「翻車魚」VOL.06・手長猿号(走鳥堂)、その編集後記に、
(前略)細村星一郎さんに「何か面白いことしまさせんか」と依頼。「オンライン共作」の提案を受け、実施しました。共同体で作品を完成させていくという意味では連句からの伝統を継ぐものですが、離れたところにいる三人が同じ時間にログインして十句作品を一緒につくる方法をGoogleドキュメントという場が可能にしたと考えれば、新しい試みです。この試みは今後、いろいろなところでアレンジして使ってください(原案:細村星一郎、でお願いします)。
とあった。もう一つ、高山れおな『尾崎紅葉の百句』(ふらんす堂)が刊行予定らしい。
その「『尾崎紅葉の百句』補遺」が先行掲載されている。紅葉の15句ほどに鑑賞が付されている。ここでは、鑑賞文の短いものを一句、紹介しておこう。
火を吹くや夜長の口のさびしさに 明治32年(1899)
最初、火吹き竹で竈の火を吹いているとか、風呂を焚きつけているとか、そんなシーンを思い浮かべた。しかし、特に裕福ではないとはいえ、紅葉の家ではそれは使用人の仕事である(風呂は銭湯だったし)。これは自室で火鉢の炭を吹いているのだ。読書や執筆に疲れ、炭火を吹く。ああ、俺は今、火を吹いているなと思う他は、何を考えるでもなく、赤く熾る火を見つめる。秋の気配も深まった時期、静かに孤独を楽しむ夜の時間が過ぎてゆく。
以下には、本号より、句をいくつか挙げておこう。
いっせいに什器が降ってくる白夜 細村星一郎×白野×奥村俊哉(リアルタイム共作)
くまモン着ぐるみ口から腕を垂らせる暑 関 悦史
街で最後の電話ボックスは自殺の衝動に溢れている ウェイジア・パン
(佐藤文香 訳)
椎柴(題は六百番歌合に拠る)
冬の虹消えて椎柴峰に顕(た)つ 高山れおな
文月のよく飛ぶ鳥であられるか 佐藤文香
芽夢野うのき「紅葉狩り端から端を空という」↑
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