい・白石司子・新藤麦飲・鈴木伸一・たかはししずみ・たかはしゆめ・竹凡・渚みどり子・長谷川破笑・長谷川裕・福岡日向子・吉田嘉彦・松本恭子・吉田艸民

案内チラシに記されていた句は、

  緑蔭に男は優しき潜水艦    番矢
  水仙をとりまく青は歌ういろ  佐弓 



2017年10月18日水曜日

衛藤夏子「冬銀河遺伝子操作研究中」(『蜜柑の恋』)・・



 衛藤夏子・俳句とエッセー『蜜柑の恋』(創風社出版)、「船団」の俳句エッセーシリーズの中の一冊。坪内稔典の帯文には、

 なっちゃん(夏子)は自然体、そしてちょっとした幸せにとても敏感だ。このなっちゃん、小説と映画と俳句が大好き。家族と友だちを愛し、薬剤師を仕事とする。当年52歳、まさに働き盛りのなっちゃんのこの本は、読後の心を清爽にする。若葉風が吹いたようだ。

とあって、まさにその通りの俳句とエッセーである。幸せそうな人生がそこにある。愚生とは生きる上での真剣さ、心がけが違うようだ。羨ましいといえば羨ましい。巻尾に「わたしの十句と短いエッセーの章がある。その中に「櫛買って人想う夜十三夜」の句のエッセーの最後は、

 歳を重ねると、どういうわけか、欠けているところのある人間に魅かれます。どんな人間にも表と裏があり、強さと弱さがあります。若いころには、その人の表や強さに魅かれていましたが、、だんだんと裏や弱さ、愚かさに魅かれるようになりました。それは、すなわち、人間そのものが面白くて、好きになっているのかもしれないです。

 とあって、やっぱり、愚生は魅かれなくてもいいから?自身にもう少し強さがほしいな・・と思ったりした。もっとも、多くが、映画や小説、そして仕事のことについてのエッセーなので、著者を知るにはまたとない手軽に読める本なのである。
 ともあれ、引用するには、エッセーの良さも損ねてしまうので、直接、本書を読まれたい。ここでは、集中より、いくつかの俳句を以下に挙げるにとどめさせていただこう。

  星祭院内感染増殖中        夏子
  白シャツと黒の下着の採血日
  怒りんぼう淋しんぼうかも秋の雲
  過去に降り現在に降り外は雪
  ときめきを見透かしている夏の星
  雁渡る難民渡る境界線
  
衛藤夏子(えとう・なつこ)1965年、大阪府生まれ。





   

2017年10月16日月曜日

三丸祥子「秋の日の鳥とりどりや片辺(かたほとり)」(『翼の影』)・・



 三丸祥子第一句集『翼の影』(書肆麒麟)、表紙写真・著者、装幀・山田耕司。栞文は澤好摩に横山康夫。横山康夫は著者について、

 彼女はじつは鳥博士である。植物についても詳しい。それもそのはず、NPO法人希少物研究会の事務局長といふ偉い肩書を持つてゐる。タカの渡りやクマタカの観察などに同行させてもらふと、絶滅危惧種について熱く語る人なのだ。(中略)彼女は飛んでゐる鳥を瞬間的に区別できるらしいし、鳴き声を聴いて鳥を区別ができる。これも驚きである。(中略)野鳥観察といふ長年の鳥との関はりがあつて初めてできることであらう。渡り鳥を何時間も待ち続けるなど、その根気強さは折り紙付きなのである。

と記している。「円錐」大分句会からの俊秀である。また、著者自身も「あとがき」に「愛読書は植物図鑑です」と記し、かつ「大人になってからは野鳥図鑑も友とし、特にタカと親しくしています」とある。従って、句集名についても以下のように記している。

 また春秋に越冬地と繁殖地を行き来するハイクマやサシバ、ハイタカなどは中津市内を一望できる八面山が渡りのコースになっており、空ばかり見上げる日が続きます。当然ながらそれらを詠んだ句が多くなります。句集名の『翼の影』は「雲海に翼の影や試験終ふ」の一句からというより、この句集のあちこちに登場する鳥たちの翼の影なのです。

ともあれ、集中から愚生好みのいくつかの句を挙げておきたい。

   逃げ水の果てより鳶の生まれ出づ    祥子
   デイゴ咲く島より届きたる爆音
   逃げ水に溺れてゐたる雀かな
   空砲の音に影ある枯野かな
   残照の金柑は木に熟れ残り
   罅(ひびり)ある石に水遣る大暑かな
   棄て山や棄て田や葛は花盛り
   水際に秋沙(あいさ)揉まれて潜りけり
   鷹の眼の赤味をまして老いにけり
   からうじて人界にあり大西日
   イーゼルに絵はなく風に色はなし

 三丸祥子(さんまる・さちこ)、1957年大分県中津市生まれ。 



2017年10月14日土曜日

浅井民子「ラ・カンパネラ奔流となり夜の秋」(『四重奏』)・・



 浅井民子第二句集『四重奏』(本阿弥書店)、装幀・花山周子。集名の由来については著者「あとがき」に以下のように記してある。

 句集名『四重奏』は集中の句によるものではありません。俳句に関わることで、四季の移ろいが奏でる自然や風土、文化の豊かな滋味に気づき、触れ魅了されてきました。と同時に、四囲の人々、身近な家族に始まり、俳句につながる多くの方との得難い縁に恵まれ、友人知人のみならず同時代に生きる様々な方、世界との交流が醸し出す調べは私にとり何物にも替えがたく美しきものとなりました。その時空が音楽的で好ましく思われることから『四十奏』と名付けました。

 とはいえ、集名に少しこだわってみると、音楽に関わる句が意外にある。例えば、

   昼灯すヴィオロン工房鳩の恋     民子
   繰り返す自動ピアノや室の花
   十二月レノン好みの眼鏡選り
   横笛の横顔の翳花かがり
   黄落やサックス吹きのをみなたち
   初冬のアリア詩に酔ひ詩に泣けり
   幕間の黒づくめなる調律師
   能管の一節透くる梅月夜 
   ラ・カンパネラ奔流となり夜の秋

帯文は坂口昌弘、「あめつちへ深き祈りを大花火」の句を挙げて、

 造花に存在する森羅万象のいのちは光や音や匂いとなり、民子の詩魂の中で深い祈りのことばと化す。春夏秋冬は四時の楽器と化し、四十奏をかなでる。民子の句集は人と自然の共生を希求する。

と、惹句されている。ともあれ、愚生好みのいくつかの句を挙げておきたい。

   蚊遣焚くかもめ食堂潮時表
   人に倦み刻に倦みたり吾亦紅
   ことごとく陽を恋ふ形や冬木の芽
   蒼穹をゆらせる冬のあめんぼう
   かたかごや揺るるはさびし揺れざれども
   朝日あまねし武蔵野の枯木立

浅井民子(あさい・たみこ)、1945年、岐阜県生まれ。






藤尾州「寒鰤よ向かうに在るはチェルノブイリか」(『美濃白鳥』)・・



                                                
                   扉絵・小川二三男↑

 藤尾州第二句集『美濃白鳥(みのしろとり)』(木偶坊俳句耕作所)、表紙装画は小川双々子、本扉挿絵は著者(サインはFumio Ogawa)、藤尾州、じつは小川二三男か・・・その絵について「あとがき」に、

 (前略)小川双々子が二〇〇二年に「地表」で「山山や踊りに裸電球垂れ 双々子」という作品を発表していたのを思い出し、白鳥を代表する徹夜踊りをイメージ出来るような、それらしい挿絵を描いてみようと思い立ち絵にした。譬え拙かろうがそんなことに御構い無く、故郷尾張一宮以上に自然も友人もいっぱいの、ああ美濃白鳥よ・・・の思い入れである。羨ましそうに視る「その人」は藤尾州か小川二三夫男でもある。

そして、また、

本書は美濃白鳥に独居した二〇〇九年八月より二〇一五年七月までの六年間と、この地を離れてから今も機会があれば行き来している二〇一七年五月までの二二四句を収録した第二句集である。

と冒頭に記されている。
愚生と同じ団塊世代だからかもしれないが、句の心情に味わい汲みつくせないものがある。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  家が涙す地に氷柱届きけり          州
  亡友幾人(ともいくたり)空蟬落ちず掴みをり
  陶物(すゑもの)に耳のありけり虫の声
  天は手妻黒き雲から雪を出し
  万の傘咲く花火師へ雨の降り
  はてしなき旅も果てあり浮寝鳥
  蜘蛛の囲に飛花囚はれてもう逃げず
  花筏まだ乗らずして見送れり
  白雪を裏返したり黒し苦し

 藤尾州 1948年愛知県生まれ。
  




2017年10月12日木曜日

友岡子郷「かなかなや同い年なる被爆の死」(『海の音』)・・



 友岡子郷第11句集『海の音』(朔出版)、句数232句、昨今の300句を越える、いや1000句以上の句集もある、全句集ならいざ知らず、最近流行の句数の多い句集には、少しうんざりさせられるところもあったのだが(年寄りには辛い、もっとも愚生のごとき老いぼれを相手にしていないのだろうけれど・・)、それから比べるとほどよい句数の句集である(愚生が若い頃は、ほとんどの俳人の句集は珠玉の作のみを収載した句数がさほど多くない、せいぜい200句程度だったように思うのだが・・・)。
 本句集名は巻尾の、

   冬麗の箪笥の中も海の音    子郷

からであろう。帯文は、かつての師・飯田龍太の言が再引用されて、飾られている。じつによく友岡子郷の作品の在り様を現わしている。

 子郷さんの作品には、木漏日のような繊(ほそ)さと勁(つよ)さと、そしてやさしさがある。人知れぬきびしい鍛錬を重ねながら、苦渋のあとを止めないためか、これでは俳句が、おのずから好意を示したくなるのも無理はない。
                      (句集『日の径』帯文より)

本集には、父母を詠んだ句にもしみじみしたものが多い。例えば、以下の句、

  父もまたひとりの離郷法師蟬
  父の軍歴山百合の数ほどか
  竹の物差に母の名夜の秋
    井原市
  悴みて父もくぐりし校門か

 飯田龍太の句集「あとがき」も短かったが、子郷も短い。それが沁みる。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておきたい。

   勿忘草ひとむら馬の水場なる
   鈴虫を飼ひ晩節の一つとす
   梨青し早世強ひし世のありし
   青蝗(いなご)子らの日々吾にありし
   絶壁の落椿また落ちゆけり
   まだ残る瓦礫のうへを春の鶸
   余り苗なぞや亡きひと想はるる
   平櫛田中(ひらくしでんちゅう)小春の版木積みしまま

友岡子郷(ともおか・しきょう)1934年、神戸市生まれ。



2017年10月7日土曜日

武山平「深海も深空も地球魂迎へ」(『開封』)・・



 武山平句集『開封』(文學の森)、集名に因む句は、

   開封は檸檬を齧る覚悟して      平

であろう。いつもながら親愛な序文は大牧広、
  
 「開封」、郵便物、ことに封筒の郵便物を切ってゆくとき、ゆえ知らぬ気持が胸をよぎる。
 すこしの期待、すこしの不安、こうした気持が胸をよぎるのでらる。
 著者の俳句は、そうした心地のよい不安感、希望、やがてゆきつくアクティブな心、そうした心情にいろどられていると見る。著者は教育職にあって、若い人達に、たしかな進路、思索といったものを導いていた。
 その自信が全作品にみちている。勿論人間である以上、自信と相対する不安や疑心もつたわるが、それらが詩的に発酵されて著者ならではの作品を成している。

 と記している。また、俳句について、武山平は「あとがき」で以下のようにいう。

 読めない漢字に意味不明の句(味わえない私)は無視していた私だったが、毎月衝撃的な俳句と出合い、俳句の不思議な世界に少しずつ魅せられていった。〈ひたすらにこの道行かう冬夕焼〉(平田房子)は当時の不安定な私に勇気をくれ励ましてくれた一句として、時々懐かしく思い出す。たった十七音なのに、しかもポエムであるのに、俳句はどんなに言葉を重ねても、文章では表現げきないような緊張感や広がりまでも表現できる器であることに気付き、楽しい驚きの連続であった。

 俳句との幸せな出合というべきである。ともあれ、いくつかの句を以下に挙げておこう。
武山平(たけやま・たいら)、昭和29年宮城県生まれ。石巻市在住。

  人参は日輪になりたくて赤
  おにぎりの心臓か梅干しの赤
  赤のまま挿して空缶に命
  緑さす震災ごみをまとひても
  風死すやかつて教科書死んだふり
  少年にピアスの光原爆忌
  手袋の五本の闇を疑はず







 

2017年10月6日金曜日

堀葦男「ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒」(「一粒」83号より)・・



「一粒(いちりゅう)」第83号(一粒俳句会)、特集は「『俳句20章』の世界」。堺谷真人は「巻頭言」とともに「堀葦男かく語りきー『俳句20章』成立の背景と俳句文体論」を執筆している。堺谷真人は最晩年の堀葦男に師事している。その堺谷が、堀葦男に最初に会ったのは「昭和62年(一九八七年)六月、筆者は初めて『一粒』の月例句会に出席した。『先生の堀葦男いうのんは、関西前衛の旗手やったんや。知ってるか』『いいえ』。筆者を強引に勧誘した西村逸郎氏と事前にこんなやりとりがあった。『そらもう大変なロンキャクやったんやで』」(「巻頭言」より)。堺谷真人は1963年生まれだから、24歳の時である。西村逸郎の語り口、姿が髣髴とする。
 本号の堺谷真人の「資料1」には、その堀葦男著『俳句20章ー若き友へー』(海程新社・昭和53年9月刊、限定700部)の目次が紹介されている。初出は「海程」創刊号(1962年4月)から29号(1966年12月)まで23回にわたって連載された「現代俳句講座」に、加筆のうえ海程新社から発行されている。
 本著の特徴は当時の俳句作品をいわゆる伝統派から前衛派まで、具体的に作品をあげ、その特質を解明して、その共通する表現上の特徴を明らかにしている点であろう。同時にそれは、かの戦後俳句、昭和30年代の俳人の多くが現実生活と世界の在り様の真っ只中で苦闘していることも描出していよう。
 堺谷は「(一)音律と意味律との二重性」の部分で、以下のように述べている。 

 なお、葦男自身は特に説明を加えていないが、在来俳句が「句またがり」と呼ぶ表現を、句調に変化をつける技法としてだけでなく俳句独自の文体論から捉え返している点、俳句を二分節の文章とする意味律の規定によって、在来俳句が慣習的に忌避する「三段切れ」を予め排除している点などに「共通基盤」構築に向けた周到な用意を感じる。
 更に、分節と音の齟齬による「一種独特の深みや陰翳」には一句一行の棒書きのときに最もよく働くと考えると、俳句文体の効果を殺ぐ分かち書きや多行形式に対して堀葦男が慎重だったことも首肯できる。

 特集の他の執筆陣は、中村不二男「堀葦男の『俳句20章』の世界へ」、小野裕三「天上と地上に引き裂かれて」、伊藤佐知子「俳句上達の試み」。
今や、堀葦男のことを思い起こす俳人も少なくなった。貴重な特集だと思う。
 堀葦男(ほり・あしお)、1916年6月~1993年4月。東京市芝区(現・港区)生まれ。生後早々、神戸市に移り、関西に育つ。




 ともあれ、本号の「一粒集」から、一人一句を挙げておこう。

  睡蓮のあたり地下鉄掘れと云う    湖内成一
  名誉とは汝が花言葉凌霄花      鈴木達文
  路地二本同じ夕焼かかへたる     勢力海平
  摩文仁まで這ふ兵ありき蝸牛も    堺谷真人
  からまつはさびしとおもふ夏の霧   中村鈍石
  小刻みに震えて海の大西日      中井不二男
  薄暑光うなじにふわりはんかちーふ  有馬裕美


  

2017年10月5日木曜日

とくぐいち「裏山に鳥の身投げは続きけり」(『おじゃまむし』)・・



 とくぐいち俳句集『おじゃまむし』(私家版)には、二冊の句集が入集されている。ひとつは当人の『おじゃまむし』400句、あと一つは、彼の友人だった八田春木遺句集300句である。
著者「あとがき」に、

 この句集は二〇〇九年六月から二〇一七年二月まで『蕙』『鶏鳴』『ロマネコンティ俳句ソシエテ』『面』等の俳誌に発表したものを中心に選んだ。慣例的には、敬愛する俳人に選句を願い、解説等を書いていただくところだが、無季俳句孤軍奮闘中でもあり自選とした。また、『八田春木遺句集』を付録としたが、それは俳句にあって因縁浅からぬ、今は亡き友人八田春木の作品を収録しておきたかったからである。

 と記されている。無季俳句とはいえ、俳句は、言いおおせて何かある・・のであり、言いおおせるのが川柳ならば、とくぐいちの句は、やはり川柳的なのである。無季俳句も川柳も同じく五・七・五のみで立つ形式である。いずれにしても、その道は、ともに遥かである。「面」に所属とあったので、そこには見事な書き手である高橋龍がおり、無季俳句といえども、掌中のものである。せっかくの具現の士が近くにおられるだから、教えを請われるのが近道ではなかろうか。とはいえ、この困難な道を進もうとする、とくぐいちの奮闘に敬意を表したい。
 ともあれ、彼の句と、そして、俳句としては、よく完成されている八田春木の句をいくつか以下に挙げておきたい。

  年表の余白に兵が横たわる     とくぐいち
  身をひたす闇が縮んでしまいけり
  もういいと白菜煮えてしまいけり
  こんにゃくは時を盗んで煮えてゆく
  言訳のかわく舌の根蟻地獄
  「様」つけるほど上等か「世間」は
  ひっそりとしている円の中心部
  戦争にたてる爪なし季語二万

  少しだけ温もる水を吐く海月     八田春木
  白玉は水の深きへ変声期
  かなかなの声ふたとほり父娘
  春の闇乾ききらない手を使ふ
  霧の海死刑執行報じをり
  炎天下魚眼レンズの中の街
  少年を囮に入れて五十年
  死神も同席したる雪見酒

  とくぐいち、1947年山梨県生まれ。水戸市在住。



               つるし雲 撮影・葛城綾呂↑   

  

2017年10月4日水曜日

黛まどか「南無大師遍照金剛夕焼けぬ(「黛まどかの四国歩き遍路・同行二人」より)・・



 東京新聞夕刊にほぼ3ヶ月連載されていた「黛まどかの四国遍路・同行二人」がめでたく結願した。
 威張るわけではないが、信仰心もなにもない愚生は、遍路などという苦行には縁なく過ごしてきた。とはいえ、一度歩き遍路をしたことがある、しかも約一時間程度ですべてを歩き通せる、高幡不動尊の小山にある札所めぐりだ(笑)。
 黛まどかに最初に会ったのは、たしか第一回か第二回の加藤郁乎賞(第一回授賞は手島泰六)の折りだったのではなかろうか。まだ飯島耕一、辻井喬も健在だった。加藤郁乎は崇教真光(すうきょうまひかり)の信者にして、位も上位の人だったように思う。郁乎はごくたまに「手かざし」をすることもあった。俳句評論のご婦人方には、その「手かざし」をされた方も多くいらっしゃるだろう。
 その加藤郁乎賞の第一回受賞式の出席者に、俳人は愚生より他にいなかったようにおもう(いや仁平勝はいたかもしれない)。郁乎没後は加藤郁乎記念賞として引き継がれている。
 それにしても「同行二人」の遍路の様子は、身心ともにタフでなければ到底完遂できるものではないと思わせた。歩いているうちに金剛杖の先はめくれて花のようになるのだ。
 連載の最後は以下のように結ばれている。

  (前略)結願の果てに行き着いたのは、空と海のあわいだった。数えきれない一期一会はやがて線になり、円を描いて一つの真理に到達した。巡礼者には肩書も名前さえも要らない。ただ、「お遍路さん」と呼ばれ、施しを受け、襤褸(ぼろ)切れのようになりながら歩き継ぎ、生まれ変わる。祈り、供養して歩くことは、自分自身の魂の救済にほかならない。白衣は死装束(しにしょうぞく)であり、産着であった。
 「あっ、”花”だ!」。ユリウスの声に杖(つえ)の先を見ると、土にまみれた小さな”花”が咲いていた。

  南無大師遍照金剛夕焼けぬ

ユリウスは遍路の途中で会った年齢は親子ほども違う青年であるという。
ともあれ、連載終了前の一日一句を紹介しておこう。

  結願の道に拾へる落し文     まどか  
  月光に白衣の乾く柚子の花
  方丈ににぎやかな声樟若葉
  泉湧いてしきりにこぼす鳥の声




2017年10月3日火曜日

井上けい子「銀河へと行くかもしれぬ蓮見舟」(『森の在所』)・・



井上けい子『森の在所』(文學の森)、集名は以下の句に因む。

  秋蟬に森の在所を知らさるる         けい子

著者「あとがき」に、

 句集『森の在所』は、平成二十一年刊行の『雪ほたる』に続くもので、二十三年から二十九年四月までの三七一句を制作順に収めた、私の第二句集です。

とある。序文は塩野谷仁で、その結びに、

  老いてなお炎となれり冬紅葉

巻末に近い作品である。作者は昭和六年生まれ。されど、この句からは、今なお少女期から抱いてきた文学への熱い思いが見てとれる。「冬紅葉」が作者の思いを代弁していよう。俳句では八十代は熟成のとき。これからの健吟を願って止まない。

としたためられている。
 著者は退職後、星野沙一のカルチャー講座を受講し、「水明」の同人となり、沙一亡きのちは星野光二に師事、第一句集を編んだ後、塩野谷仁のカルチャー教室を受講、探求心、好奇心も旺盛な様子である。現在は「遊牧」同人で、句作りに、なお磨きがかかっているようだ。ともあれ、以下に、いくつかの句を挙げておこう。

  いもうとのさよならを告ぐ冬茜
  散骨の海果てしなく冬銀河
  品書に改訂のあと走り蕎麦
  蛍袋のなかに密かな隠し人
  留守電にのこる電話や花の闇
  洞窟にのこる声あり沖縄忌
  夜の卓に葡萄一房あり触れず

井上けい子(いのうえ・けいこ)、昭和6年、朝鮮京城府生まれ。



          ヒガンバナ 撮影・葛城綾呂↑

2017年10月2日月曜日

佐々木六戈「どよめきに彼の人思へしだらでん」(「草藏」第95号)・・


 
 句歌詩帖「草藏」(草人舎)誌は、見事なまでに佐々木六戈の美意識が隅々にまでめぐらされいる。句歌詩帖だから、毎号、佐々木六戈の俳句・短歌・詩が発表され、もちろん同人諸氏も六戈の選を閲して作品が掲載されている。本集の「風人帖(ふうじんてふ)/俳句」の「一人称」36句のなかに、ブログタイトルにした句「どよめきの彼の人思へしだらでん」を見つけたのである。そして、彼の人とは、最晩年の句集『しだらでん』の三橋敏雄に違いないと思ったのである。その集名ともなった三橋敏雄の句は、
  
  みづから遺る石斧石鏃しだらでん    敏雄

である。
 愚生が佐々木六戈と知り合ったのは、彼がまだ創刊からさほど間もない「童子」の編集長時代だ。仁平勝などともに、コラムを連載させてもらったこともある。彼を新宿の宮﨑二健の店「サムライ」で加藤郁乎に紹介した日もあった。その夜、加藤郁乎と佐々木六戈はすぐに意気投合した。
ともあれ、「草藏」本号から句をいくつかと短歌を二首挙げておこう。

  声あれば美声の黴でありにけり     六戈
  回りけり入道雲の裏口へ
  蟷螂の斧青青と使用前
  大夕焼絶筆は斯く暮れながら
  夭き死のかなかなの鳴き交はすさへ

  たくさんの人を屠りて此処に居るこの世のことではなうかのやうに
  非情なる息子にわれは成り果てて母の歌詠む一寸法師




★閑話休題・・

「俳人『九条』の会通信」第20号(俳人「九条」の会事務局)が届いて、去る4月8日に行われた「新緑の集い」の講演録・酒井佐忠「怒りをこめてふり返れ」が載っていた。2014年2月7日に69歳で亡くなった歌人・小高賢の遺歌集『茱萸坂』の短歌と大牧広の俳句について多くを語っていた。「茱萸坂は国会議事堂前の南の下り坂で、デモに参加された方はご存知だと思います」と酒井佐忠は述べていた。
 講演で紹介された作品の中から、それぞれの二首と二句を以下にとどめておきたい。

 沖縄に原発なきはアメリカの基地のあるゆえ・・・みんな知っている 小高 賢
 価値観が戦後ユガンデキタサウダツマリ戦時ガ正シイサウダ

 反骨は死後に褒められ春北風        大牧 広
 夏ひえびえいくさの好きな人が居て
   


  

 

2017年10月1日日曜日

日高玲「夜のひまわり液体爆弾壜の中」(『短編集』)・・


 
 日高玲第一句集『短編集』(ふらんす堂)、序句・序文「手法の自由さ」、ともに金子兜太の色紙、直筆原稿を写真にして掲載してある。序句は、

   小鳥来る巨岩に一粒のことば    兜太

跋文は安西篤「日高玲句集『短編集』評-独自の方法と多彩な映像」。その跋に「スケールの大きい知的形象力で勝負する本格派」と記している。そして、

 全体は十章によって構成されているが、(中略)さらに各章は、ほぼ七句編成となっていて、十章で三十五の短編があり、全体は二百四十七句で構成されている。ここに『短編集』の所以がある。(中略)こうした工夫は、日高の連句出身の経歴と無縁ではない。一編七句の短編によって、連句的手法の展開を図っているのだ。

とある。よって「短編集」の項、単独一句ではなく七句を以下に挙げる。

  皺の眼みせて湖あり涼新た          
  木の葉髪夜明けの湖むらさきに
  九条葱姉はそろりと雨戸引く
  餅菓子屋翁顔なり枇杷の花
  お元日猫を老い抜く尼二人
  お降りや短編集に恋の小屋
  喉通る七草粥の緑かな

いかがだろうか。それを金子兜太は「連句と俳句に親しんでいたのである。そして、付合いの手法を一句の句作りにも活用して、独特な俳句の世界を築いてもいたのだ」と序に言う。そして、また、安西篤は跋の結びに、

 寝物語に犀の生き死に無月なり
 まんさく咲くひとを去らせて素となりぬ

この二句の間に、夫の死があった。「寝物語」には、生前の夫像があるが、「生き死に」は、「犀」という場(景)のものであった。ところが「まんさく咲く」に到るや、「去らせ」た「ひと」とは「夫」、つまり二人称のものになる。夫に死なれて、にわかに一人称たる自己は「素」なるもの、無地な白そのものとなったという。それは「まんさく咲く」映像にも通い合う。
 
と記している。ともあれ、本集よりいくつかの句を取り出しておこう。

  鳥類学者シャツに氷河の匂いして
  アパートの死角真白し花八手
  夕立を待つベネチアの硝子吹き
  蛇はまだ寝てはいるまい摩尼車
  無色とは肺の澄むこと春鴉

日高玲(ひだか・れい)1951年、東京生まれ。