2017年10月6日金曜日

堀葦男「ぶつかる黒を押し分け押し来るあらゆる黒」(「一粒」83号より)・・



「一粒(いちりゅう)」第83号(一粒俳句会)、特集は「『俳句20章』の世界」。堺谷真人は「巻頭言」とともに「堀葦男かく語りきー『俳句20章』成立の背景と俳句文体論」を執筆している。堺谷真人は最晩年の堀葦男に師事している。その堺谷が、堀葦男に最初に会ったのは「昭和62年(一九八七年)六月、筆者は初めて『一粒』の月例句会に出席した。『先生の堀葦男いうのんは、関西前衛の旗手やったんや。知ってるか』『いいえ』。筆者を強引に勧誘した西村逸郎氏と事前にこんなやりとりがあった。『そらもう大変なロンキャクやったんやで』」(「巻頭言」より)。堺谷真人は1963年生まれだから、24歳の時である。西村逸郎の語り口、姿が髣髴とする。
 本号の堺谷真人の「資料1」には、その堀葦男著『俳句20章ー若き友へー』(海程新社・昭和53年9月刊、限定700部)の目次が紹介されている。初出は「海程」創刊号(1962年4月)から29号(1966年12月)まで23回にわたって連載された「現代俳句講座」に、加筆のうえ海程新社から発行されている。
 本著の特徴は当時の俳句作品をいわゆる伝統派から前衛派まで、具体的に作品をあげ、その特質を解明して、その共通する表現上の特徴を明らかにしている点であろう。同時にそれは、かの戦後俳句、昭和30年代の俳人の多くが現実生活と世界の在り様の真っ只中で苦闘していることも描出していよう。
 堺谷は「(一)音律と意味律との二重性」の部分で、以下のように述べている。 

 なお、葦男自身は特に説明を加えていないが、在来俳句が「句またがり」と呼ぶ表現を、句調に変化をつける技法としてだけでなく俳句独自の文体論から捉え返している点、俳句を二分節の文章とする意味律の規定によって、在来俳句が慣習的に忌避する「三段切れ」を予め排除している点などに「共通基盤」構築に向けた周到な用意を感じる。
 更に、分節と音の齟齬による「一種独特の深みや陰翳」には一句一行の棒書きのときに最もよく働くと考えると、俳句文体の効果を殺ぐ分かち書きや多行形式に対して堀葦男が慎重だったことも首肯できる。

 特集の他の執筆陣は、中村不二男「堀葦男の『俳句20章』の世界へ」、小野裕三「天上と地上に引き裂かれて」、伊藤佐知子「俳句上達の試み」。
今や、堀葦男のことを思い起こす俳人も少なくなった。貴重な特集だと思う。
 堀葦男(ほり・あしお)、1916年6月~1993年4月。東京市芝区(現・港区)生まれ。生後早々、神戸市に移り、関西に育つ。




 ともあれ、本号の「一粒集」から、一人一句を挙げておこう。

  睡蓮のあたり地下鉄掘れと云う    湖内成一
  名誉とは汝が花言葉凌霄花      鈴木達文
  路地二本同じ夕焼かかへたる     勢力海平
  摩文仁まで這ふ兵ありき蝸牛も    堺谷真人
  からまつはさびしとおもふ夏の霧   中村鈍石
  小刻みに震えて海の大西日      中井不二男
  薄暑光うなじにふわりはんかちーふ  有馬裕美


  

0 件のコメント:

コメントを投稿