2016年11月28日月曜日

生駒大祐「水の中に道あり歩きつつ枯れぬ」(「豈」59号)・・・



「豈」59号が出来てきた。ほぼ一年ぶりの刊行である。
皆さんの手元には明後日あたりにはお届け出来るだろう。
特集はふたつ、一つは第三回攝津幸彦記念賞(表2には、第4回攝津幸彦記念賞応募要項が広告されている)。
二つは「不安の時代(震災・戦争・老後・鬱)-新しい社会性」。以下に目次を掲載しておく、注文は発売元・邑書林(書店経由)にお願いします(1000円+税)。


‐俳句空間‐「豈」 59号)  目次                        表紙絵・風倉
                                      表紙デザイン・長山真

◆招待作家・20句 金原まさ子 2  川嶋健佑 4  冨田拓也 6  堀下 翔                               
第三回攝津幸彦記念賞 正賞・筑紫磐井奨励賞 生駒大祐  10
             同 大井恒行奨励賞 夏木 久 12  
   同 佳作 赤野四羽 17  打田峨者ん 18  北川美美 19  佐藤成之 20
        嵯峨根鈴子 22  曾根 毅 23  小鳥遊栄樹 24 山本敏倖 25   
同 選評 関 悦史 26  筑紫磐井 28  大井恒行 30
第二回攝津幸彦記念賞受賞者作品 花尻万博 32 
第三回攝津幸彦記念賞奨励賞受賞第一作 夏木 久 34
第三回攝津幸彦記念賞受賞作家・作品論 
「俳句の剥き身」柳本々々 36   「辞退するなかれ、西村麒麟賞」西村麒麟 38

作品Ⅰ  池谷洋美 41 青山茂根 42 秋元 倫 43 飯田冬眞 44 池田澄子 45
 丑丸敬史 46  大井恒行 47  大本義幸 48 岡村知昭 49 恩田侑布子 50
 鹿又英一 51  神谷 波 52  神山姫余 53

  特集 不安の時代(震災・戦争・老後・鬱)-新しい社会性
   青畝俳諧の社会性 浅沼 璞 54     言葉が立つとき 五十嵐進 56
   詠まれたことも読まれたこともない膨大な俳句に向き合う不安 小野裕三 58
   不安と虚実 曾根 毅 60         破地獄の文学 竹岡一郎 62
   俳句、新しい不安の時代 柳生正名 64  〈流離〉する現在 髙橋修宏 66
   不安になるのがあたりまえ 堀本 吟 68  俳句と社会性 妹尾 健 71

作品Ⅱ  川名つぎお  71  北川美美 72  北村 虻曳 73  倉阪鬼一郎 74 小池正博 75
  小湊こぎく 76  小山森生 77 五島高資 78 堺谷真人  79 坂間恒子 80
酒巻英一郎 81  杉本青三郎 82 鈴木純一 83

特別寄稿 大本義幸を肴にした極私的回顧談 仁平 勝 84

◆大本義幸インタビュー・「豈」創刊のころ()  聞き手 関 悦史 86

連載  私の履歴書⑧ まだ女鹿である朝のバタートースト 大本義幸 88

◆作品Ⅲ  関 悦史 89 妹尾 健 90 高橋修宏  91 高橋比呂子92 田中葉月 93
筑紫磐井 94 照井三余 95 夏木 久 96 新山美津代 97 萩山栄一 98
秦 夕美  99
「豈」58号読後評 褻の旅人 川名つぎお 100   (さまよ)えばハイク 秦 夕美 102

作品Ⅳ 羽村美和子 104 早瀬恵子 105 樋口由紀子 106  福田葉子 107  藤田踏青 108
 藤原龍一郎 109 堀本 吟 110 真矢ひろみ 111

書評 髙橋比呂子句集『つがるからつゆいり』評 松下カロ 112
  小池正博句集『転校生は蟻まみれ』評 柳本々々 114
 夏木久句集『神器に薔薇を』『笠東クロニクル』評 秦 夕美 116

作品Ⅴ  森須 118 山上康子119  山﨑十生  120 山村 嚝 121  山本敏倖 122

  わたなべ柊 123   亘 余世夫 124

招待作家作品より一人一句を以下に挙げる。

儀式ですセロリの裸洗うのは          金原まさ子
月光を浴び向日葵は青く照る          川嶋健佑
「見えない戦争」「見える戦争」水中花     冨田拓也
どの夏となく来て淡し一枚田           堀下 翔 







2016年11月26日土曜日

末森英機「野をわたる誰かなじみのない象(かたち)」(『天の猟犬』)・・・



府中市立図書館の詩歌の棚、見るともなくみた。
どこかで覚えのある名前・・末森英機『天の猟犬』(れんが書房新社・2006年刊)。
もう十年以上は前の事になるだろうか。
中川五郎の解説「光る言葉のメディシン・、マシン」を読んで、はっきり思い出した。
「げんこつ祭」。愚生も所属していた企業を超えて個人加盟ができる地域合同労組、全労協全国一般東京労働組合で末森英機が中心になってやっていたイベントが「げんこつ祭」。様々な人が演奏し歌った。なかにゲストで中川五郎、高田渡の出演があった。
たしか小金井公会堂で開催したときは、素人ながら愚生の娘も弾き語りで参加していた。
どうやら、2004~5年のことだったらしい。その末森英機はかつてフォークシンガーだった時代もあり、一緒に参加した彼の子息のギターテクニックは、素人目にみても抜きんでていたように思う。
その時、末森英機にはすでに幾冊かの詩集があり、新詩集が『天の猟犬』である。彼がアルコール依存症から脱却し洗礼を受けたのちのものだった。しかもすべてが四行の詩。
だから、ブログタオイトルに引用した詩は以下の三行を加えた四行詩だ。

  
野をわたる誰かなじみのない象(かたち)
生まれたばかりの哀しみのないまばたき 翳を宿した羽や種
たそがれが夜明けと交替するとき
あなたはなお多くのことが隠されている 

もう一人の解説者・南椌椌「蝶をあつめているか」には、以下のように記されている。

天凛ということばがあるが、英機にはたぶん天凛があるのだろう。
英機の詩は幼いながらも発光しながら疾走していた。
酔えば、本当のチンピラのように悪態をつき、気に入らない酔客を指しては「殴ってもいいか?」と何度も繰り返す。まるで手を焼かせる駄々っ子のような英機が、このように混じりけなしの詩心を抱え持っていることに驚かずにはいられなかった。

そして、「げんこつ祭」の成功のために奔走していた頃には、もちろん彼は一滴のアルコールも口にせず、好青年であり(やんちゃな感じは残っていたが)、愚生はそのほとばしるエネルギーに感服させられていたのだった。

あと一編を以下に・・・

海は与え 奪い去った 命を
気散じ 引き波に うつ伏せに漂っている
あの日 甘美な死 死んでいればよかった
名もないちりのように 裡(うち)なる無重力の底に 

愚生は、労働運動からすっかり足を洗ってしまったが、彼はその後どうしているのだろうか。





2016年11月25日金曜日

萩山栄一「背伸びしてコツンと月にぶつかった」(『不思議の国』)・・・



萩山栄一句集『不思議の国』(文學の森)、彼の生まれは、愚生よりちょうど十年若く1958年、静岡県生まれ。現代俳句協会青年部創設のまもない初期に知り合った。「豈」の同人である。一時期休俳の苦しい時を過ごしたようだが、近年の彼の句は進境著しいと思っていた矢先、句集が届いた。そのことは、田中陽の懇切な跋に以下のように記されている。

 ともあれ、萩山にとっておもしろくて仕方がない俳句ーその集積がここに世に出ることの意義は大きい。もしかして著者には”口語俳句第二の出発”の旗手を期待してよいのかもしれない。

本句集の巻末あたりに、二編のエッセイ「沖縄」と「タイムマシンーH・G・ウェルズ」が収められているが、いずれも教師(人間)としての誠実さにあふれている。後者の最後に付された句は、

   資本主義 池面(いけも)の獅子の舌なめずり      栄一

ブログタイトルにあげた「背伸びしてコツンと月にぶつかった」の句には、稲垣足穂の「星と月のお話し」を思い出したりした。
あとがきとおぼしき「終わりに」に、「亡き父母に対する追悼句集である」とあり、また、以下のような言挙げも記されている。

  さて、詩(もちろん俳句をふくむ)は日常の中に、言語を手段として、非日常的空間を創り出す営為だと信じている。詩の起源である、祝詞・叙事詩がそうであるように、俳句という形式はそれが可能である。つまり私が俳句によって表現したいのは、「現代の神話」だ。そのように読んでいただければ幸甚である。

ともあれ、いくつかの句を挙げておきたい。

   夜の吹雪空は剥落(はくらく)し続けて      栄一
   八百万の神の手見えて大焚火
   ジグソーパズルの最後のピース梅雨明ける
   あくまでも黒い太陽大津波
   手に持って投げる石ころお菓子になあれ
   苺つぶす「ヒトヲコロシテミタカッタ」
   太陽の最後の色で柿落ちる
   怒濤から七色の竜昇天する
   




                                              コウテイダリア↑

2016年11月23日水曜日

漱石「菫ほどな小さき人に生まれたし」(「六花」VOL.1)・・・



宇田川寛之の出版社「六花書林」から雑誌「六花」が創刊された。編集後記にその在り様は縷縷述述べられているが、出版業界の構造的な衰退現象、とりわけ雑誌発行の難しさに足元をすくわれないように、との慎重さが伺える。しかし、それでも雑誌を出して前向きに現状を打破していこうという気概がみえる。合わせて詩歌の困難さも引き受けていこうとしているかにも思える。
 
 雑誌編集とは刺激があるが、呼吸が苦しくなるもの。とてもではないが、いまの自分では難しい。単行本はじっくり丁寧に編集することが大切だが、雑誌は勢い、決断力が大切だ。それでも何か行動しなければと思っていた。

このようなところにその悩みがのぞいている。そして創刊号のテーマは、

「詩歌ー―気になるモノ、こと、人」としてお願いした。要するに現在の関心事を自由に記して下さいということ。
  
なのである。というわけで、愚生は一応俳人なので、本誌に登場している、俳人・橋本直「学問としての俳句」、吉野裕之(かれは歌人でもある)「散文と韻文は豊かにつながっている」、田中亜美「菫ほどな」をとりわけ注目して読んだ。それは田中亜美が漱石の「菫ほどな小さき人に生れたし」に関わらせてみずからの句「冬すみれ人は小さき火を運ぶ 亜美」にまつわるエッセイであった。少し親近感を抱いたのである。訳は簡単だ。愚生が俳句を書き始めた時分、漱石の小説もさることながら、かの人妻の死について詠まれた「ある程の菊投げ入れよ棺の中 漱石」に魅せられて、俳句に深入りしたようなものだからだ。もう半世紀以上前のことになってしまったが、妙にこのことだけは覚えている。
とまれ、これらのエッセイのなかでもっとも俳句形式に対して志を明らかにしていたのは、当否は別にして、以下の橋本直の結びであった。

  子規の仕事はその一典型だが、その後本格的に過去を分析して時代を分かつ文学として強くおしだすことを試みた俳人は、大正期の荻原井泉水や高度成長期の金子兜太くらいしかみあたらない。兜太の造型論からすでに半世紀を超えたが現在の俳人の多くは彼らのような仕事を欲望しないようだ。そういう更新の力は失ったのかもしれない。

橋本直(はしもと・すなお)1967年、愛媛県生まれ。吉野裕之(よしの・ひろゆき)1961年、横浜生まれ。田中亜美(たなか・あみ)1970年、東京生まれ。



2016年11月21日月曜日

池田澄子「枯れるべきもの枯れきりぬ日の恵み」(「俳句界」12月号)・・



「俳句界」12月号(25日発売予定・文學の森)が「女性俳句ぬきに現代俳句は語れない!」を特集している。メインの対談は池田澄子と大木あまり。「現在、もっとも注目される女性俳人の」とリードにあったのでそうなのかなとも思う。大木あまり「寒ければ酒(ささ)召し上がれ陰の神」は
言う。

 芸術家は不幸なのが当たり前だと思っていた。そして表現者は栄光の一番遠いところにいるものだと思うの。

ということは、裏返してみると、いわゆる俳壇の現状はどうもそうでもなく、皆さん幸福の唄を歌っているということだろうか。俳句の神に愛されるためにはそうした志で俳句に向かわなければだめです、ということかも知れない。

呼応して池田澄子は、

どうして句集を作るかと考えると、ひょっとしたら百年後の人が読んでくれるかもしれない、と思って作るのね。今、どういう風にみられたいとか、誉められたいとかそういうことは考えない。

現世的な愚生などはとうてい及ぶべくもない境地だ。ところでアンケートが鎌倉佐弓・櫂未知子、対馬康子、鳥居真里子、奥坂まや、照井翠、辻桃子の7人が回答しているが、こちらは覗き見趣味のある愚生にはけっこう面白かった。だいたいが師系につながる俳人を挙げているが、①「故人で影響を受けた女性俳人」について(回答者のメンバー次第によるとも思われるが)、飯島晴子が櫂未知子、鳥居真里子、奥坂まやの三名に選ばれ、さらに③「若手で注目している俳人」に田中亜美が二名に、それも重なって、鳥居真里子と奥坂まやが挙げている確率の高さ?に興味を覚えた。
その他、今月号には「豈」同人でもある山本敏倖「霊域のからめてに入る大むらさき」がセレクション結社「山河」としてグラビアに登場している。最後に「新作巻頭3句」から、これも「豈」同人の高山れおなの句を挙げておこう。

     寒卵鬱々と生み生まれたり       高山れおな

高山れおな、1968年生まれ、愚生が大学一回生の頃に生まれたのだ。


☆閑話休題

 本誌「文學の森俳句教室」の告知に、「約15年間続いてきました『文學の森俳句教室』は、10月をもってしばらく休会します。小社代表の姜琪東の健康が回復しましたら再会いたします」とあった。今月号の編集後記をみるかぎり、「小誌の取り扱い書店が11月号から約100店増えました」と、多くの雑誌が衰退していくなかで、まだまだ意気軒高の様子だから心配ないと思うが、俳句総合誌の企画などが画一化されて、瀕死のなかで、よく奮闘しているのは、彼の激しいエネルギーを淵源にしていると思われる。まだクタバルには10年早いぜ!是非、本復して流れに竿さしてほしい。西川徹郎、加藤郁乎、安井浩司など、まさに俳壇が敬して遠ざけてきた俳句の巨人たちを特集してきた唯一の現役総合俳誌なのだから・・・



                ナンテン↑

2016年11月20日日曜日

鴇田智哉「沼を背に秋の集団写真かな」(「オルガン」7号)・・・



「オルガン」7号に「オルガン連句興業&座談会・沼を背にの巻」が掲載されている。捌きは浅沼璞。浅沼璞創始の「オンザ六句」の連句形式での興行である。
最近刊行した『俳句・連句REMIX』を使ってとある。リミックスは椹木野衣だったか、音楽・美術論として展開されていたように記憶しているが、まあ、すでにかなり昔のことなどであまり記憶にないが、浅沼璞は当初より援用していたように思う。
連句にはたいてい作品と留書があるくらいで、連句に参加した人は、その場の雰囲気の記憶が支えになって面白いが、読む人に、とりわけ、素人には興味が湧かない。
ただ今号のオルガンは座談会というかたちながら、連句を巻いていくさまが、臨場感をもって、再現されており、参加した俳人たちの質問によく答えて、浅沼璞の連句論、いや詩歌論もよく伺える。連句を通して歴史的に俳句とは何かが見えてくるような感じだ。
「オンザ六句」という連句の新形式については「注」によると「従来の連句の式目を(ルール)を簡略化し、一連六句を基本単位とした継ぎ足し方式や自由律の採用など、現代的にアレンジされた連句」とある。ただ、現代的にアレンジされたとはいうもののいつも疑問に思うのは、表記が歴史的仮名遣いであること。連句で現代仮名遣いを採用していたのは、橋閒石だったと思うが、仮名遣いについての現代的な必然性はいずこにあるのだろうか。
今回の興行は五連まで。第一連を記し、その部分にまつわる座談を,引用しておこう。

第一連
秋   沼を背に秋の集団写真かな       鴇田智哉
月     月を掠める鴇の滑空           浅沼 璞
    過ぎ去りし後も列車の色残り       生駒大祐
      コーヒーのんでぽつねんと立つ   福田若之
冬  声のある港を覚ますやうに雪       田島健一
冬   船のほどけて冬の夕焼        宮本佳世乃    

■脇
 月を掠める鴇の滑空        浅沼 璞
浅沼 今回のみなさんの作品で鴇田さんの〈沼を背に秋の集団写真かな〉は一番私には挨拶性が高いと響いてきたので、まぁ私の沼、浅沼ですね。本当に捌なんて背景みたいなものなので、当然脇は名前を詠み込みたいと。仮に「田」でもいいんですけど、「田」にすると田島さんがいて、(笑)、かぶってしまうので。
「浅」に対して「沼」で挨拶してくれたから、鴇田に対して「田」で挨拶するというのもちょっとは考えたんですけれども、「鴇」で挨拶にしようと。

以下は、「オルガン」誌で直接どうぞ、お読み下さい。



                                                       センリョウ↑

2016年11月19日土曜日

秦夕美「理不尽な死あり花野へいそぐ水」(「祭宴」52号)・・・



「祭宴」NO.52(編集・発行、森須蘭)は一年ぶりの発行だそうである。「豈」と同じではないか。「豈」も、今月末には59号が出る。「祭宴」にはまた「自由句会誌」「Dionysosの宴」という肩書もついている。不思議といえば不思議な雑誌である。
愚生は初めて目にするのだが、日野百草という「40代若手俳人」(後記)が勢いのある文章を書いている。

 結局のところ現代の若き俳人の「敵」はこれら漫画であり、アニメであり、ニューミュージックの歌詞であり、ゲームのテキストでもある、と云うことである。これまで大先輩が築き上げた俳句という一大文芸は、現状の愛好者を見ても二十年、三十年後に危機的状況になることは明白だ。現に多くの才能ある者であれ、凡才であれ、俳句ではないこれらのニューカルチャーに流れ続けるだろう。(中略)
 今すぐでなくてもいい、いつか勇気を持って私達の世代の現代を詠もう、それが俳句がもう一度生きた文芸としての価値を再び得る道である。

愚生も思っている。ただ、二十年、三十先という生易しいことではなく、只今、危機的状況がすでに何十年も続き、俳句独特の微笑の世界に浸りきっているのである。いわば茹で蛙状態といったほうが納得がいく。いずれにしても、丁半どの目がでるにしても、愚生よりはるかに若い人たちこそがすべてを担うだろうという確信はある。それが歴史というものだろう。
ともあれ、今号から招待作家二名と参加者で「豈」同人も兼ねている一人一句を以下に、

   端然と不開の門や後の月         秦 夕美
   ゴム手袋溝に浮かびて原爆忌      中村和弘
   少年はまだ夕焼けを削いでいる     成宮 颯
   人界へ言葉生みだす月の部屋      森須 蘭
   黒猫の半眼になり虹の村         わたなべ柊
   引きずったバッグの傷とハムエッグ   伊東裕起
   いち早く日暮の気配ヒヤシンス     杉本青三郎


                                      
                                                 ツリバナ↑



   
   



2016年11月18日金曜日

西村智治「震災の後の真水を身に通す」(『砂川』)・・・



西村智治20年ぶりの句集『砂川』(現代俳句協会)、集名について「あとがき」には、

 砂川というのは、立川市の一地名であり、小生の普段の活動域の大部分を占める地域である。いろいろな物を背負っている地名で、句に何かを足してくれぬかと、句集名にしたとある。

集中の句では、

   砂川は物陰多き花臭木

愚生の年代の者には砂川といえば基地反対の砂川闘争である。ただ、本句集にはそうしたことは表に出てこない。むしろ圧倒的に多いのが陶器に関する句と猫に関する句である。古美術への関心は並みではなさそうだから、陶器に関しては収集家なのかも知れない。

   古唐津のなか長月をさがしおり     智治
   水引にかなう備前をさがしおり
   織部買いて冬の河原へ出て帰る
   斑唐津のなか冬枯の野がありぬ
   冬の日の昏がてに置き井戸茶碗
   信楽にエノコロ草の素を活ける
   伊賀焼の緑寂寥のごと流る
   黄瀬戸より雨の香のして夏果てる
   サンキライ益子の秋を深めけり
   秋風が今ここを過ぐ根来碗

まだまだ多くの陶器俳句があるが、引用はこれぐらいにして、興味と趣味のある向きの方々は句集を手にされるがよい。
   
陶器俳句のみをあげては失礼なので、他のいくつかの愚生好みの句も挙げさせていただく。

   青唐の苦み昭和と生きてきて
   えごの森言葉を固くしておりぬ
   春愁を展げて春の大河かな
   籐椅子にまぼろしの棲む屋敷かな
   いちょうもみじ生ぐさく青残りけり
   寒林を透明あふれだしにけり
  
西村智治、昭和27年、東京中野生まれ。


2016年11月17日木曜日

「破滅に向かっているんだから・・」(瀬々敬久監督『なりゆきな魂、』)・・・


                  出演者の面々と、中央・瀬々監督↑

『なりゆきな魂、』(瀬々敬久監督・制作、ワイズ出版)。今夜、澁谷ユーロスペースで試写発表会があり、愚生40数年前からの友人・岡田博ワイズ出版制作の久々の映画というので、出かけた。来初春2017年1月28日(土)より、同館でロードショー公開だそうである。
最後の場面のセリフを聞き漏らしたていなければ「世界は、破滅に向かっているんだから・・・」だったと思う(耳が遠いので、少し違っているかも知れない)。
原作はつげ忠男『成り行き』『つげ忠男のシュールレアリスム』(ワイズ出版)、ワイズ出版は、かつて、愚生の企画、高柳重信『俳句の海で』の出版に応じてくれた版元だ。
出演は佐野史郎、足立正生、柄本明など。
チラシの瀬々敬久監督言には、

戦後日本を万華鏡のように描いていくというシュールな魂がやどった映画を目指した。

とあった。
会場出口で、実に久しぶりで、めずらしくも皆川勤、皆川燈ご夫妻に会った。

瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)1960年、大分県生まれ。



2016年11月16日水曜日

宗田安正「午睡より覚めて消えゆく身の微光」(『巨人』)・・・




宗田安正第四句集にして、全句集『巨人』(沖積舎)。
「あとがき」には、
 
 今回も前句集(注:『百塔』)、前々句集(注:『巨眼抄』)と同様に対象(存在)の内化(内面化)と、内なるものの(内面)の外化(対象化)の装置としての俳句にこだわってきたことは変わらない。前句集ではその終結部、最後に至って絶息する凍蝶の脳裡に、いきなり天を目指す百塔が出現したが、今回はこの晩年に至り、何処からか、突然、〈巨人〉が姿を現わした。

とあった。たゆまぬ志向というべきか。略年譜も付されているので、宗田安正の来し方も実によく伺える。また『個室』『巨眼抄』『百塔』のそれぞれに収められた「あとがき」や飯田龍太、吉岡実、三橋敏雄、松村禎三、大岡信、水上勉、佐佐木幸綱等の解説文まで収録されているので、文字通り宗田安正の全貌が知れるのである。三橋敏雄は「個室」(19歳から24歳)のムネタ初夫こと宗田安正について、「彼は、ついに『個室』を出て生き抜いた。その後のムネタ初夫俳句の沈黙を、むしろ喜ばねばなるまい」と記している。
その『個室』今読み返してみても切実な濃密さがある。
愚生はといえば「巨人」を目にした瞬間に、

   稲の世を巨人は三歩で踏み越える     安井浩司『霊果』(1982年刊)

の句を思い起こした。



また、偶然の符号のように「巨人」という言葉に出合った。出版されたばかりの高柳蕗子『短歌はともだち?』(沖積舎)には、こうあった。

  私という個人は、いわば¨世の中という巨人¨に情報を入出力する端末機である。(中略)
 そうした端末たちの働きの成果として¨世の中という巨人¨は、劣化しにくいゆえに抒情的なイメージを特に吸収する。抒情がありふれやすいと思うのは、そういう理由である。

ともあれ、集名ともなった巨人の句といくつかの句を以下に挙げておこう。
  
   巨人の眼盗みて揚がりゆく雲雀      安正
         午前十一時巨人裏山の瀧倒す
       昼寝より起ちて巨人として去れり
   げんげ野の懐炉天女の落とし物
   薄氷の形而上学に嵌(ハ)まる
   雪止まず死とは終(ツヒ)なる目覚めとも
   贋物も一羽混じりて帰る雁
   枕絵の組手むつかし鳥曇
   人死にてまた集まれり春の昼



   

2016年11月13日日曜日

横山康夫「遠まなざし波消しに波限りなく」(「円錐」71号)・・



                                       左・澤好摩 VS 右・山田耕司 ↑

「円錐」71号は、創刊25周年記念号である。本日はアルカディア市ヶ谷において「円錐」創刊25周年記念の集いが行われた。午後は「討論・名句はどっちだ!」という句合わせで判定を行うという趣向だった。討論の対象にされた句は5組。右句(下記では一句目)には、山田耕司がその理由と推挙の言を、左句(二句目)には同じく澤好摩が賛意の意見を述べ、会場からもそれぞれの応援演説s者を指名するという趣向だった。
例えば、5組目の「どっちが、名句だ」には、

  一満月一韃靼の一楕円    加藤郁乎
  秋の航一大紺円盤の中    中村草田男

参加者・判者の顔ぶれから、しかも郁乎句については、高柳蕗子の強力な応援演説があって、圧倒的に名句の判定には郁乎に軍配が上がってしまった。もっとも、二句を比べて、俳句における新しみ、完成度、俳句史の上にもたらされた衝撃度において草田男句が追いつく理由は見当たらないのはやむを得ない。
それはともあれ、各句合せにおける山田耕司が句を評する際の語りには、その話しぶり、その譬えといい、句にまつわる評価のありどころを、公平に示してみせる手腕は、参加者を楽しませ、納得させるだけの説得力があって、退屈をさせない見事なものだった。
愚生は、諸事情あり、夕刻より行われた懇親会には残念ながら出席できなかった。
それでも遠路馳せ参じた横山康夫、樋口由紀子、さらに中里夏彦に久しぶりに会えたのは嬉しいことであった。
ともあれ、「円錐」71号の句を読む特集「俳句トス」に挙げられた句を以下に掲げておこう。

   君はきのふ中原中也梢(うれ)さみし      金子明彦
   倒れしは一生涯のガラス板           桑原三郎
   夏みかん酸つぱしいまさら純潔など      鈴木しづ子   
   この聖夜まがひものこそうつくしき       御中 虫
   


   
   

2016年11月11日金曜日

「古くならないことが新しいことだと思うのよ」(小津安二郎監督映画『宗方姉妹』)・・・



小津安二郎監督映画「宗方姉妹」を観た。というより仕事先の研修の一貫で見ることになったのだ(従って、客席の空調や映像・音声・客席の反応などのごく簡単なレポートはある)。
愚生の勤務先・府中グリーン・プラザ(府中シルバー人材センター派遣業務)で11月10日(木)~12日(土)まで「名作映画会」をやっている。今回の上映作品は小津安二郎監督作品「宗方姉妹(きょうだい)」(1950年・東宝作)と滝沢英輔監督作品「絶唱」(1958年・日活作)である。

その「宗方姉妹のなかで、姉の節子(田中絹代)が、妹の満里子(高峰秀子)に向かって言うセリフが、

  それが、古いことなの?それがそんなにいけないこと?--あたしは古くならないことが新しいことだと思うのよ。ほんとに新しいことは、いつまでたって古くならないことだと思っているのよ。そうじゃない?

である。まるで、俳句作品の新しさについて述べられているのではないかと思った。



また、この映画について、前田英樹著『小津安二郎の喜び』(講談社)は、小津の前作『晩春』と比べて、次のように述べている。

 『晩春』は豆腐だったが、『宗方姉妹』は〈現実的なもの〉をたっぷり吸ってガンモドキになった。客の好み、会社の要請に応じて、小津はどちらにも作り分けることができる。映画の知覚に二重化を起こす原理や方法は、いつでも同じになるほかないからだ。しかし、豆腐屋として最も腕を試されるのは、やはり純然とした旨い豆腐を作る時ではなかったか。そこでは、知覚を二重化する働きは、結局その全体が、永遠の現在に、過去それ自体の持続に、深く沈み込んでいくのでなくてはならない。これは、想像を絶して難しい仕事である。

ガンモドキについては、この前段で、

 『晩春』の次に撮られた『宗方姉妹(むなかたきょうだい)』(昭和二十五年)では。その摂理は、登場人物たちの逃れられない運命のようなものとして、話の全面に押し出されてくる。これは、ずいぶんこってりしとした味の濃いガンモドキになった。

と記している。もっとも小津が豆腐屋だとすれば、という話しなのだが・・・キャメラマンは小原譲治。

 三人が暮らす東京の「大森の家」は忠親が構えた住居だった。これがまた、『晩春』の曾宮周吉の家によく似ている。セットが似ているだけではなく、その家屋を内側から捉えるロー・ポジションのキャメラの視覚が、あたかも『晩春』のフレームを再現するかのようなのである。
 多層化したそのフレームのなかに、三人の家族が出入りする。

ともあれ、前田英樹は小津の37本の映画について辿り、23年前に上梓した前作『小津安二郎の家』(書肆山田)につづき再び『小津安二郎の喜び』を書いた。

前田英樹、1951年、大阪府生まれ。愚生にとって、彼は批評家であるよりも、忘れること能わぬ新陰流兵法の兄弟子=師範であった。


                  カツラ↑

2016年11月10日木曜日

上田玄「地平より/照らす/幻日/雪つぶて」(『月光口碑』)・・・



上田玄『月光口碑』(鬣の会・風の花冠文庫)は、上田玄三十四年ぶりの第二句集にして多行表記の句集である。。第一句集は『鮟鱇口碑』(私家版)は確か一行表記だった(収録は49句だったらしい)。
長い年月の休筆時期を経て2011年に句作を再開。現在は、多行表記。

   地平より
   照らす
   幻日
   雪つぶて

上の句は「私唱雪月花」の章の冒頭の句、前ページには、以下の端書が付されている。

 アポロ11号の月着陸は、巣鴨拘置所で録音放送で聴いた。夜空を見上げることはできなかった。

上田玄1946年静岡市生まれ。愚生の勝手な想像でいうのだが、たぶん70年安保闘争の最中のことであろうか。もしかしたら、アポロ月面着陸(1969年7月)であれば、なおそうであろう。壮大なゼロと言われた闘争は、60年安保闘争が左派右派ともにナショナリズムを潜在もしくは全面におしだした希望の闘争であったとすれば、愚生ら70年安保世代はすでに闘争の敗北は想定の内だったはずである。その伝でいけば、心情的には日本浪漫派的だったのかも知れない。その渦中に上田玄はいたのだろう。玄は黒であるから、その俳号「玄」が本名でなければ、黒旗(アナーキズム)を負っていたかもしれない。今は無き戦犯を収容した巣鴨プリズン・巣鴨拘置所はその頃は、闘争によって逮捕された未決拘留者も多くいたのではなかろうか。
句に戻ると、「地平より/照らす」には、あきらかに渡辺白泉「地平より原爆に照らされたき日」が潜んでいると思われる。幻日(太陽光における現象としての幻日のみならず)は幻ではない現実を含意していよう。

   月光亡八
   黒旗畳む
   勇みの
   友ぞ

本句集は、M・Oへの献辞があるが、その一つは、

 M・Oにはオールド・ボルシェビキ、略称オルボルという仇名があった。そこには、彼の頑固さに辟易する思いと、それに負けないほどの敬意が込められていた。 

とある。そのボルシェビキの象徴的な存在としてのレーニン(スターリニズムの根源にちがいない)。

  木漏れ月光
  我を
  腑分けす
  小レーニン

  錆として
  花として
  仮置くか
  渚のレーニン

  レーニンの
  卒塔婆
  南へ
  枯木灘

とまれ、痛憤慚愧の次の一句で終わろう。

 塩漬けの
 魂魄を
 荷に
 驢馬の列





2016年11月9日水曜日

福島泰樹「テナーサックス吹いていたっけ泣いていた煤けてしまった想い出のため」(『哀悼』)・・・




福島泰樹第29歌集『哀悼』(皓星社)、いつものことながら圧倒的に死者に捧げられている歌で構成されいる。ブログタイトルにした歌は詩人諏訪優にまつわる第Ⅱ章に収められ、前書のある、

     日暮里ジャズ喫茶「シャルマン」にもよく行った

  テナーサックス吹いていたっけ泣いていた煤けてしまった想い出のため

とある歌である。そして愚生の買った歌集の見返しに揮毫された歌は、たしかに上句は同じだが下句は以下のように記されている。

  テナーサックス吹いていたっけ泣いていた煤煙けむる俺のブルース

もちろん、揮毫する時、瞬時に改作されたであろうこの歌の方が愚生の好みだ。
愚生の第二句集『風の銀漢』(書肆山田)の跋文は清水哲男とともに福島泰樹にしたためていただいた。もう31年前のことだ。想い出に捧げる歌を一首。

 愛憐の果てにはだかる闇やあるヤスキ・フクシマ汝れが跋文     恒行

ともあれ『哀悼』の数首を愚生好みで挙げておきたい。

      諏訪優
   大給坂藍初坂(おぎゅうざかあいぞめざか)やのぼりゆく血を滲ませたようなたそがれ
      あの子の体
      飲んだゲキヤクで真青だよ
   青酸のカリ活用 と笑いしは戯れならず死んでゆくため     泰樹
   五七五、十七音で述べるならなんともつまらぬ風の夜となる
   生存のために戦ううるわしく死んでいったと人に告げるな
   マスクして歩くは風邪のためでない虚無の唇ひらかないため
   誰一人死んではいない追憶の戦列なれば凛々しくぞ咲け
      歌集『六月挽歌』がこころに沁みてならない
   感傷ゆえに時間を迂回してたちのぼりゆく映像はある
      一条さゆりを君は歌った
   一条さゆり樺美智子や同い年、盧溝橋事件の年に生まれき

 

    
                  サザンカ↑
                  

2016年11月8日火曜日

中原道夫「昇天の手續きもなく自爆・冬」(『一夜劇』)・・・



中原道夫第十二句集『一夜劇』(ふらんす堂)。句集巻尾に置かれた句群は、パリの同時多発テロの直後にパリに滞在して得た句であるという。

 ともあれ五日間の滞在の中で、結果として最後の方に措いた参拾参句を得た。帰国してからの日常へ戻った句は、どうも白け、無残で入集するのを止めた。尻切れ蜻蛉のやうだが、最後の句で白昼夢が醒めたと思つていただきたい。
 あれだけの犠牲者を出しても、パリ市民は「テロに屈しない」と言つてのける。「叩き返せ」声は聞き漏らしたが。これが旧くから覇者となりヨーロッパ世界を統べてkた民族のぺライドといふものだらう。実に冷静、私の句の方がパセティックに過ぎたかもしれぬ。「あとがき」より(本文は旧仮名・正字)。

いずれにしても、こういう衝撃が句をなす原動力、性と観念し、詠む勇気を作家魂というのかも知れない。ともあれ、集中の感銘句の中からいくつかを挙げよう。

   耳垢は風聞の利子萬愚節
      鈴木鷹夫氏逝去
   水仙の美学一本通し逝く
   亜細亜といふ汗し雑交する臭気
   膝下といふ饐えやすき処(とこ)蚊に知れる
   鬼胡桃鬼の棲むには手狭なる
   屁の玉を手囲ひに年つまる湯に
   ケロイドといへども膚(はだへ)廣島忌
   アイロンかけ苦手草むしりならやるわ
   さうすれば良いと菊なと切りくれし
   むなしいといふは炬燵寝覚めてより
   死とともに敵意砕ける冬の薔薇
      新聞・TVでは自爆テロのことを¨KAMIKAZE”と
      日本の特攻隊の名を使用
   神在にKAMIKAZEの咲く狂気かな
   着膨れの私娼なら間にあつてゐる

中原道夫、1951年新潟県西蒲原郡生まれ。




2016年11月7日月曜日

岡村知昭「行列の先に階段寒の雨」(『然るべく』)・・・



岡本知昭第一句集『然るべく』(人間社・草原詩社)。先に(2011年)に刊行されたアンソロジー『俳コレ』(邑書林)では柿本多映選100句「精舎」があるが、そちらは第零句集になるのだそうである。1973年滋賀県近江八幡市生まれ、とあるから「豈」同人としても、もっとも若い俳人のうちの一人に入る。年齢だけで前途有望というわけにはいかないが、彼の言葉の出て来方は特別で真似が出来ない。その辺りの事については、栞文の佐孝石画(「狼」同人)「句集によせて」と中島夜汽車(「京大俳句会」)「岡村知昭(俳句・命)讃江」に親愛をこめてしたためられている。
句集名になった句は、

   ヒトラーの忌に頼まれて然るべく     知昭

からである。例のアドルフ・ヒトラーの忌日(1945年4月30日)、俳句季語的に言えば四月尽。そのヒトラーは、日独同盟の末路、連合国に包囲され、地下総統指令室で自裁したと言われている(実は生き残っていたという説もある)。いったい何を頼まれたかは示されてはいないが、誰かが然るべく対処しようとした、もしくはしたのだろう。勝手に読者に読みを預けてもらいたくはないが、俳句というやつはそういうところのあるやっかいなヤツなのである。
いつだったか、十年近くは前のことなるが、恒例となった「豈」忘年句会に遠く近江の地から長距離バスに乗って彼はやってきた。忘年句会が終わるとそのまま池袋から再び、金沢行の長距離・夜行バスにのって、今度は「狼」の同人諸氏に会いに旅立った。印象深い夜だった。
ともあれ、岡村知昭、不惑を超えて句歴20年の成果である。幾つかを以下に挙げておこう。

   チューリップ治安維持法よりピンク
   自転車にたどり着かざる朧かな
   短夜の脱がねばならぬ防護服
   ブルーシート被りタンクの秋の暮
   分離独立あり桃の熟したる
   男尊女卑をふりかけまでに言われたり
   見てはならない冬の虹見なくては
   卒業式中止決行たぶん晴
   いなくなる人いないひとつちふれり
   朝風呂や四月一日付解雇



                    サボテン↑

2016年11月6日日曜日

高野ムツオ「轍すら残らぬ時代鳥渡る」(『片翅』)・・・



高野ムツオ第6句集『片翅』(邑書林・小熊座叢書102番)。「あとがき」に、

 本集は『萬の翅』に続く私の第六句集で、平成二十四年(二〇一二)春から平成二十八年(二〇一六)春までの四年間の作品より三百九十五句を収めた。(中略)七十歳を迎えるにあたって一区切りをつけておきたいと思ったのである。
 水晶の原石のように手触りは粗くとも深い透明度を蔵し持った言葉を掘り当てたいとの願いは強まる一方だ。

と記している。高野ムツオは、愚生にとって、早くより、遠望、期待の作家であった。橋本七尾子が仙台に移り住んだのを機に、一時期、攝津幸彦、池田澄子を含め、佐藤きみこ、渡辺誠一郎等「小熊座」の方々の尽力によって、「そして」という小冊子を出していた時期がある。最近は超多忙の様子でいささか按じられる。攝津幸彦と同年の生まれだから、攝津幸彦が生きていれば、今年、古稀(70歳)を迎えていたことになる。そういう愚生も来年はそうだ。人生長いようで、やはり短いという思いがしきりにする。
句集名は、

      福島は蝶の片翅霜の夜

の句からだろう。ともあれ、本句集よりいくつかを挙げておきたい。

    揺れてこそ此の世の大地去年今年     ムツオ
    紅涙は誰のにも見えず寒の雨
    冬眠のままの死もあり漣す
    ことごとく我らを睨み冬の星
    花万朶被曝させたる我らにも
    氷りて融けさらに氷りて光りなす
    鶴万羽数えて人も滅ぶなり
    弟のぎょろ目も老いぬまた雪か
    生者こそ行方不明や野のすみれ
             踏むたびに眥裂きて犬ふぐり
    骨となる炎立ちたり花の奥




    
   


2016年11月1日火曜日

攝津幸彦「山桜見事な脇のさびしさよ」(『日本文学全集29・近現代詩歌』)・・



池澤夏樹個人編集で話題になっている『日本文学全集29・近現代詩歌』(河出書房新社)が発行された。
それぞれの選者は、詩「池澤夏樹」、短歌「穂村弘」、俳句「小澤實」である。
選ばれた俳人は50人、基準は「編集部から池澤夏樹氏(一九四五年生まれ)より前に生まれた人、ただし物故者の場合は以降生まれでも可」(穂村弘・選者あとがき)という統一ルールが示されたとある。
ただ、小澤實選は全て物故者50名で、戦後生まれ物故者の攝津幸彦と田中裕明が入っている。
愚生にとってありがたかったのは、各人の俳句5句の原句と同時に、口語訳と短いながら鑑賞が付されていることだ(しかも、総ルビ付き)。
もちろん、句以外、読みたくない人は、原句のみを追えばいい。
ブログタイトルにした「山桜(やまざくら)見事(みごと)な脇(わき)のさびしさよ」は、

 口語訳は略。この脇は俳諧の発句に付けられる脇句か。みごとな脇句は、発句以上にでしゃばってはならない。発句と時と場とを共有しつつ、そっと添えるように置かれる。たしかにそんな脇句のありようはさびしい。山の自然林のなかに山桜が混じり咲いているのをうつくしく眺める。桜が、他の木々のうつくしさまで引き出しているように感じる。街中に咲くソメイヨシノとは違う花なのだ。

と記されている。小澤實ならでは読みであろう。愚生はというと、そんなに高尚に読めないが、本全集にも収められている、永田耕衣「天心(てんしん)にして脇見(わきみ)せり春(はる)の雁(かり)」が攝津幸彦の意中にあったのではないかと思っている。

これは、余談になるが、短歌編に平井弘(1936~)があって、愚生はまったく忘失していたのだが、改めて彼の歌集『前線』の歌、

  男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくがやさしく殺してあげる

を思い起こすことになった。穂村弘の解説には、代表歌で読みが分かれているという。
そして、

 平井弘の特異な文体は、戦後への批評性を起点としていながら、結果的に短歌の戦後性を先取りしているように思える。

と結んであった。愚生がほかに当時愛唱した歌(これもやっと思い出した)は、

  膝ひらいて搬ばれながらどのような恥しくない倒されかたが    

この一首に佐佐木幸綱が「この歌は、直接に敗者のぶざまさをうたっている」と言っていた・・・。

ともあれ、小澤實に選ばれた攝津幸彦の他の四句を挙げておこう。

   南国に死して御恩のみなみかぜ      幸彦
   階段を濡らして晝が来てゐたり
   国家よりワタクシ大事さくらんぼ
   露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな