2016年11月16日水曜日

宗田安正「午睡より覚めて消えゆく身の微光」(『巨人』)・・・




宗田安正第四句集にして、全句集『巨人』(沖積舎)。
「あとがき」には、
 
 今回も前句集(注:『百塔』)、前々句集(注:『巨眼抄』)と同様に対象(存在)の内化(内面化)と、内なるものの(内面)の外化(対象化)の装置としての俳句にこだわってきたことは変わらない。前句集ではその終結部、最後に至って絶息する凍蝶の脳裡に、いきなり天を目指す百塔が出現したが、今回はこの晩年に至り、何処からか、突然、〈巨人〉が姿を現わした。

とあった。たゆまぬ志向というべきか。略年譜も付されているので、宗田安正の来し方も実によく伺える。また『個室』『巨眼抄』『百塔』のそれぞれに収められた「あとがき」や飯田龍太、吉岡実、三橋敏雄、松村禎三、大岡信、水上勉、佐佐木幸綱等の解説文まで収録されているので、文字通り宗田安正の全貌が知れるのである。三橋敏雄は「個室」(19歳から24歳)のムネタ初夫こと宗田安正について、「彼は、ついに『個室』を出て生き抜いた。その後のムネタ初夫俳句の沈黙を、むしろ喜ばねばなるまい」と記している。
その『個室』今読み返してみても切実な濃密さがある。
愚生はといえば「巨人」を目にした瞬間に、

   稲の世を巨人は三歩で踏み越える     安井浩司『霊果』(1982年刊)

の句を思い起こした。



また、偶然の符号のように「巨人」という言葉に出合った。出版されたばかりの高柳蕗子『短歌はともだち?』(沖積舎)には、こうあった。

  私という個人は、いわば¨世の中という巨人¨に情報を入出力する端末機である。(中略)
 そうした端末たちの働きの成果として¨世の中という巨人¨は、劣化しにくいゆえに抒情的なイメージを特に吸収する。抒情がありふれやすいと思うのは、そういう理由である。

ともあれ、集名ともなった巨人の句といくつかの句を以下に挙げておこう。
  
   巨人の眼盗みて揚がりゆく雲雀      安正
         午前十一時巨人裏山の瀧倒す
       昼寝より起ちて巨人として去れり
   げんげ野の懐炉天女の落とし物
   薄氷の形而上学に嵌(ハ)まる
   雪止まず死とは終(ツヒ)なる目覚めとも
   贋物も一羽混じりて帰る雁
   枕絵の組手むつかし鳥曇
   人死にてまた集まれり春の昼



   

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