2015年12月13日日曜日

「現代川柳の可能性」柳本々々×小池正博(「川柳カード」10号)・・・



「川柳カード」10号の発行人・樋口由紀子、編集人・小池正博は「豈」の同人である。だからというわけでもないが、愚生が現代川柳をすこしばかりでも覗きみることができるのは、、いわばこの二人の川柳人のお蔭というわけである。勝手に言わせてもらうと現代川柳の、現在、今、何が問題となっているのか、という真摯な問いかけに答えてくれているのも彼らとその仲間であるに違いない、と思われる。
「川柳カード」10号には、興味を引く記事が詰まっている。なかでも「第三回川柳カード大会」での柳本々々と三十歳年長の小池正博(小池だって愚生よりかなり若い)の対談「現代川柳の可能性」は、示唆に富んでいた。
そこには現代俳人が忘れて久しい問いが新たな表現をもって存在しているようにさえ思えた。例えば、柳本々々(やなぎもと・もともと、と読むらしい)の以下のような発言、

  別に川柳によって救われる必要もないと思うのですが、川柳というのは勇気をくれると思うのですよ。それはなぜかというと、川柳はすごく不健全で「健やかな不健全さ」「不健全な強さ」を持っていると思います。私は寺山修司の俳句が好きだったんですよ。寺山修司もけっこう不健全な内容だと思いますが、おもしろさを感じます。そういう不健全さが自分を救ってくれました。幾つになっても不健全でいられる文芸ってあまりないと思うんです。それは定型が救ってくれていると思うんです。定型が饒舌を許さない。不健全は小説だと不健全すぎることになりますが、定型だと健やかさがありながら不健全でいられる。

本号他の記事でも、【合評会】「川柳の読みを探る」で若い俳人の松本てふこ・西村麒麟・久留島元の「『川柳カード』9号を読む」の座談会も、興味深かった。なかでも松本てふこのボーイズ・ラブ、略してBLの世界観を前提にして句を読む試みには頷かせるものがあった。「階級の再生産」というキーワードにもさもありなんという次第。例句は、次の2句だった。

    おつぱい×n乗(セカイ系)       柳本々々
    おつぱいを三百並べ卒業式     松本てふこ

あるいは、「果樹園散歩」と題して同人作品を読む小池正博の批評文、「現代川柳を楽しむー読みの入り口はどこにあるかー」においても、実に真摯に一句の読みを句に即して展開してくれていて、門外漢の愚生には、よい手掛かりを与えてくれる。以下は、おもむくままに本誌よりいくつか。

   リンス・イン・魂(洗い流せない)       柳本々々
   たてがみを失ってからまた逢おう      小池正博
   三十六色のクレヨンで描く棺の中     樋口由紀子
   男女不問三食パワーハラスメント付き  岡村知昭
   妊娠線ではない方のシャンデリア     蟹口和枝
   ゲスト席までグーグルマップして      松本てふこ
   ぱかぱかとホタテが泳ぐだけの夢     西村麒麟
   学校新聞怪談係宛密書           久留島元



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